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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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38話

 広間の空気が凍りついた。


 誰もすぐには言葉を発せない。


 近藤がいる。


 敵の先頭に。


 そんな馬鹿な話があるか。


 近藤本人は確かにこの屋敷の中にいる。ついさっきまで隊士たちが守っていたはずだ。


 「何を言ってる」


 土方の声は静かだった。


 静かすぎて逆に怖い。


 報告に来た隊士も顔面蒼白だった。


 「お、俺もそう思いました!」


 必死な声。


 「ですが本当なんです! 姿も顔も、声まで!」


 広間がざわめく。


 近藤本人を知る隊士たちだからこそ動揺していた。


 土方は即座に振り返る。


 「近藤さんは」


 「別室で保護中です!」


 別の隊士が答える。


 「確認したか」


 「はっ!」


 つまり。


 中に近藤がいる。


 外にも近藤がいる。


 異常だった。


 だが。


 私の胸の奥で、何かが引っかかった。


 夢にはなかった。


 けれど。


 夢の中で見えなかった部分なのかもしれない。


 番頭は地面に押さえつけられている。


 その顔を見た。


 笑っていた。


 血を流しながら。


 気味が悪いほど穏やかに。


 「何がおかしい」


 土方が睨む。


 番頭は笑う。


 「今さら気づいても遅い」


 低い声。


 「奴はもう来ている」


 奴。


 近藤ではない。


 別の誰か。


 その瞬間。


 私の頭の中で夢の断片が繋がった。


 死体の山。


 崩壊した広間。


 そして。


 人々が恐怖していたもの。


 敵軍じゃない。


 もっと個人的な。


 もっと象徴的な。


 「……偽物」


 思わず呟く。


 土方がこちらを見る。


 「何だ」


 「夢で」


 息が苦しい。


 思い出せ。


 あと少しだ。


 「皆が言ってた」


 記憶が戻る。


 断片的だった会話。


 泣きながら叫ぶ声。


 絶望した顔。


 「局長が……局長が化け物になったって」


 広間が静まり返る。


 土方の目が細くなる。


 「化け物?」


 「たぶん違う」


 首を振る。


 「でも誰かが近藤さんの姿をしてた」


 夢の中では意味が分からなかった。


 今なら分かる。


 外にいるのは近藤じゃない。


 近藤の姿を利用している何かだ。


 番頭が笑う。


 「さすが夢見のお嬢ちゃんだ」


 その呼び方に鳥肌が立つ。


 番頭は私を見ていた。


 最初から。


 ずっと。


 「お前……知ってたのか」


 土方の声が低くなる。


 番頭は答えない。


 ただ笑うだけだった。


 その時。


 外から歓声が聞こえた。


 敵の声。


 それも。


 異様なほど熱狂した声。


 まるで救世主でも現れたような。


 土方は即座に歩き出す。


 「正門へ行く」


 隊士たちが続く。


 私も走る。


 夜風が冷たい。


 胸が嫌な音を立てている。


 正門へ近づくほど歓声が大きくなる。


 そして。


 門の上から外を見た瞬間。


 息を呑んだ。


 いた。


 本当に。


 近藤勇が。


 松明の海の中心に。


 月明かりに照らされながら立っていた。


 顔も同じ。


 背格好も同じ。


 声まで同じだった。


 「隊士たちよ!」


 響く声。


 聞いたことがなくても分かる。


 人を惹きつける声だった。


 「道を開け!」


 敵軍が歓声を上げる。


 だが。


 何かがおかしい。


 近藤なのに。


 近藤じゃない。


 目だ。


 目だけが。


 異様だった。


 生きた人間の目じゃない。


 冷たい。


 深い。


 底が見えない。


 土方が門の上から見下ろす。


 しばらく黙る。


 そして。


 「誰だ、お前」


 静かに言った。


 敵軍がざわめく。


 偽物の近藤が笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 全身の毛が逆立つ。


 番頭と同じ笑い方だった。


 「久しぶりだな、土方」


 近藤の声。


 だが違う。


 どこか歪んでいる。


 「随分と楽しそうじゃないか」


 土方は刀の柄を握る。


 強く。


 「近藤さんを騙るな」


 その声に怒りが混じる。


 初めて聞く種類の怒りだった。


 偽物は肩をすくめた。


 「騙る?」


 笑う。


 「失礼だな」


 月光の下。


 その顔がゆっくり歪む。


 近藤の顔のまま。


 人ではない何かみたいに。


 「私は本物をよく知っている」


 ぞっとする。


 夢にはなかった。


 これは。


 夢の先だ。


 未来が変わったからこそ現れた、本当の黒幕。


 私の隣で土方が一歩前へ出る。


 そして。


 振り返らずに言った。


 「離れるな」


 いつもの言葉。


 だけど今夜は少し違った。


 その声には。


 守るという意思と。


 絶対に失いたくないという感情が滲んでいた。


 私は頷く。


 強く。


 「離れない」


 敵軍の歓声が夜空を揺らす。


 六日目の夜。


 運命の本当の敵が、ようやく姿を現した。


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