新たな紋章
同じ頃、ジュディスとレイはニーナの治癒をしていた。ケリーは内心で残りの全ての紋章を消したいと言ったことを後悔していた。
(だって、こんなやり方するなんて聞いてない!)
最初に紋章を消した際は指先から蔦を出していた。だからてっきり同じ方法で消すのだとケリーは思っていたのに、全て消すと言ったらジュディスは別の手段を選択した。
「じゃあこっちの方が早いし身体への負担も少なく済むな。ニーナ、いい?私が舐めても」
「えっ?な、舐める?そんな…あの、嫌って訳じゃないです、ただ私の身体にそんな…申し訳なくって…」
「だったら気にするな」
それからしばらくジュディスはニーナの胸元の傷を熱心に舐め始めた。レイは蔦を使って痛みの緩和を行っていたが、見慣れているのか平然としていた。それもそのはず、レイの身体の傷を薄くするのにせっせとジュディスは今の方法でレイを癒していたからだ。ただ、耐性のないケリーとニーナにとっては別の意味での試練が訪れていた。
「……!!」
ニーナは真っ赤になって口を手で押さえている。ケリーもそんなニーナを見ているとおかしな気分になりそうで、少し目を逸らしていた。何より美しいジュディスが可愛らしいニーナを舐め回しているという構図はどこからどう見ても気まずかった。とうとうニーナの口から小さな声が漏れて、ジュディスは顔を上げた。
「…少し休む?」
「だ、大丈夫…です…」
「そう?声…我慢しなくていいよ…痛いことの次は気持ちいいことの方が身体にもいいし治りも早い…」
「ジュディス、僕と同じにニーナを扱っちゃダメだよ。ケリーもいるんだからさ。あのねニーナ、ジュディスの唾液には毒が含まれているんだ、それで感覚が麻痺するからむしろ気持ち良くなりやすい…正常な反応だよ…」
「そ…う…なんですか…」
ニーナは片方の腕で目元を隠した。猛烈に恥ずかしかった。痛みなら我慢できても、こんな風にされることにニーナは慣れてはいなかった。
「ケリー暇なら太ももで紋章の練習をしてるといいよ。刻むならこの辺が一番練習しやすい」
レイは片手でズボンをめくると自身の太ももに刻んだ紋章をちらりとケリーに見せた。ケリーは思わずごくりとつばを飲みこんでしまう。レイは妙に色気を漂わせると言った。
「僕は一回目は失敗してもう一度最初から刻み直したからね。僕が癒やせるうちにケリーも練習した方がいいよ。魔力で爪くらいは伸ばせるでしょ?あまり深く刺さらない長さで鋭利に尖らせた爪で一気に描くんだよ。そっちに時間をかけたらダメだからね。一番大切なのはどんな風に愛を交わすかだから」
ケリーは神妙な顔で頷いた。ケリーはズボンをめくると爪を伸ばして真剣な表情になる。
「ニーナ、レイの話は聞き流しておいていいからね。これまでニーナを傷付けた他の雄と比べる必要もない…そいつらはニーナの記憶に残す価値もないんだ…」
ジュディスは胸元から顔を上げると指先でするりとニーナの胸元を撫でた。
「よし、綺麗に消えたな。ケリーの練習が終われば後は二人の好きにしていいよ。邪魔者は消える」
ジュディスはニッとまるでいたずらっ子のように笑った。遮断の向こうでケリーが何やら声を上げる。
「失敗したっ!やり直しだ!」
レイが立ち上がってケリーの遮断の中に入る。しばらく二人は出てこなかったので、ジュディスはニーナの手を握って軽く魔力交換をして待っていた。
「無事に練習も終わったよ。とりあえず刻んだ直後の手入れの仕方は教えたから大丈夫」
「じゃあな、ケリー後は任せた」
ジュディスがまるで雄のように言って、ケリーの肩を叩くと耳元に何かを囁いた。ジュディスはそのまま王子と一緒に部屋を出て行ってしまう。残された二人は顔を見合わせた。ニーナはまだジュディスの毒の効果で胸元がしびれたままだった。ケリーの太ももには血の固まった蛇のような形の紋章があった。
「これが…うちの…アイビー家の紋章…ニーナは親に連絡しなくて…本当に…いいの?」
ニーナは頷いた。ニーナの身体の様子も含めて学園長がすでに子爵家に連絡を入れていた。だが返事は全て学園長に一任する、それだけだった。形式のみにしてもニーナを心配するような言葉は一切なかった。
「いいの。私は子爵家のお荷物だから…母も…恋をすると…盲目なの…残念なことに…」
ケリーはニーナの隣に座るとそっと肩を抱いた。
「僕は…ブリジットの家でもっと学んで技術を磨いてからレイ王子に…仕えるかもしれない。それは僕が光の当たらない場所に行くかもしれないってことなんだ。それでもニーナは一緒にいられる?僕がこの先…人を殺す技術を身に付けて…王子の敵を倒すことになっても…この手が血に染まっても嫌にならない?」
「ならない…だって…王子さまにもジュディスさまにも…私は助けられたもの…もちろん、ケリーにも…だから、紋章を刻んで私をケリーの番にして」
「分かったよ。紋章を刻むからには…ニーナのことを一生大事にする…」
先ほどジュディスに言われたのは、治癒した場所の感覚が麻痺しているうちに、紋章を刻めという内容だった。その方がお互いに気持ち良くなれる、とやけに意味深な台詞を囁かれた。お互いに気持ち良くなれる、と言われた意味が分からないままに、ケリーはニーナに口付けをする。せっかく綺麗に癒したのにまたそこに傷を残すことにケリーは胸が痛んだ。けれどもニーナが前を向いて生きるためには、一つの確固たる証が必要なのも分かっていた。見て明らかに分かる番の紋章をケリーは伸ばした爪の先で一気に描く。ニーナの皮膚に刺さった爪が、その白い皮膚を切り裂いて血が滲む。溢れない程度に血を滲ませてからケリーは丁寧に止血した。罪悪感を抱えながらケリーがニーナの顔を見ると、ニーナは薄っすらと目を開けてケリーを見つめ、とても美しい顔をしていた。大丈夫かどうかは聞かなくても分かった。ケリーは再びニーナに口付けをする。その瞬間にそれは起こった。ニーナの上腕の腕輪とケリーの首の鎖が外れた。
「あ…!」
二人の魔力が溢れる。すでに二人は目の前の相手のことしか考えられなくなっていた。純粋に誰かのことを欲しいとケリーが強く思ったのは、このときが初めてだった。今まで散々自分の身体を誤魔化して持て余し悶々と過ごした日々は何だったのかと思うくらいあっさりと葛藤もなくケリーはニーナに流された。ニーナもまた、数々の雄に好き放題弄ばれたときとは全く違っていることに気付いていた。複数の紋章に絡め取られて意識がぼんやりしたまま、相手を受け入れてしまったときとは真逆だった。あのときはまるで自分ではない誰かの出来事のように意識が乖離していた。今はむしろ頭のどこかが冴えていて神経も研ぎ澄まされていた。目の前のケリーの与える感覚を一つも漏らさないように体全体が鋭敏になっている。そうしているうちに二人の身体はいつしか蛇になっていた。互いに絡まり合いお互いをただひたすらに貪る。本能の求めるままに二人は絡まったままついに一つになった。今度こそニーナは心も身体もケリーと番になり離れなかった。
***
テラスで時折気配を探っていたレイとジュディスはその瞬間、久々に感じたことのない強大な魔力が放たれたのに気付いて互いの顔を見合わせた。部屋からテラスまで二人は広範囲にわたって念のために遮断していた。
「あ…蛇になっちゃったみたいだね…」
「あ…あぁ…」
なぜかジュディスが珍しく動揺しているのでレイは少しだけ笑ってしまった。
「なに、どうしたの?」
レイは背中で二匹の蛇の魔力を感じながらジュディスに腕を絡める。
「なにって…レイまで蛇みたいな動きをしなくたっていいだろ…」
「蛇の半獣人ってさ…あぁなっちゃうと、とっても長いらしいよ」
「知ってるよ…半日?下手すると一日?」
「さすがに僕でもそこまではできない…」
「そんなの当たり前だ。私だって無理だよ」
レイはジュディスの身体をするすると撫で回す。
「レイがケリーを欲しがった理由が少し分かるな…」
不意にジュディスがつぶやいた。
「ニーナと込みで…この魔力の組み合わせはちょっとクセになる…」
「ジュディスも分かっちゃった?僕たちは蔦の眷属だから…蛇の魔力とは多分相性がいいんだよ。逆に言えば僕らと合うってことは、他の半獣人にとっては怖くて近寄れないってこと…ケリーが番になったからもうニーナは半獣人たちの作った学園内の歪んだ階級の最下層で好き放題されなくて済む。下だと思っていた相手が頂点に君臨するってどんな気分だろうね。ニーナとケリーは相性がいいみたいだし…もっと強くなるかもしれない」
二人が話しているところにブリジットと学院長が戻ってきた。二人はすぐに異変に気付いたようだった。
「あぁ、二人ともお帰り。大丈夫だった?」
「当たり前だ。それよりもケリーとニーナは…」
ブリジットに向かってジュディスが状況を説明した。
「今二人とも蛇になって絡まってるよ…紋章も無事に刻んだと思う…さっき始まったばかりだから…しばらくこのままなんじゃないかな」
ジュディスの言葉にフレディは咳払いをした。フレディはケリーがこんなに早く自身の葛藤と決着をつける日が訪れるとは思っていなかった。そのとき階下から何やら凄まじい気配が近付いてくる。ウォードの声がした。
「そんな無理をしてまで上の階に行く必要はないでしょう…」
「いや、俺の娘が…!」
ウォードが手すりに掴まって必死に階段を上ってくるサイラスに付き合って苦笑していた。ブリジットがその姿を上から見下ろして腰に片手を当てる。
「サイラス…降って湧いたような父親がいきなり父親面をして、何を騒いでいるんだ。まだ大人しく寝ていろ。二人は無事に紋章を刻んで番になったところだ。二人とも全身蛇に変わったから長い。いちいち騒ぐな。お前だって母親の相手をしたんだから多少は身に覚えがあるだろう…」
「……いや、それとこれとは…」
ブリジットに見下ろされたサイラスは途端に主人に叱られた犬のようにしゅんとしてしまった。しかも彼は痛みがぶり返したのか顔をしかめて階段に座りこむ。
「そうか…番になったのか…それでこんな魔力が…魔力暴走を起こしそうなのかと思って…慌ててしまったんですよ…初めての場合は…時折そういうことがありますから…」
「は?まさか…心配して来たのか…?お前が?てっきりケリーを殴りに来たのかと思ったぞ」
ブリジットは呆れた。この男は想像以上に子煩悩なのかと思ったせいだった。長い間家族や家庭とは無縁な生活をしておきながら、娘と分かった途端にこの始末だ。調子が狂う。
「どうして俺がケリーを殴るんですか。娘がケリーの番になりたいと望んでなったのですから、止めるのは野暮ってものでしょう。ただ…子爵家の動向は気になりますが…」
「その点については子爵家は学園長に一任するそうだ。学園長はニーナの手当をエテルネルに任せた。ま、要するに…一任された中で恋心が芽生えてめでたく番となったんだから問題もない…在学中に番となるのは南ではありがちだろう。この場合は母親の出自がむしろ功を奏したと言うべきかな。しかもニーナは連れ子だから子爵家の血を引いていない。後々文句を言うようなら…ま、ロウの家が黙っていないよ」
ブリジットの言葉にサイラスはため息をついた。奴隷の子は所詮は奴隷だ。買い取られて身分が上がったとしても一生その出自が問われる。ましてや連れ子はもっとそうだった。どこの馬の骨とも知れない男との間にうっかりできてしまった子。
「あと、一つだけお願いしたいのですが…私は外出できないので…二人に大人になった祝いを…贈りたいのですがお願いできますか?」
「ん?祝い…あぁ…酒か?」
「はい、今は酒精分の含まれない酔わない酒が売っているようなので…ニーナもケリーもまだ若いのでそれが良いのではないかと」
「分かった。こちらで用意しよう」
ブリジットは頷いたが、そんなところにまで気を回す相手の意外な一面を見たと思った。世間の父親はこうなのだろうか。娘の初夜に大量の媚薬を注射して前後不覚にするような自分の知っている父親像とはおよそ懸け離れたサイラスの反応にブリジットは内心では大いに動揺しているのをひたすらに隠し平然を装って頷いた。




