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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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30/34

30話

 五日目の朝は、戦いの翌日とは思えないほど静かに進んでいた。壊れた場所の修繕、役人への引き渡し、隊の再配置――やるべきことは山ほどあるのに、誰も慌てていない。あの夜を乗り越えたことで、場の芯が変わっていた。


 それでも、完全に終わったわけじゃない。


 あと二日。


 その感覚だけは、胸の奥にずっと残っていた。


 私は広間の縁に腰を下ろし、食後の湯を飲みながら人の流れを目で追っていた。隊士たちはいつも通りの顔をしているけれど、どこか意識が鋭い。笑っていても、すぐ動けるようにしている。


 「顔が固い」


 隣に座る気配とともに、低い声が落ちる。


 土方だった。


 さっきまで役人と話していたはずなのに、もう戻ってきている。距離が近い。自然に隣へ腰を下ろし、私の様子を覗き込む。


 「……普通」


 「嘘だな」


 即答される。


 「考えてる顔してる」


 図星だった。


 「……あと二日」


 小さく言う。


 土方の視線が一瞬だけ鋭くなる。


 「終わりじゃないかもしれない」


 「だろうな」


 否定しない。


 「だが」


 一拍置く。


 「昨夜とは違う」


 その言葉は、やけに静かで重かった。


 「流れはこっちに来てる」


 私は頷く。


 確かにそうだ。あの地下を押さえた時点で、大きな何かは崩れた。けれど完全に潰し切ったかは分からない。


 その“残り”が、あと二日で動くかもしれない。


 「……怖い?」


 ふいに聞かれる。


 「少し」


 正直に答える。


 「でも、前みたいじゃない」


 土方の方を見る。


 「一人じゃないから」


 そのまま目が合う。


 土方は何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ表情が緩む。


 その沈黙が、肯定に近いと分かる。


 周囲からくすくすと笑い声が聞こえた。


 振り向くと、さっきの若い隊士たちが露骨にこちらを見ている。


 「副長、今日は隠す気もないんですね」


 「黙れ」


 即座に返すが、怒鳴るほどではない。


 「いやぁ、昨夜の地下帰りからずっとこんな調子で」


 「お前ら仕事は」


 「終わってます」


 にやにやしながら答える。


 私は顔を隠したくなる。


 「……見せ物じゃないんだけど」


 小声で言うと、土方が隣で鼻を鳴らす。


 「気にするな」


 「するでしょ普通」


 「しても変わらねぇ」


 ぶっきらぼうな言い方。


 でも、その通りだった。


 視線なんて、どうでもいいと思えてしまうくらい、今の距離が当たり前になり始めている。


 ふいに、土方の手が背中に回った。


 「……え」


 軽く引き寄せられる。肩が触れ、距離が詰まる。人目があるのに、躊躇いがない。


 「姿勢悪い」


 理由はそれだけ。


 でも、背中に置かれた手の熱がそのまま伝わる。


 「……それ理由にする?」


 「便利だろ」


 耳元で低く言われ、心臓が跳ねる。


 周囲からまた小さく笑い声。


 「副長、堂々としすぎでは」


 「うるせぇ」


 短く返しながら、手は離さない。


 (本当に離さないつもりなんだ……)


 朝言っていた言葉がよぎる。


 ――その間、離さねぇ。


 冗談じゃない。


 本気だ。


 胸の奥がじんわり熱くなる。


 「……あのさ」


 「何だ」


 「あと二日で、全部終わったら」


 言いながら、自分でも少しだけ怖くなる。


 終わった後のことを考えるのは、まだ早い気もする。


 それでも、聞きたかった。


 「どうするの」


 土方の手がわずかに強くなる。


 少しの沈黙。


 「……どうもこうもねぇ」


 低く言う。


 「お前が言っただろ」


 横目でこちらを見る。


 「俺の隣にいるって」


 その言葉に、胸が強く鳴る。


 「……言った」


 「なら、そのままだ」


 簡単に言う。


 でも、その一言の重さは軽くない。


 「逃がさねぇ」


 小さく、誰にも聞こえないくらいの声。


 背中に回された手が、ほんの少しだけ引き寄せる。


 近い。


 近すぎる。


 「……逃げる気ないし」


 かろうじて返すと、土方の肩がわずかに揺れた。


 笑っている。


 そのまま、指先が腰のあたりに触れる。着物越しでも分かる感触に、思わず息が止まる。


 「っ……ちょっと」


 「何だ」


 「今のは理由ないでしょ」


 「確認だ」


 「何の」


 「逃げねぇか」


 からかっているのか、本気なのか分からない声。


 でも手はもう戻っている。


 (ずるい)


 残る感覚だけが妙に強い。


 そのとき、別の隊士が駆け込んできた。


 「副長、裏手の林で不審な動きが」


 空気が一瞬で変わる。


 土方の目が鋭くなる。


 「何人だ」


 「はっきりしませんが、数名。昨夜の残党かと」


 「……やっぱり来るか」


 小さく呟く。


 私を見る。


 その目は、もうさっきまでの柔らかさではない。


 「行くぞ」


 短い命令。


 「……ああ」


 立ち上がる。


 怖さはある。


 でも、それ以上に。


 (終わらせる)


 その気持ちが強かった。


 土方が歩き出す。


 その背中に、迷いはない。


 そして私は、迷わずその隣へ並ぶ。


 残り二日。


 ここから先が、本当の“最後”になるかもしれない。


 それでも今は、隣にいることが何よりも確かなことだった。


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