第23話 第二召喚式、始動
旧搬入口区画は、またしても“ただの地下施設”ではなくなっていた。
前回セレフィアを召喚した時よりも、ずっと大掛かりだ。
コンクリートの床には新しい召喚陣が幾重にも描かれ、青白い第一円環、白銀の第二円環、淡金の第三円環が複雑に重なっている。
その外周には、自衛隊側が持ち込んだ仮設電源、計測機器、遮蔽板、即席の防爆壁。
さらに今回は、回収してきた高純度コアが中央補助陣の核として固定され、その左右にリュミエルの共鳴結晶、ミレーネの聖印、そしてセレフィアの聖剣から分けた微量の魔力刻印が置かれていた。
異世界の大召喚陣と、終末日本の応急研究施設を無理やり縫い合わせたような光景だった。
「……改めて見ると、正気じゃないな」
恒一がぽつりと呟くと、隣で端末を抱えていた榊原玲奈が即答した。
「正気で世界またぎの召喚なんてやると思う?」
「それはそうだけど」
「でしょ」
「納得させるな」
玲奈は睡眠不足で目の下の隈が濃くなっているくせに、声だけは妙に元気だった。
むしろ前回より機嫌がいい。高純度コアという“答えに近い素材”を手に入れたことで、研究者としての脳が完全に活性化しているのだろう。
真田一佐は搬入口区画の入り口付近で腕を組み、全体を見ていた。
出入口には二重の防衛線。
通路の曲がり角ごとに土嚢と射撃位置。
さらに、前回の反省を踏まえて、上部ダクトや排気経路にも対小型侵入用の即席網が張られている。
敵はもう学んでいる。
ならこちらも、“学んだ後の構え”を見せなければならない。
「最終確認する」
真田一佐の低い声が区画全体を引き締める。
「第一に、召喚対象はリュミエル。第二に、術者は天城恒一。第三に、セレフィア殿は異世界側アンカー補助」
「はい」
セレフィアが即座に答える。
「第四に、術式起動中は天城・セレフィア殿への直接援護を最優先。敵襲時は防衛班が一分でも長く持たせる」
「了解!」
木村三曹たちが応じる。
「第五に」
一佐はほんの一瞬だけ間を置いた。
「失敗した場合の最悪を想定し、暴走時は榊原の判断で外周遮断を行う」
「そこは私判断なんだ」
玲奈が言う。
「当然だ。ここで一番“何が起きるか分からないもの”を理解しているのはお前だ」
「褒められてる?」
「半分は」
「じゃあ残り半分は?」
「責任だ」
「でしょうね」
セレフィアはすでに聖剣を抜いていなかった。
その代わり、彼女は召喚陣の外周、恒一のやや斜め後ろに立ち、静かに目を閉じている。
聖剣姫としての戦闘姿勢ではない。これはもっと儀礼的で、もっと繊細な、“異世界側へ手を伸ばす者”の構えだった。
恒一はその姿を見て、小さく息を吐いた。
「お前がアンカー側に回るの、なんか不思議だな」
「私も少し」
セレフィアは目を開けて、かすかに笑う。
「いつもはあなたの前に立つことが多かったので」
「今日は後ろから支える側だ」
「ええ」
「嫌じゃないのか」
「少しだけ」
セレフィアは正直に言う。
「ですが、今回はそれが最善です」
「……助かる」
「当然です」
そのやり取りを、少し離れた壁際で聞いていた雫が、小さく口を尖らせた。
「ほんと、会話の密度が違うんだよなあ……」
「何その顔」
恒一が見ると、雫はすぐに首を振る。
「別に」
「別にじゃないだろ」
「別にだって。今は大事なとこだし」
「その“今は”が怖いんだよ」
「気のせい」
「絶対違う」
玲奈が横からにやつく。
「三崎雫、分かりやすいわね」
「博士は本当に今黙ってて」
「無理」
「知ってた!」
だが、その軽口も長くは続かなかった。
区画の奥で、技術班の補助員が玲奈へ合図する。
高純度コアと共鳴結晶の接続ライン、位相安定器、補助測定系。すべての準備が整ったということだ。
玲奈は一度深く息を吸い、いつになく真面目な声で言った。
「……天城」
「ん」
「今回は前回と違う」
「分かってる」
「高純度コアが入ったことで、向こうへ伸びる“穴”は確実に深くなる。成功率は上がる」
「でも?」
「でも失敗した時のぶれ幅も大きい」
「だろうな」
「だから、曖昧に引っ張るな」
玲奈は端末を握りしめたまま言う。
「“誰を呼ぶか”を、前回以上にはっきり決めて。座標じゃなく人物で固定する。迷いがあると、たぶん境界が裂ける」
「裂ける、ってさらっと怖いこと言うな」
「事実だから仕方ないでしょ」
恒一は頷いた。
リュミエル。
エルフの大魔導士。
理屈の塊みたいな女。
異世界でも屈指の広域制圧火力と、構築魔法、解析能力を持つ、最強パーティーの頭脳。
彼女なら、この世界の敵コアを見ただけで理屈から噛みつく。
広域ドローン群も、中型支援機の後方配置も、理論武装で叩き潰せる。
そして何より、今この終末日本に足りない“敵の一手先を読む頭”になってくれるはずだ。
「固定は、リュミエルでいく」
恒一がはっきり言う。
「異論ありません」
セレフィアがすぐに答える。
「賛成」
玲奈も頷く。
「問題ない」
真田一佐。
「……会って早々うるさそうだけど、まあ必要なんでしょ」
雫が複雑そうな顔で言った。
「必要だ」
恒一が答える。
「だから呼ぶ」
その時、区画の天井の向こうで、低い振動が伝わった。
全員の顔つきが変わる。
無線が鳴る。
『監視班より! 高高度ドローン群、多数接近!』
『南東上空だけじゃない、北側からも回り込み!』
『数……多い、過去最大規模!』
玲奈が真顔のまま悪態をつく。
「やっぱり来たか」
「敵も気づいてるのか?」
木村三曹が低く聞く。
「断定はできない。でもタイミングが良すぎる」
玲奈は言う。
「少なくとも、こちらの大規模エネルギー変動を狙ってる可能性は高い」
真田一佐が即座に無線を取った。
「外縁線、状況は」
『防空班展開中! ただし数が多い! 空が埋まり始めてる!』
『中型支援機も後方確認! 地上機はまだ遠いが、空襲先行型だ!』
雫が青ざめる。
「空襲型……」
「今回は正面突破じゃなく、上から召喚ごと潰す気か」
恒一が言う。
「その可能性が高い」
真田一佐は短く答えた。
「だが、だからこそ今やる。敵に察知されたなら、待つ理由はない」
セレフィアは静かに聖剣の柄へ手を置いた。
儀式補助の位置に立っていても、いつでも戦闘へ移れるようにするためだ。
「コーイチ」
「分かってる」
「術式に集中を」
「ああ」
恒一は召喚陣の中央へ歩み出た。
床の上に描かれた多重円環が、足を踏み入れた瞬間にわずかに光を増す。
高純度コアの赤黒い中核が低く脈動し、リュミエルの共鳴結晶が青く呼応する。セレフィアの持つ聖剣からは金色の位相糸が伸び、外周の安定化陣へ接続されていた。
前回より、明らかに整っている。
「座標固定、外周安定化よし」
玲奈が端末を見ながら言う。
「高純度コアの出力、許容範囲。共鳴結晶、反応開始。セレフィア側アンカー、接続良好」
「要するに?」
木村三曹が聞く。
「理論上かなりいける」
玲奈が答える。
「その言い方、今日だけで三回は聞いた」
「便利だから」
恒一は深く息を吸った。
向こうの夜。
異世界の空気。
リュミエルの魔力の癖。
理屈っぽくて、皮肉っぽくて、それでいて誰より魔法に誠実なあのエルフの顔を思い浮かべる。
セレフィアの声が背中から届く。
「私は支えます」
「頼む」
「ええ」
その時、外縁線の方角から、一際大きな爆音が落ちてきた。
ドゴォンッ、と防衛区全体が揺れる。
『高高度群、外縁上空へ侵入!』
『防空班、迎撃中! だが抜ける! 数が多すぎる!』
『中型支援機、遠距離砲撃開始!』
搬入口区画の上部照明が一瞬明滅する。
遠いはずの空襲が、地下にまで振動を送ってきていた。
木村三曹が吐き捨てる。
「最悪のタイミングだな」
「敵が学習してる証拠よ」
玲奈が言う。
「“召喚の価値”を理解し始めてる」
「だから潰しに来た、か」
真田一佐の目が鋭くなる。
「外縁線に連絡。こちらは儀式を継続する。その代わり、搬入口防衛を最優先に切り替えろ」
『了解!』
防衛班の隊員たちが散る。
通路口へ。
排気ダクト側へ。
搬入口の上部構造へ。
誰も怯えた顔はしていない。
だが、緊張は濃い。
召喚が失敗すれば意味がない。成功しても、その直後に区画ごと潰されれば意味がない。全員がそれを理解している。
恒一は両手をゆっくりと広げた。
「始める」
言葉と同時に、第一円環が青白く光る。
第二円環が白銀へ。
第三円環が淡い金色へ。
前回よりも遥かに滑らかだった。
高純度コアが境界へ触れる“針”となり、共鳴結晶が向こう側の気配を探る。セレフィアのアンカー補助が外周を安定化し、玲奈たちの機械制御が座標計算を肩代わりする。
「すご……」
雫が思わず漏らす。
「前より、全然揺れてない」
「当然」
玲奈が言う。
「今回は“賭け”じゃなく“術式”として組んでるもの」
恒一の視界の奥に、すでに薄い裂け目のようなものが見え始めていた。
向こう側だ。
まだ遠い。
だが確かに、“異世界の夜”へ触れる感覚がある。
「リュミエル……!」
小さく名を呼ぶ。
理屈の女。
大魔導士。
魔法そのものを愛し、だからこそ魔法を汚されることを誰より嫌う仲間。
今のこの世界を見せたら、間違いなく文句を言うだろう。
だが、その次の瞬間には全力で戦う。
そう確信できる。
「人物固定、深度上昇!」
玲奈が叫ぶ。
「今なら届く! 天城、もっと!」
恒一は魔力をさらに流し込む。
共鳴結晶が強く光る。
高純度コアの赤黒い脈動が速くなる。
セレフィアの聖剣から伸びる金の線が、召喚陣全体の揺らぎを押さえ込む。
その時、外縁線の無線がまた怒鳴った。
『空襲群、一部突破! 一機、二機……いや、もっと抜ける!』
『搬入口上空方向へ!』
『来るぞ!』
全員の顔が変わる。
敵はやはり、ここを潰しに来ている。
真田一佐が即座に吠えた。
「第一防衛線、上を見ろ! 搬入口直上へ抜けさせるな!」
「了解!」
「木村!」
「分かってます!」
銃声。
対空火器。
地下通路に反響する怒号。
だが恒一は、もう目を開けていなかった。
意識の大半は、裂け目の向こうへ伸びている。
異世界の空気。
高い魔力密度。
遠く、どこかで術式に気づいた誰かの気配。
届く。
今なら届く。
「リュミエル!」
叫ぶように名を呼んだ、その瞬間。
召喚陣の中央に、青白い裂け目が縦に走った。
前回より細くない。
前回より不安定でもない。
明らかに“門”として成立し始めている。
「開いた!」
玲奈が叫ぶ。
「位相窓、形成! まだ細いけど、前回よりずっと安定してる!」
セレフィアが目を細めた。
「来ます」
「分かるのか」
真田一佐が聞く。
「ええ」
セレフィアは静かに答える。
「彼女なら、この程度の呼び声を聞き逃しません」
その直後、搬入口の上部から激しい爆音が落ちてきた。
ドンッ、ドゴォンッ、とコンクリートが震え、天井の粉塵が一斉に降る。
どこかで隊員の叫び。対空機銃の唸り。金属が裂ける不快な音。
敵の空襲は、もう始まっていた。
だが、それでも召喚陣は崩れない。
高純度コアが脈動する。
青白い門が、さらに一歩深く開く。
終末日本の地下防衛区で、第二召喚式はついに本格始動した。
敵がその価値を理解して潰しに来るほどに、それはもう“ただの希望”ではない。
戦局を変える現実の一手になりつつある。
そして、その門の向こうで。
理屈っぽい大魔導士の気配が、確かにこちらを振り向こうとしていた。




