36話
鐘の音が夜を切り裂いた。
静まり返っていた屋敷が、一瞬で目を覚ます。
隊士たちが飛び起きる音。
廊下を駆ける足音。
宿の者たちのざわめき。
先ほどまでの穏やかな空気が嘘みたいに消えていく。
けれど不思議だった。
夢で見た時ほどの恐怖がない。
もちろん怖い。
山を埋めるほどの松明の列など、見ただけで足が竦む。
だが今は違う。
あの夢の時と違って、皆が準備できている。
何より――。
「副長!」
隊士たちが次々と集まってくる。
誰一人として怯えた顔をしていない。
緊張はある。
だが、それだけだ。
土方は広間の中央に立つ。
背筋を伸ばし、全員を見渡す。
たったそれだけで空気が落ち着く。
「聞け」
低い声。
広間が静まる。
「敵が来る」
誰も騒がない。
皆知っているからだ。
「だが慌てる必要はねぇ」
土方の視線が隊士たちを順に見ていく。
「昨夜も止めた」
短い言葉。
それだけで皆の顔が引き締まる。
「地下も潰した」
誰かが頷く。
「残党も叩いた」
隊士たちの目が変わる。
自信が戻る。
「だったら今回も同じだ」
静かに言う。
「止めるぞ」
その一言で十分だった。
「おお!!」
広間に声が響く。
私は思わず息を呑む。
夢の中にはなかった光景だ。
あの時の皆は、何が起きるかも知らず死んでいった。
今は違う。
知っている。
構えている。
戦う意思がある。
土方が振り返る。
視線が合う。
ほんの一瞬。
でも、その目は言っていた。
大丈夫だ、と。
隊の配置が始まる。
正門。
裏門。
北側。
屋根。
全てに人が置かれる。
夢では後手だった。
今は先手だ。
その時だった。
ふと違和感が胸をよぎる。
山。
松明。
本隊。
夢の記憶。
何かがおかしい。
私は眉を寄せる。
思い出せない。
あと少しなのに。
何か重要なことを忘れている。
「どうした」
土方が近づいてくる。
周囲の隊士たちは慣れたものだった。
副長が真っ先にこちらへ来ることに、もう誰も驚かない。
むしろ微笑ましそうに見ている。
「……思い出せそう」
小さく言う。
「何を」
「最後」
胸がざわつく。
夢の終わり。
最後に見たもの。
あの絶望。
何だった。
松明じゃない。
襲撃でもない。
もっと。
もっと決定的な。
そこで土方の手が伸びる。
肩に置かれる。
大きな手。
温かい。
「焦るな」
低い声。
「思い出せなくても、お前一人で背負う話じゃねぇ」
胸が締めつけられる。
優しい。
本当に。
この人は。
「……ありがとう」
そう言うと、土方が少しだけ表情を緩めた。
「終わったら礼を考えろ」
こんな状況なのに。
思わず笑ってしまう。
「何それ」
「約束だ」
真顔だった。
その時。
外から叫び声が上がる。
「見えたぞ!」
全員が振り返る。
正門の方角。
ついに敵の先頭が姿を現した。
数十。
いや、百近い。
松明の光が揺れている。
圧倒的な数。
それでも。
夢と違う。
夢ではもっと怖かった。
今は隣に人がいる。
守りたい人も。
守ってくれる人も。
土方が刀を抜く。
金属音が夜に響く。
隊士たちも続く。
戦う準備はできている。
私はその横顔を見る。
月明かりの下。
土方は静かだった。
不思議なくらい。
そして。
「終わらせようぜ」
少しだけ笑った。
その顔を見た瞬間。
記憶が繋がる。
思い出した。
夢の最後。
何が起きたのか。
何が全てを壊したのか。
襲撃じゃない。
敵の数でもない。
もっと内側だ。
「土方!!」
思わず叫ぶ。
土方が振り返る。
私は顔面蒼白だったと思う。
「違う!」
息が苦しい。
「敵じゃない!」
夢の最後。
あの絶望。
死体の山。
崩壊。
全部の始まり。
それは。
「裏切り者がいる!!」
空気が凍りついた。
そして同時に。
広間の奥で。
誰かが刀を抜く音がした。




