30話
五日目の朝は、戦いの翌日とは思えないほど静かに進んでいた。壊れた場所の修繕、役人への引き渡し、隊の再配置――やるべきことは山ほどあるのに、誰も慌てていない。あの夜を乗り越えたことで、場の芯が変わっていた。
それでも、完全に終わったわけじゃない。
あと二日。
その感覚だけは、胸の奥にずっと残っていた。
私は広間の縁に腰を下ろし、食後の湯を飲みながら人の流れを目で追っていた。隊士たちはいつも通りの顔をしているけれど、どこか意識が鋭い。笑っていても、すぐ動けるようにしている。
「顔が固い」
隣に座る気配とともに、低い声が落ちる。
土方だった。
さっきまで役人と話していたはずなのに、もう戻ってきている。距離が近い。自然に隣へ腰を下ろし、私の様子を覗き込む。
「……普通」
「嘘だな」
即答される。
「考えてる顔してる」
図星だった。
「……あと二日」
小さく言う。
土方の視線が一瞬だけ鋭くなる。
「終わりじゃないかもしれない」
「だろうな」
否定しない。
「だが」
一拍置く。
「昨夜とは違う」
その言葉は、やけに静かで重かった。
「流れはこっちに来てる」
私は頷く。
確かにそうだ。あの地下を押さえた時点で、大きな何かは崩れた。けれど完全に潰し切ったかは分からない。
その“残り”が、あと二日で動くかもしれない。
「……怖い?」
ふいに聞かれる。
「少し」
正直に答える。
「でも、前みたいじゃない」
土方の方を見る。
「一人じゃないから」
そのまま目が合う。
土方は何も言わなかった。ただ、ほんの少しだけ表情が緩む。
その沈黙が、肯定に近いと分かる。
周囲からくすくすと笑い声が聞こえた。
振り向くと、さっきの若い隊士たちが露骨にこちらを見ている。
「副長、今日は隠す気もないんですね」
「黙れ」
即座に返すが、怒鳴るほどではない。
「いやぁ、昨夜の地下帰りからずっとこんな調子で」
「お前ら仕事は」
「終わってます」
にやにやしながら答える。
私は顔を隠したくなる。
「……見せ物じゃないんだけど」
小声で言うと、土方が隣で鼻を鳴らす。
「気にするな」
「するでしょ普通」
「しても変わらねぇ」
ぶっきらぼうな言い方。
でも、その通りだった。
視線なんて、どうでもいいと思えてしまうくらい、今の距離が当たり前になり始めている。
ふいに、土方の手が背中に回った。
「……え」
軽く引き寄せられる。肩が触れ、距離が詰まる。人目があるのに、躊躇いがない。
「姿勢悪い」
理由はそれだけ。
でも、背中に置かれた手の熱がそのまま伝わる。
「……それ理由にする?」
「便利だろ」
耳元で低く言われ、心臓が跳ねる。
周囲からまた小さく笑い声。
「副長、堂々としすぎでは」
「うるせぇ」
短く返しながら、手は離さない。
(本当に離さないつもりなんだ……)
朝言っていた言葉がよぎる。
――その間、離さねぇ。
冗談じゃない。
本気だ。
胸の奥がじんわり熱くなる。
「……あのさ」
「何だ」
「あと二日で、全部終わったら」
言いながら、自分でも少しだけ怖くなる。
終わった後のことを考えるのは、まだ早い気もする。
それでも、聞きたかった。
「どうするの」
土方の手がわずかに強くなる。
少しの沈黙。
「……どうもこうもねぇ」
低く言う。
「お前が言っただろ」
横目でこちらを見る。
「俺の隣にいるって」
その言葉に、胸が強く鳴る。
「……言った」
「なら、そのままだ」
簡単に言う。
でも、その一言の重さは軽くない。
「逃がさねぇ」
小さく、誰にも聞こえないくらいの声。
背中に回された手が、ほんの少しだけ引き寄せる。
近い。
近すぎる。
「……逃げる気ないし」
かろうじて返すと、土方の肩がわずかに揺れた。
笑っている。
そのまま、指先が腰のあたりに触れる。着物越しでも分かる感触に、思わず息が止まる。
「っ……ちょっと」
「何だ」
「今のは理由ないでしょ」
「確認だ」
「何の」
「逃げねぇか」
からかっているのか、本気なのか分からない声。
でも手はもう戻っている。
(ずるい)
残る感覚だけが妙に強い。
そのとき、別の隊士が駆け込んできた。
「副長、裏手の林で不審な動きが」
空気が一瞬で変わる。
土方の目が鋭くなる。
「何人だ」
「はっきりしませんが、数名。昨夜の残党かと」
「……やっぱり来るか」
小さく呟く。
私を見る。
その目は、もうさっきまでの柔らかさではない。
「行くぞ」
短い命令。
「……ああ」
立ち上がる。
怖さはある。
でも、それ以上に。
(終わらせる)
その気持ちが強かった。
土方が歩き出す。
その背中に、迷いはない。
そして私は、迷わずその隣へ並ぶ。
残り二日。
ここから先が、本当の“最後”になるかもしれない。
それでも今は、隣にいることが何よりも確かなことだった。




