第29話 防衛区の夜、異世界ヒロイン会議
新宿外縁線の夜は、静かではない。
地上ではどこかで補修の金属音が鳴り、遠くの監視班が無線で短く報告を飛ばし、発電機の低い唸りが地下防衛区全体を震わせている。
それでも、戦闘直後の騒がしさに比べれば、今はまだ“休息”と呼んでいい時間だった。
もっとも、この防衛区での休息とは、横になって眠ることではなく、次の警報が鳴るまでの短い空白を指すのだが。
その夜。
民間区画に近い小さな談話スペースの一角で、妙な面子が揃っていた。
三崎雫。
榊原玲奈。
セレフィア・ルクスフィリア。
リュミエル・アストレア。
天城恒一だけが、そこにいない。
「……何でこうなったんだろ」
雫が、紙コップのぬるいお茶を見下ろしながら呟いた。
スペースといっても、古い休憩室の机を寄せただけの場所だ。
壁には避難民向けのお知らせが貼られ、端の棚には乾パンの箱と毛布が雑に積まれている。天井の蛍光灯は一つ切れていて、部屋全体が少し薄暗い。
そこへ、この四人が座っている絵面は、どう考えても落ち着かない。
「私に聞かれても」
玲奈があっさり言う。
「私はたまたま通りかかっただけ」
「嘘つき」
雫が即座に返す。
「どう考えても面白がってるでしょ」
「半分はね」
「やっぱり」
「残り半分は観察」
「その方が嫌なんだけど」
「知ってる」
玲奈は悪びれもしない。
白衣の前を少しだけ開き、机へ肘をつきながらにやりと笑う。研究者としての興味と、女としての面白がりが見事に混ざった顔だった。
机の向かい側では、セレフィアがまっすぐ座っている。
背筋が綺麗すぎて、この簡易椅子が王宮の椅子に見えるほどだ。紙コップの持ち方すら品がある。
その隣、リュミエルは逆にかなり崩れた姿勢で腰を預けていた。脚を組み、腕を組み、いかにも「気を抜いてます」という顔をしているが、目だけは周囲をよく見ている。
この二人が同じ机についているというだけで、雫はまだ少し現実感が薄い。
「で?」
リュミエルが先に口を開いた。
「何を話すの、この会」
「会っていうほどのものじゃないよ」
雫が言う。
「じゃあ何」
「……女子会?」
自分で言っておいて、雫は少し顔をしかめた。
「終末世界でその単語使うと変な感じだなあ……」
セレフィアは少し考えてから頷いた。
「なるほど」
「なるほどなんだ」
「女性だけで語り合う場、という意味なら理解できます」
「理解の仕方が王女なんだよなあ……」
玲奈が横から口を挟む。
「私は別に恋バナ目的じゃないけど」
「恋バナ前提なの!?」
雫が思わず声を上げる。
「だってこの面子でしょ」
玲奈は当然のように言う。
「むしろそれ以外に何があるの」
「いっぱいあるでしょ! 戦争とか、防衛区とか、敵中枢とか!」
「それは昼間に散々やった」
「切り替え早いなこの人……」
リュミエルが、少しだけ口元を緩める。
「まあ、嫌いじゃないわよ。こういう無駄話」
「無駄って言った」
雫が見ると、彼女は肩をすくめた。
「戦場の合間にする話なんて、大体無駄でしょ」
「でも必要よね」
玲奈が言う。
「人間って、無駄話できなくなるとだいたい壊れるし」
「それはそうかも……」
少しだけ沈黙が落ちる。
机の上には、紙コップに入ったお茶と、非常食のクラッカーが少し。
終末世界の女子会としては、だいぶ質素だ。
だが今この場にいる四人は、それを物足りないとはあまり思っていなかった。
最初に崩したのは、やはり玲奈だった。
「で」
にやりと笑う。
「やっぱり最初の話題は天城恒一になるわよね」
「やっぱりそこか……」
雫が額を押さえる。
「当然です」
セレフィアがすぐに言った。
その“当然”の速さに、リュミエルが鼻で笑う。
「相変わらずね」
「何がです?」
「そこ、一秒も迷わないところ」
「迷う必要がありません」
セレフィアは真顔だった。
「この場で共通して触れられる最も大きな要素は、コーイチでしょう」
「論理で押し切る気ね」
「事実で押し切っているだけです」
「強いなあ」
雫が小さく呟く。
玲奈は頬杖をつく。
「じゃあ聞くけど」
「はい」
セレフィアがすぐ反応する。
「あなたたち、異世界ではどういう感じだったの?」
「どういう、とは」
「天城って昔からあんな感じ?」
「無茶をする、という意味なら」
セレフィアは即答した。
「はい」
「やっぱり」
雫が天を仰ぐ。
「そうなんだ……」
「そうなのです」
セレフィアは頷く。
「危険を見ると自分が前へ出たがる。背負わなくてもよいものまで背負おうとする。放っておくと、勝手に責任を増やして疲弊します」
「言い方が一緒だ……」
雫が呟く。
「私もほぼ同じこと思ってた」
リュミエルも口を開いた。
「あと、理屈では分かってるくせに、自分が無茶してる自覚だけ微妙に薄いのよね」
「うわ、分かる」
雫が思わず食いつく。
「“大丈夫”って顔で全然大丈夫じゃないやつ」
「そうそう」
リュミエルが少しだけ笑う。
「で、周りが気づいて止める」
「それ、異世界でも?」
「何度も」
「へえ……」
玲奈が面白そうにペンを取り出す。
「ちょっと待って、今のかなり重要」
「何が?」
雫が聞く。
「天城恒一、“世界を跨いでも無茶する男”」
「メモするな」
「なんか後で役立ちそう」
「役立たないと思う」
セレフィアは紙コップを机へ置き、少しだけ目を細めた。
「ですが、無茶をするだけではありません」
「お」
玲奈が反応する。
「擁護入る?」
「当然です」
セレフィアはきっぱり言う。
「コーイチは、無茶をすると同時に、誰より周囲を見ています」
「……」
「自分が傷つくことには鈍いですが、他人が限界に近い時にはすぐ気づく」
「それは」
雫が少し言葉を探す。
「まあ、そうかも」
「認めるのね」
リュミエルが横から言うと、雫はわずかに頬を赤くした。
「認めるよ。それくらいは」
「ふうん」
その“ふうん”が、少し意地悪だった。
「何その反応」
「別に」
「別にじゃないでしょ」
「あなたが思ったよりちゃんと見てるんだなって」
「……」
「褒めてるわよ、一応」
「一応なんだ」
玲奈が完全に面白がっている。
「いいわねえ」
「博士、その顔ほんとにやめて」
「無理」
話題は自然と、“それぞれにとっての恒一”へ移っていく。
セレフィアにとっては、守るべき主であり、戦場を背中合わせで越えてきた仲間。
リュミエルにとっては、術式の理屈を共有できる稀有な相手で、同時に放っておくと死にかける面倒な賢者。
雫にとっては、終末東京で突然現れて、わけのわからないまま命を救い、防衛区まで巻き込んでいった男。
玲奈にとっては、人類の切り札であり、研究対象としても興味深すぎる“帰還個体”。
「こうやって並べると」
玲奈が言う。
「全員ちょっとずつ見てる角度が違うのよね」
「当然でしょう」
セレフィアが答える。
「立ち位置が違うのですから」
「で、その立ち位置に一番うるさいのがセレフィアさんでしょ」
雫が言う。
「うるさい、とは」
「だって」
雫は少しだけ半笑いになる。
「“当然の位置です”って言い切ったじゃん」
「言いました」
「否定しないんだ」
「事実ですから」
「強い……」
リュミエルがそこで、わざとらしくため息をつく。
「はいはい、正妻騎士は強い強い」
「揶揄ですか?」
「半分は」
「残り半分は?」
「呆れ」
「素直ですね」
「あなたにだけは言われたくないわ」
そこから、自然とセレフィアとリュミエルの“いつもの空気”が出始める。
「あなたは相変わらず理屈ばかりです」
「理屈が通るから戦場が回るのよ」
「ですが、コーイチは理屈だけでは動きません」
「知ってるわ。だから毎回余計に面倒なの」
「では、もう少し優しく扱ってください」
「あなたこそ、毎回真っ直ぐすぎるのよ」
「真っ直ぐで何が悪いのです?」
「悪くはないけど、周りが焼ける」
「意味が分かりません」
「そこが問題なの!」
雫はその応酬を聞いて、ぽかんとする。
「……これ、昔から?」
「昔から」
恒一不在なのに、なぜか玲奈が即答した。
「見てれば分かる」
「何で博士がそんなに馴染んでるの」
「相性が分かりやすいのよ」
「すごい嫌な言い方だな」
セレフィアとリュミエルは、別に仲が悪いわけではない。
むしろ、互いの実力も献身もよく知っている。
ただ、恒一を挟むと途端に火花の質が変わるのだ。
そこへ雫が、不意にぽつりと言った。
「でもさ」
三人の視線が向く。
「私、最初は“異世界ヒロイン”ってもっと完成された人たちかと思ってた」
「完成?」
玲奈が聞く。
「うん。なんか、ずっと前から天城さんのこと知ってて、隣に立ってて、迷いなくて、絶対強くて」
「それは半分合ってる」
リュミエルが言う。
「半分?」
「残り半分は、みんな普通に面倒よ」
「普通に面倒って」
「だって、あのコーイチの隣に長くいるんだもの」
リュミエルは肩をすくめる。
「そりゃ色々こじれるわ」
「その言い方だと、全部天城さんのせいみたいだけど」
「だいたいそうよ」
「そこは否定できません」
セレフィアも言う。
「え、そこは否定しないんだ」
雫がびっくりする。
玲奈が笑った。
「でも今の話、いいわね」
「何が」
「雫、あなたたぶん気づいてるでしょ」
「何に」
「異世界ヒロインも別に“完成品”じゃないってこと」
「……」
「戦場で強くても、恋愛では普通に意地も張るし、嫉妬もするし、独占欲もある」
「博士」
セレフィアが少し低い声になる。
「今、その分析は必要ですか」
「かなり」
「不要です」
「必要よ」
「何故」
「三崎雫が余計に構えなくて済むから」
「……」
その言葉に、雫が少しだけ目を瞬いた。
玲奈はさらに続ける。
「だって、あなた今ちょっと押されてる感じあるでしょ」
「なっ」
「図星」
「ち、違……」
「違わないわね」
リュミエルが言う。
「見てれば分かる」
「リュミエルさんまで!?」
「だってそうでしょう?」
「……」
雫は口をつぐんでしまった。
否定したい。
でも完全にはできない。
セレフィアの自然すぎる正妻圧、リュミエルの理詰めの近さ、それに比べると自分は“こっちの世界で偶然出会っただけの女子高生”に見える時がある。
それが悔しい、というほど整理された感情でもない。
ただ、少しだけ、居場所を探してしまう。
「私は」
雫は小さく言った。
「別に、そういうつもりで天城さんと一緒にいるわけじゃないし」
「最初はね」
玲奈が言う。
「最初は?」
「今もです」
雫は少し強く言い直した。
「ただ……」
「ただ?」
リュミエルが聞く。
雫は少しだけ言いよどんでから、ぽつりと落とした。
「なんか、放っとけないじゃん」
短い沈黙。
セレフィアの目が少しだけ柔らかくなる。
リュミエルは小さく鼻で笑う。
玲奈は「はい出ました」と言わんばかりの顔をしたが、今回は本当に何も茶化さなかった。
「それで十分じゃない」
玲奈が言う。
「え?」
「理由なんて、最初はそのくらいで」
「……」
「だって、こっちにいたって、異世界にいたって、結局みんなそこから始まってるでしょ」
「私は違います」
セレフィアがきっぱり言う。
「最初から大切でした」
「重い」
リュミエルが即座に言う。
「事実です」
「重いわね」
玲奈まで頷く。
「でも嫌いじゃない」
「博士は黙って」
雫が言う。
「無理」
そこで、セレフィアが改めて雫を見た。
「三崎雫」
「は、はい」
「あなたがコーイチを“放っておけない”と思うのなら」
「……」
「それは十分に強い理由です」
「え」
雫が目を丸くする。
「強い、って」
「はい」
セレフィアは真っ直ぐ言った。
「戦場では、最後に人を動かすのは大抵そういう感情です」
「……」
「ですから、過小評価しなくてよろしい」
「……そっか」
雫は少しだけ笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
セレフィアは頷く。
リュミエルはそのやり取りを見て、少しだけ肩をすくめた。
「相変わらず真っ直ぐね」
「リュミエルは、もっとひねくれた言い方をすればいいのでは?」
「私はそういう役じゃないの」
「十分ひねくれていますよ」
「あなたにだけは言われたくないわ」
ようやく、少しだけ空気が和らいだ。
その時、玲奈がふと真顔に戻る。
「でも」
その一言で、全員の視線が向いた。
「次、呼ぶなら多分ミレーネが最適かもしれない」
「……急に現実へ戻したな」
雫が言う。
「戻すわよ」
玲奈は即答する。
「だって、防衛区の損耗が想定より早い。回復、結界、浄化、精神安定。火力だけじゃ戦争は回らない」
「それは分かる」
リュミエルも頷く。
「私が広域を担えても、兵の継戦能力と拠点防衛は別問題だもの」
「ええ」
セレフィアも同意した。
「ミレーネが来れば、この防衛区の持久力は一段上がるはずです」
「……」
雫は少しだけ顔をしかめた。
「また増えるのか」
「また増えるわね」
玲奈が言う。
「天城の周り、どんどん濃くなるな……」
「今さらでしょ」
リュミエルが肩をすくめる。
「今さらだけどね」
そこで、部屋の外から短く無線が鳴った。
警報ではない。
ただ、監視班の定時報告だ。
静かな夜はまだ続いている。
だが、その静けさが次の嵐の前触れだということを、この場の誰もが知っていた。
異世界ヒロイン会議のようでいて、結局そこへも戦争は入り込んでくる。
終末日本では、それが当たり前だった。
雫は冷めかけたお茶を一口飲み、長く息を吐く。
「何かさ」
「何?」
玲奈が聞く。
「こんな状況なのに、こういう話してるの変な感じ」
「変でいいのよ」
玲奈が答える。
「変なままじゃないとやってられないでしょ」
「……それはそうかも」
セレフィアは静かに頷き、リュミエルも否定しなかった。
終末世界の女子会は、恋と戦争と補給事情が同じ机に乗る。
それでも、その机を囲んでいられるうちは、まだ完全には終わっていない。
そんな夜だった。




