第10話 最強パーティー再召喚計画
旧搬入口区画は、地下施設の中でも妙に広かった。
かつて大型物資の搬入出に使われていたのだろう。天井は高く、コンクリートの床面は広い。今は半分ほどが瓦礫と使われなくなった資材で塞がれているが、それでも高位術式を展開するには十分な空間があった。
恒一はその中央に立ち、ゆっくり息を吐いた。
床には、白いチョークと黒い導線材、金属片、敵コア由来の未知結晶、そして異世界から持ち帰った共鳴結晶や聖印が並べられている。周囲には測定機器や仮設発電機、即席の遮蔽板が置かれ、まるで魔法陣と研究施設と前線陣地を無理やり混ぜたような光景になっていた。
「……すごい絵面だな」
恒一が呟くと、榊原玲奈が端末から顔も上げずに返した。
「異世界賢者と終末日本の技術班が手を組んだら、こうなるのよ」
「雑な括りだな」
「でも間違ってないでしょ」
「間違ってないのが嫌なんだよなあ……」
玲奈は白衣のポケットからペンを取り出し、床に広げた設計図へ乱暴に丸をつける。
「まず確認。召喚術式の骨格はこれでいい?」
「第一円環が座標固定、第二円環が媒介増幅、第三円環が呼び出し先指定。そこまではいい」
「で、中央核が術者本人」
「そうだ」
「危なくない?」
「危ない」
「危ないんだ」
「危なくない大召喚なんてない」
その会話に、少し離れたところで機材を運んでいた木村三曹が顔をしかめた。
「おい博士。今さらだが、本当にこれやるのか?」
「やるわよ」
「失敗したらどうなる」
「さっきも言ったでしょ。座標がズレれば、変な位相を引く可能性がある」
「変な位相って言い方やめろ。余計怖い」
「じゃあ敵ネットワーク深層とか、次元の裂け目とか」
「もっと怖い!」
そのやり取りを聞きながら、真田一佐は腕を組んだまま静かに全体を見ていた。
彼の役目は、ここがただの研究ごっこにならないようにすることだろう。
実際、区画の出入口には自衛隊員が配置され、搬入口へ続く通路にも即席バリケードが築かれている。術式準備中に敵襲があっても、少なくとも数分は稼げるよう手配されていた。
「天城」
一佐が低く呼ぶ。
「はい」
「もう一度確認する。召喚対象は一名。聖剣姫セレフィアでいいな」
「はい」
「変更の可能性は?」
「今のところないです」
「理由は」
「一番前線適性が高い。状況理解も早い。俺を見た瞬間に動いてくれる」
「信頼できると」
「誰よりも」
真田一佐はそれ以上何も言わなかった。
だが、その短い沈黙は十分に重かった。
異世界最強パーティー。
その最初の一人を、この終末日本へ呼び込もうとしている。
いくら必要性があるとはいえ、現実感はまだ薄い。準備している本人たちですら、どこかで半信半疑だった。
雫は搬入口区画の端で資材の仕分けを手伝いながら、その様子をじっと見ていた。
「なんかさ」
彼女がぽつりと言う。
「文化祭前日みたいでもあるよね」
「文化祭前日に世界をまたぐ召喚とかやるか?」
恒一が即座に返す。
「やらないけど、空気が」
「たとえが妙にリアルだな……」
「高校生だからね、一応」
「一応って付くの悲しいな」
「終末世界で十年やってるとそうなるの」
その言い方に、少しだけ苦笑が混じる。
最初に出会った時の雫より、今の彼女の方がずっと表情を見せるようになっていた。強がりは変わらないが、それでも恒一の前でだけは少し肩の力を抜いているように見える。
藤堂修司も、肩を固定したまま区画の隅で防衛班の予備戦力として残っていた。
「で、結局これ、俺らは何をすりゃいい」
彼が尋ねる。
「儀式中に敵が来たら足止め」
木村三曹が答えた。
「術者を守る。博士を守る。変なものが出てきたら即撃つ」
「最後のが一番怖いな」
「こっちもだ」
その間にも、玲奈は敵コア由来の未知結晶と、リュミエルの共鳴結晶の間に複数の導線を接続していた。
ただの電気回路ではない。そこには恒一の指示で刻まれた簡易術式が混ざっている。結晶間の相性を安定化させるための符号。暴走防止の抑制陣。媒介の向きを揃えるための縁結び。
見た目は雑多だが、実際にはかなり繊細な調整だった。
「こっちの未知結晶、やっぱり癖強いですね」
恒一が言う。
「こっちの世界の物質法則に馴染んでるのに、魔力にも反応する」
「だから面白いのよ」
玲奈が言う。
「完全に異世界のものなら、逆にここまで都合よくは使えない。半端に“こっち側”だから穴を開ける針にできる」
「穴を開けるって表現、まだ好きになれない」
「でも合ってるでしょ」
「……まあ」
異世界側へ向けた扉を開く、というよりは、世界の境界へ針を差し込む感覚に近い。
危ういが、だからこそ成立する。
恒一は床へ膝をつき、円環の中心を指先でなぞった。
召喚陣はすでに八割方形になっている。
第一円環は外界遮断と座標安定。
第二円環は媒介共鳴。
第三円環は呼び出し先指定。
その中央に、術者である自分が立つ。
問題は魔力供給だ。
「やっぱりここが一番きついな」
恒一が呟く。
「高位召喚を一人で回すには、この世界の魔力密度が薄すぎる」
「発電機で何とかならない?」
雫が聞く。
「電気は魔力じゃない」
「でも少し似てるんでしょ?」
「似てるけど別物」
「別物だけど使いようはあるわ」
玲奈が口を挟んだ。
「純粋なエネルギー供給じゃなくて、術式維持の外部負荷を機械側へ分散させる。座標計算、位相固定、共鳴監視、その辺は機械が肩代わりできる」
「なるほど」
恒一は少し感心した。
「魔法陣の“頭脳”の一部を機械にやらせるのか」
「そう。あなたは“心臓”に集中すればいい」
「言い方、ちょっと格好いいな」
「もっと褒めて」
「調子乗りますよこの人」
木村三曹が即座に切る。
そうして準備が進むうちに、搬入口区画は次第に独特の緊張感に包まれていった。
誰も大声を出さない。
誰も無駄に動かない。
だが全員が、何か決定的なものの前にいることだけは分かっている。
その静けさを破ったのは、突如鳴り響いた警報音だった。
ビーッ、ビーッ、ビーッ――!
乾いた電子音が地下区画全体へ響き渡る。
直後、無線が怒鳴るように鳴った。
『南東監視班より! 敵反応増加! 先ほどの接触群より大規模!』
『地上機多数、上空反応も増加! 進行方向、外縁線直上!』
『同時に高高度待機群あり! 誘導波の変化確認!』
搬入口区画の空気が一気に凍る。
真田一佐が無線を奪うように取った。
「規模は」
『未確定ですが、過去最大級です! 前線から増援要請!』
「……来たか」
その短い呟きには、怒りよりも覚悟があった。
木村三曹が即座に動く。
「防衛班、配置につけ! 搬入口区画にも二重線を引け!」
「了解!」
「民間補助員は壁際へ! 余計なものを中央に残すな!」
雫が思わず恒一を見る。
「これって……」
「敵がこっちの動きを読んだか、単に波のタイミングが重なったか」
玲奈が早口で言う。
「どっちにしても最悪」
真田一佐はすぐ決断した。
「召喚準備は継続」
「一佐?」
木村が振り返る。
「今ですか」
「今だからだ」
一佐は断言した。
「敵が大波で来るなら、こちらも切り札を切るしかない」
「でも準備が」
「骨格はできてるんだろう」
真田は玲奈を見る。
「理論上は」
「なら実行可能圏内だ」
「理論上って言葉、軍人さんもっと嫌うと思ってた」
「今日だけでも理論外を何度も見た。今さらだ」
その返しに、玲奈は一瞬だけ笑った。
だが問題はそこではない。
恒一は床の魔法陣を見下ろし、歯を食いしばる。
準備はまだ完璧じゃない。
媒介の結合も、座標固定も、細部が粗い。
だが敵の大波が来てからでは遅い。前線が崩れれば、この地下区画も安全ではない。召喚のための余裕そのものが消える。
「やるしかないか」
恒一が低く言う。
その時、地下通路の奥から、雫が走ってきた。
いや、さっきからいた雫とは別に、連絡要員の少年が一人飛び込んできたのだ。
「一佐! 外縁線第一陣、すでに交戦開始! 大型個体複数確認! 10式戦車の代替火力が足りません!」
「……分かった」
真田一佐の顔に、焦りが浮かぶ。
それでも彼は声を荒げなかった。
「木村。前線に一個小隊追加。だが搬入口の防衛は削るな」
「了解」
「榊原、術式の残り工程を最短化しろ」
「言われなくてもやってる!」
「天城」
「はい」
「いけるか」
その問いは、軍人の確認であり、同時に人類側の希望を預ける問いでもあった。
恒一は床の中央へ歩いた。
魔法陣の中心。
そこへ立つと、足元からわずかな共鳴が伝わってくる。
青い共鳴結晶。赤黒い未知結晶。ミレーネの聖印。自分自身の魔力。
全部がまだ不安定なまま、かろうじて一本の線になろうとしている。
「完璧じゃない」
恒一は正直に言う。
「でも、ゼロじゃない」
その言葉に、玲奈がすぐ乗る。
「十分」
「十分なのか?」
木村三曹が眉をひそめる。
「足りないよりはマシ」
「基準が怖い」
「今さらよ」
恒一は深く息を吸った。
脳裏に、セレフィアの顔を浮かべる。
金髪。まっすぐな目。剣を構えた時の凛とした気配。
あの別れの時、自分の願いを守る騎士でいたいと言ってくれた彼女。
呼べるなら、来る。
来られる道があるなら、あいつは絶対に来る。
「術式を回す」
恒一が言う。
「ただし、敵が来たら中断もあり得る」
「中断したら?」
雫が聞く。
「最悪、術式が暴れる」
「さらっと言わないで」
「でも事実だ」
「ほんと最悪だなこの計画……」
そのぼやきが、逆に場を少しだけ軽くした。
真田一佐が短く命じる。
「全員、配置につけ。ここからは儀式防衛を最優先とする」
「了解!」
「前線から突破機が流れてきた場合、第一撃は射撃、第二撃は爆薬、第三撃から天城の護衛に移る。分かったな!」
「了解!」
兵たちが動く。
搬入口区画の出入口に銃座が置かれ、土嚢が追加され、通路に爆薬付きの即席障害物が並べられる。
補給要員たちは壁際へ下がり、玲奈の技術班は必要最低限を残して避難準備に入った。
雫は一瞬迷った末、壁際へ下がるのではなく、補助資材のそばへ残った。
「おい」
恒一が声をかける。
「下がれ」
「嫌」
「嫌って」
「何か手伝えることあるかもしれないし」
「危ないぞ」
「分かってる。でもここまで来て、見てるだけってのも嫌」
その顔は、最初に会った時の“生き残るために強がってる少女”の顔ではなかった。
恐怖はある。だが、それでもここに残ると決めた人間の顔だ。
「……無茶するなよ」
恒一が言うと、雫は少しだけ笑った。
「それ、天城さんにだけは言われたくない」
ごもっともだった。
やがて、玲奈が最後の結線を終える。
「座標計測、仮固定」
端末を見ながら言う。
「媒介応答あり。共鳴率、六三……いや六七まで上がってる」
「上がってる?」
木村が聞く。
「天城の魔力が陣に馴染んできた」
「いい兆候?」
「いい兆候。たぶん」
「たぶん多いな!」
木村がまた叫ぶ。
その時、地上から一際大きな衝撃が落ちてきた。
ドゴォンッ、とコンクリート全体が震える。
天井から細かな埃が落ち、区画の隅で誰かが悲鳴を飲み込んだ。
『外縁線第二壁、損傷! 損傷!』
無線が怒鳴る。
『大型個体接近! 人型群、突破を試みています!』
真田一佐の顔色が変わる。
「早いな……!」
「敵、こっちの準備を嗅ぎつけてるんじゃ」
雫が青ざめて言う。
「可能性はある」
玲奈は端末から顔も上げずに答えた。
「でも今さら考えても意味ない。やるならやる!」
恒一は魔法陣の中央で目を閉じた。
呼吸を整える。
脈を整える。
異世界と現代日本。その境界線へ意識を伸ばす。
リュミエルの共鳴結晶が青く光る。
敵コアの断片が鈍く赤く明滅する。
ミレーネの聖印が穏やかな熱を帯びる。
まだ足りない。
だが、足りないまま進むしかない。
「――天城」
真田一佐の声。
恒一は目を開ける。
「この防衛区は、お前の術を守る」
一佐ははっきり言った。
「だからお前は、向こうへ手を伸ばせ」
短い言葉だった。
だが、それで十分だった。
異世界から帰ってきたばかりの、自分の居場所のない男に。
この日本の軍人が、今ここで役割を与えたのだ。
恒一は小さく頷いた。
「分かりました」
そして、両手をゆっくり広げる。
魔法陣が起動する。
第一円環が青白く。
第二円環が白銀に。
第三円環が淡い金色に。
搬入口区画の空気が変わる。
兵たちが息を呑み、玲奈が端末を握りしめ、雫が思わず一歩前へ出る。
ここから先は、もう後戻りできない。
異世界最強パーティーを、この終末日本へ呼び戻すための計画。
その第一歩が、敵の大波が迫る中、ついに動き始めようとしていた。
そして地上では、さらなる爆発音が連続して響く。
外縁線は、今まさに過去最大規模の攻撃を受けていた。
召喚が先か、敵の突破が先か。
崩れかけた世界の均衡は、ぎりぎりの綱渡りの上に乗っていた。




