抱きしめる理由なんて
「(――もう何を信じればいいか、わからない)」
島の屋外は潮風によって、海の香りに満ちている。
「黒騎士は仲間を見殺しにして……養父さんは義瑠土も、何もかもを裏切った……」
いまの帝天島には、島の中枢出力による障壁は存在しない。そもそも守りを固めた所で、こうして海に落とされているのだから、障壁など最初から無意味であったと言わざるを得ないだろう。
「養父さんはどんな気持ちで伽藍を…………墨谷七郎……あの人は霊園山で会った時から、ずっと嘘を?…………う、ぅ」
銀伽藍はぐるぐると回る考えを持て余し、ゲート施設の外へ逃げ出してきたが、不意に気分が悪くなり近くに壁にもたれ掛かる。
「――嬢ちゃん」
泣き出したい気持ちのまま蹲ろうかと考えた矢先、覚えのある声に顔を上げた。
「ヴィトーラ……」
声の主はヴィトーラ。彼女も帝天島不時着からほぼ不眠不休で働き、自慢のスリットドレスが埃で汚れてしまっている。
しかしそれよりも伽藍は、ヴィトーラに普段の快活さが失われている事で、先日の出来事が現実であるのを突きつけられる思いだ。
「ひでぇ顔だな」
「あなたこそ」
女海賊の顔には、剣姫と揃いの影が落ちくぼむ。
「ハン……まあ、疲れてんのはお互い様ってワケだ。だがそこに来て【聖剣】サマとミスルム相手に卓を囲むなんざ、アタシだったら御免だぜ」
「……見てたの?」
「見てたっつうか……盗み聞きの相伴にあずかったっつうか……ほら、こっちだ」
盗み聞きの相伴という訳の分からない説明に要領を得ない伽藍であるが、ヴィトーラに促され場所を変えた事により、ようやく合点がいく。
「ぐすっ……――」
「リン……カ?」
少しばかり歩いた先で伽藍が見たものは、昼に染み出した闇であった。
「しちろうさま、しちろうさま……」
この体育座りで膝を抱える漆黒が、人間であるとすぐに分かる者は少ないだろう。
普段は頭の後ろで結われる黒髪が、持ち主の小柄な体躯を覆い隠す様に広がってる。明らかに元の髪量を凌駕する面積であるが、魔力により著しく質量が増大しているのだ。
まるで日差す日中に、寂しく滴り落ちた一滴の染み。
髪と肌、両黒曜の中で、瞳の金色だけが潤む涙で煌めいている。
「七郎……いやアイツが本当に七郎なのか、イマイチ自信無ぇけど……ともかくアイツが消えてからずっとこの調子でよ。なんか、操黒糸術をやたらめったらに広げて、島中の声を拾ってんだよ。んで、嬢ちゃんが居た”中”の声も聞いたみてぇでな。だいたいのあらましはリンカに喋ってもらったぜ。……鼻声で半分何言ってっかわかんなかったケドな」
「ふぐうぅっ!」
「おわっ、泣きながら怒んなよ」
ラコウでも一際深く美しい肌を持つ少女の陰気は、穏やかな彼女の人となりを知る伽藍であっても恐怖を催した。
しかし、それも一瞬の事。
伽藍もリンカと同じ理由で心を重くし、泣きすする友達の隣へ腰を下ろす。顔に疲労を刻むヴィトーラも、傍の壁にもたれ掛かり上を見上げる。
「……リンカ」
「ぐすっ、ふえぇッ」
「いい加減泣き止んでよ……髪も仕舞ったほうがいい」
「だって……ひぐっ、だって……どうすればいいかわからなかったんですッ」
無差別な黒糸術の濫用を見て明らかであるが、想い人に置き去りにされたリンカの落胆は深い。だがそれ以上に少女は、魔髪により知る真実に打ちのめされているのだ。
「七郎様がどこへ行かれたか知りたくて、探ってたら……ひどい……七郎様を裏切って刺したなんて! お友達全員を亡くされて、それでも人を守ろうとされていたのにっ……」
黒く艶やかな細指が、リンカの着る学園の制服にシワを作る。
「一緒に頑張ってた真理愛って子を、最後まで守ろうとされていたのに……! 私、ずっと知りたかったんですっ。初めてお会いした時、七郎様は私を真理愛って呼びました。私を誰か違う子と重ねてるんだって、すごく悲しかったんです! でも、こんな――……」
「顔が似てんのかは知らねぇが、アイツの見る景色にはずっと10年前の地獄がこびり付いてたんだろうぜ。……偉大な勇気セギンでさえ帰らなかったアウズンブラの腹の中でよ、アイツの魂は殺されちまってたんだ。じゃなきゃヒトが、あんな姿にまで堕ちるかよ」
「伽藍はあのシルヴィアって人に霊園山で会った事がある。今まで記憶が薄れてたのは、たぶんあの人の魔法だと思う。七郎と2人でこんな事を企んでたなんて……。“白旗”はあの山で、誰かを蘇らせようとしてる」
「デカさといい密度と言い……ヤツらの術式は相当イカれてやがる。完全な死者蘇生ってのも、あながち馬鹿に出来ねぇぞ、ありゃ」
「…………」
ここで、伽藍を始めとする少女らの会話が途切れる。唯一リンカの鼻をすする声だけが場にあった。
もれなく全員が思い浮かべるのは、この一年の間で刻まれた墨谷七郎との記憶。
霊園山での出会い。
自身を救う優しい笑顔。
懐かしい風を纏った勇姿。
どれもが男の裏切りを否定したくなる思い出だ。心の整理がつかない。
だが、そんな彼女達の心痛を和らげる新たな声がある。
「いかにも途方に暮れてるって顔だねぇ」
「 ! クジャク様……」
「探したよリンカ。操黒糸術の才能がありすぎるのも考え物かね。辿る糸が多すぎて迷うなんて」
3人の前に現れた紅天女は、紅い着物衣装から白い足が覗くのも構わずに歩みを進め、気負うこと無くリンカの隣へ腰を下ろす。
「ほらリンカ、おいで」
「え、ぁ」
そうしてクジャクは、涙を流す娘を自らの胸へ抱き込んだのだ。
「おーよしよし。ったく、旦那も無体な事をする。かわいい娘をこんなに泣かせるなんてね」
「あああ、あの、クジャク様っ?」
「すまなかったよ。あたしが旦那を引き留めるべきだったんだろうけど、あのトンデモない剣士を前に下手は打てなかった。あの域の剣士は糸使いの天敵だね」
「……養父さんが、ごめんなさい」
「動けなかったのはアンタだけじゃねぇよ紅天女。誰もかれも奴らに圧倒されて動けなかった。まさかナーヴニルの野郎まで仕留めちまうとはなぁ」
伽藍とヴィトーラも、自身の不甲斐なさを責め謝罪を口にする。するとクジャクは、リンカをさらに腹のあたりへ密着させながら、今度は両手を他の2人へ伸ばす様に広げた。
「ほら、アンタ達もこっちに来な。遠慮はいりませんよ」
「え?」
「ああ? 何言ってやが――」
2人の困惑は、身体を引き寄せる“赤い糸”によって途切れ消される。気づけば少女3人、仲良くクジャクに抱き込まれていた。
「伽藍に悪徳嬢王……もうまどろっこしいからヴィトーラでいいかい? 2人とも娘と仲良くしてくれて感謝しますよ」
「オイ、テメ――」
「でもねぇ……忘れてるみたいだけど、アンタらは揃ってまだ子供なんだ。それが悪い男に騙されたとなりゃあ、いっくら泣いても恥ずかし事はありゃしませんよ」
「伽藍は、泣いてなんか――っ」
「ふ……ふえ˝えええっ」
「っ、リンカ……」
クジャクの優しい言葉と温もりに、堪え切れなくなったリンカが再び泣き出す。不思議な事に、つられて他2人の目にも涙が浮かんでいた。
「――クソッ。アタシの礼の気持ちは、七郎には届いてなかったのかなぁ……? 槍とスキルークをアタシに返してくれた時のアイツの笑顔は、嘘だったのか?」
「やっと、本当の魔導隊に追いついたと思ったのに……伽藍の正義の剣が、やっとあの人に届いたんだって、嬉しかったのにっ」
「私……知ってたんですっ……七郎様は、あのお姿の下に何かを隠してるって! それでもいいって思ってたのにっ。お慕いしていたのにっ。……怖かったんです。七郎様が笑って島を落とすのをみて、ただ震える事しかできなかったぁ!」
それは、嘘偽りのない悲哀だった。裏切りへの慟哭だった。
少女3人は、世界を襲った運命の分岐点を後にして、ようやく心の傷を吐き出すに至る。
元より知らない、もしくは失って久しい母性に促され、貯め込んだ苦しい思いを吐き出せたのだ。
「(こんなに健気な娘達を泣かせるなんてねぇ)」
クジャクにとってリンカは、血がつながらないだけの大事な娘。そしてリンカを想う年近い少女らは、既に娘と等しい存在。
彼女達の心を案じ、抱きしめてやる事になんの戸惑いがあろうか。
「(まったく……――恨みますよ、旦那)」
クジャクは娘を傷つけた男に、恩人とはいえ恨み言を吐かずにはいられない。
艶やかな炎揺らめく母の抱擁は、少女らのすすり声が止むまで続けられた。
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