表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/31

28話

 夜明けの光は、ゆっくりと屋敷の障子を白く染めていった。長い夜だった。火の匂いも、血の気配も、まだそこかしこに残っている。けれど闇だけは確かに退いていた。


 広間では捕えた敵が引き渡しの準備をされ、押収した武器は一か所へ集められている。宿の者たちは壊れた柱や散らばった器を片づけながら、何度も隊員たちへ頭を下げていた。誰かが泣きながら笑っている声も聞こえる。


 悪夢の結末にはなっていない。


 その現実が、ようやく胸へ落ちてきた。


 私はまだ土方の肩へ寄りかかったまま、ぼんやりその光景を見ていた。袖の下で繋がれた手は離れない。むしろさっきよりしっかり握られている。


 「……もう離してもいいけど」


 小声で言う。


 「嫌だ」


 即答だった。


 思わず顔を見る。土方は前を向いたまま、平然とした顔をしている。


 「……人いるよ」


 「知ってる」


 「見られる」


 「見せとけ」


 耳まで熱くなる。


 (この人、たまに急に強い)


 ぶっきらぼうなくせに、こういう時だけ妙に真っ直ぐだ。


 「土方さん!」


 隊員の一人が駆け寄ってくる。私は慌てて手を離そうとしたが、逆に握る力が強くなった。


 「……ちょっと」


 「動くな」


 小声で言われる。


 隊員は何も気づかないふりで報告を始めた。


 「地下の武器、数え終わりました。かなりの量です。各地へ流すつもりだったかと」


 「証拠は全部押さえろ。関係者も洗え」


 いつもの鋭い声に戻っている。なのに袖の下では指先が絡んだまま。


 (器用すぎる)


 報告が終わり、隊員が去ると、ようやく手が離された。


 離れた瞬間、少しだけ寂しい。


 「行くぞ」


 土方が立ち上がる。


 「どこに」


 「風呂場」


 「……え?」


 変な声が出た。


 土方は少し眉をひそめる。


 「煤だらけだろ。湯も張り直させた」


 そう言われて自分の袖を見る。煙と埃、返り血までついていた。確かに酷い。


 「一人で行ける」


 「知ってる」


 「じゃあ何で」


 「ついてく」


 「なんで!?」


 思わず声が大きくなる。


 周囲の隊員がちらりとこちらを見て、すぐ視線を逸らした。気まずい。


 土方は平然としている。


 「お前、倒れそうだからだ」


 「倒れないし」


 「さっき三回ふらついた」


 数えられていた。


 結局、そのまま連れて行かれる形になった。廊下を歩く間、隊員たちの生ぬるい視線を感じて穴に入りたい気分になる。


 風呂場は戦いの騒ぎから少し離れていて静かだった。大きな湯舟に湯気が立ちのぼっている。宿の者が気を利かせて整えてくれたらしい。


 「入れ」


 「……あんたは」


 「外にいる」


 当たり前のように答える。


 「覗くなよ」


 言い返すと、土方が本気で呆れた顔をした。


 「誰がするか」


 「分かんないじゃん」


 「お前、俺を何だと思ってる」


 「時々危ない人」


 鼻で笑われた。


 私は湯舟へ入り、ようやく全身の力が抜けていくのを感じた。熱い湯が足の疲れも、腕の痛みも、少しずつほどいていく。


 (終わったんだ……)


 そう思った瞬間、涙が出そうになる。


 怖かった。ずっと。


 夢を信じてもらえなかったらどうしよう。間に合わなかったらどうしよう。土方が死んだらどうしよう。


 そこまで考えて、自分で驚く。


 (この人が死ぬのが、一番怖かった)


 湯気の向こうで襖越しに声がした。


 「のぼせるなよ」


 外に、本当にいるらしい。


 「……いるんだ」


 「いると言った」


 低い声が少し柔らかい。


 「……あんたも入れば」


 冗談半分で言うと、外がしんと静かになった。


 しまった、と思った時。


 「お前がそう言うなら考える」


 真顔の声で返ってきた。


 「冗談!」


 慌てて叫ぶと、外で小さく笑う気配がした。


 (からかわれた……)


 湯から上がり、着替えを借りて出ると、廊下の柱にもたれて土方が待っていた。目を閉じていたが、足音で気づいたのかすぐに顔を上げる。


 その視線が一瞬止まる。


 「……何」


 「いや」


 珍しく言葉を探すように間が空く。


 「似合ってる」


 宿の簡素な浴衣姿を見てのことだと分かる。


 たったそれだけで、顔が熱くなる。


 「……あんたも入ってきなよ」


 「そうする」


 立ち上がった土方の肩へ、思わず手が伸びた。


 「傷、沁みるでしょ」


 「平気だ」


 「強がり」


 言いながら、帯を少し緩めてやる。傷に当たらないように。胸元が少し開き、鍛えられた鎖骨が覗いてしまって慌てて視線を逸らす。


 「……お前」


 低い声が落ちる。


 「何」


 「そういう顔するな」


 「どんな」


 「襲いたくなる顔」


 思考が止まる。


 次の瞬間、腕を引かれ、柱と胸の間に閉じ込められるような体勢になった。


 近い。湯気と朝の冷気の間で、土方の体温だけがやけに近い。


 「じょ、冗談でしょ」


 「半分な」


 口元が少し笑っている。


 顎へ指が触れ、顔を上げさせられる。唇が触れそうなところで止まり、代わりに鼻先が軽く当たった。


 「続きは落ち着いてからだ」


 またそれだった。


 でも今度は、声がずっと甘い。


 「待てるか」


 試すように聞かれる。


 「……待たせる気?」


 言い返すと、土方が珍しく声を立てて笑った。


 「生意気だな」


 そのまま額へ短く口づけられる。


 「すぐ戻る」


 そう言って離れていく背中を、私は呆然と見送った。


 悪夢の朝だったはずの日に、こんな未来が来るなんて思ってもいなかった。


 胸の奥はまだ騒がしいままなのに、不思議と何も怖くなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ