23話
広間へ戻ると、さっきまでの混乱はひとまず収まりつつあった。避難していた者たちは部屋ごとに分けられ、怪我人には手当てが施されている。隊員たちも持ち場を再配置し、入口と通路を押さえていた。誰も油断はしていない。火は消えたが、敵の意図までは消えていないと全員が理解している空気だった。
土方は私の手を離し、そのまま中央へ進む。離れた指先が急に冷たく感じる。
(……慣れるな)
数歩前を歩く背中を見ながら、自分に言い聞かせる。こんな非常時だ。手を引かれただけで胸がざわついている場合じゃない。
それでも、さっき腰を支えられた感触や、煙の中で壁際へ囲われた距離感が、頭から離れなかった。
「捕えた奴は?」
土方が隊員へ問う。
「奥の部屋で縛ってます。口は割りません」
「割らせる必要はねぇ」
即答だった。
その一言で、周囲の空気が少し変わる。土方は感情で動かない。必要な情報だけを取る人間だと、皆が知っている。
「見取り図を広げろ」
机の上に紙が置かれる。さっき敵が持っていたものだ。広間、西の棟、裏口、そして屋敷の一階奥――あの隠し扉の位置まで記されている。
背筋が冷えた。
(やっぱり、あそこが関係してる)
死体の山。過去にも同じ事件があった痕跡。今回だけの襲撃ではない。
「……地下」
思わず口に出る。
土方が視線を向ける。
「何かあるか」
「分からない。でも……夢で、最後に人が消えてた」
言いながら、自分でも曖昧だと分かる。けれど感覚として残っている。戦って死んだだけじゃない。どこかへ連れていかれた人々がいた。
土方は少しだけ考えた。
「広間を守る班、地下を探る班に分ける」
判断が速い。
「俺が下へ行く」
反射的に声が出た。
「私も行く」
周囲の隊員たちが一瞬こちらを見る。土方は露骨に眉を寄せた。
「遊びじゃねぇ」
「分かってる」
「下は狭い。危険だ」
「だから行く」
言い切ると、土方の目が細くなる。
「……なんでそこまで来る」
その問いに、もう誤魔化す気になれなかった。
「一人で行かせたくない」
広間の空気が少しだけ止まる。
隊員たちが気まずそうに視線を逸らした。誰かが咳払いする。
土方は数秒黙り、それから低く言った。
「……お前ら全員、外行け」
「え、俺たちですか?」
「聞こえなかったか」
「了解!」
一斉に散っていく。広間に私と土方だけが残された。
「……怒った?」
恐る恐る聞く。
「違う」
短く返される。
「調子が狂うだけだ」
またその言葉だった。
近づいてくる。逃げる理由はないのに、心臓だけが逃げ出しそうになる。
「お前、そういうことを人前で言うな」
「……本当のことだし」
言った瞬間、土方の手が伸びてきた。顎を軽く持ち上げられる。
「っ……」
顔が近い。低い視線に射抜かれる。
「本気で言ってる顔するな」
声が少し掠れていた。
「こっちは余計に狂う」
胸が痛いほど鳴る。
そのまま額が触れそうな距離まで近づき――止まる。
あと少しで唇が触れそうな距離なのに、土方はそこで止めた。
「……今は駄目だ」
自分に言い聞かせるような声だった。
ゆっくり手が離れる。離れたことにほっとして、同時に残念だと思ってしまう。
(もう本当にだめだ)
この人のことで頭がいっぱいになる。
土方は深く息を吐き、いつもの顔に戻った。
「下へ行くぞ」
「……ああ」
声がうまく出ない。
奥の廊下を進み、隠し扉の前へ着く。灯りを持った隊員が二人待っていた。土方が頷くと、扉が開かれる。湿った冷気が流れ出た。
地下へ続く階段。
前に見た死体の山とは別方向へ、さらに奥へ続いている。
「……こんなの、前は」
「気づかなかっただけだ」
土方が先に降りる。
狭い階段を下りるしかない。私は後に続いた。暗く、足場も悪い。自然と距離が詰まる。
一段踏み外しかけた瞬間、前の土方が振り返り、腰を支えた。
「気ぃ抜くな」
低い声。
手は腰に置かれたままだった。狭い階段では離す方が危ないと分かっている。分かっているのに、そこばかり意識してしまう。
「……抜いてない」
「震えてる」
「寒いだけ」
「嘘だな」
いつものやり取りに、少しだけ救われる。
階段を下り切ると、石造りの通路が続いていた。奥から微かな声がする。人のうめき声にも聞こえる。
土方の顔つきが変わる。
「生きてる奴がいる」
低く言う。
胸が強く鳴った。
夢では、ここまで来られなかった。見つけられなかった場所だ。
つまり。
(変わってる)
確実に未来が変わっている。
土方がこちらを一瞬見る。
「離れるな」
今度の声は命令というより、確認に近かった。
「……離れない」
はっきり答える。
その言葉に、土方の口元がわずかに緩む。
そして二人で、暗い通路の奥へ踏み込んだ。
夜の本当の核心が、そこに待っていた。




