ブルーノの覚悟
アデルバートの編んだ夢の領域からアレクシアの近付いてくる気配を感じ取り、地図を見ていたアデルバートは意識の半分をそちらへと向けた。アドルファスも気づいたらしく器用に半分だけ降りてくる。
(レイ王子が、東の皇太子の呪いに蔦の種が効きそうだと)
(そうか。なら与えてみてもいいだろうが…まずは番の紋章が先だと伝えておいてもらえるかな。すまないな、身重な君を伝言係にしてしまって)
(大丈夫です。アストリアのときと比べたら楽ですから…番の絆のお陰です…それに陛下の領域の移動は平気です)
アレクシアは再び去ってゆく。
「お父さまにしては、今回はとても素敵な方を選びましたね」
鉱山の地図を見ていたブルーノがフッと笑う。
「なんだ?その言い方は。まるで私に人を見る目がなかったとでも言いたげな言葉だが…」
「だって、そうでしょう?第一夫人は僕を滝壺に落とす算段をしていたし、第二夫人は狼に化けた猪、第三夫人は狼だけれど僕とお父さまを憎んでいたし、第四王子の母君はやっぱり山犬なのに狼と偽ってお父さまに命にも関わりかねない量の媚薬を盛った…コナル王子の魔力が弱いのは媚薬の後遺症なんでしょう?ウォード先生が訪ねたときにも昼間から奴隷を二人借りてたって言っていたし…しかも毎週入れ替えだって。たまには顔でも出してあげたらどうです?」
息子の顔を見たアデルバートは妙なものを見たかのようにしげしげとその顔を見つめたが、フッと低く笑った。
「やれやれ…アドルファスにまでそんなことを言われる日が来るとはね。残念ながらコナルの母親とは身体の相性自体が悪いんだよ。同じ犬科なのにな。それにしても…ウォード先生とやらは随分と頑なな者の心を開くのが得意なんだな」
「そりゃあね…彼は玄人だから」
「なるほど。もう一人の先生の気配は読めるのだが…ウォード先生の方は読みにくいな。それに狼も混ざっているから…アドルファス、薄々気配で感じているとは思うが…ウォード先生の番は蔦持ちで…恐らくアドルファスの姪だ…」
「……!」
ブルーノはわずかに目を見開いたが、どこか納得したような表情でため息をついた。
「…南の砦にいたとき…妙な感じはあったんです…サフィレットに少し似たような…あぁ…それで、いったい誰の子だと?」
「第一王子か王女…それ以外の可能性は低いな…ミリアは十四歳になったばかりだ」
つまり今年で十七になる自分とはたった三歳しか違わない事実にブルーノは、ほぼ覚えてもいない子ども時代の記憶を必死に思い出そうとした。
「…僕が三歳の頃…一番上のお兄様は…えぇと十六か十七くらい?で、お姉様が…十二か三くらい?僕が毒を飲まされたのって何歳頃の話だったかな…?少し大きくなってから乳母にその話を聞いて…それでお姉様が怖くなったんだけど」
「それこそ…毒を飲んだのは三歳くらいじゃないのか?それに、あのときイルヴァはそれが本当に薬だと信じていたんだ。第二王子が押したせいで川に落ちたお前が高熱を出していて…イルヴァは必死でお前を看病していたんだよ」
アデルバートは記憶を手繰り寄せる。
「だとしたら、その頃のお姉様のお腹は大きかった?お姉様の具合がどこか悪かったなんて記憶はあんまりないんだけど…そうだ、その頃、セオドルフ兄様は…病気療養でどこかに行ってたんじゃなかった?しばらく僕は意地悪な姉と兄が一人ずつだけだと思ってたから、もう一人いると知って絶望したんだから間違いないよ!」
ブルーノの言葉にアデルバートは再び自分とよく似た顔立ちで亡くなった妻の瞳の色をした息子を見つめてしまった。何を思ったかアデルバートは立ち上がるとブルーノの座るソファーの隣に腰を下ろす。そしてブルーノの肩を抱くと周囲を遮断した。
「ちょっ…何?お父さま…僕はもう子どもじゃないんだから…!」
「たまにはよいではないか。そうだな、兄弟が他にもまだいると知って絶望した、幼い頃のアドルファスにしてやれなかったことだ…私は戦に明け暮れていたからな…国を立て直すのに必死だったが家族を蔑ろにしていた事実には変わらない。すまなかった…」
ブルーノはやがて緊張を解くと小さなため息をついた。素直にその肩に頭を押し付ける。大きくなったはずなのに自分はまだ父王のような体格にはほど遠いと思った。
「あの人も…媚薬を飲んだの?それともお父さまに盛った?」
息子の問いにアデルバートは沈黙したが、しばらくすると諦めたように口を開いた。
「あの様子だと多分…飲んでいたな…私の子どもたちでそのせいで身体に何らかの影響の出なかった子はいない…アドルファスは…魔力には影響は出なかったが…恐らく私のような体格にはなれないだろうな…すまない…君の母は巨大な獣人に近い体型になれる私を心から恐れていたのだ…」
「うん…それは、なんとなく知ってた。だからなのか。僕は大きなお父さまに憧れていたけれど…今じゃレイの方が少し大きいくらいだから僕は半獣人なのに、なぜだろうって思ってた。でも、それだけなんだ。むしろ魔力は残ってて良かった。逆だったら…身体だけ大きくて魔力がないなんて…それこそ滑稽じゃない」
ブルーノは父の大きな手が頭を撫でるのを感じた。そこから少し魔力が流れてくる。もっと早くにこうしていれば良かったと思った。母の言葉に惑わされずにもっと父のことを信用していれば。何かがおかしいと思った頃にはすでにブルーノの手には何も残っていなかった。全て気付くのが遅かった。時は無情にも流れてしまった。だからバラバラだったこの関係性を今から再度築き上げるしかないのだ。
「セオドルフ兄様は…どうして昔から療養していたの?」
「…あの子は…当時は何の害もないと言われていて母親も使っていた媚薬が…悪影響を与えたんだ…だから魔力の高低差が激しい。常に不安定で…時に暴走する。当時は原因が分からなくてセオドルフは戦争の影響の少ない穏やかな地方での療養を勧められたんだ…だからもしかすると、そのときに誰かと会っていてもおかしくはない…年齢的にも…しっくりくるのは…セオドルフなんだろうな。しかも、あの子は蔦持ちでもないのに…ミリアは蔦持ちでそのお腹にはウォード先生と精霊の蔦で交わった際にできた卵まである…」
「えっ…?てことは…お父さまには孫どころか…ひ孫までいるってこと?うわぁ…ウォード先生…あんな無害そうな雄に見せかけておいて、しっかりやることはやってるって…詐欺だよ」
「ハハッ、だがまぁ…ミリアがもっと悪い雄に引っ掛かる可能性の方が高かった訳だから結果としては良かったんだよ。しかし自分の孫を諜報員にしてしまっていたとは…私にはその事の方がよほど衝撃的だった。ウォード先生も番になった際に首を噛まれて死にかけたらしいし…ブリジットに言われたよ。気配を読んでいなかったら危なかったと。誰も死ななくて良かったよ」
黙って話を聞いていたブルーノは迷いながら改まった様子で口を開いた。
「…お父さまは…セオドルフ兄様を…どうしたいですか?僕…母の墓に花を供えたときに…聞いてしまったんです。年老いた使用人で…少し視力も記憶もあやふやなのか…僕のことをなぜかお父さまだと思って…話しかけてきて…それで夫人たちが亡くなった理由が流行り病などではなく…魔力を暴走させたお兄様の仕業だと知ってしまいました…」
「そうか…」
「死に際にまで…呪いの言葉を吐いたあの人には…苦笑するしかなかった…でも…僕はもう母の呪いからは解放されました。だからお父さまを信じます…お父さまがセオドルフ兄様を殺したいのなら僕に止める権利はありません…逆に生かしたいのならまたそれを止める権利もない…」
ブルーノはそう言って顔を上げて父の顔を見た。自分とよく似たその顔を。けれども瞳の色はアストリアの方が似ている。ほとんど老いを感じさせないが、それでも少しは歳を重ねたことが分かる瞳をしていた。
「アドルファス…私は…セオドルフをどうこうしようとは思っていないんだ…けれどもそれ以上に不憫だとも思っている…あの媚薬が…王家の男児を滅ぼすために巧妙に作られた物だと知った頃には…あの子は魔力の疾患を抱えたまま…もう大きく育ってしまっていたんだ…それに、あれは明らかに単なる魔力暴走ではなかった。悪しき神官の魂がセオドルフに取り憑いて操っていたんだ。祓った宮廷魔術師も亡くなり…セオドルフも更に弱ってしまった…だから…今は蔦の種にかけてみるしか道は残されていないに等しい…私と旧南方王朝の第三王子の種に…それが彼を生かすのか殺すのか…私には分からない…明日はエテルネルの二人も…セオドルフの見舞いに同行してもらうつもりだ…安定していれば良いのだが…そうでないときの姿は狂気に満ちた獣そのもの…実の息子を鎖に繋いで幽閉している私をアドルファスが軽蔑するかと…私はそればかり恐れていたんだ…」
まさかセオドルフにもリシャールの魂が関わっていたとは思わずブルーノはゾッとした。
「…軽蔑しませんよ。セオドルフ兄様が…この国を継ぐのに相応しいかどうか…僕はそのことすら分かっていなかった。どうやら現状を聞く限りでは極めて難しい。となると…消去法で魔力量としては僕が残ってしまう訳で…体格は補えないかもしれないけれど、玉座は嫌だと駄々をこねる訳にもいかなくなったのだな、と身に沁みているところです…でももう少しお父さまは引退しないでもらえませんか?僕は西の国でやり残したことがあるんです。怪我で魔術騎士科の資格を取り損ねてしまったから…せめてあと一年は待って下さい。そうしたら、多分その頃には腹を括れると思います…」
玉座から逃げようとしていたとしか見えなかった息子の思いがけない言葉にアデルバートは不思議そうな顔をした。アドルファスは笑った。
「だって、第八王子のレイだってもう後がない状況に追い込まれて、しぶしぶながら玉座を預かるしかないかなんて、ボヤき始めたのに、それを横目で見てるのにいつまでも反抗期でいるのも恥ずかしいって思っただけです。下らない対抗心を燃やしてるだけだけど、早くサフィレットも見つけたいし…これだけ探して気配を辿れないなら、やっぱりセオドルフ兄様の離宮くらいしか…もう考えられない。明日は見舞いと捜索と、どちらもするつもりです」
「あぁ。分かっている。ありがとう、アドルファス。やはり君を西で学ばせて良かったよ。サフィレットを必ず見つけ出そう」
アデルバートは再度息子の身体をしっかりと抱きしめる。ブルーノも父の身体を抱きしめ返した。




