4話
庭を歩く足音が、やけに大きく聞こえる気がした。砂利を踏む音が規則的に続くたびに、自分の存在がここにあることを突きつけられる。逃げ場のない現実の中で、私は土方の半歩後ろを歩いていた。距離は近いのに、心理的にはまだ遠い。けれど、その距離が少しずつ縮まっている感覚もあった。理由はわからない。ただ、完全に拒絶されていないという事実だけが、心のどこかで支えになっている。
(試されてる)
その感覚は消えない。むしろ強くなる。土方は何も言わない。ただ歩くだけ。でも、その沈黙が一番怖い。言葉がない分、こちらの一つ一つの反応が見られている気がする。
やがて土方が足を止めた。視線の先には、屋敷の裏手に回る細い道がある。人通りが少なく、少しだけ空気が淀んでいるように感じる場所。
「……ここ、来たことあるか」
唐突な問い。
「……ない」
即答する。でも心の中では否定できない感覚があった。夢で見たことがある。ここを通った記憶がある。けれどそれを言うわけにはいかない。
土方はしばらく何も言わなかった。こちらを見ている気配もない。ただ、その場に立っている。
「……そうか」
短くそれだけ言うと、再び歩き出した。今度はその道に入る。
空気が変わる。さっきまでの開けた庭とは違い、ここは閉じている。木の影が濃く、光が届きにくい。ほんの少し、肌寒い。
(嫌な感じ……)
直感的な拒否感が胸の奥に広がる。夢で見た“最後”に近い空気。何かが起きる前の静けさ。
それでも足を止めない。止めたら、ここに来た意味がなくなる。
道の先に、小さな扉が見えた。屋敷の外観からは気づきにくい位置にある、隠すように設置された扉。
心臓が強く打つ。
(ここだ)
夢で見た場所。間違いない。
土方がその前で止まる。振り返らないまま、低く言う。
「……開けてみろ」
一瞬、耳を疑う。
「……俺がか」
「お前だ」
逃げ道はない。断る理由もない。けれど手が動かない。指先が冷たくなる。
(開けたら……)
あの光景が、頭に浮かぶ。積み重なった死体。血の匂い。崩れ落ちる人たち。
怖い。
でも。
(見ないと、変えられない)
ゆっくりと手を伸ばす。扉に触れる。冷たい木の感触。現実だ。
力を込めて、押す。
軋む音とともに、扉が開く。
中は暗かった。光がほとんど入らない空間。目が慣れるまで、何も見えない。
けれど、匂いはすぐに分かった。
鉄の匂い。湿った、重い空気。
(……血)
喉の奥がひりつく。
視界が徐々に慣れてくる。輪郭が浮かび上がる。
そして。
そこにあったものを、認識した瞬間。
息が止まった。
積み重なった人の形。
崩れた姿勢のまま動かない体。
古いものと、新しいものが混ざっている。
完全には朽ちていないものもある。
「……っ」
声にならない音が漏れる。足が一歩後ろに下がる。視界が揺れる。
(ほんとに……ある)
夢じゃなかった。
全部、本当だった。
膝が崩れそうになるのを、なんとか踏みとどまる。ここで倒れたら、全部終わる。
でも、無理だ。
視線を逸らそうとしても、どうしても目に入る。見たくないのに、見えてしまう。
「……初めてじゃねぇ顔だな」
後ろから土方の声が落ちる。
振り返れない。
「……どういうことだ」
問いが投げられる。
答えられない。
言葉が出てこない。
(言わなきゃ)
わかっている。でも喉が動かない。怖い。信じてもらえないかもしれない。処分されるかもしれない。
でも。
(このままじゃ、また死ぬ)
それだけは、はっきりしている。
震える息を吸う。
無理やり声を出す。
「……ここは」
うまく言葉にならない。頭の中にあるものを、そのまま出せばいいのに、それができない。
「……繰り返してる」
やっと出た言葉は、それだった。
土方の気配が、わずかに変わる。
「……何をだ」
「……同じことを」
視線を扉の中に戻す。現実を見据える。
「……全員、死ぬ」
言ってしまった。
空気が止まる。
逃げ場がなくなる。
「……見たのか」
低い声。試すような響き。
「……夢で」
嘘じゃない。でも、信じられるとは思えない。
「……何度も」
そこまで言ったところで、声が震えた。
「……何度も見た」
喉が痛い。息が浅い。
「……最後は、全部こうなる」
指先が震えながら、奥を指す。
「……誰も、残らない」
沈黙。
長い沈黙。
時間が止まったみたいに感じる。
(終わった)
そう思った。言ってしまった以上、もう戻れない。処分されても仕方ない。
でも。
「……なるほどな」
予想と違う言葉が落ちた。
顔を上げる。
土方は、扉の中を見ていた。表情は変わらない。けれど、目だけが少しだけ鋭くなっている。
「……だから、か」
何かを納得したような、小さな声。
「……昨日からの違和感は」
こちらを見る。その視線は、さっきまでとは違う。
「……お前、本気で言ってるな」
疑いはある。でも、完全な否定ではない。
それだけで、息が少しだけ戻る。
「……ああ」
かすれた声で返す。
「……本気だ」
嘘も混ざってる。でも、この部分だけは本当だ。
土方はしばらくこちらを見たあと、ふっと息を吐いた。
「……いい」
短く言う。
「……付き合ってやる」
その言葉の意味を、理解するのに少し時間がかかった。
「……は?」
思わず声が出る。
「全部は信じねぇ」
当然だと思う。
「だが、無視するには妙に筋が通ってる」
扉の中を一瞥する。
「……ここを知ってる時点でな」
確かに、普通は知らない場所だ。
「しばらくは、俺の指示で動け」
視線がまっすぐ向けられる。
「……勝手な真似はすんな」
でも、その言葉の奥にあるのは拒絶じゃない。
「……使えるなら使う」
それだけ。
でも、それでいい。
(信じてもらえた……?)
完全じゃなくてもいい。少しでも届いたなら。
「……わかった」
はっきりと頷く。
土方はそれ以上何も言わず、扉を閉めた。
重い音が響く。
さっきまでの光景が、遮断される。
でも、消えたわけじゃない。
あれは現実だ。
これから起きる未来だ。
だから。
(変える)
強く、そう思う。
怖さは消えない。震えも止まらない。
それでも。
(絶対に)
その決意だけが、はっきりと胸の中に残っていた。




