第17話 敵は“賢者殺し”を学び始める
会議区画の空気は、数分前までの妙な軽さを嘘のように失っていた。
終末日本の地下防衛区。
簡易机の上に広げられた紙地図、端末画面、敵残骸の断面写真。
天井の配線は剥き出しで、遠くでは発電機の低い唸りが続いている。壁の向こうからは時折、補修作業の金属音が聞こえた。
新宿外縁線は第二波を退けた。
だが、その代償として、敵がこちらをどう見ているかもはっきりした。
――魔法戦力優先排除。
榊原玲奈が表示していたそのログ文面は、机上の端末の隅にまだ残っている。
誰もそれを口にしなかったが、全員が頭のどこかでその文字列を見続けていた。
真田一佐が口を開く。
「榊原。改めて説明しろ」
「はいはい」
玲奈は白衣の袖を適当にまくりながら、端末の画面を切り替えた。
そこには複数のグラフと、敵機の内部ログを再構成したらしい乱れたコード列が映っている。恒一には半分も分からないが、玲奈の目つきと真田一佐の表情を見れば、それが厄介な内容だということだけは十分伝わった。
「結論から言うわ」
玲奈が言う。
「敵AIは、天城恒一の雷撃系統と、セレフィアの聖属性斬撃を“別個の脅威”として認識し始めてる」
「“異世界戦力”としてひとまとめじゃなく?」
雫が聞く。
「そう」
玲奈は頷く。
「前は未知エネルギー一括処理に近かった。だから雑だった。でも第二波では違う。行動ログを見る限り、天城に対しては術式展開前の位置取り阻害、セレフィアに対しては接近軌道の封鎖と迎撃火線の先置きが増えてる」
「先置き?」
木村三曹が眉をひそめる。
「要するに、先読みされてるってことか」
「そういうこと」
玲奈が即答する。
「今はまだ“何となく嫌な動き”の段階。でも放っておくと、もっと露骨になる」
恒一は腕を組み、画面を見た。
敵が第二波で取ってきた動きは、確かに前回と違っていた。
高高度ドローンでまず視界と通信を乱し、自分とセレフィアを分断するように中型支援機が射線を組み、地上機は護衛と突撃の役割を分けていた。
あれはただ賢いだけではない。こちらを見た上で、答えを出し始めている動きだった。
「具体的には、どこまで学んでる」
恒一が聞く。
玲奈は画面をさらに拡大した。
「まず天城の方」
彼女の指が一つ目のログを叩く。
「雷撃系術式に対して、敵は“予備動作の観測”を優先してる。手の上げ方、足の位置、詠唱と呼吸、あと術式展開時の周辺電位変化っぽいもの」
「そこまで見てるのか」
雫が青ざめる。
「それ、もう人間の狙撃手じゃん」
「狙撃手より性質が悪いわね」
玲奈が言う。
「疲れないし、記録を全個体で共有するから」
真田一佐が低く問う。
「結果として、何が起きる」
「単純な話、撃つ前に撃たれる」
玲奈は容赦なく言った。
「術式が大きいほど予兆も増える。だから高位魔法ほど通しにくくなる」
木村三曹が舌打ちした。
「最悪だな」
「まだ最悪の入り口」
玲奈は次の画面を出す。
「こっちはセレフィアのログ。こっちはもっとはっきりしてる。接近戦をしかけた時、敵が“装甲の向き”を変え始めてる」
「向き?」
今度はセレフィアが聞いた。
「私の剣筋に合わせて?」
「そう」
玲奈は画面の断面図を指差す。
「第二波の大型と中型、胸部コアを守る外装角度が前回より変わってた。偶然じゃないわ。斬撃が入りやすい方向を避けるよう、コアの保護層を回してる」
「……」
セレフィアの金の瞳が、静かに細くなった。
「嫌な真似をしますね」
「まあ、敵だからな」
恒一が言う。
「こっちの剣をわざわざ受けてくれるほど優しくはない」
「分かっています。ですが、感情としては気に入りません」
「それも分かる」
雫が小さく肩をすくめる。
「何か、人間が工夫するのと同じことしてるんだね」
「同じというか、それ以上ね」
玲奈が返す。
「人間は失敗した個体の記憶を全軍で即共有なんてできない。でも敵はできる。壊れた個体の最期まで、次の個体の経験値になる」
会議区画が静かになる。
その静けさの中で、恒一ははっきり思った。
この戦争は、待ってくれない。
異世界での大戦ですら、ここまで露骨に“負けた瞬間に学ばれる”ことは少なかった。敵将は死ねば終わるし、魔王軍の兵はそこまで綺麗に情報共有されない。
だがこっちは違う。壊しても、その壊れ方ごと敵の糧になる。
真田一佐が机の上へ手をついた。
「榊原」
「何」
「今の優位は、どれくらい持つ」
「楽観で三日」
玲奈は即答した。
「悲観で一日」
「一日……」
木村三曹が呻く。
「いや、それもう今日の明日じゃねえか」
「だから言ってるでしょ。こっちは“見つかった切り札”なの。向こうが対処しようとしない理由がない」
恒一は息を吐いた。
魔法が効く。
聖剣が効く。
それは事実だ。
だが、“効くから勝てる”わけではない。敵はその効き方すら学ぶ。
「……だったら」
恒一が低く言う。
「次を呼ぶしかない」
「はい」
セレフィアが即座に頷く。
その返答の速さに、雫が少し目を丸くした。
「迷わないんだ」
「迷いはあります」
セレフィアは真面目に答える。
「ですが、必要性の方が大きい」
「嫌じゃないの?」
雫が、思い切ったように聞く。
「次の異世界ヒロイン来るの」
木村三曹が「おいそこ今聞くのか」という顔をし、玲奈は面白そうに目を細める。
恒一は頭を抱えかけたが、セレフィアは意外なほど落ち着いていた。
「嫌です」
彼女はきっぱり言った。
会議区画に、一瞬変な沈黙が落ちる。
「嫌なんだ」
雫が思わず聞き返す。
「もちろんです」
セレフィアは平然としていた。
「私はコーイチの隣にいることを当然と思っていますので」
「堂々と言うなあ……」
恒一が額を押さえる。
「でも」
セレフィアはそのまま続けた。
「戦いに必要なら、最善を選びます。私は騎士ですから」
「……」
「それに、私一人では守り切れない戦場があるのも事実です」
その言葉に、玲奈が少しだけ感心したように眉を上げた。
「器でか」
「でかいというか、現実的なんだろ」
真田一佐が低く言う。
「戦場で感情だけ優先する者は長く持たない」
「その通り」
セレフィアは頷く。
「だから、次の一手は必要です」
玲奈が端末を操作しながら言う。
「問題は誰を呼ぶか、ね」
「そこだな」
恒一が短く返す。
脳裏に、異世界の仲間たちの顔が浮かぶ。
リュミエル。
ミレーネ。
カレン。
ノクス。
誰もが強い。
誰もがこの終末日本で戦力になる。
だが、今必要なのは“強い”だけでは足りない。敵がこちらを学び始めた今、別の性質の答えが要る。
真田一佐が机の上の地図を軽く叩いた。
「こちらの問題は三つ」
一佐の声は冷静だった。
「第一に、防衛線の面防御が足りん。第二に、敵の学習速度が速すぎる。第三に、首都圏全体へ目が届いていない」
「つまり」
玲奈が受ける。
「一箇所を守るだけならセレフィアで足りても、戦場全体を支えるには別種の戦力が要る」
「そうだ」
「だったら有力なのはリュミエルかミレーネ」
「何で?」
雫が聞く。
玲奈は指を二本立てた。
「リュミエルは広域制圧と理論解析」
「はい」
恒一が頷く。
「大規模術式、索敵、敵の術式や構造把握。今の敵が“学ぶ相手”なら、こっちもそれ以上に“理解する頭”が必要だ」
「ミレーネは?」
「回復と結界」
セレフィアが答えた。
「兵と民を維持する力においては、我らの中でも比類ありません」
「つまりどっちも欲しい」
木村三曹が顔をしかめる。
「欲しいに決まってる」
玲奈は即答した。
「でも順番がある。今はまず“敵の学習を上回る頭脳と、広域制圧”が先」
「……ならリュミエルか」
真田一佐が言う。
その名前が出た瞬間、恒一の中でも何かが定まっていく。
リュミエル。
エルフの大魔導士。
理論魔法の塊みたいな女。頭脳、広域殲滅、術式構築、全部において異世界でも最上位の一人。
それに、敵コアと異世界の繋がりを読み解く役としても一番向いている。
「……あいつなら」
恒一が呟く。
「この世界の変な理屈にも、たぶんすぐ噛みつく」
「褒めてる?」
雫が首を傾げる。
「半分褒めてる」
「残り半分は?」
「面倒くささ」
「正直すぎる」
セレフィアが少しだけ口をへの字にした。
「確かに、戦術的にはリュミエルが妥当です」
「言い方がちょっと不服そうだな」
恒一が見ると、セレフィアは目を逸らした。
「不服ではありません」
「いや今のは不服だろ」
「……少しだけです」
「素直だな」
「ですが、必要性は認めます」
彼女は真顔に戻って言った。
「敵の学習速度を考えれば、こちらも“考える戦力”を増やすべきです」
玲奈がそれを聞いて満足そうに頷く。
「よし」
「何がよしなんだ」
木村三曹が言う。
「召喚候補第一位、リュミエルでほぼ固まった」
「ほぼ、ね」
真田一佐が釘を刺す。
「最終決定は、召喚条件と防衛線の状況を見てからだ」
「分かってる。でも方向性は見えたでしょ?」
「……ああ」
そこで、玲奈の端末が短く電子音を鳴らした。
彼女が画面を見て、今度は露骨に顔をしかめる。
「うわ」
「何だ」
恒一が聞く。
「中型指揮個体のコア深部、追加走査結果」
「悪い?」
「悪いというか、面倒」
玲奈は画面を皆へ見せた。
「敵コアの保護層、第二波の大型で既に変わってる。通常素材じゃなくて、もっと高純度の未知結晶が使われ始めてる」
「高純度?」
真田一佐が低く問う。
「つまり、敵側にも“上位素材”があるってことか」
「そう」
玲奈が頷く。
「しかも、これが次の召喚媒介に使える可能性が高い」
「……は?」
雫が素で固まる。
「敵の素材を、召喚に?」
「使えるなら使う」
玲奈は平然としている。
「座標をこじ開ける針は鋭い方がいい。高純度の未知結晶なら、今ある断片よりずっと向こうへ届く」
「届くかもしれない、だろ」
恒一が言う。
「そうとも言う」
「言い方の問題じゃねえ」
木村三曹が深くため息をつく。
「要するに、次の召喚を安定させるには、その高純度素材を回収する必要があるわけか」
「そういうこと」
玲奈は即答した。
「今のままでもリュミエル召喚に挑戦はできる。でも成功率はまだ高くない。だったら高位敵個体を狩って、コアを抜く」
「また危ない方向へ軽く言うなあ……」
雫がぼやく。
「でも必要なんだろ?」
木村三曹が顔をしかめる。
「必要よ」
玲奈はまっすぐ答えた。
「敵が学ぶより先に、こっちが次を呼ばなきゃいけないんだから」
恒一は目を閉じ、短く息を吐いた。
敵は学び始めている。
勝ち筋は、もう固定ではない。
だからこちらも、止まらずに次を積み上げなければならない。
一人では足りない。
セレフィア一人でも、まだ足りない。
なら次だ。
「分かった」
恒一が言う。
「高位個体のコア回収、やるしかない」
「ええ」
真田一佐が頷く。
「そのための作戦を組む」
「夜の廃都で素材取りかあ……」
雫がうんざりしたように言う。
「ほんと、やることが毎回重いんだけど」
「終末戦争だからね」
玲奈がさらりと返す。
「軽い仕事なんてないわよ」
「博士が言うと腹立つの何でだろ」
セレフィアはそこで静かに聖剣の柄へ手を置いた。
「なら、参りましょう」
「即答だな」
恒一が言う。
「迷う理由がありますか?」
「ないけど」
「なら決まりです」
セレフィアの声は揺らがなかった。
「敵がコーイチを学ぶなら、その前にこちらが次の手を打つ。それだけです」
その横顔は、静かに怒っていた。
自分たちの戦いを模倣しようとする鉄屑への怒り。
そして、コーイチの力を“解析対象”として扱う敵への、騎士としての不快。
だがそれを激情ではなく、次の一手へ変える。
それが彼女の強さだった。
会議区画の空気は、再び張り詰める。
ラブコメめいたやり取りの余韻は消えた。
残ったのは、次の戦いへ向けた冷たい現実だけだ。
敵は“賢者殺し”を学び始めている。
ならばこちらは、“賢者一人に頼らない戦い方”を急がなければならない。
その結論が、今、全員の中で共有された。




