第7話 お見舞い
僕が担架に乗せられ救急車に乗るなり、彼女は横向きの座席に腰掛けシートベルトを締める。どうやら彼女も同席するようだ。家族や友人が同乗するならば話は分かるが、彼女とは今日会ったばかりだ。それに一回テキストを見せただけの関係の僕に、あれだけ散々な物言いをした僕にかかわってくれる。
それは愛の飢餓に陥っていた僕を虜にするには十分すぎるんだぞ。そこをわかってやっているのか。こんな危機感のない子なんてすぐに大学のセックスのパートナーを見つけるためのサークルにでも引き込まれて……とそこまで考えて、痛みによって浮遊感漂う夢のような感覚から現実に引き戻される。
それを考えてどうする。
僕と一緒にいるくらいならば、頭の中が性欲で埋め尽くされている軟派男と一緒にいたほうが百倍安全だ。
彼氏でも何でもない赤の他人の僕が彼女を心配するなんて、なんと烏滸がましい。ただ僕は彼女の事を遠ざけるためにどうすればいいかを考えていればいい。
ここは、そうだな。痛みの余りに気絶したふりをすればいい。そうしよう。
「お嬢さん、ご家族ですか? お名前をお伺いしても?」
救急隊員の声が聞こえる。聞くな聞くな。無駄な情報をこれ以上増やすんじゃない。知ったところでどうなる。
「白鳥です。白鳥希子と申します」
「それでこちらの方が、あれ? さっきまで意識があったのに。田中ァ!! 患者の意識確認を!」
「Ⅱ-2レベルの意識混濁を確認! 痛覚反射を確かめます!」
え? 今から僕痛い事されるの? 痛いのは嫌なんだけど。
「白鳥さん、彼が頭を打ったとかはありますか?」
「わかりません。私が来た時には彼は倒れていたので」
「意識はあったんですよね?」
「……これ言ってもいいのかわからないんですけど……その人気絶したふりしてます」
「ハァ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
僕は跳び起きて謝った。本当に今日は謝りっぱなしだ。救急隊員からふざけているなら救急車を呼ばないでくれ。としこたま怒られたが、足の骨折は確認できているので唯悪戯で救急車を呼んでいないことはわかってもらえた。
「なんで、ふざけているんですか。お二人はご家族ですか?」
白鳥希子。ねこ。確かに愛くるしさは猫に勝るとも劣らない。いや、それでもささやかな言い方だな。可愛さレースは周回遅れで猫の負けだ。とまあそんな事を考えながらも僕は首を横に振る。彼女も同様に否定している。
「では、ご友人で?」
僕は即答した。違います、と。しかし彼女は少し考え込んだそぶりを見せたのち明後日の方向に返答する。
「あ! そういえばまだお名前を聞いていませんでした!」
今、やるべきことなのかと彼女以外の誰しも思っただろう。しかし救急隊員は最初にしておくべき身元確認を怠っていたことに気付く。慌てて聞かれるが、僕は正直彼女に身元を明かしたくない。だが、ここでまただんまりを決め込んだら、さしもの救急隊員も阿修羅へと変貌するだろう。
「阿礼傑。大学生。今は一人暮らし。家族はちょっと家庭の事情で半分絶縁されているようなものだ。一応保証人は父の名義になっているが」
「わかりました。意識もはっきりしているんですね」
「うん……」
「交通事故ですか?」
「ひき逃げですね……。接触事故で足を痛めたところを、通りすがりの彼女に助けてもらいました」
なんだ、僕は。敬語とタメ語がぐちゃぐちゃだ。普段から人とは歪んだ接し方しかしてこなかったツケがここになって回って来てやがる。
「ありがとうございます。警察には病院の方から連絡しておきますので、横になっていてください。後々事情聴取があると思いますが、ひとまず精密検査を受けてからになります。付き添いはご親族でなければ難しいので、申し訳ありませんがバスで帰ってもらってもいいですか?」
彼女の目が泳ぐ。琥珀色の瞳が右を見て、左を見て、また右を見る。
「いえ、私は家の者に迎えに来てもらうので大丈夫ですよ。お気になさらず」
何か後ろ暗い事でもあるのだろうか。彼女の顔は晴れない。ところで白鳥という苗字どこかで聞いたことがあるような……。そんな事を考えていたら病院に到着した。
「では、阿礼傑さん。お大事に。その“謎”をもっと貴方の中で育んでいてくださいな。いずれ摘みにまいります」
それだけを言い残し彼女は救急車から降りてすでに夜の帳が降りているバス停まで歩いて行き、そこの簡素なベンチに腰掛け電話をしている。僕もすぐに担架ごと運ばれ何やらいろんな検査を受けさせられる。暇な時間だったが、ふと彼女の最後の捨て台詞を思い出し、笑ってしまう。そのたび看護師からは不気味な目で見られるが、それでいい。
■■■
医師が言うには足のなんちゃら骨が骨折しているらしかった。綺麗に折れているらしく治癒まではおおよそ6週間だが、入院は2週間ほどで松葉杖を使いながらも普段の生活に戻れるそうだ。
そんな親身に話してくれる医師相手にも僕の態度は変わらない。
「もっと都会のマシな大病院にかかればよかった」
「こんな田舎町の病院じゃこんなものか」
言っていて自分で気分が悪くなる。医者は立派だ。学生の頃から勉学に励み、研修医を経て、ようやく飯を食えるようになる。高給とりだがそれに見合った責任が伴う。自分の裁量一つで患者の命を背負っているのだ。
外科ならば指先の震え一つで患者の生死にかかわる手術をしたり。内科ならば内視鏡で見逃した、たった一つの腫瘍が生涯続く闘病生活へのきっかけとなってしまったり。やっとのことで治した患者も完治すれば関わりは無くなる一期一会の出会いに生じる責任感。
その重圧に耐えながらも、こんな心無い言葉を受け止め苦笑いを溢しているのだ。
医者は笑いながら「まあまあ」と受け流しているが、眉尻がぴくりと動いたのを見逃さなかった。僕は普段から人を不快にさせることには慣れているので、些細な変化もわかってしまう。
尊敬の念が絶えない。だからせめて心の中だけでもお礼を言う。治療をしてくれてありがとう。本当に助かっている。骨折だってめちゃくちゃ痛かったのに今は鎮痛剤のおかげで和らいでいる。救急車で運ばれた時には二度と歩けなくなるのではと心配もした。それも適切な治療をしてくれたおかげで僕は前に進める。
心の底から医師というものを尊敬している。だから届かなくていい。いや、届いたらいけないんだ。僕の感謝は。
だから、だから僕は今日も嫌われる。
■■■ 一週間後
「あのー」
私は受付で職員さんに声をかける。何かの書類に書き込んでいた受付の人は謝りながらも応対してくれました。こんなことがまかり通るのも、ここが都会でないからなのでしょう。
「失礼いたしました。何の御用でしょうか?」
「阿礼傑さんの病室はどこですか? お見舞いに来たのですが」
「ご家族の方ですか?」
都会の病院ならば、ここで家族であるという証明ができなかったら門前払いのはずです。
「恋人、なんですけど……」
一瞬窓口の人が目をしばたたかせる。まあ、そうだろうな、と私自身思います。
「わかりました。ただいま調べますね……。えーと。三階の302号室ですね」
こんなプライバシーを全く考えないことが起きるのも、ここが地方都市だからこそのおおらかさ。そして、彼。阿礼傑の謎に一歩近づけると思うとワクワクが止まりません。
□□□ 302号室
どうやら彼、阿礼さんには個室が割り当てられたみたいです。入院費が同じで個室にしたのは、彼の性格上他の患者さんとのトラブルに発展するからでしょう。と私の灰色の脳細胞は結論を導き出しました。ノックを三回。そうすると部屋の中からぶっきらぼうに「はいっていいぞ」と声が聞こえました。
それでは遠慮なく入らしていただきましょう。
「お元気そうで、何よりです阿礼さん」
阿礼さんは口をあんぐりさせてパクパクさせています。そりゃそうでしょう。数回しか会った事のない、何でもかんでも嘘を見透かす女が、知りもしないはずの病室に入ってきたらこうもなるでしょう。私は謎を解き明かすのが好きだが、人を驚かすのも好きなのです。
しばらく彼の顔を笑顔で見つめていよう。しかし、思ったより回復は早かった。ちぇっ。つまらない。もう元の嫌われ者役に戻っちゃっている。
「何の用だ、僕の記憶が正しければ君とはこれで会うのが三回目だと思うんだが」
「お見舞い、ですよ。果物いろいろ持ってきました。食べますか?」
彼はまた動揺している。そりゃそうでしょう。見知らぬ人からいきなりフルーツのプレゼント。訳が分からないでしょうよ。もっと驚くがいい。
「赤の他人に随分優しいこって。でもどうしてこの場所が分かったんだ?」
「街の嫌われ者さんって聞いたら有名でした」
彼は鼻で笑った。私の悪趣味なジョークに対して。ここで怒る、悲しむ、などの反応を見られれば、彼の人物像を浮き彫りにできるかもと思ったのですが。失敗に終わってしまいました。
「ハッ! それはいいね。嫌われるのには慣れているから、むしろ清々するさ」
彼の身体に黒い靄が浮き上がる。これが、人が嘘をつくときに出る、私にしか見えない靄。私の呪いである。
「それで? 毒でも入っているのか? そのフルーツには」
「本当に疑っています?」
「そりゃそうだろう。数回しか会わず、嫌われ者だと知っている。僕の事を苦しめてから殺したいと考える人間が何人いてもおかしくない」
うん。やっぱり嘘です。この人は私に嫌われるために嘘をついています。それが何故かまではわからないが。この世界にまた一つ、私が解き明かしたい謎が増えました。
「実に面白いですね、阿礼さん。こんなにワクワクするのは子供のころ、小説の犯人をピタリとあてられた時以来です。主人公以外が全員犯人だっていう作品なんですけど。知ってます? “あれは脳汁が出る”というスラングが適切でしょう。まさにその通り。脳内物質が麻薬のように私の脳を痺れさせました」
「僕には本当に君が何を言っているのかわからないよ……」
いよいよ怯えだした。恐怖を感じている。何に? 当然いきなり現れた私と不可解な言動にだろう。目が泳いだ、どうして? 嘘をつこうとしている、もしくは後ろめたいことがある、のだろうか? 聞かれてもいない自分の趣味を話し出す、赤の他人が弁説を振るったらこうなるのも致し方ないかもしれない。さて、ここらが潮時かもしれませんね。
「改めて、私の名前は白鳥希子。また会いましょう。阿礼さん」
「あー。そう、だな」
どうにも歯切れの悪い返事を頂いて私は踵を返して病室を出ていく。やっぱり世界には謎が満ち満ちていて、美しい。きっとこれからも。
病院を出て差し込む日光は私の目をくらませる。目を細めながら上を見ると、青々とした空が広がっている。
大昔の人は太陽に神が住んでいて、地上を照らしているのだと思っていたらしい。今の科学では核融合によって、膨大な熱エネルギーと光エネルギーが放出されていることが知られています。
私は光を遮るように手のひらを太陽に向け、すでに解き明かされた謎に対して別れを告げるかのように手を振った。
■■■
「メロン丸ごと渡されてどう食えばいいんだ?」
畳みかけられる情報量の嵐が僕の頭をオーバーヒートさせ、一言出たのはこの果物をどう剥けばいいのかという純粋な疑問だけだった。




