43話
七日目の朝は、信じられないほど穏やかだった。
まるで昨夜までの戦いが嘘だったみたいに。
庭には朝露が残り、鳥が鳴いている。空は青く、風は柔らかい。
私は縁側に座り、その景色をぼんやり眺めていた。
終わったのだ。
本当に。
夢は。
悪夢は。
全部。
なのに実感が追いつかない。
土方に支えられて広間へ戻ったあと、気が抜けたように眠ってしまったらしい。目が覚めた時には昼近くになっていた。
隊士たちは後処理に追われている。
敵軍は降伏した者と逃げた者に分かれた。
宿の人々は何度も何度も頭を下げている。
死ぬはずだった人たちが笑っている。
その光景を見るたび胸が熱くなった。
「ここにいたか」
聞き慣れた声。
振り返らなくても分かる。
土方だった。
私は少し笑う。
「探した?」
「探した」
即答だった。
迷いなく。
当然みたいに。
その返事だけで顔が熱くなる。
土方は私の隣へ座った。
肩が触れる。
以前なら慌てていただろう。
でも今は違う。
その距離が心地いい。
しばらく二人とも黙っていた。
風の音だけが聞こえる。
不思議と気まずくない。
「なあ」
土方が言う。
「何」
「覚えてるか」
少しだけ目を細める。
「終わったら返事を聞くって話」
心臓が跳ねる。
ああ。
それか。
忘れるわけがない。
戦いの最中に何度も言われた。
こんな人いるだろうか。
最終決戦の直前に告白の続きを予約する人。
思わず笑ってしまう。
土方が眉を寄せる。
「何だ」
「いや」
肩を揺らす。
「本当に言うんだなって」
「言う」
即答。
逃げる気はないらしい。
その真っ直ぐさに胸が苦しくなる。
土方は少しだけ視線を逸らした。
珍しい。
照れている。
分かりやすすぎる。
「……俺は」
低い声。
「最初、お前を処分する気だった」
「知ってる」
「意味分からなかったからな」
それも知っている。
私だって逆の立場ならそう思う。
信長を名乗る謎の女。
どう考えても怪しい。
「だが」
土方が続ける。
「気づいたら目で追ってた」
胸が熱い。
「変なことしねぇか見てただけだと思ってた」
少し笑う。
自嘲するみたいに。
「違った」
その声は静かだった。
でも。
一番本音だった。
「お前が笑うと安心した」
視線が合う。
「怪我すると腹が立った」
近い。
思った以上に。
「泣きそうな顔すると苦しかった」
胸がいっぱいになる。
土方は少しだけ息を吐いた。
そして。
「好きだ」
そう言った。
簡単に。
真っ直ぐに。
誤魔化しもなく。
言葉を飾ることもなく。
ただ一言。
それだけだった。
でも。
十分だった。
私は笑う。
泣きそうになりながら。
笑う。
「遅い」
そう言うと。
土方が少しだけ目を見開く。
「何」
「とっくに知ってた」
今度は土方が笑った。
本当に珍しく。
肩を震わせて。
声を出して。
笑った。
その顔を見ているだけで幸せだった。
「で」
土方が言う。
「返事は」
分かっているくせに。
聞く。
ちゃんと。
私は少しだけ体を寄せる。
肩が触れる。
そして。
「私も好き」
小さく言う。
土方の呼吸が止まる。
面白いくらい分かりやすい。
「ずっと」
続ける。
「最初に会った時から」
「早すぎるだろ」
真顔で言われる。
思わず吹き出す。
確かにそうだ。
でも仕方ない。
格好良かったのだから。
土方は困ったように笑う。
そして。
ゆっくり手を伸ばした。
頬へ触れる。
優しく。
壊れ物みたいに。
「……帰るなよ」
ぽつりと言う。
その声だけが。
少し弱かった。
初めて見る顔だった。
不安そうな。
怖そうな。
失うことを恐れている顔。
私はその手に自分の手を重ねる。
「帰り方知らないし」
笑う。
「それに」
少しだけ近づく。
「帰りたくない」
本心だった。
土方の目が細くなる。
安心したみたいに。
嬉しそうに。
そして。
額へ額が触れる。
戦いの最中にもした。
何度も。
でも今は違う。
もう恐怖も絶望もない。
ただ。
穏やかな気持ちだけがある。
「じゃあ」
土方が囁く。
「これからも隣にいろ」
私は頷く。
迷いなく。
何度でも。
「うん」
七日目の朝。
悪夢の終わり。
そして。
誰も知らない未来の始まり。
庭を吹き抜ける風は優しかった。
まるで祝福するみたいに。




