25話
地下室へ踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
湿った石の匂いに、油と鉄の臭気が混ざる。積み上げられた木箱の隙間には槍や刀、火薬らしき樽まで見える。ここはただの隠れ場所じゃない。戦のための補給庫だ。上で人を襲わせ、混乱の間に武器を動かす。それが本当の狙いだったのだと、一目で分かった。
男たちもすぐこちらに気づいた。
「誰だ!」
怒声が響く。
土方は一歩前へ出る。私を背に庇う位置だった。
「新選組だ」
低く、よく通る声。
「ここまで来た以上、もう終わりだ」
その一言に、敵の空気がわずかに揺れた。数では向こうが多い。けれど怯んだのは確かだった。
中央に立つ指揮役らしき男が鼻で笑う。
「終わり? ここまで辿り着けたのは褒めてやる。だが、上はまだ燃えている。仲間も散っている。お前一人で何ができる」
土方の口元がわずかに歪む。
「一人じゃねぇ」
その声に、胸が熱くなる。
「……私もいる」
思わず口を挟むと、敵の何人かが吹き出した。
「女か?」
「しかも可愛い顔して場違いだな」
下卑た笑い声が広がる。
腹が立つより先に、隣の空気が冷えた。
土方の殺気だった。
「口を閉じろ」
それだけで、笑いが止まる。
次の瞬間、土方が踏み込んだ。速い。灯りの揺れが遅れて見えるほどだった。手前の男の腕を払って崩し、二人目の懐へ入り、三人目を箱へ叩きつける。狭い地下室でこそ、この人の動きは鋭さを増す。
「下がってろ!」
戦いながら飛んでくる声。
「……分かってる!」
叫び返しながら、私は周囲を見る。敵はまだいる。奥の樽の近く、火を持った男がいた。
(火薬……!)
ここで火を入れられたら終わる。
「土方!」
叫ぶと同時に走る。男もこちらへ気づき、火種を投げようと腕を上げた。
間に合わない。
そう思った瞬間、背後から強く引かれた。腰に腕が回り、身体ごと横へ流される。視界が回る。直後、土方の刀が火種を弾き飛ばした。
床へ落ちた火を隊員が踏み消す。
私は土方の腕の中にいた。
片腕でしっかり抱き寄せられ、背中が胸へ密着している。戦闘の熱で体温が高い。息が耳元にかかる。
「勝手に出るなと言ったはずだ」
低く責める声なのに、震えていた。怒りより、焦りに近い震え。
「……でも、火薬が」
「分かってる」
腕の力が少し強まる。
「分かってるが……」
そこで言葉が切れた。
振り向くと、土方の目が近かった。真剣で、険しくて、でもどこか苦しそうだった。
「お前が傷つく方が、面倒だ」
不器用すぎる言い方に、胸が締めつけられる。
「……それ、心配って言うんじゃないの」
思わず返すと、土方が眉を寄せる。
「うるせぇ」
でも腕は離れない。
その隙を突いて敵が迫る。土方は私を抱えたまま半歩回り込み、相手の攻撃をかわし、そのまま蹴り飛ばした。
(抱えたまま戦ってる……)
意味が分からない強さだった。
「立てるか」
「……たぶん」
「たぶんじゃ困る」
そう言いながら、ゆっくり降ろされる。離れた瞬間、急に寒い。
「ここにいろ」
木箱の陰へ押し込まれる。肩を掴む手が熱い。
「離れるな。今度こそ命令だ」
「……ああ」
素直に頷くしかなかった。
戦いは終盤へ向かっていた。隊員たちも地下へ降りてきて、敵を挟み込み始める。出口を塞がれた男たちは焦りを見せ、動きが荒くなる。
指揮役の男だけが、まだ笑っていた。
「なるほど。女に骨抜きか、鬼の副長」
その言葉に、空気が凍る。
土方はゆっくり男を見る。
「訂正しろ」
「何をだ」
「骨抜きじゃねぇ」
一歩ずつ近づく。
「守るもんが増えただけだ」
その言葉に、胸が痛いほど鳴った。
男が舌打ちし、懐から短刀を抜いて飛び込む。だがもう遅い。土方は真正面から受け、軌道を逸らし、喉元へ切っ先を突きつけた。
男の動きが止まる。
「終いだ」
低い宣告。
地下室の戦いは、それで決着した。
拘束された男たち、押収された武器、救い出された人々。夢で見た“死体の山”へ繋がる流れは、ここで断ち切られたのだと分かった。
張り詰めていた糸が切れ、膝から力が抜ける。
「おい」
倒れる前に、また抱き止められた。
今度は正面からだった。腕の中へ収まるように支えられ、額が胸へ触れる。鼓動が聞こえる。速い。土方も平静ではないのだと初めて知る。
「……終わった?」
かすれた声で聞く。
「まだ上の片付けがある」
現実的な返答。でも続けて、少し低く言う。
「だが、お前の悪夢は終わった」
涙が出そうになる。
「……あんたが終わらせた」
「違う」
即座に否定された。
顎に指がかかり、顔を上げさせられる。近い。地下の灯りの中で、土方の目だけが真っ直ぐ見えた。
「お前が来たからだ」
そのまま額が、こつんと触れる。
口づけではない。けれどそれ以上に胸へ響く接触だった。
「……上戻ったら、ちゃんと話がある」
「何の」
「察しろ」
珍しく少しだけ照れたように視線を逸らす。
その耳が赤い。
思わず笑ってしまう。
「じゃあ、早く戻ろ」
「命令するな」
「真似しただけ」
抱き起こされ、立ち上がる。手は自然と繋がれたままだった。
地下室の灯りの向こうに、夜明け前の気配が少しだけ差し込んでいる気がした。
長い夜は、ようやく終わろうとしていた。




