第6話 決壊
学園祭準備の時、やすり片手に脅した男子はどうやら「いつもの事だ」で済ませることはせずに、愚痴を漏らしていたそうだ。それもそうだろう。女の子の前で格好つけたいのはほとんどの男子たちが思っている事であろう。
彼としても学園祭の準備という最高に高揚して女子たちにもいいところを見せられる場面で、僕という人格破綻者に詰め寄られ恥をさらして尻尾を巻いて逃げた。鬱憤の一つや二つ溜まっていてもおかしくないだろう。
男子生徒自体は、いい気持ちではなかったが、阿礼傑の悪名はよく知っていたので、交通事故に遭った位で仕方ないか、という気持ちだったが。
その男子には一つ上の兄がいたらしい。素行が悪い事で有名で、何度も停学を食らいながらも、話し合いではなく拳で解決するという、この時代には珍しい、前時代的な不良を体現しているような人物だった。
軽い気持ちで兄に愚痴ったが、可愛い弟が辱められて良い思いはしなかった。義憤なんてそんな大したものではなかったのだろう。むしろ調子に乗っている下級生にお灸をすえてやる程度の意趣返しの口実を手に入れた、と喜んでさえいたのかもしれない。
学園祭当日、僕の学級はチュロス屋さんを開くことになっていた。人当たりが良い女の子が学校のテーブルと椅子で作られた即興の商品棚に並べて笑顔を浮かべながら接客していた。僕は裏方で相も変わらず宣伝用の看板の手入れやビラの印刷を任されていた。
売り場に大柄の男が耳にはピアス。当然校則違反だ。でも教師でさえ黙認するほどその先輩は教師や生徒ともども恐れられていた。
「2年A組だよねえ。阿礼傑っての、いる?」
クラスメイトが、答えず、裏の僕を見る。僕は自然に気づかず、作業をしている。
「そいつ?」
近くの女子生徒に聞く。女子生徒はその空気に飲まれている。うんうん、と頷く。
「おーい、阿礼くん」
名前を呼ばれるのには慣れていない。だから僕は自分が呼ばれていることに気づくのに少し時間がかかった。それが癇に障ったようで、先輩はより一層熱の入った声で怒号を上げる。
「おい! 耳ついてねえのか!? 阿礼! お前だよ、お前!!」
そこで初めて気がつく。
「あ……え?」
「え、じゃねえよ。話しあんだよ。こっち来いや」
「いや、でも僕は仕事もあるし」
「いいから来い、お前が俺を無視するとかありえないから」
そうまで言うなら、行かない方が不自然だ。しかし厄介ごとの空気しかない。普通に怖い。
「何でしょうか……」
「うちの弟がよ。お前に世話になったって聞いてよ」
「弟?」
いかんせん心当たりが多すぎる。常に人に嫌われ、恨まれ、疎まれる。いったいどの言動がこの人をこんなにも怒らせているのだろうか。それにしても……。
別に今じゃなくても良いだろう。僕は放課後友達とカラオケに行く事も、ファストフードで買い食いする事もないのだから。
高校生達が年に一度の楽しみにしているこの日にわざわざ問題を起こす事もないじゃないか。と懇切丁寧にオブラートに包み込み、件の先輩に伝えると思い切り襟首を掴まれた。
「このクズがよ、どういった親に育てられたらそこまで嫌われもんになれるんだ? とっとと自殺しろや」
顔を思い切り近づけられた。首にかかる圧力で息が一瞬出来なくなった。
殆ど反射だった。軽く力を入れると、ふわり、と重力を感じさせないように先輩の体が浮く。まさか、クラスで友人の一人もいない僕が柔道を極めているなど想像もしなかっただろう。
彼の先輩の身体は宙を舞い、メープルやシナモンなど沢山の商品が並んでいる机の上に叩きつけられた。脳震盪を起こしてか先輩は意識を手放し、伸びてしまう。女子たちの悲鳴が聞こえてきた。
調理班が丹精込めて作ったチュロスは床に散らばりとても商品にできる状態にはならなくなってしまった。無惨にも美味しそうなチュロスは廊下の埃がトッピングされ、市場価値はゼロとなってしまった。
泣き出す女子に調理班は新しいの作るから、そのけが人を速く保健室に連れて行ってくれ、と大声で懇願している。しかし当然この客がたくさん来ている学園祭で倒れている人間がいるのだ。しかも実行犯は人格破綻の僕である。
教師がすっ飛んできて、状況の説明を僕たちのクラスに求めた。最初はだれもかれも口をつぐんでいたが、女の子の一人が恐る恐る手を挙げた。
「阿礼君が、この人を投げ飛ばしました……」
堰を切ったらもう罵詈雑言の嵐は止まらない。
「お前何なんだよ! 俺達が一生懸命準備してきたの知ってるだろ!」
「どうしてめちゃくちゃにするの? 阿礼君普段はそんな喋らないのに」
「本当にやめてくれよ……。喧嘩したいなら他でやってくれ」
「もう、学校来ないでくれよ……頼むからさ」
僕達のクラスは文化祭中に揉め事を起こした連帯責任として、急遽出店許可を取り下げられる事態と化した。その憎しみの矢面に立たされたのは当然普段からクラスで浮いていた僕だった。
オーケー、オーケー。上出来だ。今日はいつも以上に人に嫌われたな。大豊作だ。後は反省など微塵もしていない態度で決め台詞を言ってグッドゲームだ。だが、一瞬喉がつっかえた。出そうと思った言葉が引っかかって出てこない。
その間にも罵倒は止まらない。はたから見たら虐められているようにも見えるが教師が近くにいるのに止められないという事は、これは“不当な”いじめではなく。“正当な”排他なのだろう。
僕は一瞬、深呼吸をしたあと、満を持して過去最高に格好悪い言葉を吐き捨てた。
「こんなんおままごとでしょ? 素人が作った衛生管理もちゃんとされていないお菓子を学園祭という名目のもと高値で売りつける。そして得られる収益も雀の涙。何をそんなに真剣になっているかわからないな」
その言葉を言った瞬間、教室がしん、と静まり返る。他の教室での出し物は盛況なようでこの2年A組だけが時間が止まったように。
そこから言葉を発した人間はいなかった。僕みたいな社会不適合者に何を言っても無駄だと諦観したのか、怒りや悲しみのあまり適当な言葉が出てこないのか。
どちらでもよかった。もう、どちらでも。僕の使命は嫌われること。愛されない事、愛さない事。結果だけ見れば大勝利といっていい。
それでも、僕は不思議なことに胸の痛みを覚えていた。足早に教室を出ていき階段のほうに向かって歩き出した。教師が一声かけて止めようとするも、渾身の悪意のこもった眼光で睨みつけると、教師はそれ以上の追及はしなかった。
それは僕にとってとても僥倖だった。これ以上この場にいると決壊してしまう。
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屋上へと続く階段には誰もいなかった。よくラブコメではさも普通のように屋上が解放されているが、現実にはめったにあり得ない。ただ、学園祭に馴染めない人たちがこの聖域を占拠しているかもしれないとは思ったが、杞憂だったようだ。
屋上への扉の前で、僕は声を押し殺して泣いた。
「これでいいんだ……。これでいいんだ……」
自分を納得させるためにその言葉を反芻するが、一向に目から流れ落ちる暖かい液体は止まることを知らない。僕だって、チュロスづくりに参加したかった。女の子を脅したり、心無い言葉なんて吐きたくない。誰か友人の一人でもつれていろんな出店のグルメやお菓子を食べて回りたかった。
悔しい。とても悔しい。なんで自分がこんな目にと思った事は何度もある。でも仕方ないんだ。それが呪いなのだから。好きになったものが失われるよりよっぽど喪失感が少ない。
しかし、先ほど先輩に言われた言葉が、頭の中でリフレインする。
僕は爆弾だ。それも解除のしようがない飛び切り凶悪な爆弾だ。好きな物のみを消し去ってしまう。それでも決して高給取りではない両親が育ててくれたんだ。学校にも行かせてくれて、毎月のように教師から問題児だと報告があるのを嫌な顔をしながらも何も言わないでいてくれる。いつ爆発するとも知れない僕を傍においてくれる。ありがたかった。だから、親の事を悪く言われるのは違う。
尊敬していた。僕にはとてもできない事だから。誰かを幸せにしてあげたいと思う事はある。しかしそれを実行できるだけの能力もないし、おまけに呪いと来ている、事実僕も以前死にたくなった時が来ていたのだ。
百円ショップで買った荒縄をドアノブに掛けて、たった百円で命が終わるのかと。自分の人生にはそれだけの価値しかつかないのかと。大粒の涙を流しながら縄に首を掛けた。悔しかった。結果、僕が生きているのだから失敗に終わった事は明白だが。
だから、自殺しろだの、死ねだのは僕が人に嫌われるための手段としても発さない言語である。決してそれは安易に口に出していい言葉ではない。
でもそれでもいいんだ。こうすれば最悪だけは避けられる。理不尽な選択を迫られているのはわかっている。でも僕は、僕は。みんなが好きだから。だから好きにならないように努力する。
服の袖で目元をぬぐって、階段に腰掛けた。ここからでも学園祭の楽しそうな雰囲気だけは伝わってくる。それだけで、いい。
本心じゃない事はわかっている。それでも自分の中の心の整理をつけ、納得させないと先には進めない。ずっと時間は停滞したままだ。
当然この学園祭が終わった後にも僕は学校に通い続けなければならない。
嫌われ者の烙印が。大嫌われ者の烙印に進化した状態で。
でも、暴力によるいじめは起こらないだろう。先ほど札付きのワルをのしてきた後なのだから。暴言や無視程度だろう。苦笑が漏れた。
悔しい、本当に悔しい。
だから、学園祭は、本当に、嫌いだ。




