生きる喜び
ハーシェルとレイはエリンとヴェルダを連れて瞬間移動をした。通常なら途中で一ヶ所は経由すべき地点を設けるところをレイは一気に移動した。突然現れた四人に驚く素振りもなくジュディスが振り返り、ニコリと笑った。ブリジットと話していたルディはすっかり驚いて、一瞬狼の耳が出た。
「おかえり。思ったよりも早かったね…やっぱりか…ヴェルダ…このまま帰ったらお仕置きされるよ?」
「分かってます…あぁ…お姉さま…」
ヴェルダは不意にジュディスの方に歩み寄ると抱きついた。ジュディスはヴェルダを抱きしめて頭を撫でる。血を交わした親和性によるものだったが、ハーシェルは目を見開いた。
「よしよし、市場は人が多いから疲れただろ?楽園の空気に慣らされていたら、違和感を覚えるように身体が躾けられてしまうからね…」
ジュディスは近くのソファーに座ってヴェルダを抱きしめたまま蔦を出すと丸くドームを作ってその中でヴェルダを癒す。アデルバートはちらりとエリン皇太子を見て眉をひそめた。
「体調が優れないようだな。ヴェルダには罰が下らないようにしておく。君は西の王子とアドルファスと皆で出かける予定だった。私は許可を出したがその紙をうっかり神官長が不在の執務室に置いてきてしまったことにでもしよう…」
エリンはここにアデルバートがいる事実に理解が追いつかず慌てて頭を下げた。アデルバートは大股にエリンに近づくと不意に彼を抱擁する。父王にもそうされたことのないエリンはすっかり動揺してしまった。
「君は困っていてもなかなか口にできないのか。厄介な性格だな。私に弱音を吐いたところで東の国益には何の影響もない…ヴェルダと番になったのか?その割には絆がまだ弱いな…互いの心を繋ぐにはレイ王子のように紋章を刻むと良い…私は紋章には賛成派なのだよ。番の心が安定するし…互いの魔力を共有出来るようになって混ざるんだ…そうするうちに心の距離も自然と近付く。身体を繋いだだけでは魂は結びつかないのだよ。互いの中にある恐れを認め合って理解しなければ真の意味での番にはなれない。君が本当に恐れているのは死か?それとも生きることか?君は心のどこかでヴェルダを自分の人生に巻き込むのが怖いのだろう…」
アデルバートの言葉にエリンはハッとしたように顔を上げた。言い当てられたことにエリンは殴られたような衝撃を感じその場に崩れ落ちそうになった。不意に蔦のドームの中からジュディスの笑い声が聞こえた。
「そりゃ怖いに決まってるよ。私だって怖い。何なら今だって怖いよ。私はレイの運命を変えてしまったからね。でもそれが生きるということだ。私の紋章を見たら、ヴェルダも欲しいって言ってるよ。本来は紋章の刻む痛みを雄に理解させて、気軽に雌の身体を傷付けるのを止めさせようって思ってたんだけど…私の意識がちょっと変わっちゃったんだよな…」
ジュディスはドームを縮めて蔦でゆるくヴェルダを抱いた状態にした。ヴェルダはジュディスの肩に頭をもたれてとろんとした顔をしていた。ジュディスはヴェルダの頭を撫でる。ヴェルダは巣穴に入ったような気持ちで安心していた。
「陛下、そろそろ種が出来きそうなんですが、エリン皇太子の胸の呪いに潰して塗ってみてもいいでしょうか?」
アデルバートは片手の蔦を伸ばしてレイの肩に触れた。小さく弾ける音がした。手のひらのように広がった蔦の葉がレイの種を受け取る。アデルバートの左腕に絡みついた蔦の種もパリパリと音を立てた。驚くエリンの目の前でエリンを抱いた腕の種が弾けた。
「おっと…!」
慌ててハーシェルがこぼれた種を受け取る。アデルバートは笑いながら、蔦の葉で受け取った方の種をレイの手に渡した。
「ハーシェル、一粒飲んでもいいぞ?前から興味はあったのだろう?」
「えっ?いや…だが…それは…」
「寿命が引き延ばされるのは嫌か?私と西の客人は蔦持ちを増やして精霊の目覚めを促そうと思っている。その協力者を募っているところだが、蔦を悪用しない者にしないとな」
アデルバートはそう言って確かにちらりとジュディスの方を見たようにハーシェルは思った。ハーシェルは拾った種をアデルバートの手に渡す。飲まないつもりかと彼は思ったが、ハーシェルはアデルバートの顔を見ると意を決したように口を開いた。
「飲ませてくれ…自分で飲んでは…価値が下がりそうだ」
「分かったよ」
アデルバートはエリンの肩を叩いて待つように言うと握った種の中から一粒選んで指先につまんだ。
「雌なら口付けで与えたいところだが…ま、この程度でいいだろう…」
アデルバートはハーシェルの額に口付けをすると、その口の中に種を押し込んだ。ハーシェルは難しい顔をしたままそれを飲み込む。次にアデルバートは室内のガラス戸棚の中にあった乳鉢を取り出すと種を潰し始めた。油を注いで少し柔らかくしたものを切った布に塗りたくるとエリンの胸の網目模様にぺたりと貼り付けて手際良く包帯で固定した。
「これで少し試すといい。私の種とレイの種ではまた少し含まれる成分が異なるかもしれないから、いくつか試してみるといいだろう…痒みや痛みが出たら外してしまっていい。そのときは方法を変えたほうが良さそうだからな…」
そう告げたアデルバートがじっとジュディスの顔を見つめたので、ジュディスは首を傾げながら言った。
「…もしかして…また交配しようって思ってるのか?別に私は構わないけど…」
アデルバートはジュディスの胸元にちらりと見える紋章を見つめながら頷いた。紋章を刻んだただそれだけのことなのに、そこにいるのが極上の雌に見えた。アデルバートはジュディスの伸ばした左腕にたった今種を取った左腕を伸ばした。二人の手から自然に蔦が現れて中空で絡まって動きを止める。やがて蔦は静かに離れ、二人の肩の辺りに丸まって定着した。
「これが…精霊の蔦の…交配…」
ハーシェルはたった今目の前で起こった光景を信じられずに小声でつぶやいた。
「レイ王子も種を飲むか?」
「陛下も…飲みますか?」
二人は種を一粒取って互いの口の中に入れる。アデルバートはレイの手を掴んで不意に匂いを嗅いだ。
「王子の種は良い香りがするな…」
「そうですか?」
「これが始祖の血のもたらす香りなのか…?」
「そうかも知れませんが…皆が変な目でこちらを見ていますよ?」
「気にするな。南では男色も雄のたしなみのうちに数えられる…厳密には王子は雄のみではないらしいしな…」
「ですから…余計にまずいと思いますが、陛下」
アデルバートはハハッと笑うと、ハーシェルに向き直る。
「ハーシェル、とりあえず残りの種をしまいたいから、何か袋をもらえないか?」
「あ、あぁ…」
ハーシェルの出した袋の二つにアデルバートは種を分けて入れた。
「王子の種とは色が異なるから混ぜても分かるな。明るい色の方が王子の種だ」
レイも半分ずつ種を分けると、アデルバートは一方の封筒をレイに渡した。
「エリン皇太子は塗った箇所に効果があるようなら、この種を飲んでみて構わない。魔族の血を引く君の寿命から考えると、蔦持ちになったからといって大幅に寿命に影響が出ることもないだろう…いずれにしても今夜ヴェルダと共に私の執務室に来なさい。君は少し生きるのに必要な喜びも学ぶべきだ…」
ヴェルダはようやく蔦で全身を巻かれた状態からは解放されていたが、ジュディスが片手から出した蔦の先がまだヴェルダの片方の手に巻き付いていた。エリンの視線にアデルバートが言った。
「ヴェルダを見ても分かるだろう?蔦を有した者が側にいると落ち着くんだ。植物の気配があるからだろうな。君の呪いに対抗出来るのは君自身の生きる力ではないかと私は思っている。それには少しだけ外部からのお節介が必要だということもね。ここ数日、第二王子の夜会に顔を出していないと思ったらそういうことだったのは分かったが、夜会にヴェルダを呼ばれても応じてはいけないよ。どうしてもと言われたら西の王子と婚約者も誘うといい」
アデルバートの言葉にレイはピクリと眉を上げた。
「君たちも第二王子の宮には興味があるだろう?」
「まぁ…それは…否めませんが」
(明日の午後に第一王子の離宮を訪ねる予定だ。王子の体調次第だが…安定しているなら面会も可能だから…会ってもらえると助かる…)
(…王子に蔦の種を…与えますか?)
(まだ決めかねているが…与えるなら…第三王子と私の種を使うべきなのだろうと…思ってはいるよ)
アデルバートとレイは心の中で会話をした。ジュディスも小さく頷いたところを見ると会話を共有していたのだろうとレイは思った。
「さて、それでは帰ろうか。店の裏に荷馬車が来る。皆はそれに乗るといい」
「あの!アドルファス王子がまだヴォルフラムさんの店にいるんですが!」
慌ててレイが告げると、アデルバートは豪快に笑った。
「まったく、あの悪趣味な変装は誰の影響だ?分かっている、先にそちらに寄るように伝えておいた」




