第14話 聖剣姫、終末日本を歩く
新宿外縁線の地下防衛区は、昼も夜もない場所だった。
天井に並ぶ蛍光灯はところどころ切れ、点いているものも白く頼りない。
地上の時間が朝なのか昼なのか夕方なのか、地下へ潜ってしまえば感覚はすぐに曖昧になる。代わりにここでは、発電機の唸り、無線の雑音、金属が擦れる音、足音、誰かの怒鳴り声といったものが“時間”の代わりをしていた。
そして今、その地下防衛区を、金髪の騎士姫がゆっくりと歩いていた。
セレフィア・ルクスフィリア。
異世界ルクス王国第一王女。
聖剣の騎士。
そして天城恒一にとって、最も長く隣で戦ってきた仲間の一人。
そんな彼女が、焼けたコンクリートと鉄骨に囲まれた終末日本の地下通路を、静かに、それでいてまったく気後れせず見回している。
その少し前を案内しているのは、榊原玲奈だった。
「だから、ここが技術分析区画。敵残骸の解体と構造解析、あと魔法……じゃなくて異世界由来エネルギーとの反応確認をやってる」
「“魔法じゃなくて”と付け足す必要がありますか?」
セレフィアが言う。
「どう見ても魔法でしょう」
「こっちの世界の人に説明する時、いきなり魔法って言うと脳が追いつかないのよ」
「ですが、実際に魔法です」
「分かってる。今はもう分かってる。でも頭では理解してても、言葉にすると変に感じるの」
玲奈は肩を竦める。
その隣を歩く恒一は、さっきから何度も同じ会話を聞いている気がしていた。
召喚成功から数時間。
セレフィアは簡単な状況共有を終えたあと、休むどころか「まずこの世界の現状を見ます」と言い出し、そのまま玲奈を引っ張るようにして地下防衛区の視察へ出たのだった。
最初は真田一佐が護衛をつけようとした。
だがセレフィアは「コーイチが一緒なら十分です」と即答し、雫まで「いやその人に護衛いります?」ともっともなことを言ったため、結局、同行者は恒一、玲奈、雫の四人になった。
藤堂は肩の治療を受けたあと民間区画の手伝いへ戻っている。
「ここから先は医療区画」
玲奈が指さす。
「怪我人、発熱者、衰弱者、いろいろ混じるから匂いがきついかもしれない」
「問題ありません」
セレフィアは即答した。
「戦場の治療所はどの世界でも似たようなものです」
そのまま彼女はためらいなく扉をくぐる。
医療区画は、地下防衛区の中でも特に空気が重い場所だった。
簡易ベッドがずらりと並び、その間を白衣や作業服姿の医療班が忙しく行き来している。消毒液の匂い、血の匂い、薬品の匂いが混ざり合い、遠くでは誰かのうめき声が聞こえた。
前線から戻ったばかりの負傷兵。
爆風で耳をやられたらしい若い隊員。
痩せた子供を抱きしめて座る母親。
咳き込む老人。
それぞれが、それぞれの形で限界を抱えている。
セレフィアは、足を止めた。
金の瞳が静かに揺れる。
驚きというより、理解の早さゆえの痛みだった。
「……この世界も、ちゃんと戦場なのですね」
小さく漏れたその声に、恒一は少しだけ目を伏せた。
「そうだな」
「“そうだな”で済む顔ではありませんよ、コーイチ」
「お前もな」
セレフィアは答えない。
代わりに、近くの簡易ベッドで手当てを受けている若い兵へ視線を向けた。
脚を負傷したのだろう。包帯の隙間に血が滲み、額には汗が浮いている。だが彼はセレフィアの鎧姿を見ると、一瞬だけ目を見開き、それから気まずそうに視線を逸らした。
当然だ。
終末日本の地下防衛区に、黄金の鎧をまとった美しい王女騎士が立っているのだから、夢か幻覚だと思っても仕方ない。
セレフィアはその兵に歩み寄った。
「あなた」
「は、はいっ」
若い兵が反射的に返事をする。
それが少しおかしくて、雫が小さく吹き出した。
セレフィアはその笑いを気にした様子もなく、真っ直ぐ兵を見た。
「ご武運を」
「……え?」
「この世界の言葉でどう言うのが正しいかは分かりませんが、私はあなたの戦いを尊びます」
「……」
兵は何も返せなかった。
ただ、ぽかんとしたあと、少しだけ目元を赤くして小さく頭を下げた。
玲奈が小声で言う。
「ずるいわね、そういうの」
「何がですか」
セレフィアが振り返る。
「防衛区の士気が上がるに決まってる」
「そういう意図ではありません」
「分かってる。だから余計に強いのよ」
医療区画を出たあと、次は補給区画へ向かった。
そこはさらに生活感があった。
積み上がった缶詰、乾パン、水タンク、電池、毛布、薬品。
配給の列に並ぶ避難民たち。
その後ろには、紙の名簿と小さなホワイトボードへ書かれた数字。今日の配給量、残量、搬入予定、欠品。
セレフィアは、その“数字で管理された生存”に少しだけ眉を寄せた。
「これは……」
「配給」
雫が答える。
「みんな好きなだけ取れるわけじゃないから」
「それは分かります」
セレフィアは言った。
「王都でも戦時には同様の管理はありました。ですが、ここまで細かく“量”が可視化されているのは見たことがありません」
「文明レベルが違うからね」
玲奈が横から言う。
「こっちは数字で死ぬ世界なの」
「嫌な言い方だな」
恒一が顔をしかめる。
「でも事実」
玲奈は肩を竦めた。
「何人分の水、何日分の食料、何発の弾薬、何時間の電力。そこが尽きたら、どんな理想も勇気もまとめて死ぬ」
セレフィアはその言葉を否定しなかった。
ただ、配給の列の先頭にいる小さな子供へ目を向ける。
七つか八つだろうか。
痩せた頬。少し大きすぎる上着。両手で缶詰を抱えるように受け取っている。
その姿を見たセレフィアの顔が、ごくわずかに曇る。
「子供まで」
「いるよ」
雫が言う。
「そりゃあ」
「……そうですね。そういう世界ですか」
恒一は何も言わなかった。
言えることが、あまりにも少ない。
そのまま一行は、防衛区のさらに奥――民間居住区に近い場所まで足を伸ばした。
そこには、避難民たちが布で仕切っただけの小空間で生活していた。
家族単位で肩を寄せ合い、壁には名前や連絡先の書かれた紙が何枚も貼られている。失った家族を探す掲示板もあった。
あの焼け跡の門柱で見たものと同じ空気が、ここには濃くあった。
セレフィアはその掲示板の前で立ち止まる。
そこには、手書きの名前がいくつも並んでいた。
捜索。
確認待ち。
避難先不明。
移送済み。
死亡確認。
連絡あり。
言葉だけなら短い。
だが、一つひとつの裏側に人生があるのが分かってしまう。
「……コーイチ」
セレフィアが、珍しく少しだけ低い声で呼ぶ。
「何だ」
「あなたのご家族も、こうした中に」
「いるかもしれない」
「……」
「まだ分からない」
セレフィアはしばらく黙っていた。
それから、小さく頷く。
「ならば探しましょう」
「そうだな」
「必ず」
「ああ」
その時だった。
「……あの」
小さな声が、横からした。
一同が振り向くと、民間居住区の隅から、十歳にも満たないくらいの少女がこちらを見ていた。
痩せてはいるが、目はまだまっすぐだ。手には配給でもらったらしい小さなクラッカーの袋を抱えている。
少女の視線は、セレフィアへ向いていた。
「あなた……」
雫が少し屈む。
「どうしたの?」
「その人……さっき、かみなりのお兄ちゃんと一緒に、ロボットやっつけた人?」
「……まあ、うん」
雫が曖昧に答えると、少女はセレフィアを見上げたまま言った。
「ありがとう」
たった一言だった。
だが、その一言が、なぜかこの地下防衛区の空気を少しだけ柔らかくした。
「おにいちゃん、みんなが、助かったって言ってた」
少女は言う。
「だから、ありがとう」
セレフィアは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、言葉を失ったように見えた。
異世界では、王女として、騎士として、感謝も賞賛も浴びてきたはずだ。
それでもこの終末日本の地下防衛区で、小さな少女から向けられる感謝は、たぶん別の重さを持っていた。
セレフィアはゆっくり膝をついた。
「礼には及びません」
彼女は優しく言う。
「私は剣を振るう者ですから」
「でも、うれしい」
少女はそう言って、少しだけ笑った。
「ありがとう」
その笑顔を見た時、セレフィアの中で何かが定まったのを、恒一は横から見ていて分かった。
彼女はもう“コーイチの呼び声に応じて来た異世界の仲間”であるだけではない。
この防衛区の子供たち、兵たち、避難民たちを、“守るべき対象”として認識したのだ。
それは彼女の性格からすれば当然だ。
当然だが、だからこそ強い。
セレフィアは少女へ、静かな笑みを返した。
「あなたが生きて笑っているなら、それで十分です」
「……うん!」
少女が駆けて戻っていくのを見送ったあと、雫が小さく息を吐く。
「……強いなあ」
「何が」
恒一が聞く。
「なんかもう、全部」
「雑だな」
「でもほんとにそう」
玲奈も珍しく軽口ではない声で言った。
「戦力として強いだけじゃないのよね」
「それはどういう意味ですか」
セレフィアが聞く。
「この防衛区の人たち、あなたを見て“まだ終わりじゃないかも”って顔してる」
「……」
「そういうの、戦争じゃめちゃくちゃ大事なの」
セレフィアは少し考えるように目を伏せた。
それから、静かに答える。
「ならば、なおさら立たねばなりませんね」
その言葉の直後だった。
地下通路の天井に取り付けられた警報灯が、一斉に赤く点滅を始める。
ビーッ、ビーッ、ビーッ――!
乾いた警報音が防衛区全体へ響き渡った。
瞬間、居住区の空気が変わる。
さっきまで辛うじて落ち着いていた避難民たちが一斉に顔を上げ、兵たちが走り出し、無線が怒鳴るように鳴った。
『監視班より! 第二波接近!』
『南東高高度にドローン群増加! 地上機も再進行!』
『大型反応複数、速度上昇!』
雫の顔が変わる。
「もう来るの!?」
「早すぎる……」
玲奈が舌打ちする。
「再編が異常に早い」
恒一は反射的にセレフィアを見た。
彼女はもう、迷っていなかった。
さっきまで子供と目線を合わせていた柔らかい表情が消え、代わりに異世界の戦場で何度も見た“聖剣姫の顔”へ戻っている。
金の瞳は冴え、背筋はまっすぐ伸び、右手は自然に腰の聖剣へかかった。
「行きましょう、コーイチ」
彼女は静かに言った。
「はい」
恒一も短く答える。
終末日本の地下防衛区を見て回った時間は短かった。
だがそれだけで、セレフィアには十分だったらしい。
この世界の人々もまた、守るに値する。
ならば戦う。
それが彼女の結論だった。
警報がなおも鳴り続ける中、聖剣姫は静かに剣へ手をかけた。
その立ち姿を見た時、地下防衛区にいた何人かの兵と避難民は、あの金髪の騎士がただ美しいだけの異邦人ではないことを、ようやく本能で理解したのだった。




