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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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25/28

25話

 地下室へ踏み込んだ瞬間、空気が変わった。


 湿った石の匂いに、油と鉄の臭気が混ざる。積み上げられた木箱の隙間には槍や刀、火薬らしき樽まで見える。ここはただの隠れ場所じゃない。戦のための補給庫だ。上で人を襲わせ、混乱の間に武器を動かす。それが本当の狙いだったのだと、一目で分かった。


 男たちもすぐこちらに気づいた。


 「誰だ!」


 怒声が響く。


 土方は一歩前へ出る。私を背に庇う位置だった。


 「新選組だ」


 低く、よく通る声。


 「ここまで来た以上、もう終わりだ」


 その一言に、敵の空気がわずかに揺れた。数では向こうが多い。けれど怯んだのは確かだった。


 中央に立つ指揮役らしき男が鼻で笑う。


 「終わり? ここまで辿り着けたのは褒めてやる。だが、上はまだ燃えている。仲間も散っている。お前一人で何ができる」


 土方の口元がわずかに歪む。


 「一人じゃねぇ」


 その声に、胸が熱くなる。


 「……私もいる」


 思わず口を挟むと、敵の何人かが吹き出した。


 「女か?」


 「しかも可愛い顔して場違いだな」


 下卑た笑い声が広がる。


 腹が立つより先に、隣の空気が冷えた。


 土方の殺気だった。


 「口を閉じろ」


 それだけで、笑いが止まる。


 次の瞬間、土方が踏み込んだ。速い。灯りの揺れが遅れて見えるほどだった。手前の男の腕を払って崩し、二人目の懐へ入り、三人目を箱へ叩きつける。狭い地下室でこそ、この人の動きは鋭さを増す。


 「下がってろ!」


 戦いながら飛んでくる声。


 「……分かってる!」


 叫び返しながら、私は周囲を見る。敵はまだいる。奥の樽の近く、火を持った男がいた。


 (火薬……!)


 ここで火を入れられたら終わる。


 「土方!」


 叫ぶと同時に走る。男もこちらへ気づき、火種を投げようと腕を上げた。


 間に合わない。


 そう思った瞬間、背後から強く引かれた。腰に腕が回り、身体ごと横へ流される。視界が回る。直後、土方の刀が火種を弾き飛ばした。


 床へ落ちた火を隊員が踏み消す。


 私は土方の腕の中にいた。


 片腕でしっかり抱き寄せられ、背中が胸へ密着している。戦闘の熱で体温が高い。息が耳元にかかる。


 「勝手に出るなと言ったはずだ」


 低く責める声なのに、震えていた。怒りより、焦りに近い震え。


 「……でも、火薬が」


 「分かってる」


 腕の力が少し強まる。


 「分かってるが……」


 そこで言葉が切れた。


 振り向くと、土方の目が近かった。真剣で、険しくて、でもどこか苦しそうだった。


 「お前が傷つく方が、面倒だ」


 不器用すぎる言い方に、胸が締めつけられる。


 「……それ、心配って言うんじゃないの」


 思わず返すと、土方が眉を寄せる。


 「うるせぇ」


 でも腕は離れない。


 その隙を突いて敵が迫る。土方は私を抱えたまま半歩回り込み、相手の攻撃をかわし、そのまま蹴り飛ばした。


 (抱えたまま戦ってる……)


 意味が分からない強さだった。


 「立てるか」


 「……たぶん」


 「たぶんじゃ困る」


 そう言いながら、ゆっくり降ろされる。離れた瞬間、急に寒い。


 「ここにいろ」


 木箱の陰へ押し込まれる。肩を掴む手が熱い。


 「離れるな。今度こそ命令だ」


 「……ああ」


 素直に頷くしかなかった。


 戦いは終盤へ向かっていた。隊員たちも地下へ降りてきて、敵を挟み込み始める。出口を塞がれた男たちは焦りを見せ、動きが荒くなる。


 指揮役の男だけが、まだ笑っていた。


 「なるほど。女に骨抜きか、鬼の副長」


 その言葉に、空気が凍る。


 土方はゆっくり男を見る。


 「訂正しろ」


 「何をだ」


 「骨抜きじゃねぇ」


 一歩ずつ近づく。


 「守るもんが増えただけだ」


 その言葉に、胸が痛いほど鳴った。


 男が舌打ちし、懐から短刀を抜いて飛び込む。だがもう遅い。土方は真正面から受け、軌道を逸らし、喉元へ切っ先を突きつけた。


 男の動きが止まる。


 「終いだ」


 低い宣告。


 地下室の戦いは、それで決着した。


 拘束された男たち、押収された武器、救い出された人々。夢で見た“死体の山”へ繋がる流れは、ここで断ち切られたのだと分かった。


 張り詰めていた糸が切れ、膝から力が抜ける。


 「おい」


 倒れる前に、また抱き止められた。


 今度は正面からだった。腕の中へ収まるように支えられ、額が胸へ触れる。鼓動が聞こえる。速い。土方も平静ではないのだと初めて知る。


 「……終わった?」


 かすれた声で聞く。


 「まだ上の片付けがある」


 現実的な返答。でも続けて、少し低く言う。


 「だが、お前の悪夢は終わった」


 涙が出そうになる。


 「……あんたが終わらせた」


 「違う」


 即座に否定された。


 顎に指がかかり、顔を上げさせられる。近い。地下の灯りの中で、土方の目だけが真っ直ぐ見えた。


 「お前が来たからだ」


 そのまま額が、こつんと触れる。


 口づけではない。けれどそれ以上に胸へ響く接触だった。


 「……上戻ったら、ちゃんと話がある」


 「何の」


 「察しろ」


 珍しく少しだけ照れたように視線を逸らす。


 その耳が赤い。


 思わず笑ってしまう。


 「じゃあ、早く戻ろ」


 「命令するな」


 「真似しただけ」


 抱き起こされ、立ち上がる。手は自然と繋がれたままだった。


 地下室の灯りの向こうに、夜明け前の気配が少しだけ差し込んでいる気がした。


 長い夜は、ようやく終わろうとしていた。


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