ヴォルフラムの過去
「ふぅん、懐かしいその呼び名を知っているということは…ヴォルフラムは、奴隷にされる前は…兵士…もしくは盗賊でもやっていたのか?」
ブリジットはニコリと微笑んだ。ヴォルフラムは先ほどアドルファス王子を頼むと言ってしまったことを早速後悔した。人狼はまずい。およそ人間離れした剣筋で魔獣を斬り伏せるのを見たことがある。それで彼は命拾いした訳だが、それで真っ向から戦うのだけは絶対に止めようと思った。
「兵士…?そんな上品なもんじゃねぇです。俺は元は…お察しの通り盗賊だ」
「南の砦の人狼…師匠も色んな名前を持っているんですね…」
それを聞いても恐れもせずにレイが苦笑する。レイは立ち上がると魔力でブルーノの身体をそっと固定してブリジットに言った。
「代わるので、どうぞ。積もる話もあるでしょ?」
「気の利く弟子で助かるよ」
ブリジットは立ち上がるとレイの頭を撫でる。ヴォルフラムは急に身長が伸びて目線の同じになった相手にたじろいだ。最初は男だと思ったが間近で見ると自信がなくなる。気配が読めない。鉄と血の香り。濃厚な竜の気配にめまいがしそうになる。
「あの…それで…あなたはどっち…なんです?」
「どっち?南は雄だ雌だとうるさいな、まったく。それがそんなに気になるのか?だったら言うが、どちらもだ。肉体的には雄でも雌でもある。精神の在り方を質問しているなら私は雄だ。夫は便宜上の存在でしかない。家門の都合で出生の記録は女となったままだから夫が必要らしくてね。まったく…面倒だよ」
ヴォルフラムは分かったような分からないような顔をした。ただ人狼が男とも女とも噂されていた理由は理解した。クロエの前に立ったブリジットはクロエの持ったままの籠をテーブルの上に置くと、クロエを抱擁する。クロエの頬が赤くなる。ヴォルフラムは内心、困惑していた。紛れもなく自分よりも強い雄だと認めざるを得ない。
「司令官…」
ブリジットはクロエのこめかみの横から頭に残る長い傷跡に指を当てると撫でた。
「あ…私…頭を怪我していて…記憶が戻るまでに時間がかかってしまったんです…その間に…その…色々とあってこうなりました…」
クロエは口ごもってヴォルフラムの方を見る。ブリジットはその胸元に鉤爪の紋章を見つけた。家紋のない者が用いる印だったが、他の雄を牽制する効果はあるのを知っていた。
「…怪我してるのを若いのが拾ったんでさぁ。血気盛んな周りの奴らを黙らせるには、こうするしかなかった…だから当時は首領だった俺が…紋章を刻みました…悪いことをしたってのは…十分承知してますよ…死なせてやらないで…強引に番にしたんですから」
ヴォルフラムは気まずそうに頭を掻いた。
「いや…別にヴォルフラムを責めはしないさ。敵の手に渡ったらどうなるかは皆分かっている。だからそうなったときには真っ先に死を選ぶ。死なせなかったのなら手下の好きにさせなかったヴォルフラムの選択はまともだよ。若いのに回して使い物にならなくなるまで余興を楽しむ奴らだっている…惨たらしい死体を何度も見た…」
ブリジットは司令官になる前に仲間の死体を回収したことがあるから知っている。戦争中はどんな蛮行も起こりうる。ヴォルフラムは不意にクロエから目を逸らした。
「クロエ…故郷に…帰りたかったら帰ってもいいんだぞ?俺に引き留める権利はねぇ…」
ブリジットの腕の中で大人しくしていたクロエの顔に怒気が走る。クロエは不自由な足でヴォルフラムの方へと歩み寄った。
「帰りたかったら記憶を取り戻した時点でとっくに帰ってるわよ!!」
クロエはヴォルフラムの頬を勢いよく叩いた。パンッと小気味の良い音が鳴る。ヴォルフラムは頬を押さえてよろめいた。
「事ある毎に帰れ帰れって…いつまでも女々しいったら!」
「ただいま…あ、いらっしゃいませ。何、また父さんとケンカしてるの?止めなよ。父さんもさ…母さんとケンカしたって勝ち目はないんだからさ」
入ってきたのは年の頃十二、三歳に見える少年だった。ヴォルフラムの子だけあって長身だ。少年は奥にいるジュディスとレイの顔を見ると驚愕の表情に変わる。
「し、失礼しました。母さん!エテルネルの王子さまと婚約者の前で何をしてるの?え?この方はいったい…どちら様ですか?母さん…まさかとは思うけど…本当に父さんに愛想尽かしちゃったの?」
「ルディまで何を言ってるの。この方は…母さんが昔いた南の砦の司令官だった方よ。偶然再会しただけよ」
「…でも、父さんよりも身分も高いし、きっといい暮らしをしてるんでしょ?母さんを略奪するならどうぞ。僕は止めません。母さんはここにいるのはもったいないような人ですから」
「もう…!ルディまで何を言い出すのよ!私はあなたのお父さんと望んで番になったのよ!周りにはいつも無理矢理番にしたなんて言ってるけど、そうじゃない。怪我した私を看病してくれて…私の置かれた状況も含めてきちんと説明してくれたわ」
「おい、よせ…昔の話はもういいだろう…」
ヴォルフラムが焦って口を挟む。クロエは黙らなかった。
「父さんに思いを告げたのは私の方。好きだって言ったわ。それで番になってあなたが生まれた…。その後は分かるでしょう?盗賊の襲撃に遭って、私たちは奴隷になった…私とヴォルフラムは報酬の高い危険な試合で賞金を稼いで…やっと奴隷じゃなくなった…ドジって私は片足をなくしちゃったけどね。司令官…すみません。風の便りに…私のことを探していると…耳にしたことがありました…。でもそれを知った頃には私だけの問題ではなくなっていたんです。家族がいたので…この人は見かけほど悪い人じゃないんですよ…私の義足を作るのに…片目まで売ってしまうんですから…」
話を黙って聞いていたジュディスは微笑むと立ち上がった。
「ブリジット、やっぱりこれは元部下に今までとても苦労した分の正当な補償として受け取ってもらうべきだと思うよ?どうかな?」
「そうだな。生きていたなら君に支払われるべきだった報酬とでも思ってほしい。使い方は説明した通りだ。古代術式の再生の魔法薬。満月の夜に失った足と目を取り戻すといい。想い合っている相手とならより一層効果がある…」
ブリジットは微笑むとクロエの白金の髪を撫でた。
「ただ…君が亡くなったと思って悲しい思いをしているご両親に孫の顔を見せに行くくらいはしてもいいと思うよ?留学期間が終わって帰国の際に同行できるなら…家族でエテルネルを訪問するのもいいかもしれない。クロエはミシェルの従姉だよ。ラウレンティス家の親戚だ」
今度こそギョッとした表情になったのはヴォルフラムだった。ヴォルフラムでもラウレンティスの名は知っているようだった。クロエは苦笑した。
「ヴォルフラム…私には伯父上ほどの才覚はないわよ。だから安心して」
「そういう問題じゃねぇ…だったら…クロエは貴族のご令嬢じゃねぇか…俺は…なんてことを…」
「しがない平民の兵士だって言ったことなら謝らないわよ?そのときは記憶を失っていて本当にそう思い込んでいたのよ。自分が嫌で変わりたいって思って理想の自分になろうと無意識に思っていたのかもしれない。でも実際の私は…世間知らずのお嬢様で南の砦で現実を知るまでは、高慢ちきでとっても嫌な奴だったのよ。司令官はそんな私も見捨てないで、人との関わり方を教えてくれた…だからヴォルフラムは私がきちんと向き合おうと思った初めての男性なの。半獣人だとか義賊だとかそういうのは関係なかった。あなたは貧しい民の味方だったでしょ。だから後から記憶を取り戻しても…貴族だなんて余計に言えなかった…ずっと騙していたのは私の方よ…嫌いになった?」
「……今更だよなぁ。そんなんで嫌いになれるほど…お前のことを知らない訳じゃない…それにさ、お前気付いてないだろうけど…食べ方や所作が…やたらと綺麗なんだよ…平民じゃねぇなとは…薄々思ってた…」
ヴォルフラムは深いため息をついた。黙って聞いていたルディが口を開く。
「父さんも母さんも…本当に秘密が多いよね?義賊って言ったよね?俺…父さんがめちゃくちゃ凶悪な元盗賊で闘技奴隷時代に何百人も奴隷を殺して賞金を稼いで平民になったって話で…小等部でもいじめに合わずに済んでて一応やんちゃな悪ガキを仕切ってるのに…蓋を開けたら何だか話が違うじゃん。困るよ…そういうの。母さんも母さんだよ。貴族??ってどのくらいの貴族?」
「……公爵家よ…でも…名誉のために言っておくと…奴隷になった頃なのよ。自分の記憶をようやく取り戻したのは。試合の最中に打ち所が良かったのか悪かったのか、全部思い出しちゃったのよ。だから今更よ」
「公爵家って…なんだか雲の上みたいな話で現実味がないや…もういい、とりあえず聞かなかったことにしておく!」
不意にルディは奥の席で水パイプを吸っているジュディスに気付くと慌てて駆け寄った。
「ダメです…!これはまだ…」
「うん?」
ジュディスはふぅと煙を吐き出すと微笑んだ。
「悪いな。紛らわしい見た目で。これでも十四なんだ。小柄な種族の血が混ざっていると、成長してもあんまり大きくなれなくてさ」
ルディは勘違いしたことに更に慌てて真っ赤になって頭を下げる。てっきり自分と同じかそれよりも下だと思ってしまった。
「失礼なことを言ってしまい申し訳ありません!!」
「いや…真面目にちゃんと見てて偉いよ」
ルディはレイの肩にもたれかかって眠っているやたらと派手な格好の人物がアドルファス王子だとは思わなかったらしく、不審そうな顔をした。
「少し疲れてるようだから、寝かせてやって」
レイは小声でそう告げるとまるで恋人にするかのように、ブルーノの黒髪を撫でながら微笑んだ。




