34話
六日目の夜は、ゆっくりと更けていった。
広間の崩落騒ぎが落ち着いた頃には、空は完全に暗くなっていた。負傷者の確認も終わり、幸い命に関わる怪我人はいない。昨夜までなら考えられない結果だった。
それでも誰も油断していない。
夢の中で惨劇が起きた時間帯は、まだ終わっていなかったからだ。
屋敷全体に見張りが配置され、隊士たちは交代で巡回している。宿の者たちも別々の部屋へ分散され、広間へ集められることはなかった。
何度も夢をなぞり、その都度違う選択をしてきた。
だから今ここにいる。
私は縁側に座り、夜の庭を見つめていた。
風が涼しい。
戦いの匂いも、煙の匂いも薄れてきている。
けれど胸は落ち着かなかった。
(本当に終わるのかな)
あとどれくらいだろう。
夢の記憶では、空が白み始める前には全て終わっていた。
つまり残り数時間。
それを越えられれば――。
「また難しい顔してるな」
聞き慣れた声が横から落ちる。
振り向くと土方だった。
隊服ではなく、軽い羽織姿。
怪我のせいか少しだけ疲れた顔をしている。
でも目は優しかった。
「考え事」
「知ってる」
当然みたいに返される。
土方は私の隣へ腰を下ろした。
肩が触れそうな距離。
前なら緊張したはずなのに、今は少し安心する。
「巡回は?」
「交代した」
短く答える。
「珍しく休めって言われた」
その言葉に思わず笑う。
「言われるんだ」
「隊士どもがうるせぇ」
土方が眉を寄せる。
「副長が倒れたら困るから休めだと」
少し不満そうだ。
でもどこか嬉しそうでもある。
皆に慕われているのが分かる。
しばらく二人で夜を眺める。
虫の音だけが聞こえる。
静かだ。
不思議なくらい。
その静けさの中で、ふと土方が口を開いた。
「お前、元の世界に帰るのか」
心臓が止まりそうになる。
考えていなかったわけじゃない。
でも。
意識的に避けていた。
帰れるのかも分からない。
そもそもどうやって来たのかも分からない。
「……分からない」
正直に答える。
「帰る方法も知らないし」
土方は何も言わない。
けれど横顔が少しだけ固くなる。
その表情を見て。
胸が痛くなる。
「でも」
続ける。
「帰れって言われても困る」
土方がこちらを見る。
「何でだ」
分かっているくせに。
そんな顔をしている。
私は少しだけ笑う。
「好きな人がいるから」
今さら隠す意味もなかった。
土方は数秒黙った。
それから大きく息を吐く。
「……だから」
低い声。
「そういうことを不意に言うな」
また同じ台詞。
でも今度は照れ隠しだと分かる。
私は肩を揺らして笑う。
土方がじろりと睨む。
「笑うな」
「だって」
「だってじゃねぇ」
そう言いながら。
不意に手が伸びてくる。
頬を軽くつままれた。
「いたい」
「嘘だな」
「痛くないけど」
正直に言うと、今度は呆れられる。
夜風が吹く。
距離が少し近づく。
自然に。
何の理由もなく。
土方の肩が触れた。
「……なあ」
珍しく少し迷うような声。
「何」
「夢が終わったら」
そこで言葉が止まる。
土方が言葉を探している。
そんな姿は初めて見た。
「うん」
急かさず待つ。
しばらく沈黙。
そして。
「ちゃんと口説く」
真顔だった。
一瞬意味が理解できない。
理解した瞬間。
顔が熱くなる。
「今まで何してたの」
思わず聞いてしまう。
土方が眉を寄せた。
「知らねぇ」
「十分口説いてたと思う」
「そうか?」
本気で分かっていない顔。
ずるい。
あれだけ抱き寄せたり手を握ったりしておいて。
「自覚ないんだ」
「ねぇな」
即答だった。
私は笑う。
土方も少しだけ笑う。
その空気が心地いい。
戦いの最中に生まれたとは思えないほど穏やかだった。
その時。
遠くで鐘の音が鳴った。
一つ。
二つ。
三つ。
夜半を知らせる音。
私は無意識に息を呑む。
夢の中で、最後の惨劇が起きたのは――この時間帯だった。
土方も気づいたらしい。
表情が引き締まる。
「あと少しだな」
静かな声。
「……うん」
頷く。
怖くないわけじゃない。
でも。
最初にこの世界へ来た時とは違う。
もう一人じゃない。
土方がいる。
皆がいる。
そして何より。
ここまで未来を変えてきた。
土方が立ち上がる。
自然に手を差し出す。
私は迷わず掴んだ。
「見回るぞ」
「副長は休みじゃなかった?」
「気が変わった」
即答だった。
絶対嘘だ。
たぶん。
私と同じで落ち着かないのだ。
だから何も言わない。
ただ繋いだ手だけが少し強く握られる。
六日目の夜。
運命の分岐点。
あと少しで、夢の終わる時間がやってくる。
その先に何が待っているのか。
まだ誰も知らなかった。




