21話
土方が立ち上がって前線へ戻ったあとも、耳に残った言葉が離れなかった。
――俺もだ。
短く、小さく、聞き逃してもおかしくない声だった。けれどはっきり聞こえた。あれが何を指していたのか、考えなくても分かる。怖かったかと聞かれ、自分は「あんたがいたから平気だった」と答えた。その返事としての、あの一言。
(……ずるい)
あの人はいつも言葉が少ない。なのに、たまにたった一言で全部持っていく。
柱の陰に座ったまま呼吸を整える。足の震えはまだ完全には止まらない。広間では隊員たちが負傷者を見て回り、避難した人々を落ち着かせていた。泣いていた子どもに宿の女将が寄り添い、隊員の一人が湯を運んでいる。戦いの直後なのに、誰かを安心させるために動いている姿が胸に刺さる。
(守ってる)
ただ敵を倒すだけじゃない。この人たちは、人を生かすために戦っている。
その中心に、土方がいる。
視線を向けると、広間の中央で数人に指示を飛ばしていた。肩口に浅い裂け目があり、そこから血が滲んでいる。けれど本人は気にも留めていないようだった。
(怪我してる)
さっきまで気づかなかった。戦いの最中にできた傷だろう。
立ち上がる。足はまだ重い。でも自然と体が動いた。
近づくと、土方がこちらに気づいて眉を寄せる。
「休んでろと言ったはずだ」
「……あんたこそ」
指差すと、土方が自分の肩を見る。裂けた着物と血を見ても、特に驚いた様子はない。
「かすり傷だ」
即答だった。
「そういう顔じゃない」
思わず言い返す。
土方は少し黙り、それから小さく息を吐く。
「口が回るようになったな」
「誰のせい」
前にもしたやり取りだった。なのに今は、少しだけ柔らかい空気になる。
私は近くにあった手拭いを掴んだ。
「座って」
「は?」
「手当てする」
土方が露骨に嫌そうな顔をする。
「後でいい」
「今」
珍しく強めに言い切ると、周囲の隊員たちが面白そうにこちらを見る気配がした。土方もそれに気づいたのか、舌打ちまじりに低く言う。
「……見るな」
隊員たちが笑いながら散っていく。
結局、土方は近くの柱にもたれて座った。
「すぐ終われ」
「大人しくして」
肩口の裂け目を広げる。着物の合わせを少しずらすと、鍛えられた肩と鎖骨が灯りに浮かんだ。思った以上に近い距離に、息が詰まりそうになる。
(近い……)
自分からやり始めたくせに、今さら動揺する。
「手、止まってるぞ」
低い声が頭上から落ちる。
「……うるさい」
なんとか平静を装い、傷口を拭う。浅いが広く擦れている。血はもう止まりかけていた。
「痛い?」
「別に」
強がりだとすぐ分かる。拭くたび肩の筋肉がわずかに強張る。
「我慢してる」
「してねぇ」
「してる」
言い返すと、土方が少しだけ口元を上げた。
その表情に胸が鳴る。こんな時でも、この人が笑うと嬉しい。
手拭いで簡単に固定しながら、ふと気づく。土方がずっとこちらを見ていた。
「……何」
「いや」
視線を逸らさずに言う。
「お前、そういう顔もするんだな」
「どういう顔」
「真面目な顔」
思わず眉をひそめる。
「いつも真面目だけど」
「嘘つけ」
即答だった。
悔しい。でも少し楽しい。
結び終えると、土方の肩に手を添えて固定具合を確かめる。筋肉の熱が手のひらに伝わり、慌てて離した。
「……終わり」
「そうか」
土方は立ち上がろうとして、一瞬だけ顔をしかめた。
「痛いじゃん」
「うるせぇ」
図星らしい。
そのやり取りの最中、外から再びざわめきが起きた。今までの襲撃音とは違う。怒号でも悲鳴でもなく、ざわつくような声。何か異変が起きた声だ。
隊員の一人が駆け込んでくる。
「土方さん! 外に火が!」
空気が変わる。
「どこだ」
「西の棟です! まだ小さいですが、このままじゃ広がる!」
放火。
土方の目つきが鋭くなる。
「陽動だな」
すぐに言い切る。
火に人を割かせ、その隙に別方向から崩すつもりだ。
「消火組と防衛組を分ける。慌てるな」
即座に指示が飛ぶ。隊員たちが散る。
私は胸がざわつくのを感じた。夢の中でも火があった。煙、混乱、逃げ惑う人々。そこから一気に崩れた。
(また同じ流れ……?)
顔色が変わったのだろう。土方がこちらを見た。
「何か思い出したか」
「……火」
喉が詰まる。
「このあと、煙で……みんな、ばらばらに」
言いながら震えが戻る。夢の記憶でも苦しいのに、今は現実と重なっている。
土方は一歩近づき、肩を掴んだ。
「見ろ」
低い声。
視線を上げる。
「今は違う」
真っ直ぐな目だった。
「お前が言った。俺たちが動いた。さっきまでと同じ流れじゃねぇ」
強く、断言する声。
その言葉に、呼吸が戻る。
「……ああ」
小さく頷く。
土方の手はまだ肩にあった。力強いのに、不思議と落ち着く重さ。
「怖いならここにいろ」
「……行く」
反射的に言う。
「また無茶を」
呆れたように言いながら、土方の目は少し柔らかい。
「でも、あんた一人で行かせたくない」
素直に言えた。
土方は数秒黙り、それから小さく笑った。
「本当に調子が狂う」
ぼそりと呟く。
そのまま私の頭に手を置き、乱暴に撫でるように一度だけ触れた。
「離れるなよ」
ぶっきらぼうな命令。
でも、その声にはさっきまでよりはっきりと熱があった。
私は頷く。
火の手は広がり始めている。夜はまだ終わらない。危機も終わっていない。
それでも今は、不思議と前だけを見られた。
この人の隣なら、変えられる気がした。




