13話
敵が引いたあとの静けさは、さっきまでとは違う重さを持っていた。張り詰めたままの空気の中で、誰も無駄に動かない。呼吸だけがやけに大きく感じる。自分の鼓動も、まだ落ち着ききらない。けれど崩れてはいない。あの夢のように、一気に押し潰される流れにはなっていない。それだけで、確かに何かが変わっていると分かる。
(持ちこたえた)
その事実が、遅れて実感として胸に落ちる。足の震えが少しずつ強くなる。今まで止まっていた分、まとめて押し寄せてくるみたいに。
「……大丈夫か」
低い声がすぐ近くで落ちた。
顔を上げると、土方が立っていた。いつの間にここまで来ていたのか分からない。さっきまで前線にいたはずなのに、気づいたら隣にいる。
「……ああ」
反射で答える。でも声が少しだけかすれる。
土方は一瞬こちらを見て、わずかに眉を寄せた。
「強がるな」
短く言う。
その一言で、押さえていたものが少しだけ揺れる。
(ばれてる)
弱さも、怖さも。
でも、それを責めるような言い方じゃない。ただ事実を見ているだけの声。
「……平気だ」
もう一度言う。今度は少しだけ息を整えて。
土方はそれ以上何も言わなかった。ただ、ほんの一瞬だけ視線を外さずにいたあと、軽く息を吐く。
「ならいい」
それだけ。
でも、その“確認して終わる”距離が、妙に近く感じる。
(なんで……)
さっきまでの戦闘の緊張とは違う、別の感覚が胸に残る。怖さじゃない。緩むような、でも落ち着かない感覚。
「水、飲め」
不意に差し出される。
見ると、手に持っていた水筒をこちらに渡していた。
「……」
一瞬、言葉が出ない。
「早くしろ」
ぶっきらぼうな言い方。でも、手はそのまま差し出されている。
「……ああ」
受け取る。指先が少し触れる。ほんの一瞬なのに、その感触が妙に強く残る。
(近い)
さっきまで刃を交えていた距離よりも、今の方が近く感じるのが不思議だった。
口をつけて、水を飲む。喉を通る感覚がやけに鮮明だ。体に戻ってくる感覚。
「……ありがとう」
自然と出た言葉に、自分でも少し驚く。
土方は一瞬だけ目を細めた。
「礼はいらねぇ」
いつもの言い方。
でも、その声が少しだけ柔らかい気がしたのは、気のせいじゃないと思った。
水筒を返すと、土方はそれを受け取りながら軽く視線を落とした。
「手、震えてるぞ」
「……」
言われて初めて気づく。握っていた手がわずかに揺れている。
「……さっきの、だ」
言い訳みたいに答える。
「分かってる」
即答。
否定も、追及もない。
「初めてであれだけ動けりゃ上出来だ」
淡々とした評価。
でも、その中にちゃんと“見ていた”という意味が含まれている。
(見てたんだ)
あの混戦の中で。
自分の動きを。
「……」
何か言いたいのに、言葉が出てこない。代わりに、胸の奥がじわっと熱くなる。
「勘違いするな」
ふいに言われる。
顔を上げる。
「まだ使えるレベルじゃねぇ」
きっぱりと言い切る。
「……ああ」
思わず笑いそうになるのをこらえる。厳しいのは変わらない。
「だが」
一拍置く。
「無駄じゃなかった」
その言葉が、まっすぐ落ちてくる。
(……ずるい)
そんな言い方をされると、余計に胸に残る。
「……次も、やれるか」
低く問われる。
試すような響き。でも、さっきとは違う。完全な疑いじゃない。
「……やる」
迷いはなかった。
怖さはある。でも、それよりも。
(ここで止まりたくない)
その気持ちの方が強い。
土方はわずかに頷いた。
「ならいい」
それだけ言って、前を向く。
その横顔を見て、ふと思う。
(この人も……)
怖くないわけがない。数も状況も、全部分かっているはずだ。それでも、この顔で立っている。
逃げずに。
迷わずに。
(だから……)
守りたいと思った。
この人を。
この人たちを。
理由なんて、もういらない。
そのとき、遠くで再び音がした。さっきよりも重い、密度のある足音。
空気がまた引き締まる。
「……来るぞ」
土方が低く言う。
その声を聞いた瞬間、不思議と呼吸が整う。
さっきまでの震えが、少しだけ引く。
(大丈夫)
隣にいる。
それだけで、少しだけ違う。
「……ああ」
頷く。
木刀を握り直す。さっきよりも、手が安定している。
(やれる)
完全じゃなくてもいい。
ここで、一緒に立つ。
それだけでいい。
土方が一歩前に出る。
その背中を、今度は少し近い距離で追う。
戦いはまだ終わらない。
でも、その中で。
確かに何かが変わり始めているのを、はっきりと感じていた。




