第31話 奪還前哨偵察隊
東京中心部へ向かう。
その方針が決まった瞬間から、防衛区の空気はまた一段変わった。
これまでの新宿外縁線は、“押し寄せる敵をどう止めるか”が主題だった。
だが今は違う。
敵の心臓が東京中心部にあるかもしれない。
しかも、家族の避難線までそこへ繋がっている可能性が高い。
つまり次は、ただ守るための戦いではない。
覗き込み、掴み、将来の奪還へ繋げるための一歩になる。
真田一佐は、その重さをよく分かっている顔で会議区画の地図を見ていた。
「本格攻略はまだ先だ」
一佐の声は低く、はっきりしていた。
「今やるのは、あくまで偵察」
「でも、敵中枢候補を見に行くんだよね」
雫が言う。
「それ、偵察って言ってもほぼ死地突入じゃない?」
「そうだ」
真田一佐はあっさり答えた。
「だから人選を間違えると帰ってこられん」
長机の上には、東京中心部へ向かう想定ルートがいくつも引かれていた。
地上を使う線。
地下鉄深部を辿る線。
高架下と崩落ビル群を抜ける線。
どれも長所と短所がある。
どれも安全ではない。
玲奈が端末を操作しながら言う。
「正面ルートは論外。監視密度が高すぎる」
「地下深部は?」
恒一が聞く。
「未知数が多い」
玲奈は即答した。
「敵中枢に近いなら、逆に早く着ける可能性はある。でも“何があるか分からない”が多すぎる」
「じゃあ外縁から地上で回り込むのが一番現実的か」
木村三曹が地図を見ながら言う。
「偵察だけならね」
玲奈が頷く。
「ただし、中心部へ近づくほど高所観測と通信乱れが強くなるはず」
リュミエルがその横で、小さく鼻を鳴らした。
「通信乱れだけならまだマシよ」
「まだマシ?」
雫が聞く。
「こっちの世界の通信が切れる程度ならね」
リュミエルは淡々と答える。
「問題は、向こうの境界汚染がどれだけ濃くなってるか」
「……」
「術式がねじれる、認識が鈍る、方向感覚が狂う。場合によっては“見えている景色そのもの”が信用できなくなる」
「やっぱり怖いこと言うなあ……」
木村三曹が顔をしかめた。
恒一はその言葉を聞きながら、中心部地図の赤丸を見つめていた。
敵の心臓。
家族の避難ハブ。
同じ方向を向き始めた二つの理由。
もう自分が行かない選択肢はない。
それだけは分かっている。
「人選、決めるか」
恒一が言う。
真田一佐は頷いた。
「候補は絞ってある」
一佐の視線が順に卓をなぞる。
「天城」
「はい」
「セレフィア殿」
「はい」
「リュミエル殿」
「ええ」
「木村」
「了解」
「三崎」
雫が少しだけ肩を揺らす。
「……やっぱり私も?」
「地理感覚と避難導線の知識がいる」
一佐が言う。
「都心側の古い生活動線を知ってる現地民は貴重だ」
「分かってるけどさ」
「怖いか」
「怖いよ、普通に」
雫は正直に言った。
「でも必要なら行く」
その返答に、木村三曹が少しだけ感心したように息を吐く。
「肝が座ってきたな」
「座らされたの」
雫はむっとした顔で返す。
「誰のせいだと思ってるの」
「心当たりが多すぎて困るな」
恒一が言うと、雫は半眼で睨んだ。
玲奈がその流れを断つように、次の名前を出した。
「藤堂は?」
「候補には入ってる」
真田一佐が答える。
「だが、肩の回復がまだ万全じゃない」
「本人は行きたがるわよ」
玲奈が言う。
「知っている」
一佐は短く返した。
「だからこそ、まだ決めていない」
そこへ、ちょうど本人が現れた。
藤堂修司は壁にもたれながら会議区画へ顔を出す。
肩はまだ固定されているが、顔色は前よりずっといい。
「今、俺の名前出た?」
「出た」
木村三曹が言う。
「聞いてたのか」
「半分くらい」
「相変わらずだな」
藤堂はそのまま中へ入ってくる。
「で、中心部偵察でしょ」
「そうだ」
真田一佐が答える。
「俺も行きたい」
「却下」
「即答!?」
あまりにも早い否定に、さすがの藤堂も素で声を上げた。
「怪我」
一佐は一言で切る。
「いや、動けますって」
「動けると戦えるは違う」
「それはそうですけど」
「今のお前を一人前の戦力として数えるのは、隊長として無責任だ」
「……」
「置いていく」
「……はい」
藤堂は悔しそうに歯を食いしばったが、最終的には引いた。
そこを無理に押さないあたり、彼も現実は分かっているのだろう。
恒一はその横顔を見て、少しだけ気持ちが分かった。
戦えるのに前へ出られないのは、かなり苦しい。
だが今回ばかりは、半端な状態の戦力を抱える余裕は本当にない。
「偵察の目的を整理する」
真田一佐が改めて言った。
「第一に、敵中枢候補地の視認。第二に、進入路と撤退路の確認。第三に、高位個体の密度と観測ラインの把握」
「第四に」
玲奈が指を立てる。
「異世界由来の境界汚染の濃さを測る」
「ええ」
リュミエルも頷く。
「中心部で術式がどの程度歪むか。それが分かれば、ミレーネ召喚後の攻略準備にも繋がる」
「第五」
恒一が言う。
「家族の避難ハブとの接点を確認できるなら、そこも見る」
「優先順位は落とすが、否定はしない」
一佐が答えた。
「偵察の主目的を見失わない範囲でならな」
その言い方に、恒一は少しだけ救われた。
真田一佐は厳しい。
だが個人的理由を頭ごなしに切り捨てるわけでもない。
それが、この終末日本で大人として信頼できるところだった。
玲奈がそこで、少し不満そうに言う。
「本当は私も行きたいんだけど」
「駄目だ」
一佐が即答した。
「まだ何も言ってない」
「言う前から分かる」
「ひどくない?」
「ひどくない」
真田一佐は本気だった。
「お前は技術中枢だ。ここを空けさせる選択肢はない」
「でも現地でしか拾えないデータとか」
「持ち帰れ」
「雑!」
「適切だ」
木村三曹が横から言う。
「博士が前線に出ると、拾えるデータより拾ってくる厄介事の方が増えそうだ」
「ひどい」
「事実だ」
雫が言う。
「今日は全方位から辛辣だな……」
セレフィアはそのやり取りを横で聞きながら、静かに口を開いた。
「では、私は前衛兼護衛」
「そうなる」
恒一が言う。
「中心部偵察でも、前に立てるのはお前だ」
「当然です」
「その“当然”便利だな」
「役に立つ言葉でしょう?」
「まあ、今はな」
リュミエルは少しだけ嫌そうな顔で肩をすくめる。
「私は後衛。索敵と術式観測、必要なら広域魔法」
「ただし派手にやるな」
真田一佐が釘を刺す。
「分かってるわよ」
リュミエルは言った。
「偵察で空を落としたら意味ないでしょ」
「前にやっただろ」
恒一が小さく言う。
「必要だったの」
「はいはい」
木村三曹は地図の上に拳を置く。
「俺は現代側の導線管理と無線連携。あと、撤退判断の役」
「重要ね」
玲奈が頷く。
「こういう時、一番死にたくない役だし」
「だからこそ俺がやるんだよ」
雫は少しだけ口を尖らせた。
「で、私は地理案内」
「それだけじゃない」
恒一が言う。
「現地の生活動線の感覚、避難民の目線、そういうのは俺たちにはない」
「……」
「頼りにしてる」
「……分かってる」
雫は少しだけ視線を逸らした。
「そういうこと真っ直ぐ言うの、ずるいよね」
「何がだ」
「別に」
またそれか、と恒一は思ったが口には出さなかった。
話し合いはさらに具体化していく。
出発時間は夜明け前ではなく、昼寄り。
敵の観測密度が変化する時間帯を狙うためだ。
ただし帰還は日没前提。中心部の夜は未知数が多すぎる。
ルートは二案。
高架下経由の地上寄りルートと、地下搬送路を途中まで使う複合ルート。
現地で判断するが、リュミエルは地下側の境界汚染を警戒し、木村三曹は地上側の観測ドローンを警戒している。
「どっちも嫌だな」
恒一が言う。
「偵察ってそういうものよ」
玲奈が答える。
「嫌じゃないルートなんて、敵中枢に近づく時点で消える」
「言い切るなあ」
「でも本当でしょ」
「本当だ」
会議が終盤に差しかかった頃、外の無線が短く鳴った。
『観測ドローン、北西上空に薄く展開』
『攻撃意図なし、監視継続』
真田一佐がその報告へ耳を傾け、低く言う。
「見られているな」
「ええ」
リュミエルが答える。
「向こうも、こっちが動き出すのを待ってる」
「じゃあ中心部も待ってる?」
雫が聞く。
「多分ね」
リュミエルは淡々と言う。
「だから面倒なのよ」
その一言で、会議の空気はまた少し冷えた。
偵察は必要だ。
だが相手もまた、それを織り込み始めている。
東京中心部は、ただ遠いだけの場所ではない。向こうも“こちらが来るかもしれない場所”として見ている可能性が高い。
それでも、行くしかない。
恒一は地図の赤丸を見ながら、改めて思った。
家族の痕跡。
敵の心臓。
異世界の境界汚染。
全部があそこへ繋がっているなら、どのみち避けては通れない。
「……行くか」
小さく呟くと、セレフィアがすぐ隣で頷いた。
「ええ」
「まだ何も始まってないのに、すでに胃が痛い」
木村三曹が言う。
「丈夫だな」
恒一が返す。
「そうでもないぞ」
「でも来るんだろ?」
「来るしかねえだろ」
「それはそうか」
玲奈はそこで、最後に一つだけ付け加えた。
「偵察に出る前に、装備と術式のすり合わせだけはやって」
「当然」
リュミエルが言う。
「あなたたちの無線癖と射線癖、まだ全部は掴めてないし」
「こっちもエルフの広域魔法を前提にした動きなんてしたことない」
木村三曹が言う。
「じゃあ、そこも含めて今日中に詰める」
「了解」
こうして、奪還前哨偵察隊の骨格が決まった。
まだ出発はしていない。
だが、人選が固まったということは、もう“行くつもりの話”ではない。
現実の作戦になったということだ。
東京中心部。
敵の心臓があるかもしれない場所。
そして、恒一の家族の痕跡が交差するかもしれない場所。
次の一歩は、そこを覗き込むために踏み出される。




