17話
右側の通路へ駆け込むと、空気の質が違った。さっきまでの正面衝突とは違い、ここは狭く、暗く、音が反響する。板張りの床が足音を拾いすぎて、距離感を狂わせる。敵が何人いるのか、どこまで近いのか、一瞬では掴みにくい場所だった。
(嫌な場所)
直感的にそう思う。夢の中でも、こういう狭い場所から流れが崩れていた。逃げ場がなく、誰か一人の転倒が全体を止める。
土方は速度を落とし、手を横に出してこちらを制した。
「下がってろ」
「……いやだ」
反射的に返してしまう。
「邪魔になる」
「なら、邪魔にならない位置にいる」
言い返した瞬間、自分でも生意気だと思った。けれど引く気にはなれなかった。
土方は一瞬だけこちらを見る。呆れたような、でもどこか諦めたような目。
「……勝手にしろ」
ぶっきらぼうに言って前を向く。
(許された……?)
ほんの少しだけ嬉しくなる自分が、我ながら単純すぎる。
通路の奥から影が二つ、滑るように現れた。狭さを利用した連携。前の一人が視界を塞ぎ、後ろが横から刺し込む形だ。
「左、後ろも見るな」
土方が短く言う。
「……ああ」
意味はすぐ分かった。目の前の敵に釣られるな、ということだ。
最初の一人が踏み込む。土方が受け流し、その勢いを横へ逃がす。後ろの敵が間合いを詰める。そこへ土方の肘が入る。鈍い音。体勢が崩れる。
(速い……)
狭い場所なのに、動きが止まらない。壁も床も全部、自分の味方みたいに使っている。
そのとき、三人目の気配がした。
「……上!」
咄嗟に叫ぶ。
天井近くの梁から影が落ちてくる。土方が一瞬で半歩引き、その落下地点を外させる。着地した敵に対し、横から一撃。崩れる。
「助かった」
短く言われる。
そのたった一言で、胸が熱くなる。
(また……)
こんな状況で、褒められることばかり気にしている自分が信じられない。でも嬉しいものは嬉しい。
敵が一度退く。通路に短い静寂が落ちる。
「前出ろ」
土方が言う。
「……え?」
「ここ、狭い」
それだけで意味が分かった。後ろにいれば視界が塞がれる。前で見た方がいい。
「……ああ」
一歩前に出る。土方との距離が急に近くなる。肩が触れそうなくらい隣だ。
(近い)
戦闘中なのに、そこばかり意識してしまう。
「集中しろ」
小声で言われる。
「……してる」
「してねぇ顔だ」
耳元に近い位置で低く言われ、ぞくっとする。
(ずるい)
わざとなのか無意識なのか分からないのが一番困る。
次の波が来た。今度は四人。狭い通路に無理やり押し込んでくる。数で潰すつもりだ。
「下がるな」
土方が言う。
その声と同時に、一歩踏み出す。前へ。守られる側だった自分が、少しでも流れを止めるために。
木刀を振る。浅い。けれど相手の腕に当たる。動きが止まる。
そこへ土方が入る。無駄なく崩す。
「いい」
また短い声。
息が上がる。腕が痺れる。でも、その一言で立てる。
敵の一人が横から突っ込んできた。反応が遅れる。
その瞬間、腰を抱かれるように後ろへ引かれた。
「……っ」
体が土方の胸へぶつかる。背中側から腕が回り、そのまま位置を入れ替えられる。自分がいた場所へ敵の刃が走る。
「前見ろ」
耳元で低く言われる。
熱い。近い。苦しいくらい近い。
でも怖さより先に、ときめきが来る自分に頭が痛くなる。
「……分かってる」
声が震える。
「分かってねぇ」
即答だった。
そのまま土方は腕を外し、敵を弾き飛ばす。離れた瞬間、急に心許なくなる。
(だめだこれ)
戦いの最中に、守られて安心している。
敵がまた退く。通路に荒い呼吸だけが残る。
土方がこちらを見る。額に汗が流れ、呼吸も少しだけ深い。さすがに疲労はある。それでも姿勢は崩れない。
「怪我は」
「……ない」
「嘘つくな」
手首を取られる。見ると、さっき木刀を受けた腕が赤く腫れていた。自分では気づいていなかった。
「これくらい」
「強がるな」
そう言って、親指で腫れた場所の少し下を軽く押される。
「いたっ」
反射的に声が出る。
「ほらな」
少しだけ勝ち誇ったような声。
「……意地悪」
「お前が馬鹿なだけだ」
言いながら、自分の帯紐をほどくと、その一部を裂いてこちらの腕に巻き始めた。
「……え」
「固定だ」
「いや、でも」
「黙ってろ」
近い距離で手元を見ている横顔が、やけに綺麗に見える。長い指が布を結ぶたび、腕に触れる感触が妙に生々しい。
(心臓うるさい……)
戦いの音より自分の鼓動の方が大きい気がする。
結び終えると、土方が軽く腕を持ち上げる。
「動くか」
「……ああ」
「痛みは」
「……少し」
「我慢しろ」
ひどい。
でも、その言い方が優しいと感じてしまう自分がもっとひどい。
遠くで再び足音が鳴る。次が来る。
土方が立ち上がる。
「行けるな」
振り返らずに言う。
「……行ける」
即答する。
その背中が少しだけ止まる。
「なら来い」
短く言って歩き出す。
私はその後ろを追う。巻かれた布が腕に食い込み、そこからじんわり熱が広がる。
痛みもある。
怖さもある。
でも、それ以上に。
この人に触れられた場所が、ずっと熱いままだった。




