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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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37/45

37話

 刀が鞘を走る音は、戦場の喧騒よりもはっきり聞こえた。


 広間の空気が一瞬で凍る。


 私も土方も反射的に振り返る。


 隊士たちも同じだった。


 誰だ。


 どこだ。


 敵は外にいるはずなのに。


 なぜ中から刀の音がした。


 数秒。


 いや、一秒もなかったかもしれない。


 その沈黙を破ったのは悲鳴だった。


 「っ!!」


 隊士の一人が倒れる。


 肩口から血が噴いた。


 その後ろ。


 刀を握って立っていたのは――。


 宿の番頭だった。


 昨夜から何度も顔を見た男。


 怯えた宿の者たちを落ち着かせていた。


 怪我人へ水を配っていた。


 何度も礼を言ってきた男。


 その男が笑っていた。


 「ようやく思い出したか」


 低い声。


 背筋が冷たくなる。


 夢の最後。


 確かにいた。


 顔は曖昧だった。


 でも。


 この笑い方だけは覚えている。


 地下の男たちと同じだ。


 「お前か……!」


 土方の声が低くなる。


 番頭は肩をすくめた。


 「残念だったな」


 まるで世間話をするような口調。


 「あと少しだったのに」


 広間の入口では敵の本隊が迫っている。


 中には裏切り者。


 夢ではここで全てが崩れた。


 隊が混乱し。


 避難民が巻き込まれ。


 死体の山ができた。


 「土方!」


 私は叫ぶ。


 「こいつ!」


 言葉にならない。


 説明する時間がない。


 だが土方は理解したらしい。


 目が鋭く細まる。


 「近藤さんを守れ!」


 隊士たちへ飛ぶ声。


 同時に自分は番頭へ向かう。


 速い。


 誰よりも。


 だが。


 番頭は笑っていた。


 まるで待っていたみたいに。


 「遅い」


 その瞬間。


 広間の柱が爆ぜた。


 轟音。


 火薬。


 地下室で見つけたものと同じ臭い。


 柱の内部へ仕掛けられていたのだ。


 「っ!!」


 床が揺れる。


 悲鳴。


 崩れる木材。


 夢が蘇る。


 これだ。


 これが最後の引き金だった。


 外敵じゃない。


 内部の破壊工作。


 それで防衛線が崩れたのだ。


 土方が叫ぶ。


 「落ち着け!」


 怒鳴る声。


 それだけで隊士たちが我に返る。


 昨夜までの彼らなら違ったかもしれない。


 だが今は違う。


 何度も修羅場を越えた。


 すぐに動き始める。


 怪我人を下げる者。


 出口を確保する者。


 敵の侵入へ備える者。


 混乱しない。


 それを見た瞬間。


 番頭の顔色が初めて変わった。


 「……何故だ」


 小さく呟く。


 夢ではここで崩壊した。


 それが前提だったのだろう。


 「何故崩れない」


 その声に。


 私は思わず笑いそうになる。


 「みんな強いからだ」


 口から出た。


 番頭がこちらを見る。


 私は震えていた。


 怖い。


 怖いけれど。


 もう逃げない。


 「お前が思ってるほど弱くない」


 土方も聞いていたらしい。


 少しだけ口元が上がる。


 「その通りだ」


 低い声。


 次の瞬間。


 土方が踏み込む。


 番頭も刀を抜く。


 ぶつかる。


 火花。


 広間の中央。


 二人の動きは速すぎて追えない。


 だが一つだけ分かる。


 土方が押している。


 番頭の顔から余裕が消えていく。


 「馬鹿な……!」


 「終わりだ」


 短い声。


 土方の刀が男の手を弾く。


 刀が飛ぶ。


 床へ落ちる。


 番頭が後退する。


 逃げようとする。


 その時。


 外から角笛が鳴った。


 敵本隊の突撃合図。


 正門側が騒がしくなる。


 番頭の顔が歪む。


 まだ勝てると思ったのだろう。


 だが。


 土方は振り返らない。


 目の前の敵だけを見る。


 そして。


 「お前の負けだ」


 静かに言った。


 番頭が動く。


 最後の抵抗。


 だが遅い。


 土方の一撃が男の肩を捉える。


 倒れる。


 完全に。


 動けなくなる。


 夢の中で全てを壊した男は。


 こうして終わった。


 広間が静かになる。


 ほんの一瞬。


 その静寂の中で。


 土方がこちらを見る。


 目が合う。


 何も言わない。


 でも伝わる。


 間に合った。


 変えた。


 ここまでは。


 確実に。


 だが。


 次の瞬間。


 正門側から隊士が飛び込んでくる。


 顔色が悪い。


 「副長!」


 息を切らしながら叫ぶ。


 「敵本隊です!」


 その声に広間が再び緊張する。


 隊士は続ける。


 「ですが……」


 言葉が詰まる。


 何かがおかしい。


 土方が眉を寄せる。


 「何だ」


 隊士は唾を飲み込んだ。


 そして。


 「敵の先頭に……近藤局長がいます」


 時間が止まった。


 誰も動かない。


 理解できない。


 近藤は今、この屋敷の中にいるはずだ。


 守られているはずだ。


 なのに。


 敵の先頭にいる?


 私の背筋を冷たいものが走る。


 夢にはなかった。


 これは。


 夢の先にある未来だった。


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