第22話 聖剣姫の進言
別働隊をようやく押し返した頃には、防衛区の地下通路は熱と焦げた匂いで満ちていた。
壁の補強材は一部が歪み、搬入路の床にはドローンの残骸と金属片が散っている。
負傷兵は医療区画へ運ばれ、補給班は崩れた資材の再仕分けに追われ、技術班は高純度コアを抱えたまま半ば興奮状態で分析区画へ雪崩れ込んでいった。
人は生きている。
防衛区もまだ持っている。
だが、それは決して余裕のある勝利ではなかった。
天城恒一は、地下防衛区の奥にある簡易休憩区画の椅子へどさりと腰を下ろした。
「……死ぬほど疲れた」
思わず漏れたその一言に、向かい側の折り畳み机へ腰を預けていた木村三曹が、乾いた笑いをこぼす。
「死ぬほど働いた直後に死なれてたまるか」
「それもそうか」
「そうだよ。今日はお前もセレフィア殿も、働きすぎだ」
恒一は肩を回し、浅く息を吐く。
召喚直後から戦闘。
第二波迎撃。
高位個体狩り。
コア回収。
帰投して即、防衛区内戦闘。
さすがに消耗は大きい。
異世界にいた頃でも、これだけ短時間に戦闘を詰め込めばパーティー全員が文句を言って休憩を取っていた。
そして、その“文句を言う役”は、今もやはり同じだった。
「コーイチ」
静かな声がして、恒一は顔を上げた。
セレフィアが立っている。
聖剣はすでに鞘へ収められ、金の髪も戦闘前ほど乱れてはいない。だが鎧の肩口には敵機の切り粉が残り、白い頬にも煤が薄くついている。
それでも彼女は、戦場帰りとは思えないくらい姿勢が綺麗だった。
「何だ」
「座ったまま眠らないでください」
「まだ寝てない」
「今から寝そうでした」
「疲れてるんだよ」
「知っています」
セレフィアは当然のように言った。
「だから、少し歩けるならこちらへ」
「今?」
「今です」
「何だよ、また体調確認か」
「半分は」
残り半分は何だ、と聞く前に、彼女はすでに踵を返していた。
木村三曹が肩をすくめる。
「行ってこい」
「何その送り出し方」
「さっきまで散々戦ってたんだ。今さら野暮は言わねえよ」
「お前がそういうこと言うと逆に変に聞こえるな」
「そう思うなら早く行け」
結局、恒一は立ち上がった。
連れていかれた先は、防衛区のさらに奥――使われていない資材置き場の脇にある小さな通路だった。
誰もいない。
天井の蛍光灯は半分切れていて、少し薄暗い。だがその分、ようやく人目から外れた場所とも言える。
「……ここで何だ」
恒一が聞くと、セレフィアはしばらく何も言わなかった。
その代わり、じっと恒一を見る。
金の瞳。
戦場では鋭く、強く、揺るがないその目が、今は少しだけ柔らかい。
「コーイチ」
「うん」
「無茶をしましたね」
「したな」
「分かっていてやるのが良くないのです」
「その台詞、異世界でも何回も聞いた」
「なら、何故改善しないのですか」
「お前たちが何だかんだ助けてくれるからかな」
「反省してください」
「はい」
素直に返すと、セレフィアはほんの少しだけ息を吐いた。
それから、少し言いにくそうに目を伏せる。
「……先ほどの会議ですが」
「リュミエルの話か」
「はい」
やはりそこか、と恒一は思った。
彼女は反対しなかった。
必要性も理解していた。
だが、感情が完全に平らなわけではない。そんなことは異世界で一緒に戦っていた恒一にはよく分かる。
「嫌か」
真っ直ぐ聞くと、セレフィアはしばらく黙ったあと、頷いた。
「もちろんです」
「だよな」
「私は、最初に呼ばれて嬉しかったのです」
その声は小さかったが、はっきりしていた。
「あなたがこちらの世界で最初に必要としたのが私だった。それが、少し……いえ、かなり嬉しかった」
「……」
「ですから次に別の誰かを、となれば、感情としては面白くありません」
「正直だな」
「コーイチの前では、ある程度は」
その言い方が、いかにもセレフィアらしかった。
全部ではない。
ある程度。
でもその“ある程度”を言葉にしてくれること自体が、彼女なりの素直さだった。
「でも」
恒一がゆっくり言う。
「それでも、リュミエルが必要だと思ったんだな」
「はい」
今度の頷きに迷いはなかった。
「今の防衛区は、私一人で支えきれる戦場ではありません」
セレフィアは静かに続ける。
「正面戦闘、前線維持、大型個体処理。この範囲なら私で十分役に立てます。ですが」
「広域殲滅と解析は、リュミエルの方が上」
「はい」
「……」
「悔しいですが、事実です」
その一言に、恒一は少し笑いそうになった。
セレフィアは決して自分を低くは見ない。
騎士としての誇りがあるからだ。
だからこそ、他者の長所を認める時には本当に必要な時だけだと分かる。
「リュミエルなら」
セレフィアが言う。
「敵コアの異常を見た瞬間に、理屈の方から噛みつくでしょう」
「目に浮かぶな」
「その後、こちらの技術班とも議論を始めるでしょう」
「それも目に浮かぶ」
「……少し、嫌な意味でも」
「お前、やっぱり相性面を心配してるだろ」
「ええ」
セレフィアはきっぱり認めた。
「リュミエルはコーイチと術式の話を始めると、距離感が壊れますので」
「言い方」
「事実です」
「まあ、否定しきれないな……」
異世界でもよくあった。
リュミエルと術式理論で盛り上がり始めると、いつの間にか二人で地面へ魔法陣を描き始め、周りが置いていかれる。そこへノクスが嫌そうな顔で茶々を入れ、セレフィアが露骨に不機嫌になる、という流れまで思い出せる。
「ですが」
セレフィアは、まっすぐ恒一を見た。
「勝つためには、最善を選ぶべきです」
「……」
「あなたがこの世界へ戻ってきて、ここまで見て、まだ守ろうとするのなら。私も、そのために必要な手を止める気はありません」
その言葉は、騎士としての忠誠であり、仲間としての判断でもあり、そして多分、彼女なりの愛情でもあった。
恒一は少しだけ視線を落とす。
「正直」
ぽつりと言う。
「お前がそこまできっぱり言うと、助かる反面、申し訳なくもなる」
「何故です?」
「お前が嫌なのも分かるから」
「嫌です」
「だよな」
「ですが」
セレフィアは少しだけ唇を緩めた。
「それでも私が最初です」
「……」
「そこは譲りません」
「そういうとこ、ほんと強いな」
そう言うと、セレフィアはようやく、ほんの少しだけ笑った。
「正妻ですので」
「自分で言うな」
「事実です」
「最近それで全部押し通そうとしてないか?」
「いけませんか?」
「駄目とは言わないけど……」
「なら良いでしょう」
「よくねえ気もするんだよなあ……」
だが、その軽口のやり取りが妙に心地よかった。
終末日本の地下防衛区。
戦火のすぐ隣。
それでも、異世界で何度も交わしたような会話ができる。
それだけで少し、呼んでよかったと思えた。
「コーイチ」
「ん?」
「次はリュミエルを呼びなさい」
セレフィアは改めて言った。
「私が進言します」
「進言、か」
「はい」
「騎士として?」
「それもあります」
彼女は一拍置いて、少しだけ声を柔らかくした。
「でも一番は、あなたの仲間としてです」
恒一は、何も返せなかった。
代わりに、小さく頷く。
「分かった」
「なら良し」
「でもな」
「何です?」
「来たら来たで、絶対面倒だぞ」
「分かっています」
「お前とリュミエル、昔から何だかんだ火花散るし」
「理屈っぽいのです、あの人は」
「お前も大概頑固だろ」
「私は理にかなっています」
「それを言い出したら終わりだな」
その時、通路の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
榊原玲奈だった。
白衣の裾を翻し、端末を抱えたまま、息を切らせている。
この人が走ってくる時は、大抵ろくでもないか、あるいはとても重要なことが起きた時だ。
「見つけた!」
玲奈が言う。
「二人ともいた! よかった!」
「何だ」
恒一が身構える。
「また敵襲か?」
「違う。でも大事」
玲奈は呼吸を整えながら、端末を持ち上げた。
「高純度コアの走査、終わった」
「で?」
「召喚術式、組める」
その一言で、空気がまた変わった。
セレフィアの瞳が鋭くなる。
恒一も、疲労が一瞬で引く感覚がした。
「本当か?」
「本当」
玲奈は頷く。
「まだ粗いけど、骨格は立つ。前回よりはるかに安定する。リュミエル召喚、理論上かなり現実的になった」
「理論上、な」
恒一が言う。
「理論上よ」
玲奈は即答する。
「でも前回の“ほぼ賭け”とは違う。今度はちゃんと術式として回る」
セレフィアが玲奈へ一歩近づく。
「媒介の安定は?」
「高純度コアで補える」
「座標固定は?」
「あなたが向こう側アンカー補助に入れば、かなり締まる」
「……」
セレフィアは短く頷いた。
「それなら、成功率は確かに上がるでしょう」
玲奈は得意げに胸を張る。
「でしょ?」
「ですが」
セレフィアは容赦なく続けた。
「敵もまた、こちらがその術式を組む時間を与えるとは限りません」
「それはそう」
玲奈もすぐ真顔に戻る。
「だから急ぐ。今夜のうちに骨格だけでも完成させたい」
恒一は深く息を吐いた。
休む暇はない。
でも、それでいいとも思った。
立ち止まって考えすぎると、不安も迷いも余計に増える。
今は進める時に進んでおくしかない。
「分かった」
恒一が言う。
「やろう」
「はい」
セレフィアが答える。
「私も補助に入ります」
「頼む」
「当然です」
玲奈はそのやり取りを見て、にやりと笑った。
「何かいい雰囲気のところ悪いけど、今は理論の方を優先してもらうわよ」
「やっぱりいたのか、その顔」
恒一が呆れる。
「研究者だからね」
「そこに尽きるんだよな、この人は」
そのまま三人は技術分析区画へ向かって歩き出した。
廊下の照明は白く、遠くではまだ補修作業の音が続いている。
終末日本の防衛区は、誰かの感傷を待ってくれるほど優しくない。
それでも、今の短い時間で十分だった。
セレフィアの嫉妬も、理性も、進言も、全部聞けた。
彼女が“嫌だけれど必要だから認める”という一番しんどい判断をしてくれたことも、ちゃんと分かった。
だから、次に呼ぶべき相手はもう決まっている。
リュミエル。
エルフの大魔導士。
敵の学習を上回る知性と火力を持つ、異世界最強パーティーの頭脳。
そして、彼女を呼ぶための術式骨格が、ついに組める段階まで来た。
終末日本の地下防衛区で。
戦いの合間に交わされた小さな本音の時間は、次の大きな召喚へ確かに繋がっていた。




