市場
その頃、レックスがそんなことになっているとも知らずにレイは市場の雑踏に紛れていた。ようやく露店を抜けてお目当ての酒を取り扱う店に入ると、口に煙草をくわえた狼の店主がいかにも怪しいといった鋭い隻眼で四人をじろじろと見た。胸元に大きな傷跡があり腕にはタトゥーが入っていた。開口一番にガラの悪そうな彼は言った。
「ガキに売る酒はねぇよ」
中でも一番怪しい金縁の眼鏡をかけて、まるで成金趣味の商人の息子のように金の腕輪をじゃらじゃらとつけたブルーノが日除けの布を外す。日除けの布までが色とりどりの南国の花が咲き乱れる全体的に派手な模様だった。言ってしまえば下品だ。
「ヴォルフラム、ご挨拶だな。僕がいなかったら、君は違法薬物販売の罪を着せられて、首と胴が泣き別れになってた筈じゃなかったかな?」
ブルーノが眼鏡を外すと、彼は慌てて煙草を揉み消し、魔力で空気を入れ替えた。手際の良さにジュディスは興味を持つ。単なる酒場の親父にしては妙に魔術に長けている。
「な…アドルファス王子!?何だってそんな珍妙な格好で現れるんですか!!驚かさないでくだせぇよ」
「どうだ?ここまで派手で下品だと服装に目が行って誰だか分からなかっただろう?」
ブルーノは得意そうに言って、店の奥のテーブル席に三人を手招いた。水パイプがある。ブルーノは手慣れた様子でボトルに水を注ぎ、上に香り付けされた葉と魔力で熱した炭を載せた。ジュディスの視線にブルーノは振り返る。
「何?」
「ブルーノは…タバコを吸うのか?」
「あぁ…この葉はタバコじゃないよ。似てるけどヴォルフラムの吸ってる葉とは違うから未成年でも合法な薬草。ただし十三歳以上」
皆が座るとブルーノはゆっくりと深呼吸するようにパイプを吸い、煙を肺に入れてすぐに吐き出した。吸い口を外そうとするとジュディスは笑った。
「気にしない。そのままでいい。その格好で吸ってるとかなり悪い男に見えるな」
ジュディスは笑いながら自然な動作で受け取って同じように吸う。慣れている。ヴォルフラムが眉をピクリと動かす。子どものような美少女が堂々と吸っているのを見ると違法なことをしているのを見ているような気になった。実際に法に触れるギリギリの使用方法もある。香り付けの際に媚薬を混ぜたものを吸わせるなど、使い方次第によっては危険な場合もあった。
「大丈夫…使い方は知ってます。それに…これでも一応十四にはなってるので…」
ジュディスはヴォルフラムに向かって微笑むとレイに渡す。レイも真似しようとしたが吸った後に少しむせてしまった。むしろ初めてなら通常の反応だ。レイの手からブリジットが受け取る。当然のようにブリジットは優雅な仕草で吸い込むとブルーノに戻した。ヴォルフラムはブルーノにパイプを回せるほどに親しい者が現れた事実に少し感動していた。そしてわざわざ自分の店に連れてきたことに関しても。
「彼は昔からの顔馴染みなんだよ。僕にお酒の味と奴隷との遊び方を教えてくれたとっても悪い人だけどね」
「ちょっ…人聞きの悪いことを言わないでくだせぇ…ま、事実っちゃ事実ですけど、頼み込んできたのは王子の方じゃないですか。あの…お連れの方々は…もしや…」
椅子に座った三人を見て、ヴォルフラムは急に嫌な予感に襲われた。
「うん、こっちが西のレイ王子とその婚約者のジュディス、それから詳しくは言えないけど竜のブリジット」
「こら、言ってるじゃないか」
ブリジットがブルーノの足をテーブルの下で蹴る。ヴォルフラムは慌てた。王子だと知ってなお蹴りを入れるこの美少女がどうやら竜らしい。王子と婚約者は驚くほどに魔力も気配も小さかった。目立つ魔道具はついていないと思って上から下まで観察してしまう。三人ともそれぞれに美しい。
「魔道具を探しても無駄ですよ?もっとも…すでに見えてるんですけど気付きませんか?」
レイは頭に被った日除けの布を指差した。よく見れば布の金糸の縫い取りと袖口の縫い取りも同じ模様だ。よくよく注意しないと分からないが、かすかに魔道具の気配がする。
「この服を作った糸が魔道具の代わりになっているんですよ。人前で裸になることは、追い剥ぎにでも遭わない限りはないと思いますから…」
レイはニコリと笑う。ヴォルフラムは女だと言えば信じてしまいそうな美しい顔の相手の笑顔に思わず見惚れて我に返る。
「で、今日は何をお求めで?あまりおかしなものを売ると…国王陛下に後から何を言われるか分かりませんから、あまり困らせないでくだせぇよ?」
「うん、今日は酒精分抜きの祝いの酒を買いたくてさ。僕らの友だちがめでたく番になったから」
「……アドルファス王子の口から友だちなんて言葉を聞く日が来るとは思いませんでしたよ…実際に聞くと…何やらゾッとしやすねぇ」
ヴォルフラムの言葉にブリジットは思わず吹き出した。
「君はいったいどんな子ども時代を過ごしていたんだ?友と呼べる者もいなかったのか?」
ブルーノは肩をすくめる。
「まぁ、僕もそれは大差ないから、君のことは笑えないな…一番最初にクレメンス以外で友だちになれたと思った子は、僕を狙う暗殺者だったよ?君の方もそうなんじゃないの?王子なんてものは多かれ少なかれ…寄って集って来る者たちの中から少しは誠実な者を見つけて便宜上それを友と呼ぶしかないんだ。違う?」
「…ここにレイがいてくれて良かったよ。少なくとも僕の冷めた感覚だけが異常だとは思わなくて済む」
ブルーノはレイを見て微笑む。ヴォルフラムはそう言っている間に棚からいくつか美しい瓶に入った酒を出してきていた。
「番になったお友だちは何歳なんですか?」
「ケリーは十四歳。ニーナはまだ十二歳だ」
ブリジットが答えると、ヴォルフラムは妙な顔をした。
「ニーナって…まさか…シェーラの娘のことじゃないでしょうね?」
「なるほどシェーラはこの辺じゃまだ有名人か。そうだよ」
ブルーノの言葉にヴォルフラムは途端に複雑な表情を浮かべた。
「そうですか…あのニーナが…もう十二歳なのか…いえ…昔は何度もニーナは家出を繰り返して…逃げてはお屋敷の連中に捕まって…あの子の幸せは子爵令嬢じゃなかったのにって思ってたんでさぁ…」
「ケリーの生家はエテルネルにありますからニーナは僕たちの帰国に合わせて一緒に連れて帰ろうと思っています…後は学園に対応を丸投げした子爵家が文句を言ってこないことを祈るのみですが…」
レイが静かに言った。
「文句を言うなら本当の父親が黙っていないよ。あれは思った以上に子煩悩だからな…」
水パイプを吸いながらブリジットが微笑んだ。そうして不意に店主の並べた酒瓶を見る。
「これと…これを買おうか。一本はレイとジュディスに贈る。身も心も番になったのだからな…なんだ、今日は紋章を隠しているのか。もったいない」
ブリジットはジュディスの付け襟をするりと外してしまう。ジュディスの胸元があらわになりエテルネルの紋章が現れた。
「……!!」
ヴォルフラムは危うくおかしな声を上げそうになり、目のやり場に困った。なぜ西の王子の婚約者の胸元に美しい紋章が刻まれているのかと驚く。ブルーノもジュディスの紋章を見つめてため息をついた。
「レイも…本気になると、とんでもないことを出来るんだってことが証明できたよね。僕は刻むつもりはなかったけど…これを見たら自信がないな…最近…番の絆は感じるのに…サフィレットの気配が…弱いんだ…」
ブルーノに水パイプを渡す素振りをしたブリジットはそのまま椅子を近づけてブルーノの肩を抱いた。
「…諦めが悪いだろう?ヴォルフラム」
ブルーノは店主を見て唇を歪めた。ブリジットはブルーノの頭を撫でる。
「消えていないなら望みはあるよ。ノアが鍵を壊したってことは…生きるためにやったのだと思うからね…夜通し探してはダメだ…身体も心もおかしくなる。少し休め…」
ブリジットはブルーノの目を片手で覆うと唇を重ねた。ブルーノは一瞬抵抗する素振りを見せたが途中で諦めたかのように力を抜いた。しばらくそうしていたブリジットは唇を離す。腕の中でブルーノは深い眠りに落ちていた。
「三十分でも深い眠りに落としておけば少しはマシになるだろう…寝不足は良くない」
ブリジットの腕の中でブルーノは年相応の寝顔を見せている。ヴォルフラムが感心したようにブリジットを見た。
「竜ってのは…もっと気難しい生き物かと思っていましたが、違うんですねぇ…昔っから王子はサフィレット嬢一筋で…見つかったと聞いたのは…間違いだったんですか?だとしたら…竜のお嬢さんが…どうか…王子の番になってやってはくれませんか?これほどまでに誰かに気を許しているのを見るのは…初めてなんです…」
ヴォルフラムが頭を下げる。
「…あいにくと…私には夫どころか嫁も子どももいてね…アドルファスまで私の呪われた運命に巻き込むわけにはいかないんだよ。私が出来るとしたらせいぜい疲れた身体を癒してやる程度だ…だが、もしも…本当にサフィレットを見つけられずにアドルファスの心が病むようなことになるなら…その時は何もせずに手をこまねくことはしないつもりだよ。そのくらいには、私だって彼のことを大切に思っているからね…」
ブリジットはブルーノの黒髪に指を絡めた。端から見れば恋人同士のように見える。ブリジットは水パイプを口に運ぶと憂い顔で煙を吐いた。
「ヴォルフラムさんは…恋人はいるんですか?」
唐突にレイに聞かれてヴォルフラムは慌てた。
「な…急になんですか。番がいますよ…王子みたいに美しくはありませんが…西の方はご存知ないかもしれないが…あっしも番も闘技奴隷出身でね、優勝賞金で身分を買った口です」
「…アンスリウム辺りですか?その片目も…その時に?」
ジュディスの言葉にヴォルフラムは目を見張る。具体的な地名を当てられるとは思ってもみなかったからだった。闘技奴隷の街がある。闘技奴隷はそこに集められて殺し合う。殺害を禁じられた今でも時折試合中に命を落とす者がいる。
「いや…この目は…身分を買うのに少し足りなかった分を売ったんでさぁ…番の治療費やら何やらもあって…あぁ、戻って来ましたよ」
「ただいま…お客さま?いらっしゃい」
籠を片手に入って来たのは左足が義足の女性だった。番というだけあって狼の気配が混ざってはいるがこの辺では珍しい部類であろう人間だった。ヴォルフラムは謙遜したが十分に美しい。
「…目と膝から下なら…手持ちで足りるかな…」
ジュディスが腰に下げていた袋から無造作に小瓶を二つ取り出した。菫色の魔法薬が入っている。
「ヴォルフラムさんはアドルファス王子の心の拠り所みたいだから…これを差し上げます。次の満月の夜に…必ず二人で飲んで心からの口付けを交わして月の光を浴びて下さい。古代術式の再生の魔法薬です…ちょっとした私の趣味で作った物ですが、良かったらどうぞ。同じ説明はラベルにも書いてあります」
何でもないもののように、とんでもない物を出してきたジュディスにヴォルフラムは驚愕した。このご時世に好き好んで難解な古代術式の魔術に挑戦する者がいること自体が驚きだった。しかも。
「こ…こんな高価なものはいただけません…」
ヴォルフラムは首を振る。ジュディスは苦笑した。
「抱えるほどの大きな瓶にたっぷり作ったし、材料さえあればいつでも作れるから大したものじゃないんですよ。術式の展開が少し長いだけで、他はどうってことはありません…そうだ、私が無事に十八まで生きることができていたら、そのときはこの店で一番高いお酒を一杯飲ませてくれませんか?代金はそれでいいです」
「ジュディス…君は十八になるまで絶対に生きるし何が何でも僕は離さないからそれ以上長生きして、僕と一緒に悠々自適な隠居生活を送るんだよ」
レイの口から今度は隠居生活という言葉が飛び出す。ヴォルフラムはますますどんな表情をすれば良いのか分からなくなった。奴隷だった頃のいつ死ぬか分からない日常が、こんなにも若い彼らにはまだ続いているのだろうかと思う。
「なに、地底の悪鬼が今すぐ目覚めると決まった訳でもないだろう。それまでに蔦持ちを一人でも多く増やせばこちらにだって勝算はあるさ…悲観するな」
ヴォルフラムの番までが驚きの表情でブリジットの方を見つめる。ブリジットはブルーノを起こさないように慎重にその女性の方を振り返り、その顔を見つめ返すと小声で囁いた。
「…クロエ…?クロエじゃないのか?」
女性はブリジットを見て不思議そうな顔をする。ブリジットは変装を解いて、元の姿を見せた。女性の顔が驚愕のそれに変わる。ヴォルフラムはもっと仰天した様子だった。
「まさか…ロウ…司令官!?」
「生きていたのか!行方不明で捜索したが見つからず…どこに行ったかと思えば…!」
「二人は知り合いなのか?」
互いに驚きの声を上げる二人をちらりと見てジュディスが小さくつぶやいた。ヴォルフラムは二人の顔を交互に見つめて、やはり小声で言う。ブルーノの眠りを妨げないように。
「ロウ司令官だって?まさかブリジット・ロウ?南の砦の人狼!?」




