24話
石造りの通路は、地上の喧騒が嘘みたいに静かだった。湿った空気が肌にまとわりつき、灯りの火だけが揺れている。足音は反響し、少し大きく聞こえる。そのたびに、自分たちの存在を誰かへ知らせている気がして落ち着かない。
土方は先頭を歩く。片手に灯り、もう片方はいつでも刀へ届く位置。背中越しにも、神経が張り詰めているのが分かった。
私はそのすぐ後ろにつく。狭い通路では自然と距離が近くなる。肩幅の広い背中が視界のほとんどを埋めていて、不思議とそれだけで安心した。
(この人が前にいる)
それだけで、暗闇の怖さが少し薄れる。
奥から聞こえていたうめき声が、少しずつはっきりしてくる。人の声だ。複数人いる。
「急ぐぞ」
土方が低く言う。
その直後、通路が急に狭くなった。壁際を一人ずつ抜けるしかない幅だ。
「先に行け」
「……ああ」
身体を横にして進む。石壁が近い。着物の袖が擦れる。通り抜けようとしたところで、足元の石がぐらついた。
「っ」
体が傾く。
すぐ後ろから腕が伸び、腰を抱くように引き戻された。
「何度目だ」
呆れた声が耳元で落ちる。
背中が土方の胸へぶつかる。狭い通路のせいで逃げ場がなく、そのまま数秒、完全に身体を預ける形になった。
「……石が悪い」
なんとか言い返す。
「床にも人にも責任転嫁するな」
声が少し近すぎて、別の意味で足に力が入らない。
土方は腰へ回した腕をすぐには離さず、足場を確かめてから体を起こさせた。
「前見ろ」
「……見てる」
「見てねぇ顔だ」
暗いのに、どうして分かるのか。
ようやく狭所を抜けると、前方に鉄格子が見えた。その向こうに数人の人影が座り込んでいる。宿の者たちだ。縛られ、口を塞がれている者もいる。
「生きてる……!」
思わず声が漏れる。
土方がすぐ格子へ寄る。
「鍵は」
鉄の錠を確かめるが、頑丈だ。
「下がれ」
短く言うと、刀の柄で錠を打つ。二度、三度。金属音が響き、やがて錠が外れた。
格子が開く。
中の者たちは怯えた目でこちらを見るが、隊服を見て一気に崩れるように安堵した。
「もう大丈夫だ」
土方の声は不思議と柔らかかった。
その言葉だけで、泣き出す者もいた。
(この人、こういう声も出せるんだ)
戦場では鋭く、人を安心させる時は低く静かに。胸の奥がじんとする。
縛られた縄をほどき、水を渡す。私も手伝いながら、一人の女中から話を聞いた。
「黒い布で顔を隠した男たちが……宿の裏手から……」
「何人いた」
土方が問う。
「分かりません……でも、ここにはもっと奥が……」
その言葉で空気が変わる。
もっと奥。
通路はさらに続いている。
土方が私を見る。
「ここで待て」
即答だった。
「嫌だ」
「今度は本気で危ねぇ」
「ここまで来て待てるわけない」
睨み返すと、土方が深く息を吐いた。
「頑固だな」
「誰かさんほどじゃない」
数秒見つめ合う。灯りの揺れで、互いの影が壁に重なる。
やがて土方が一歩近づいた。
「なら条件がある」
「……何」
「俺の後ろから離れるな」
「それだけ?」
「それと」
ふいに顎へ指がかかり、顔を上げさせられる。
「勝手に突っ込むな」
近い。さっきよりずっと近い。薄暗い地下では、相手の呼吸まで感じる。
「……分かった」
声が小さくなる。
「聞こえねぇ」
わざとだと分かる。
「分かったってば」
そう言うと、土方の親指が頬を軽く撫でた。泥か煤を拭うような仕草。でも、その必要が本当にあったのか分からないくらい自然すぎる触れ方だった。
「いい子だ」
ぼそりと落ちた声に、全身が熱くなる。
(今この人、何て……)
問い返す前に、土方は背を向けて歩き出した。
「行くぞ」
ずるい。言い逃げだ。
通路のさらに奥へ進むと、空気が変わった。人の気配がある。複数。低い話し声。
土方が手を後ろへ伸ばす。無言の合図だった。
私は迷わずその手を握る。
指が絡むわけではない。ただ強く、確かに掴まれる。それだけで鼓動が跳ねる。
角の向こうを覗くと、広い地下室があった。箱や樽が積まれ、武器が隠されている。数人の男が何かを運び、中央には見覚えのある男――捕えた者と同じ笑い方をする指揮役らしき人物が立っていた。
「まだ上は持つか?」
男が言う。
「時間は稼げます」
部下が答える。
つまり、上の襲撃は囮。ここで何かを運び出すための時間稼ぎだった。
土方の握る手に力が入る。
「証拠も人も、全部ここか」
低い声が、怒りを押し殺していた。
私は小さく頷く。
夢で見た惨劇の裏に、こんな場所があったのだ。
土方がこちらへ顔だけ向ける。
「怖いか」
また同じ問い。
でも今度は、少し意味が違うと分かった。危険へ踏み込む前の確認。自分の隣に立つ覚悟があるかの確認。
「……怖い」
正直に答える。
「でも、あんたとなら行ける」
土方の目が揺れた。
次の瞬間、引き寄せられる。胸へ軽くぶつかる距離で抱き止められた。
「……そういうこと、戦いの前に言うな」
低い声が髪へ落ちる。
「本当に調子が狂う」
腕は数秒で離れた。けれどその短さが余計に熱を残す。
土方は刀へ手をかける。
「終わらせるぞ」
その横顔を見て、胸の奥で確信する。
この夜が終われば、もう戻れない。
夢に怯えていただけの自分には。
そして、土方へのこの気持ちにも。




