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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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35/42

35話

 夜半を過ぎた屋敷は静かだった。


 静かすぎるほどに。


 見回りをしながら、私は何度も周囲を見渡した。廊下、庭、裏門、北棟。どこにも異変はない。


 隊士たちも緊張しながら配置についている。


 誰も気を抜いていない。


 それなのに。


 何も起きない。


 「……変だな」


 土方がぽつりと呟く。


 同じことを考えていた。


 夢の中では、もうとっくに惨劇が始まっていた時間だった。


 「終わったのかな」


 小さく言う。


 土方はすぐには答えなかった。


 月明かりの庭を見ながら考えている。


 「分からねぇ」


 やがてそう答える。


 「だが」


 少しだけこちらを見る。


 「終わってるなら、それでいい」


 その言葉に肩の力が抜ける。


 そうだ。


 無理に何か起こる前提で考える必要はない。


 未来は変わった。


 何度も。


 その事実を信じてもいいのかもしれない。


 見回りを終えた頃には、空気も少し柔らかくなっていた。


 隊士たちの表情にも余裕が戻り始める。


 「副長」


 若い隊士が近づいてくる。


 「どうした」


 「もう何も起きない気がします」


 土方は少しだけ笑った。


 「油断するな」


 「はい」


 隊士は返事をしながらも嬉しそうだった。


 それを見ていると、こちらまで少し安心する。


 広間へ戻る。


 人々も眠り始めていた。


 子どもたちは布団の中。


 宿の者たちも疲れ切っている。


 生きている。


 皆。


 ちゃんと。


 私は広間の入口で立ち止まった。


 夢では、この場所に死体が並んでいた。


 血が流れていた。


 叫び声が響いていた。


 今は違う。


 静かな寝息が聞こえるだけだ。


 急に涙が出そうになる。


 変わったんだ。


 本当に。


 「おい」


 隣から声がする。


 土方だった。


 「泣くな」


 「泣いてない」


 「泣きそうな顔だ」


 図星だった。


 私は小さく笑う。


 土方も少しだけ表情を緩める。


 そのまま広間を離れ、縁側へ出る。


 夜風が涼しい。


 空を見上げると、月が高い。


 あと少しで夜明けだ。


 夢の時間は終わろうとしている。


 「なあ」


 土方が隣で言う。


 「何」


 「もし」


 珍しく言葉を選んでいる。


 私は黙って待つ。


 「もし本当に終わったら」


 そこで一度視線を逸らす。


 そして。


 「ちゃんと返事を聞かせろ」


 心臓が大きく鳴る。


 「返事?」


 分かっているのに聞き返す。


 土方が少しだけ眉を寄せた。


 「分かってるだろ」


 低い声。


 少し照れている。


 それが分かるから余計に胸が熱い。


 私は笑う。


 「じゃあ聞くけど」


 「何だ」


 「それって告白?」


 数秒。


 沈黙。


 土方が顔を覆う。


 初めて見た。


 こんな反応。


 「……お前な」


 「だって確認」


 「確認するな」


 耳が赤い。


 完全に。


 私は吹き出しそうになる。


 土方が睨む。


 でも迫力が足りない。


 「副長でもそういう顔するんだ」


 「黙れ」


 「可愛い」


 「斬るぞ」


 全然怖くない。


 むしろ嬉しそうに見える。


 夜風が二人の間を通り過ぎる。


 穏やかな時間だった。


 だから。


 最初は気づかなかった。


 微かな違和感に。


 風の流れ。


 音。


 空気。


 何かがおかしい。


 私はふと顔を上げた。


 空を見る。


 月。


 雲。


 そして――。


 「……あれ」


 土方も気づく。


 視線が同じ方向へ向く。


 屋敷のはるか奥。


 山の方角。


 暗闇の中。


 小さな灯りが見える。


 一つじゃない。


 二つでもない。


 無数だ。


 まるで。


 夜の山を埋め尽くす松明の列。


 私の血の気が引く。


 思い出した。


 忘れていた。


 夢の最後。


 本当の最後に見た光景を。


 屋敷を襲ったのは先遣隊だった。


 地下の連中も。


 林の残党も。


 全部。


 本隊じゃなかった。


 「土方……」


 声が震える。


 土方の顔から笑みが消える。


 鋭い目で山を見る。


 数秒。


 そして。


 「鐘を鳴らせ」


 静かな声。


 なのに全員を震わせる声。


 「総員起こせ」


 立ち上がる。


 風が吹く。


 山の灯りはゆっくり近づいている。


 夢の終わり。


 本当の惨劇。


 それが今から始まろうとしていた。


 けれど。


 私は前ほど絶望していなかった。


 隣を見る。


 土方がいる。


 こちらを見る。


 目が合う。


 そして。


 「離れるな」


 いつもの言葉。


 でも今夜は少し違う。


 戦いのためだけじゃない。


 もっと深い意味が込められている気がした。


 私は頷く。


 強く。


 「離れない」


 鐘の音が夜を裂く。


 六日目の夜。


 運命の最終幕が、ついに始まった。


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