第24話 エルフの大魔導士は廃都に笑う
搬入口区画の上で、空襲が始まっていた。
ドゴォンッ、ドンッ、と鈍い衝撃が地下のコンクリートまで震わせる。
天井の継ぎ目から粉塵が落ち、照明が白く明滅し、どこかで警報が途切れそうになりながら鳴り続けている。
『高高度群、一部突破!』
『搬入口上空へ接近!』
『中型支援機、対地射撃開始!』
無線の怒声と銃声が混ざり、搬入口区画の空気そのものが張りつめる。
それでも、召喚陣は崩れていなかった。
中央に立つ天城恒一の足元で、第一円環が青白く脈打つ。
第二円環は白銀に光り、回収した高純度コアが赤黒い脈動を刻んでいた。
そして第三円環。人物固定のための淡金の円が、今まさに向こう側の一点へ細く深く伸びている。
その補助位置で、セレフィアは静かに聖剣を掲げていた。
金色の糸のような位相線が、聖剣の鍔元から召喚陣へ流れ込んでいる。
彼女は戦う時の顔でも、笑う時の顔でもなく、もっと静かな、祈りにも似た表情で門を支えていた。
「コーイチ」
小さく呼ばれる。
「ん……」
「あと少しです」
「ああ」
恒一は歯を食いしばる。
魔力の流出がきつい。
高純度コアでかなり補われてはいるが、それでも“世界をまたぐ穴”をこじ開ける負荷は尋常ではない。
前回のセレフィア召喚よりは明らかに安定している。だが安定しているからこそ、通すべき相手がはっきりしなければ意味がない。
リュミエル。
理屈っぽくて、皮肉屋で、魔法のことになると人の話を聞かないエルフの大魔導士。
広域殲滅。術式解析。構築魔法。敵の一手先を読む頭脳。
今のこの世界に、最も必要な一人。
「リュミエル……来い!」
名を呼ぶ。
その瞬間、召喚陣の中央に開いていた青白い裂け目が、一気に横へ広がった。
前回の門とは違う。
セレフィア召喚時の白金の輝きではなく、今度は青と紫が混じる、もっと知性じみた色の門だ。
まるで夜空に描かれた数式が、そのまま亀裂になったような光景だった。
「位相窓、拡大!」
榊原玲奈が端末を握りしめて叫ぶ。
「固定良好! 高純度コア、出力維持! 天城、そのまま! 今止めたら全部飛ぶ!」
「止めるかよ……!」
その時、搬入口直上でひときわ大きな爆音が落ちた。
ズガァンッ!
区画全体が跳ねる。
上部補強材の一部が軋み、壁際の遮蔽板が倒れ、隊員の誰かが痛みに呻く声がした。
「一佐!」
木村三曹の怒鳴り声。
「上が抜かれかけてる!」
「持たせろ!」
真田一佐の声も飛ぶ。
「召喚完了まで一秒でも稼げ! 今潰されたら全部終わる!」
防衛班がさらに前へ出る。
排気ダクト側の即席網が破られ、小型ドローンが二機侵入。だがそれを木村三曹と若い隊員の射撃が叩き落とす。
別方向の通路では中型支援機の砲撃が壁ごと揺らし、人型機の単眼が暗がりに赤く点る。
敵はもう完全に、この儀式の価値を理解していた。
「ほんとに潰しに来てるじゃない……!」
雫が顔を青くしながら叫ぶ。
だがその手は震えていても、補助固定具から離れていない。
セレフィアが低く言う。
「雫」
「え」
「動かないでください」
「う、うん」
「その位置が崩れると、門が揺れます」
「分かってる! 分かってるけど、今すごい怖い!」
「それで正常です」
セレフィアは静かに答える。
「ですが、あなたはよく踏ん張っています」
その一言で、雫の顔が少しだけ引き締まる。
恒一は、そのやり取りさえ遠く感じながら、門の向こうへ意識を伸ばした。
異世界の夜気。
魔力の濃い空。
石畳の気配。
そして――こちらの召喚へ、明らかに苛立ち混じりで反応している、あの独特の魔力。
来る。
今度は分かった。
セレフィアの時の“まっすぐ届く感じ”とは少し違う。
複雑な術式を逆算しながら、文句を言いながら、それでも最短でこちらへ辿り着こうとする気配。
「は?」
裂け目の向こうから、声がした。
「ちょっと待って、何この座標の繋ぎ方。頭おかしいの?」
聞き慣れた、呆れたような高い声。
恒一の口元が、思わず緩む。
「相変わらず第一声がそれかよ……!」
「コーイチ!?」
向こう側で気配が跳ねる。
「あなた、帰還したと思ったら何してるの!? しかも世界の境界にこんな無茶苦茶な穴開けて――」
「説明は後! 来られるか!?」
「来るに決まってるでしょ! でもこの世界、魔力密度薄すぎるし理屈が気持ち悪いし最悪なんだけど!?」
そう叫びながら、門の向こうに人影が現れた。
長い銀髪。
尖った耳。
夜色のローブに、幾重にも刻まれた術式紋様。
そして、細い指先にまとわりつく青紫の光。
リュミエル・アストレア。
異世界最強パーティーの頭脳。
エルフの大魔導士。
魔法を誰より愛し、その理を汚されることを誰より嫌う女。
彼女は門をくぐる寸前に、こちらの景色を見た。
崩れかけた地下搬入口。
爆音に揺れる天井。
防衛線を守る自衛隊。
侵入する機械群。
そして、術式の中心で歯を食いしばる恒一と、その後ろで門を支えるセレフィア。
リュミエルの顔が、綺麗に引きつった。
「はぁ!?」
その声は、区画の全員へはっきり届いた。
「ちょっと待って、あなたまた面倒な世界に巻き込まれてるじゃない!」
そして次の瞬間には、すでに彼女の目は“状況を読む魔導士”のものへ変わっていた。
「敵はあれね」
青紫の瞳が、侵入してくるドローンと中型支援機へ向く。
「しかも異世界由来の境界痕混じり。なるほど、最悪」
そう言い捨てながら、リュミエルは完全にこちら側へ踏み出した。
門が眩く光り、彼女の足が終末日本のコンクリート床を踏む。
その瞬間、召喚陣は一度だけ大きく脈動し、安定した。
「第二召喚、成立!」
玲奈が叫ぶ。
「来た! 本当に来た!」
だが感動に浸る暇はない。
中型支援機がその瞬間を狙ったように砲撃を通してきた。
「危ない!」
雫が叫ぶ。
だが、リュミエルは振り向きもしなかった。
「うるさい」
その一言とともに、彼女の前に複雑な魔法陣が五つ、瞬時に展開する。
重ね詠唱。
術式圧縮。
異世界でも、彼女の本気を知らない者はまず一瞬で置いていかれた。
「《蒼雷天幕》」
青紫の光が、天井一帯へ扇状に広がる。
それはただの雷ではない。
空間そのものへ張られた魔導網だ。
搬入口上空へ侵入しかけていたドローン群が、その網へ触れた瞬間、まるで羽虫のように一斉に感電し、光を引きずりながら墜ち始める。
「え」
木村三曹が言葉を失う。
「は?」
雫も口を開いたまま固まる。
だが、リュミエルは止まらない。
天井近くで散開しようとしていた高高度侵入群へ、さらに指先を向ける。
「《星落とし》」
青白い光点が、夜空の流星群のように上へ向かって撃ち出された。
次の瞬間、それらは軌道を反転し、上空ドローン群へ降り注ぐ。
連続爆発。
破裂。
焼損。
高高度にあったはずの黒点が、次々に火を噴き、赤い残光を引きながら地上へ落ちていく。
防衛区の上空から、敵の“空”が剥がれていく。
それは、今まで誰も見たことのない光景だった。
『上空反応、急減!』
監視班の無線が裏返る。
『ドローン群が……消えていきます!』
『なんだこれ、空が……』
真田一佐でさえ、一瞬言葉を失っていた。
セレフィアが小さく息を吐く。
「相変わらず、派手ですね」
「何その感想」
リュミエルが振り向きざまに言う。
「久しぶりに会って最初の一言がそれ?」
「事実ですので」
「あなたは相変わらずそういうところが腹立つのよ」
その二人のやり取りに、恒一はようやく少しだけ笑った。
「本当に来たな」
「呼んだのはそっちでしょ」
リュミエルは肩で息をするでもなく言う。
「こんな雑な世界座標でよく届いたわね。あとで術式全部見せなさい」
「第一声から説教と解析要求かよ」
「当然でしょ。帰還したと思ったら終末世界にいて、しかも異世界の痕跡が混じった機械と戦ってるとか、情報量が狂ってるのよ!」
玲奈が、その横で完全に目を輝かせていた。
「好き」
「え?」
リュミエルが眉を寄せる。
「今のテンション、すごく好き」
「何この人」
「技術班責任者。榊原玲奈」
恒一が説明する。
「こっちの世界で一番、理屈から噛みつくタイプだ」
「へえ……」
リュミエルの目が細くなる。
「あとで話しましょう」
「ぜひ」
玲奈も笑う。
絶対に危険な組み合わせだ、と恒一は思った。
だが、今はそれ以上に大きい事実があった。
新宿外縁線の上空。
ずっと人類を押し潰してきたドローン群の空が、初めて“取り返された”のだ。
無線では歓声に近い声まで混ざり始めている。
兵たちも避難民も、ただの一撃で空の脅威が消える光景を見てしまった。
それが何を意味するか、説明などいらない。
リュミエルは、ふと足元の敵残骸へ目を向けた。
焼けた中型支援機。
赤黒いコアの欠片。
そこへ伸びる、異世界に似て非なる嫌な気配。
彼女の表情が、すっと変わる。
「……これ」
その声音は、さっきまでの軽口とはまるで違っていた。
恒一も、セレフィアも、玲奈も真田一佐も、自然とそちらへ意識を向ける。
リュミエルはしゃがみ込み、指先を残骸へ近づける。
すると赤黒い欠片の奥で、ほんのわずかに紫の線が震えた。
「ただの暴走AIじゃない」
彼女ははっきり言った。
「向こうの術式が混ざってる」
その断言は、この戦争の輪郭をまた一段深く変えた。
第二召喚、成功。
リュミエル、降臨。
そして彼女は到着直後に、敵の正体へ更なる疑いを突きつけたのだった。




