18話
巻かれた布は粗い感触なのに、不思議なくらい気にならなかった。むしろそこだけ体温が残っているみたいで、動くたびに意識が引っ張られる。痛みを固定するためのもののはずなのに、別の意味で落ち着かない。
(集中しろ)
自分に言い聞かせる。次が来る。終わっていない。
土方の背を追って進むと、屋敷の奥側は表の騒ぎが嘘みたいに静かだった。遠くで戦う音は聞こえる。けれどここだけ切り離されたみたいに音が薄い。そういう静けさほど危ないと、もう分かる。
「……静かすぎる」
思わず呟く。
土方が足を止めた。
「同感だ」
短く返す。
その声が近い。振り向いた土方と目が合う。すぐ逸らしたくなるのに逸らせない。
「怖いか」
唐突に聞かれる。
「……怖い」
今さら取り繕う意味はないと思った。
「でも逃げない」
続けて言うと、土方の目がわずかに細くなる。
「そうか」
それだけだった。でも、その短い言葉に妙な満足感がある。
また歩き出す。廊下の角を曲がると、床に灯りが落ちていた。行灯が倒れている。油の匂い。誰かが急いで動いた痕跡だ。
「ここ、さっきまで人いたな」
土方が周囲を見る。
「……いない」
「隠れてるか、誘ってるかだ」
その言い方が現実的すぎて、背筋が冷える。
誘っている。
こちらを。
「俺の後ろ、半歩」
急に言われる。
「……ああ」
言われた通りに位置を詰める。近い。背中にぶつかりそうな距離。
「近すぎる」
思わず口に出る。
「離れると死ぬ」
即答だった。
文句の余地がない。
そのまま進む。土方の肩越しに前を見る形になる。背中越しに伝わる熱と、動くたび揺れる髪先が視界に入って、別の意味で集中力が削られる。
(本当にやめてほしい)
やめてほしくないけど。
次の瞬間、障子が横から破れた。敵が飛び込んでくる。反応する前に土方がこちらを押し込み、自分が前へ出る。肩を抱くように壁際へ寄せられ、視界の前で刃が弾けた。
「そこにいろ」
低い声。
近いまま言われると心臓に悪い。
土方は一人目をいなし、二人目の足を払う。倒れた相手の上を踏み越え、三人目へ間合いを詰める。狭い場所での動きじゃない。むしろ狭いほど強い。
(綺麗……)
戦いを見てそんな感想が出る自分に驚く。けれど本当に綺麗だった。迷いがなく、速く、鋭い。
敵が一瞬退いた隙に、別の影がこちらへ伸びる。
「っ」
反射で木刀を振る。うまく当たらない。でも相手の手首に触れ、動きが鈍る。
そこへ土方が戻る。
「十分だ」
短く言って相手を沈める。
また褒められた。たったそれだけで呼吸が楽になる。
「顔、嬉しそうだな」
「……違う」
「分かりやすい」
戦闘中にそんな会話をする余裕があるのかと呆れる。でも、それで緊張が少しほどける。
さらに奥から二人来る。今度は同時に左右へ散って挟む形。
「下」
土方の声。
意味を考えるより先にしゃがむ。頭上を風が切る。土方の腕が自分の肩越しに伸び、後ろの敵を払う。その腕が一瞬、首筋に触れた。
ぞくりとする。
(今それどころじゃない)
分かっているのに、体が勝手に反応する。
立ち上がると同時に、土方の胸へぶつかった。狭い場所で避けきれなかった。
「……悪い」
「前見ろ」
そう言いながら、肩を掴んで位置を直される。指が食い込む強さなのに、乱暴ではない。
「お前、すぐこっち見るな」
「見てない」
「見てる」
即答。
悔しい。
でも図星だ。
敵がようやく引いた。短い静寂。互いの呼吸だけが残る。
土方が壁に片手をついて息を整える。その仕草だけで色気があると思ってしまい、もう自分が信用できない。
額から汗が首筋へ落ちる。喉が上下する。視線がそこに吸い寄せられる。
「……おい」
呼ばれて顔を上げる。
土方がじっと見ていた。
「どこ見てた」
「……見てない」
「また嘘か」
少し近づいてくる。逃げる場所がない。
「そんなに余裕あるなら、次も前に立てるな」
「……立つ」
売り言葉に買い言葉みたいに即答する。
土方の口元がわずかに上がる。
「いい度胸だ」
そのまま頬を親指で軽く撫でられた。血がついていた場所を確かめるような、短い接触。
でも十分すぎた。
「まだ赤い」
ぼそりと言う。
「……うるさい」
「可愛い顔して睨むな」
思考が止まる。
(今なんて言った)
問い返す前に、遠くで再び足音が鳴った。
現実が容赦なく戻ってくる。
土方は何事もなかったように離れ、刀を構える。
「行くぞ」
「……ああ」
声がまともに出たか分からない。
さっきの言葉が頭から離れない。
可愛い顔。
そんなことを言う人だと思っていなかった。こんな状況で言う人だとも。
土方が半歩前へ出る。振り返らずに手だけ後ろへ差し出した。
「置いてくぞ」
その手を、迷わず掴む。
強くて熱い手だった。
すぐに離されたけれど、その一瞬だけで十分だった。
次の戦いが来る。
怖い。
それでも今は、胸の高鳴りの方が勝っていた。




