竜の生き方
手近な寝室にギデオンを運び込み、一同は治療を開始した。ラサラスは扉の外で見張る。今は不在の学院長が現れた際に伝える必要もあったためだった。手際よく服を剥ぎ取ったジュディスは適当に巻かれた包帯を外して顔をしかめる。
「…なんだこれは…獣にでも喰われたのか?」
「…あぁ…多分…目覚めたら…周囲には野犬が数頭…死んでいて…」
身体中に獣の噛んだ跡が残り、腹の辺りは正視するのを憚られる有り様だった。
「レイ…眠らせないと無理だな…適当に塞いだだろう…部分的に壊死してるぞ…まずいな…まだ切除しないと…竜の呪いで生かされてるが身体の方はあちこちが死にかけている…ったく…お互いの呪いが見えるとこういうとき厄介だな…身体が朽ち始めても竜はなかなか死ねない…誰かがとどめを刺さないとな。だがとどめを刺すと呪われるから引き受ける者もまずいない…」
「……」
ギデオンは無言のまま目を逸らした。ジュディスはギデオンの顔を覗き込む。ギデオンは瞬時に考えを読まれたのを悟った。王子の力の源はこの小娘の姿をしたとんでもない生き物だったことを思い知らされる。今の弱った身体ではとても直視できなかった。
「見た目通りの小娘じゃなくて悪かったな。あんたがブリジットにしたことを考えたらここで殺してやりたい気分になるが、そのブリジットが助けろと言うから生かしておいてやる。ま、むしろ死んだほうが楽だったかもしれないくらい苦しむかもしれないけどね。レイ、落としていいよ。しばらくおやすみ」
ギデオンの意識はそこでプツリと途切れた。もしかすると二度と目覚めないかもしれない、心のどこかでそう思ったのが最後だった。
***
ギデオンは何度も悪夢にうなされ、叫び声を上げて目覚めた。その度に誰かが代わる代わる彼の手を握り、暴れる彼をなだめて大丈夫だと耳元で囁いた。いったいどのくらいの時間が過ぎたのか、彼が目を開くとそこは見慣れない天蓋付きのベッドの上だった。傍らにはブリジットが眠っている。冗談にしても笑えない状況に彼は戸惑った。
「…動くな。蔦が抜ける…」
眠っていると思ったブリジットが目を開けてどこか不服そうな顔をした。
「レイやジュディスにこれをさせる訳にはいかないからな。ジュディスは構わないと言ったがレイが止めていた。当然だな。番にどこの馬の骨とも分からない男と同衾されてはたまらないだろう…」
「あなたは…それで…いいんですか?」
「うん?良くはないが…死にかけてうなされてるお前の顔を見ていたらかなり溜飲が下がったな。一応聞くが調子はどうだ?」
「見ての通り…最悪な…気分ですよ…」
下半身の感覚が鈍い。ギデオンは自分の身体がどうなっているのか分からず不安だった。
「私も竜だし…お前も一部はすでに竜になりつつあるから蔦を繋いで衰えた機能が回復するのを今は待っているところだ…同族がいて良かったな。たが、その間に実に不快な手紙が届いた。父にこの中から夫を選べと…」
ブリジットが中空に呼び出した球体の中でこちらに向かって微笑みかける金髪の壮年の男性が見えた。別の球体には栗色の男性がいてブリジットに向かって愛を囁いている。球体は三つで三つ目にもギデオンの見知った顔があった。
「…まったく…あの老いぼれは…どうしても私が男として当主の座に収まることを認めたくないらしい…」
「…どうするのですか?…ただその金髪の男は絶対に止めておいた方がよろしいかと。彼の妻は二人とも不審な死を遂げています…」
「なんだこいつを知っているのか」
「…それは…ロウの集まりで…何度か会ったことがありますから…」
ギデオンの言葉にブリジットは低く笑う。そして言った。
「ま、毒を盛られたところで早々に死にはしないが…夫は要らない…とも言っていられないのか。それなら…お前が偽りの夫として…私の役に立ってくれないか?」
ギデオンは不意に魔力中枢の辺りに熱を感じた。中枢の周りを何かが這い回る気配がしてゾッとする。それがブリジットの蔦なのだと気付くまでに彼はたっぷりと命を握られる感覚を味わった。
「お前は私を二度と抱けない…が、夫としての地位はお前にくれてやってもいい…どうだ?怖いか?屈辱か?このまま少し力を入れれば…お前は魔力を全て失う…魔力を失って竜になった者を見たことがないから、どうなるか分からないが…想像するだけでも滑稽なことになりそうだな」
ブリジットの蔦はまるで愛撫するかのように魔力中枢に触れていた。
「どうする?お前が選べ。夫になるなら別の名前と身分を与えよう。ならないなら、ギデオンのまま私の前から消え失せろ。そして二度と私の前に姿を見せるな。あと、もう一つ…夫になるなら私の妻には敬意を払え。竜を怒らせると怖いぞ?二度も呪われたくはないだろう?」
彼は迷わなかった。地位のみでも構わないと思った。側に寄り添うことさえ許されるのなら。傍らの美しい相手に向かって彼は言った。
「夫にして下さい…この命が尽きるまで償い続けます…」
「分かった…約束だぞ…」
ブリジットの顔が近づいてきて静かに唇が重なる。ギデオンは慌てた。その顔を見てブリジットは笑い出す。
「なんだ?それほど驚くことか?口付けでは呪いは移らないからな。これは契約の証だ。お前も覚えておくといい…ん?そういえば…口付けは初めてなのか。よくよく考えると…そうだな…」
ブリジットは枕元の鐘を鳴らす。すぐに扉の外で声がして入ってきたのは学院長だった。ブリジットはベッドから出て起き上がっていたが、まだギデオンの身体に蔦は繋がったままだった。
「…少し交替してくれないか?野暮用ができた。あと、こいつを今日から夫にする。面倒な他の候補者を避けるにはうってつけだろう。同族の竜の雄だ。まだなりたてで加減が分からないだろうから、先輩として教えてやってくれ。学院長先生」
ブリジットの言葉にフレディは色々言いたいのを飲み込んだ。手に負えない。
「…何がどうなってその思考に至るのか私には理解不能だが…私の意見など聞かないことは分かってるから余計なことは言わないよ。さっさと野暮用とやらを済ませてくるんだな」
ブリジットの蔦が引き抜かれると途端にギデオンは息苦しくなった。下腹部も鈍く痛み出す。学院長が片手から蔦を出して彼の手に触れる。
「ブリジットは…どこから繋いでいたんだ?まったく…」
掌から何かが入り込んできてするすると魔力中枢に到達する感覚がした。ブリジットの蔦よりも丁寧だと苦笑する。
「…しかし君も…厄介な相手に惚れたな」
学院長に言われてギデオンは返す言葉もなかった。痛みが遠ざかり、ギデオンは本当に今の自分が誰かの魔力なしではまともな会話すらもままならないことを悟った。
「これから飽くほどに長い歳月が我々には続くのだよ?そのときにこの道に君を引き込んだ相手を恨まずにいられるか?ま…その表情なら大丈夫なのだろうが…私の真似をするのはあまり感心しないから今の素顔のままでいてくれると助かるよ…」
ギデオンは思わずため息をついてしまった。
「いつだったか…ブリジットに言われたのです。顔立ちなら…一番…あなたの顔が好きなのだと…実際…南ではこの顔だと…親切にしてもらえましたし…生き延びるために利用してしまいました…申し訳ありません…」
「…ブリジットがそんなことを?騙されたんじゃないのか?それにしてもなぜ君はそんな身体でここまで来たんだ?何か理由でも?」
「……」
ギデオンはためらった後に口を開いた。
「俺は…元々は南から西のロウの家に売られて…ギデオンとして…生きてきました…死ぬ前にもう一度故郷に帰りたかった…いや…それすらも言い訳ですね。故郷の記憶はあまりありません。どうせ死ぬならブリジットの目の前で死にたかった…死ぬ前にもう一度会って今度こそきちんと謝りたかった…それだけ…なんです…俺は見た目ほど…強くもない…ただ狡猾でズルいだけの男ですから…周りの言葉に踊らされてブリジットの本質を見誤って酷いことをしてしまった…だから生かされる限りは一生償い続けるつもりです…」
フレディはなんと不器用な男なのかと思った。自分も決して器用ではないが、輪をかけて不器用だ、そう思った。
「あの…王子の婚約者は…第三王子…だったのですね…あなたの右腕…だ…」
「…君も竜に呪われて余計なものが見えるようになったな…ま、その通りだがこちらでは軽々しく口に出さないでほしいな。それを全て知った上でレイは婚約者としてジュディスを選んだ。それだけのことだ…」
再び遠慮がちに扉が叩かれる。学院長が声をかけると榛色の髪の少年が姿を現した。
「…こんにちは」
少年はやや警戒した顔付きでギデオンを見つめる。深い緑の瞳が美しい少年だった。
「どうした?ケリー」
「いや…ブリジットが急に変なこと言い出したので…このオッサンを夫にするとか…正気なのかな?って…」
「こら、ケリー」
学院長は慌てた様子でたしなめたが、ケリーは止めなかった。
「僕は、学院長先生が止めても、ロウの技術を学んで影の手になるか…ロウの家でブリジットの役に立ちたいんです。これからも個人指導をしてもらうつもりですから…この人が何か悪いことを企んでいるならこっちは容赦しないって…宣戦布告しに来ただけです!」
ギデオンは不思議な気配の少年を見つめた。若さゆえの真っ直ぐな初々しさがある。もっとも自分がこの年齢に至るころには随分と歪んでいたことを思い知らされるようで、少々複雑でもあった。
「俺は…見ての通り魔力中枢もボロボロで…今なら君でも殺せそうなくらいには弱っているから…でも俺を殺したら別の三人の候補の中からブリジットは夫を選ばねばならない。俺は呪われて男として不能になったから、ブリジットに何もできないけれど、他の三人が夫になったら間違いなく望まないことが起こると思っている。俺はそれを止めるためのあくまで偽りの夫なんだよ。ただそれだけだ…」
ケリーはとても奇妙なものを見るかのようにギデオンを見返した。ケリーは眉を寄せてギデオンに言った。
「…それでオッサンに何の得があるの?」
「うーん、そうだね。損得勘定はもう止めたんだ。俺は…償いたいだけだよ。自らの罪を。信じられないかもしれないけど…ブリジットの邪魔は二度としないし、男としてブリジットに手を出すつもりもない。君に誓ってもいいよ」
「ふーん、信じた訳じゃないけど…僕はこれからもどんどん成長するから…ブリジットを裏切ろうとしたときにはオッサンを殺せるくらいに強くなってるからね?言いたいことはそれだけ」
ケリーはペコリと一礼をすると部屋から出てゆく。部屋の外に青い髪の小柄な美少女が待っているのがちらりと見えた。蛇だとようやく彼は気付く。
「すまない…学生は熱くてね。ブリジットは何だかんだで人気があるんだよ。退学させられて…意に沿わない結婚を強いられて…ブリジットは王立学院を卒業出来なかったからね。ようやく今年、卒業の資格を手にしたんだよ…学生生活を少しでもやり直して楽しい思い出を作るのも悪くないと思ったんだろう…君だって、やり直したいことがあるなら、始めたっていいんだ。例えば世間一般の学生生活を君は経験していないだろう?これから飽くほどに時間があるんだ。何かを始めるのに遅すぎることもないさ…」
学院長の言葉にギデオンはふと遠い目をした。すでに失って久しい子ども時代もこの竜は取り返せるとまで提案してくるのかと思ったら、到底その考えには思い至らなかった自分がまだまだ竜の生き方すら微塵も分かってなどいないことを痛感させられた。
「俺にも…できますかね…」
「学院長は私だよ?そして君はまだ若い竜だ。それだけでも指導に値する」
学院長は笑ってそう言った。




