第16話 正妻騎士 vs 現代女子
第二波を押し返したあとの防衛区は、奇妙な熱気に包まれていた。
敗残兵のような空気ではない。
だからといって、勝利に酔っているわけでもない。
誰もが疲れている。
誰もが足りていない。
それでも確かに、さっきまでより少しだけ前を向いている。
新宿外縁線の兵士たちは、搬入口や地下通路を行き来しながら、口数少なくも動きが軽かった。
補給班は空になった弾薬箱を回収し、医療班は負傷兵の止血と固定を急ぎ、技術班は回収された敵残骸を半ば奪い合うように運んでいく。
その中心にいる人物の一人が、今や誰かということも、皆の共通認識になりつつあった。
セレフィア・ルクスフィリア。
異世界から召喚された聖剣姫。
そして、天城恒一の横に立つことを一切ためらわない女。
「コーイチ」
防衛区の一角、簡易休憩区画の前で、彼女は当然のように恒一を呼んだ。
「何だ」
「水分補給を」
「した」
「足りません」
「何で分かるんだよ」
「顔色と呼吸です」
「そこまで見てるのか」
「当然です」
セレフィアはそう言って、どこから持ってきたのか水筒を差し出した。
しかもただの水ではなく、玲奈から回収したらしい経口補水液を薄めたものだ。異世界の王女騎士が、終末日本の補給事情に適応している速度がおかしい。
恒一は観念して受け取った。
「……ありがとな」
「礼は不要です」
「でも助かる」
「ならよろしい」
そのやり取りを、少し離れたところから見ていた雫が、半眼になった。
「近いんだよなあ……」
ぼそりと呟く。
「何がですか?」
即座にセレフィアが反応する。
「うわ、聞こえてた」
「ええ」
「いや別に、何でも」
「何でもない顔ではありません」
「それ天城さんにも言ってた」
「使い勝手のよい言葉なので」
「使い勝手って」
玲奈がその横で、紙コップ片手ににやにやしている。
「いいわねえ。こういうの」
「博士は絶対面白がってるだけでしょ」
雫がじろりと見る。
「もちろん半分はね」
「半分もあるの?」
「残り半分は純粋な観察」
「余計たち悪い!」
玲奈は今日も白衣の裾を引きずり、寝不足の顔のまま妙に元気だった。敵コアの新ログ解析を終えたばかりのくせに、精神だけはむしろ活性化しているように見える。
「だって見てよ」
玲奈が小声で言う。
「異世界第一王女が、終末日本の地下防衛区で、帰還賢者の水分量を管理してるのよ?」
「言語化されると一気に意味分からなくなるな……」
恒一が頭を抱える。
「でも実際そうなんだから仕方ないでしょ」
セレフィアは、玲奈の言葉の半分も気にしていないらしかった。
代わりに恒一の額へ手を伸ばしかける。
「熱は」
「ない」
「まだ触れていません」
「いや、ないから」
「確認は必要です」
「人前でやるな!」
「何故です?」
「何故って……!」
そこへ、雫がとうとう割って入った。
「いやいやいや、ちょっと待って」
「何ですか」
セレフィアが本気で不思議そうに振り返る。
「その距離感、普通なの?」
「普通ですが」
「普通なんだ」
「はい」
「……」
「……」
「いや、普通じゃないでしょ!」
雫がようやく言い切ると、セレフィアは少しだけ首を傾げた。
「コーイチの体調管理を行うのは当然では?」
「当然ではないよ!」
「何故です?」
「だって、その、まだ……その……」
「何です?」
問い返されて、雫が言葉に詰まる。
“どういう関係だからそんなことをするのか”を言語化しようとして、できずに赤くなる。玲奈は横で「お、いい反応」とでも言いたげな顔をしていた。
恒一が見かねて割って入る。
「雫の言いたいのは、こっちの世界じゃその距離感を見たら周りが誤解するってことだ」
「誤解?」
セレフィアは少し考えてから、あっさり言った。
「誤解ではなく事実では?」
「待て」
「何がです?」
「何がです、じゃない!」
恒一が珍しく本気で突っ込む。
「それをここで肯定するな」
「ですが私は――」
「はいそこ一旦止まって」
玲奈が嬉々として割って入る。
「今すごく大事な観察ポイントだから」
雫が頭を抱えた。
「なんでこの場に博士いるの……」
「面白いから」
「隠さなくなった!」
その騒ぎの向こうでは、通りがかった隊員たちが何とも言えない顔でこちらを見ていた。
明らかに聞こえている。
だが誰も口を挟まない。前線帰りの兵たちにとっては、異世界の騎士姫が賢者の水分管理をしていようが正妻宣言めいた発言をしていようが、もはや「そういうものか」と飲み込むしかないのだろう。
木村三曹などは、遠くから一度こっちを見て、露骨に踵を返そうとした。
だが玲奈が見逃さない。
「木村三曹」
「聞こえてねえ」
「まだ何も言ってない」
「言う前から嫌な予感がしたんだよ」
「ちょうどいいわ。第三者視点をちょうだい」
「いらねえだろそんな視点!」
「いるのよ、すごく」
「何に!?」
「人類文化と異世界文化の接触面における関係性認識の差」
「博士の言い方だと全部実験みたいになるな……」
恒一がぼやく。
木村三曹は深いため息をついたあと、半ばやけくそ気味に言った。
「俺から見りゃ、セレフィア殿はものすげえ自然に天城の横取ってる」
「横取ってる!?」
雫が反応する。
「違うだろ、最初からそこにいる感じっていうか!」
「どっちでも似たようなもんだろ」
「全然違う!」
「何でお前がそこを細かく気にするんだ」
「え?」
木村三曹に逆に聞かれて、雫が一瞬固まる。
玲奈の口元がにやりと上がった。
「はい、今のいいわね」
「博士ちょっと黙って」
「無理」
「知ってた!」
セレフィアは、その一連のやり取りを聞いてから、少しだけ真面目な顔で雫を見た。
「三崎雫」
「は、はい」
「あなたは、コーイチがこの世界へ来て最初に接触した方」
「え、まあ」
「彼をここまで導いた方でもある」
「……そうだけど」
「ならば敬意を払います」
セレフィアは静かに言った。
「ですが、私の立ち位置が揺らぐことはありません」
「うわっ」
雫が目を丸くする。
「真正面から来た」
「迂遠に言っても伝わりにくいでしょう?」
セレフィアは平然としていた。
「むしろ明確にしておくべきかと」
「いや、明確にする内容がおかしいんだって」
恒一が額を押さえる。
「何の宣戦布告だよ」
「宣戦布告ではありません」
「じゃあ何だ」
「確認です」
「もっと怖いわ」
玲奈はもう完全に楽しんでいた。
「いいわあ」
「博士」
「何?」
「今の顔、だいぶ性格悪い」
「知ってる」
恒一は本気で疲れてきた。
戦場では冷静に動けるのに、どうしてこういう場面になると自分だけ妙に弱くなるのか。異世界でもセレフィアとリュミエルとノクスに囲まれると大体こんな気分になった気がする。
だが、終末日本の地下防衛区という極限環境に、こういう妙な騒ぎがあること自体は悪くないのかもしれない。
少なくとも、周囲の兵の何人かは、呆れながらも少し肩の力を抜いている。
その時、玲奈の端末が電子音を鳴らした。
彼女の表情がすぐに切り替わる。
「……来た」
「何が」
恒一が顔を上げる。
「敵コアの追加解析。第二波の残骸から取った更新ログの再構成が終わった」
「もう?」
「こっちは寝不足で働いてるのよ」
「それを誇るな」
玲奈はすでに画面を睨んでいた。
さっきまで面白がっていた空気が、一瞬で研究者のそれへ戻る。
「やっぱり」
低く呟く。
「想定より早い」
真田一佐が、ちょうどその場へ戻ってきた。
「榊原」
「ええ、一佐。ちょうどよかった」
玲奈は端末を持ち上げる。
「敵、魔法波形のパターン学習を始めてる」
空気が、また違う意味で張り詰めた。
セレフィアの瞳が細くなる。
雫も顔を強張らせ、木村三曹は露骨に舌打ちした。
「具体的には?」
真田一佐が問う。
「第二波で回収した中型支援機と大型の補助ログに、未知エネルギー対応の更新痕がある」
玲奈は早口で説明する。
「まだ完全な耐性じゃない。模倣も中途半端。けど、“観測して分類しよう”とはしてる。特に天城の雷撃とセレフィアの聖属性斬撃、この二つを別系統として認識し始めてる」
「……別系統」
恒一が低く繰り返す。
「つまり」
「つまり、“同じ異世界戦力”としてひとまとめに処理してた段階は終わったってこと」
玲奈は画面を拡大する。
「今後は個別に対策してくる。予備動作の解析、射線の切り方、装甲の角度調整、コア保護層の再構成、その全部でね」
木村三曹が顔をしかめた。
「冗談じゃねえな……」
「冗談じゃないわよ」
玲奈は言う。
「今日勝てたのは、相手がまだ“こっちの異常”を理解し切れてなかったから。でもこのペースで学習されると、数日もすれば今の勝ち筋は薄れる」
「数日、か」
真田一佐の声が重くなる。
「最悪、もっと早いかもしれない」
玲奈が付け足した。
「敵は寝ないし、情報共有も早い。こっちは一回一回血を流して学ぶけど、向こうは壊れた個体のログごと全部次へ回る」
その現実は、さっきまでの妙なラブコメ空気を一瞬で吹き飛ばした。
恒一は腕を組み、ゆっくり息を吐く。
予感はあった。
第二波の途中でも、大型機が明らかにこちらの連携を見て動いていた。
それが解析としても裏付けられたなら、もう先延ばしにはできない。
「次を呼ぶしかないな」
静かに口にすると、全員の視線が集まった。
雫が最初に反応する。
「次、って」
「第二召喚だ」
恒一ははっきり言う。
「セレフィア一人で戦況はかなり変わった。けど、この戦争は広い。一箇所守って終わりじゃない」
「……」
「敵が俺とセレフィアの対策を始めてるなら、こっちはそれより早く“別の回答”を増やさなきゃならない」
セレフィアはその言葉を聞き、少しだけ目を伏せた。
嫌がるかと思った。だが彼女は感情を飲み込んだうえで、静かに頷いた。
「理にかなっています」
「……いいのか」
恒一が聞くと、セレフィアは少しだけ苦笑した。
「よくはありません」
「おい」
「ですが、必要です」
彼女はまっすぐ言う。
「私は騎士です。勝つために必要な手を否定はしません」
「正妻ポジの器がでかすぎる……」
玲奈が感心したように呟く。
「その言い方をやめろ博士」
「でも本質でしょ?」
雫は複雑そうな顔をしていた。
「次、って……また別の女の人来るんだよね」
「まあ、そうなるな」
恒一が答える。
「どんな人?」
「一言で言うと?」
「うん」
「面倒」
「雑!」
雫が思わず叫ぶ。
「でも何となく分かるなあ」
玲奈が頷く。
「天城の仲間って時点で素直な性格してなさそうだし」
「リュミエルを勝手に面倒扱いするなよ」
「名前出た」
玲奈の目が光る。
「次候補はそのリュミエル?」
「まだ確定じゃない」
「でも有力なんでしょ」
「……まあな」
真田一佐が静かに言う。
「会議を開く」
「今から?」
雫が少し驚いたように聞く。
「今だからだ」
一佐は断言した。
「敵がこちらの切り札を認識した以上、対策の前にこちらが手を打つ必要がある」
「同感」
玲奈が即答する。
「敵の学習を上回るなら、“別の異世界戦力”をぶつけるのが一番早い」
「だろうな」
木村三曹が顔をしかめる。
「頭痛くなる話だけど」
セレフィアはそこで、すっと恒一の横へ移動した。
それがあまりにも自然だったので、雫は思わずまた半眼になる。
「ほんとに隣取るの早いよね……」
「当然です」
セレフィアが即答する。
「戦闘後の会議で、コーイチの隣は私の位置です」
「ルール化されてる!?」
「今、決めました」
「その場で増やすな!」
だが、そのやり取りに少しだけ空気が緩んだのも事実だった。
終末日本の地下防衛区。
学習するAIロボット。
磨耗していく人類の防衛線。
状況は厳しい。
けれど、笑える余白がゼロではない。
そのこと自体が、今は少しだけ救いに思えた。
恒一は小さく息を吐いた。
「分かった。会議だ」
「候補選定?」
玲奈が確認する。
「ああ」
「なら面白く……じゃない、大事になるわね」
「今、“面白く”って言いかけたよな?」
「気のせい」
「絶対違う」
真田一佐はすでに歩き出していた。
「全員、会議区画へ」
短く命じる。
「第二召喚の必要性を含め、次の手を決める」
防衛区の天井の向こうでは、まだ遠く砲声が鳴っている。
第二波を押し返したばかりなのに、敵はきっともう次を考えている。
ならばこちらも、立ち止まれない。
セレフィアの“正妻圧”が防衛区内に静かに浸透し始めたその裏で、
戦争の方もまた、次の段階へ進もうとしていた。




