村外れにて
村を襲った魔物騒ぎから一夜が過ぎた。
村は静けさを取り戻していた。
昨夜はほとんどの村人が眠れなかったらしく、朝になっても家々の扉は固く閉ざされたままだ。
広場では壊れた柵を直す音が響き、男たちが武器を持って周囲を警戒している。
誰もが不安を抱えていた。
魔物は倒した。
だが、本当の脅威はまだ消えていない。
平はほとんど眠らなかった。
夜明け前から一人で森へ入り、昨日倒した魔物の死骸を調べ続けていた。
朝日が木々の間から差し込み、湿った地面を照らしている。
獣の巨体は既に生命の気配を失い、黒い毛並みだけが不気味な光を放っていた。
平は手袋をはめたまま胸部を切り開き、中から小さな黒い結晶を取り出す。
「やっぱり……。」
その欠片は指先ほどの大きさしかない。
しかし、周囲の空気がわずかに歪むほど濃い魔力を宿していた。
宝が横から身を乗り出す。
「それが昨日言ってたやつ?」
「ああ。」
平は頷く。
「人工物だ。」
黒い結晶はガラスのような質感を持ちながら、内部では赤黒い光が脈打っている。
自然界で生まれるものではない。
誰かが意図的に作り出した魔導具だった。
宝は慎重に眺める。
「誰かが作ったの?」
「ああ。」
平は静かに答える。
「魔物の体内へ埋め込み、理性を奪う。」
「さらに魔力を無理やり増幅させ、命令だけを聞く兵器へ変える。」
宝は眉をひそめた。
「そんなことまで……。」
「普通の魔術師には不可能だ。」
平は欠片を見つめる。
「魔力制御。」
「生命操作。」
「精神干渉。」
「最低でも三つの禁術を同時に扱えなければ作れない。」
宝は驚きを隠せない。
「そんな人がいるの?」
「昔はいた。」
平の表情が少しだけ曇る。
「俺の知る限り、一人だけ。」
宝は昨日漏らした名前を思い出す。
「成宮……。」
その名前が口から出た瞬間。
平の手が止まった。
怒りではない。
憎しみでもない。
胸の奥から滲み出るような悲しみ。
そして、自分自身を責める後悔。
宝は何も言わず、その横顔を見つめる。
やがて静かに尋ねた。
「先生って呼ばれてたよね。」
「……。」
「成宮って、あなたの大切な人だった?」
平はしばらく答えなかった。
森を吹き抜ける風だけが二人の間を流れる。
その沈黙こそが答えだった。
「昔。」
平はようやく口を開く。
「俺には弟子がいた。」
「成宮蓮。」
「まだ十歳だった。」
宝は静かに耳を傾ける。
「戦争孤児だった。」
「家族も故郷も失っていた。」
「泣きもしなかった。」
「ただ、生きることだけを考えていた。」
平は遠い昔を見つめるように目を細める。
「才能だけなら俺より上だった。」
「魔術を覚えるのも。」
「剣を振るうのも。」
「理論を理解するのも。」
「全部、あいつの方が早かった。」
宝は少し笑う。
「じゃあ天才だったんだ。」
「ああ。」
平は頷く。
「だからこそ危なかった。」
「力を持つ意味を理解していなかった。」
「力は人を救うためではなく、自分の願いを叶える道具だと思っていた。」
「何度も教えた。」
「何度も叱った。」
「それでも……。」
平はそこで言葉を切った。
宝は続きを聞かなかった。
聞かなくても分かる気がした。
きっと何かが起きた。
取り返しのつかない何かが。
平はゆっくり立ち上がる。
「もし成宮が関わっているなら。」
「この村だけの問題じゃない。」
「世界中で同じことが起きる。」
その時だった。
村の方角から大きな叫び声が響く。
「魔物だ!」
「逃げろ!」
「子どもを連れていけ!」
宝が反射的に振り向く。
「また魔物!?」
平は耳を澄ませる。
すぐに首を横へ振った。
「違う。」
「え?」
「足音が少なすぎる。」
「これは……。」
平の目が鋭くなる。
「人間だ。」
二人は一気に村へ駆け戻った。
広場へ辿り着くと、そこには異様な光景が広がっていた。
十数人の黒い外套をまとった集団。
全員が顔を仮面で隠し、村人たちを囲んでいる。
武器を持つ者。
杖を持つ者。
誰も一言も話さない。
まるで訓練された兵士だった。
そして、その中心。
一人の少年が静かに立っていた。
黒髪。
細身の身体。
柔らかな笑顔。
年齢は二十歳ほど。
まるで旧友と再会したかのように微笑んでいる。
「久しぶりですね。」
その声を聞いた瞬間。
平の足が止まる。
「……成宮。」
少年は嬉しそうに笑った。
「ああ。」
「やっぱり先生でしたか。」
その笑顔だけは昔と変わらない。
だが。
その瞳の奥には、人間らしい温もりが消えていた。
底の見えない闇だけが広がっている。
宝が平の隣へ並ぶ。
「この人が……。」
平は静かに頷く。
「ああ。」
「俺の弟子だ。」
成宮は嬉しそうに笑った。
「覚えていてくれたんですね。」
「忘れるわけがない。」
平の声は低い。
感情を押し殺しているのが分かる。
「なぜこんなことをする。」
成宮は首を傾げる。
「こんなこと?」
「村を襲わせた。」
「ああ。」
成宮は納得したように手を叩く。
「あれですか。」
「実験ですよ。」
宝の顔色が変わる。
「実験……?」
「そう。」
成宮はまるで研究成果を発表する学者のように語り始めた。
「先生がいなくなった後。」
「世界は大きく変わりました。」
「英雄が消え。」
「戦争は終わり。」
「人類は平和を手に入れた。」
「でも、それだけです。」
「誰も前へ進まない。」
「誰も進化しない。」
「だから私は考えた。」
両手を広げる。
「人間はどこまで変われるのか。」
「魔物と融合したら。」
「恐怖を乗り越えたら。」
「限界を壊したら。」
「どこまで高みに届くのか。」
平の拳が音を立てる。
「お前……。」
成宮は笑った。
「昔から変わりませんね。」
「先生は。」
「まだ他人のために怒れる。」
「その優しさだけは。」
「本当に嫌いでした。」
宝は思わず息を呑む。
弟子の口から出る言葉とは思えなかった。
成宮は一歩前へ出る。
「今日は。」
「確かめに来ました。」
「先生が本当に弱くなったのか。」
平は静かに構える。
「やめろ。」
「先生。」
成宮の目が赤く輝く。
「お願いします。」
「もう一度。」
「俺にあなたを見せてください。」
次の瞬間。
成宮の姿が消えた。
「速い!」
宝が叫ぶ。
平は反応する。
しかし。
一瞬遅かった。
ドンッ!!
腹部へ強烈な衝撃。
平の身体が十メートル以上吹き飛び、広場を転がる。
石畳が砕け、土煙が舞い上がった。
「平!」
宝が駆け寄る。
平は片膝をつきながら血を吐いた。
成宮は元の場所へ戻り、静かに立っている。
「やっぱり。」
少しだけ残念そうに笑う。
「昔より遅い。」
「身体も鈍ってる。」
「魔力も半分以下。」
「これじゃあ。」
「世界は救えませんよ。」
平はゆっくり立ち上がる。
口元の血を拭う。
何も言わない。
その沈黙が、かえって空気を張り詰めさせた。
成宮が口角を上げる。
「先生。」
「まだ本気じゃありませんよね?」
平は静かに外套の内側へ手を入れる。
取り出したのは、一挺の黒い銃。
無駄な装飾は一切ない。
それでいて見る者を圧倒する存在感を放っている。
宝は思わず息を呑んだ。
「平……。」
その武器を握る姿は、旅人ではない。
忘れられた英雄でもない。
世界最強と呼ばれた戦士、そのものだった。
レグルスガン。
英雄・悪石平の象徴。
戦場で幾度となく奇跡を起こした伝説の魔導銃。
平は静かに銃口を成宮へ向ける。
「成宮。」
「一つだけ聞く。」
「なぜ戻ってきた。」
成宮は少しだけ目を伏せる。
そして、穏やかに笑った。
「決まってるじゃないですか。」
その笑顔には、かつて師を慕っていた少年の面影がほんのわずかに残っていた。
しかし次の瞬間、その瞳は冷たい狂気に染まる。
「先生を――」
「終わらせるためですよ。」
風が吹く。
夜明け前の静かな村。
誰も息をすることさえ忘れていた。
英雄と、その弟子。
かつて世界を救うために肩を並べた二人は、今、互いに銃と拳を向け合う。
長い年月を越えた因縁の戦いが、静かに幕を開けようとしていた。




