巣の中の番
同じ頃、アレクシアから伝言を受け取ったレイは、紋章を刻むエリンを見守っていた。といっても背を向けて気配を探るだけだったが、二人の息遣いを感じてとても気まずくなっていた。傍らのジュディスはレイの手を握って静かに座っている。表情は特に変わらない。途中でエリンの声がした。
「ヴェルダ…大丈夫?…終わったよ…」
「…止血もうまく行ったかな?」
背を向けたままジュディスが言う。
「平気です…」
ヴェルダが言ったのと同時にジュディスは立ち上がった。
「なら…二人はそのまま続けて」
「えっ?あの…」
戸惑う様子のヴェルダにジュディスは言った。
「紋章を刻んだ後にすることと言ったら…一つしかないだろ?私とレイはしばらく外にいるから…終わったらエリンには蔦の種を飲んでもらうよ?行こうか、レイ」
レイは立ち上がると何を思ったのかジュディスに唇を重ねてくる。いつになく執拗だった。レイの思惑が分かったときには、わずかに遮断を緩められた後だった。
「ジュディスの角の香りは身体に無害な媚薬だから…少しお裾分けしておくね」
レイは再度遮断するとジュディスと共に姿を消した。部屋の中に途端に甘い芳香が広がって、紋章を刻み終えたばかりで少し高揚しているエリンを更に刺激する。腕の中のヴェルダを見つめると、ヴェルダの腕がエリンに絡まった。身体に魔族の模様が浮き出る。ヴェルダもエリンを求めていた。どちらからともなく唇が重なり、その後はもう何も考えられなくなった。
***
「…身体に無害な媚薬って…」
言いながらもすでにレイに角を制されたジュディスは身体の力がかなり抜けていた。モリス教授との訓練を思い返し、なんとか両足に力を入れる。以前はすぐにへたり込んでいたが、まだ立っていられて数歩は歩けた。
「上出来…」
そう言ったレイもすでに何かを耐えるような顔付きをしていた。少し乱れた呼吸が耳元で聞こえて、ジュディスは思わずレイを見上げた。目が合った途端に気恥ずかしさでいたたまれなくなる。鼓動が跳ね上がった。
「ジュディス…もう少し…だから…あの大木…」
実は園庭に着いた際に、レイは熱帯雨林のようなその木々の中から無意識のうちに大きな木を探していた。巣を張りやすい大木、そう考えた自分に驚きながら呆れて、レイは自身のその思い付きについてはいずれ落ち着いたタイミングで熟考する必要がある、とすら思っていた。が、実際には熟考するタイミングすらないままに、自分はなぜかジュディスを支えて一心不乱に大木を目指している。
(巣って…なんだ…!?何を考えてるんだ?僕は…なんでそれをジュディスに言った?大木?どうして進んでる?)
レイの腕に掴まって支えられながらゆっくりと歩いていたジュディスが不意に小さな笑い声を立てた。
「…フォス族は…雄になる方が…繁殖期に入ると…大木の…奪い合いに…なるんだ…一番いい場所に巣を作って…番の雌になる方を…誘い込む…」
「えぇ!?僕は…フォス族じゃないけど…あ!」
「うん…紋章の影響…なのかな…?レイも…本能的に…私の意識を共有…してるんだと思う…」
レイの脳裏に突然満月が浮かび上がった。レイは二人で蔦を絡めて作ったドームの中に入り込んだことを思い出した。熱い大地とそれよりも火照った美しいジュディスの裸体が脳裏に浮かぶ。潤んだ瞳が近付く。これ以上はまずい。とんでもなく気まずいタイミングで記憶が蘇ってレイは慌てた。
「ジュディス…どうしよう…僕…思い出したよ…」
「うん…?」
「満月の夜に…その…巣を作ったんだ…君と…」
「うん…そう…か」
ジュディスの言葉は単なる同意なのか、自分もその記憶を思い出しているのか定かではなかったが、レイはようやく大木の前にたどり着いて片方の手を伸ばした。黄緑の蔦が伸びてシュルシュルと球体を作り出す。レイの意思とはほぼ無関係にそれはすでに身体に記憶された動作のように感じた。レイはジュディスと共に瞬間移動で球体の中に潜り込むと残した出入り口も緩く閉じた。ジュディスはどこか安堵したような表情でレイの身体に額をこすりつけた。甘い香りが漂う。ヘッドドレスを外していないのに、すでにジュディスの身体は芳香に包まれていた。レイは空間ごとなんとか遮断を強化する。
「フォス族で…有角種って…ある意味…最強…」
「そう…?」
狭い空間内に満ちた香りにレイは刺激されて次第に歯止めが利かなくなっていた。いつもよりもせわしなく服を脱いだレイにジュディスは驚きながらも、どこか当然のようにその姿を見ていた。ジュディスも服を脱ぐ。白い肌に浮かぶ赤い紋章がレイを誘う。
「紋章って…怖いね…支配欲が出てしまう…」
レイはそう言いながらジュディスの胸元の紋章に口付けをし舐め上げた。ジュディスは少しくすぐったそうに身をよじる。
「これが…支配欲なら…悪くはない…かな」
ジュディスはレイの髪に触れると、薄桃色の一房を撫でて指を絡ませた。レイの身体がビクリと震える。
「あぁ…そうか…ここは…感覚が…あるんだっけ…うん、思い出した…そうだ…」
少しふわふわした口調で言ったジュディスは何を思ったのかその髪を口元に引き寄せると毛先を吸い始めた。
「ちょっ…ジュディス…止め…!!あ!」
その瞬間にレイの身体全体に甘い痺れが走った。レイは耐えられなくなってジュディスを抱きしめると蔦になって溶けた。このままだとまずい。本能のままに貪ってしまう。せめて蔦にならなくては。腕の中のジュディスも蔦になるのが分かった。ジュディスとレイは全身輝く蔦となって互いの中に溶けた。
***
遮断していたにも関わらずその力は近くのエリンとヴェルダにも伝わった。ジュディスの角の香りに溺れていた二人は近くで爆発的に魔力が増幅する気配を感じた。途端に園庭のそこかしこから、ざわざわと精霊の囁き声が上がった。
(長い眠りを覚ますのは誰ぞ?)
(精霊の愛し子か…)
(番じゃ…めでたいの)
(こちらにも番がおるぞ?)
突然耳元で声が聞こえて、ヴェルダは小さな悲鳴を上げる。蜻蛉のような羽の生えたトカゲに似た生き物が顔を覗かせていた。
(何を驚く?こんな魔術は我々にはなんでもない…おや、北と東の魔族の番か…こちらの雄は病んでいるな?どれ…)
精霊はエリンの胸の網目模様に手を伸ばすと途端に人の姿になった。それでもどこか爬虫類を思わせる目をしていてエリンは落ち着かなかった。
(今宵は気分が良いから少し喰ってやろう。それを寄越せ…)
精霊は鱗の生えた手でエリンの網目の一部をするすると抜き取った。胸に痛みが走ってエリンは顔をしかめる。精霊は抜き取った赤い網目を丸めると口の中に放り込んだ。
(これで契約は交わされた…そなたの一部を喰ったから私を異国へ連れてゆけ…その儚き定めに抗ってやろう…早く名を寄越せ)
「け…契約?」
(おや…精霊遣いのおらぬ地の者は、その風習も知らぬのか?名付けろと言っておる…)
エリンは赤い目を見つめる。見つめるうちに頭の中に名が浮かんできた。
「ル…ルチル…」
「ふん、まぁ悪くはないな…この呪いはお前の血を消費する…さっき喰ったのはそなたの血…あまり簡単に精霊を信用するな。私だったから良かったようなものの…強欲な精霊に血を多くを与えると…面倒なことになる…」
精霊の言葉も終わらぬうちに扉が荒々しく開いて、ジュディスとレイが入ってきた。申し訳程度に身体に蔦を巻きつけて際どい所は見えないようにしている。ジュディスは大股に歩み寄ると精霊に詰め寄った。
「…遅かったか。まぁ…この程度ならなんとかなるか。だが次に契約を交わす際の血は一滴のみにしないと危ない。これでも少し与え過ぎだ…」
ジュディスの姿を見た精霊は面白そうに笑った。
「なんと…これはまた実に可愛らしい…贄の王子が王女になってしまうとは…よほど女神の不興を買ったと見えますね…長い眠りより覚めましたが、いいものを見せてもらいました…」
「うるさいな…ルチル…そのお喋りな口を閉じろ。エリンに害を為すと分かれば、すぐにその首を絞めてやる。いくらお前でも黒の蔦は試されたくないだろう?」
ジュディスは手のひらから漆黒の蔦を出してその先を尖らせた。ルチルは芝居がかった仕草で両手を上げる。
「止めて下さいよ。それよりも先に…私の契約者を助けてもらわねば。真の番になるのが少しばかり遅かったようだ…私はこれでも時間稼ぎをしているんですよ?目覚めたばかりでさすがに心中する気はない…」
ジュディスはハッとしてエリンを見た。エリンは苦しげに息をしている。なぜだ?と考える間もなく、ジュディスは首に下げていた袋から種を取り出すとエリンの口に慌てて押し込んだ。
「飲み込め!大丈夫だ。まだ間に合う!」




