ハーシェルの店
ハーシェルの店はそう遠くはないということだったのでブリジットはブルーノをヴォルフラムの店に残して、ルディの案内のもとジュディスとレイと共に市場の雑踏を抜けた。甘辛い旨そうな匂いが漂ってきて、長い串に野菜と肉を刺して炭火で焼いている白髪頭の男性がルディを見て笑った。
「今日は手下のガキ共は一緒じゃないのか?随分と珍しい…」
そこまで言って白髪頭の男性は日除けの布に隠されたレイの顔を見て押し黙る。明らかに身分の高い人物だと分かったようだった。レイは唇に人差し指を当てる。
「その串を四本買いたいな。小腹が減った」
ジュディスがニッと笑って小銭を手に渡す。
「あの…こんな所で買い食いしても…大丈夫なんですか?」
小声でルディが言うのでジュディスは笑ってしまった。
「腹が減ったら食うだろ。こんなに旨そうなのに」
「…どうぞ」
恐る恐る男性は串を差し出した。
「ルディも食え。成長期だろ?」
自分よりも小柄なジュディスに渡されてルディはごくりと唾を飲み込んだ。ルディも熱々の串を頬張る。
「やっぱり香辛料の配合が絶妙なんだよなぁ」
ジュディスは串にかぶりつく。ブリジットも戸惑う様子もなく堂々と食べていて、ルディはとても奇妙な感じがした。
「ナイフもフォークもないところで立ち食いしてるのが、そんなに変か?私はそういうのは気にしないんだ。旨い物は誰と一緒に食ったって旨い」
ブリジットまでがそんなことを言って笑う。
「俺は…王立学園に通わせてもらってますけど…身分の高い方の校舎には入れません…食堂だって別ですし…食事の作法も違うと聞いていますから…」
「西も残念ながら食堂は別だな。反対する貴族連中が多くて。講堂は原則合同で使用しているが、やはり暗黙の了解で座る場所は分けられている…ま、合同の利点は平民から優秀な者を見つけて在学中に親睦を深めておいて部下に抜擢できるということくらいだろうな。逆に言えば進んで貴族に取り入る者だっている…ルディは将来はどうするか考えているのか?」
ブリジットに問われてルディは考え込んだ。
「…王宮の警備兵になりたいですけど…父の出自から行くと無理だろうって…なので…酒屋を継ぐくらいしか選択肢はないでしょうね…」
「なるほどね。西では出自を気にする者は一度養子に出るという手法を使う。ルディにだって絶対に不可能ということはないさ…ま、それに値する腕前かどうかにもよるが、血統的に見るなら悪くはないはずだ。二人とも剣豪だからね」
ブリジットは食べ終わった串を近くの箱に入れるとぺろりと唇を舐めた。ルディはドキリとする。母親の上官だったときの姿を見ていなければうっかり恋に落ちていたかもしれないと思って妙な動悸がした。こんな気持ちは初めてだった。
「ごちそうさま。旨かった」
ジュディスも満足したように笑う。
「じゃ、行こうか」
その後もルディは他の店主に声をかけられたりしながら進む。この前のお礼だと、果物を渡してきた店主もいた。ルディは人気者なのだなと思ってジュディスは歩く。市場を抜けて横道に入ると少し怪しげな店が並ぶようになった。媚薬を店頭に並べた店の前を通る。レイはチラリと見て、その媚薬が単なる疲労回復の薬だと見抜いたが、何も言わずに通り過ぎた。違法な薬を扱わないだけマシだろう。その通りの奥にハーシェルの店があった。壁に立派な鹿の角が飾られているが扉は見当たらない。ルディが壁を叩くと中から明らかに不機嫌そうな声がした。
「客なら間に合ってる、お断りだ」
「ハーシェルさん、僕です、ルディです。父から手紙を預かってます」
しばらくの沈黙の後に突然目の前に現れた小窓が開いて、背の高い赤茶色の髪の男性がそこからルディを見下ろした。ルディの差し出した手紙と酒の小瓶を受け取って、ハーシェルはフンと鼻を鳴らす。
「珍しい上に気に食わないな。あのヴォルフラムを懐柔するなど…どんないかがわしい手を使ったのやら」
ハーシェルの言葉にルディはヒヤヒヤしたが、ブリジットが微笑んで口を開いた。
「…薬草と種の代金は物によっては物々交換も可能だと聞いたが…ときに竜の鱗は一枚でどのくらいの価値がある?」
「竜の鱗?ふざけたことを言うのも大概にしろ…」
ハーシェルは目の前の美少女を見下ろす。二人はじっと見つめ合っていたが、先に目を逸らしたのはハーシェルの方だった。彼は少しよろめいて鼻を拭う。指先に血がついたのを見たレイは呆れてブリジットに言った。
「こんなところで止めて下さいよ…ハーシェルさんだったからこの程度で済んだかもしれないけど…」
レイは片手でハーシェルを止血して頭を下げた。先ほどから物陰でこちらの様子を見ている男たちがいるのにレイは気付いていた。気配は抑えられているが手練れな予感がした。
(すみません…竜を連れてきてしまって…ですが、鱗があるのも本当です。誰の鱗か知ったら耳をそばだてる連中が強盗を企てるかもしれませんから…とりあえず中に入れていただけませんか?)
ハーシェルはこれが西の王子なのかと思って雌のような美しい顔をちらりと見た。第一印象としては、西の現国王に面差しはとても似ているが、近くで接するとかなり変わった気配だということだった。本当に人かどうかも疑わしい。このような気配の人間に彼は今まで会ったことがなかった。
「…入れ」
ハーシェルがぶっきらぼうに言うと突然壁が開いて出入り口が現れた。四人が入るとまたそこは瞬時にして何の変哲もない壁に戻ってしまう。強固な魔術で守られているようだった。扉を最初から作らないのが面白い、とジュディスは密かに思った。
***
「ルディ…お前の父親はいつから貴族にも尻尾を振るようになったんだ?昏き森の人狼が聞いて呆れる…」
「僕に言われても困ります。お使いから戻ってきたらすでにこうなってましたし…それにアドルファス王子が連れてきた西からの大切なお客さまですよ?ハーシェルさんこそ、少しは礼儀作法をわきまえた方がいいと思います」
「ガキが一人前の口を利くようになったな…アドルファスか…あのガキも西に送られて少しはマシな雄狼になったのか?ヴォルフラムの店に転がり込んでいた頃は、本当にこまっしゃくれた可愛げのない奴だったが…」
なんとなく想像がついてジュディスとレイは思わずニヤニヤしてしまう。ハーシェルは二人の顔を見て咳払いをした。
「俺は王族だなんだという理由で頭を下げたりはしないで生きてきた。かつての首領の頼みだから入れたが、本来なら身分の違う者とは関わらない主義だ。この店にも時折いかがわしい薬の取り扱いがないかと尋ねてくる貴族連中の使いも来るが、毎回追い返している…」
「…だけど、そう言いながらもアデルバートは入れるんだな…かすかにだけど…気配が残ってる…じゃあ鱗はもう手に入れていたのかな…?」
ジュディスは鼻を動かした。ハーシェルは気付かれるはずもないと思っていた消し去ったはずの微細な気配を読まれたことにギクリとする。ジュディスは建物の二階に目をやって首を傾げた。
「…まだいるのか?」
やがて店の奥の階段がギシギシと鳴って、まさかここにいるはずのないアデルバート国王陛下が気まずそうな顔をして降りてきた。
「困りますねぇ…気付いても黙っていてもらわないと…説明が手間じゃないですか…それに部下を巻いてきてしまったから出るに出られないんですよ…」
「悪い…多分部下なら物陰からずっとこの店をじろじろと見ていたよ」
ジュディスが苦笑するとアデルバートはジュディスの前に膝を折る。一同がギョッとする中、アデルバートはジュディスの手の甲に口付けをした。
「ハーシェル、私は彼女には決して頭が上がらないのだよ。こんな店に何をしに来たんです?」
「うん?どっちかと言うとお使いかな。西の教授に頼まれた買い物があって。これがそのリスト」
ジュディスは中空に記憶を呼び出す。ハーシェルからも見える。何を作ろうとしているのかも分からない南原産の薬草と植物の種の名前が書かれていた。
「他には紫の魔石があれば欲しいかな。満月の夜にもう一回くらい魔法薬を作っておけばいいかなって…」
満月の夜と聞いてハーシェルは目を見張る。そんな夜に作る魔法薬の種類は限られている。
「まさか…古代術式の…再生の魔法薬…?」
「話が早くて助かるな。作ったら王宮に置いてくよ。アデルバートの大事な人に使うといい」
ジュディスは笑う。
「フレディの鱗は何枚渡したのかな?」
「やれやれ…そこまでお見通しとは」
アデルバートは苦笑すると片手で数を示した。
「宮廷お抱えの薬師よりも、ハーシェルの作る薬の方が精度が高いんですよ。本当は近くのレオナルド教授に頼もうと思ったんです。彼の腕前も信用してるので…ただ、ちょっと想定外のことが起こっていて頼めなかったので、こちらに来たんですよ…」
「あぁ…なるほど。番を得たばかりの教授に頼むのはさすがに陛下でも気が引けますか…」
ブリジットの言葉にアデルバートは目を丸くしたが、やがて破顔した。
「なんだ、もしやあれは君のしわざか?レオナルド教授の気配が変わったと思ったら…まったく、あんなに気まずいのは久しぶりだったよ。教授があそこまで情熱的な振る舞いに出るとは思ってもみなかったんだ…助手も驚いたに違いない…何しろ満月の夜でもないのに真っ昼間から獣の姿に戻っていたからね…」
「それは申し訳ございません。昨夜、陛下とジュディスの間にできた種を強引に飲ませてしまいました。教授が欲しがった訳ではありません。少し背中を押せたらと思っただけです…他意はありません」
ブリジットは頭を下げる。アデルバートはニヤリと笑った。
「いや、むしろよくやったというところだ。彼は獅子のくせに昔から慎重すぎるところがあってね。もっと本能の赴くままに行動して欲しいと常々思っていたんだよ。大丈夫だ。彼が一族から離脱しても、この先どうとでもなる。前々からあの助手にも興味があったしね。教授と番になってどんな子が生まれて来るのか…個人的には楽しみだよ」
話している間にハーシェルは必要な薬草を魔術で呼び出して手早くまとめていた。
「紫の魔石は王宮に備蓄があるからそれを使うといいですよ。魔獣討伐隊が定期的に持ち込むのだが、我が国で古代術式を操る者はハーシェルくらいだからね。減っても限度があるから余っているんだ…」
店の奥に保管していた種を持って現れたハーシェルは、アデルバートと屈託なく話す三人と少し苦笑しながらそれを見つつ、ルディに話しかけている西の王子の気遣いを見た。陛下が膝を折るからには訳ありなのだろうとハーシェルは小柄な少女を見る。髪の色は豊かな翡翠で、純血のフォス族と言われれば信じてしまいそうに美しい見た目だった。この顔をどこかで見たことがある、そう思ってハーシェルはゾッとする。
(いや、そんなバカな…あの方の…血縁…?)
ハーシェルは思い付いた可能性を即座に否定する。西に連れ去られた後の消息は不明だ。死んだとも行方不明のままだとも言われていた。だが国王であるアデルバートが膝を折る相手をハーシェルは他には知らなかった。ジュディスは不意にハーシェルの方を見るとふわりと微笑んだ。ハーシェルは不穏な動悸に慌てて目を背ける。不躾に見過ぎたかと思った。
「種も揃ったから、支払いは竜の鱗でもいい。なにせ西の英雄フレディ・クロフォードの鱗だ。媚薬に混ぜたら雌が長蛇の列を作りそうだな」
ハーシェルの言葉にブリジットはフンと鼻を鳴らした。
「私の鱗もそのくらいの高値をつけてほしいところだが、あいにくと、ごく一部の好事家しか買い取ってくれないんだ。ブリジット・ロウ…南の砦の人狼の青い鱗に君なら幾らの値をつける?媚薬にするなら、多分私の方が効くぞ?」
ブリジットはそう言うと袋の中から青く透ける美しい鱗を取り出して、ハーシェルに向かって意味深な笑みを浮かべた。




