12話
足音はさっきの比じゃなかった。複数の重なりが波のように押し寄せてくる。屋敷の外周をなぞるように広がり、やがて一点に収束する気配。意図がある動きだ。迷いがない。こちらの配置を測っているような、呼吸の揃った進行。胸の奥が冷える。
(来る)
それでも足は止まらない。土方の背を追いながら、頭の中で何度も繰り返す。見る、遅れない、伝える。さっき覚えたばかりの最低限の型を、必死に身体に刻み直す。腕は重い。呼吸もまだ整いきっていない。それでも今は関係ない。
「散れ」
土方の低い指示が落ちる。
「固まるな」
「了解」
短い応答が連鎖する。隊員たちはそれぞれの持ち場へ滑るように散っていく。廊下の角、柱の陰、部屋の出入口。視線が交差し、合図だけで意図が通じる。
(広間は使わない)
さっき決めた方針が、迷いなく実行に移される。夢で見た「集められる流れ」を、ここで断つ。
「お前はここだ」
土方が足を止め、短く示す。廊下の分岐、視界が二方向に抜ける位置。背後には部屋、前には細い通路。
「前を見ろ」
「……ああ」
喉の奥が乾く。だが視線は逸らさない。前方の暗がりに集中する。
「来たら、無理に出るな」
「……分かってる」
「見て、言え」
「……ああ」
そのやり取りだけで、役割がはっきりする。戦うためじゃない。繋ぐためにここにいる。
最初の影が現れた。廊下の奥、灯りの届かない境界から滑り出てくる。二人、三人、そしてその後ろにも続く。数が違う。さっきの倍どころじゃない。
「……多い」
思わず漏れる。
「分かってる」
土方の声は変わらない。
影たちは足を止めない。こちらの存在を捉えたまま、迷いなく進む。位置を知っている動き。壁際をなぞり、死角を潰しながら距離を詰める。
(挟まれる)
直感が走る。左右から来る。前だけじゃない。
「……横」
小さく告げる。
土方がわずかに体をずらす。
「いい」
短い肯定。
次の瞬間、別の通路からも影が現れた。数が合流する。中央に引き寄せる意図がはっきり見える。
「下がる」
土方が一歩引く。
「引き込み過ぎるな」
「了解」
周囲の隊員が位置を微調整する。完全に囲まれる前に、こちらから角度をずらす。
最初の接触。刃がぶつかる乾いた音。火花が散る。息を詰めるような間合い。隊員の一人が踏み込み、相手の軌道をずらす。その隙に別の隊員が横から入る。連携が噛み合う。
(いける)
一瞬、そう思う。だがすぐに否定される。敵の動きが崩れない。倒れても、次が同じ位置に入る。間が埋まる。流れが途切れない。
(繰り返してる)
同じだ。何度も、同じ形をなぞっている。
「……奥」
見える。後ろにさらに列がある。入ってくる速度が一定だ。
「……来てる」
「分かってる」
土方の声に焦りはない。
「詰めるな、散らせ」
指示が飛ぶ。隊員たちが一斉に角度を変える。正面から受けず、横へ逃がす。押し返すのではなく、流す。
(押すと崩れる)
夢の記憶が教える。力で受けた場所から壊れた。
「……流す」
思わず口に出る。
土方が一瞬だけこちらを見る。
「そのままだ」
肯定。
動きが変わる。正面で止めず、ずらす。敵の列がわずかに歪む。完全ではないが、リズムが乱れる。
(今だ)
その歪みに合わせて、隊員が一人、鋭く踏み込む。要点だけを打つ。無駄がない。敵の一角が崩れる。
だが、すぐに埋まる。別の影が同じ位置に入る。
(終わらない)
数が違う。単純な消耗戦に持ち込まれたら、持たない。
「……後ろ」
気配。背後の部屋側からも微かな音。誰かが回り込んでいる。
「見るな」
土方が制する。
「前を外すな」
「……ああ」
歯を食いしばる。視線を前に固定する。全部見ようとすれば、全部外す。
(優先)
今はここ。
目の前の列に集中する。
呼吸を合わせる。相手の足、重心、次の一歩。さっき叩き込まれた感覚を、必死に掬い上げる。
(見える)
完全じゃない。だが、先の一瞬が分かる。
「……今」
小さく告げる。
土方が踏み込む。無駄のない一撃。敵の軸を崩す。隣の隊員が即座に繋ぐ。列が一瞬だけ空く。
「下げる」
その隙で、全体が半歩引く。位置を入れ替える。囲みの形を崩す。
(逃げるんじゃない)
位置を選び直している。
だが、敵も止まらない。間を詰める。流れを戻す。
「……きりがない」
思わず漏れる。
「ある」
土方が即答する。
「波がある」
その言葉に、意識が変わる。連続して見えていた流れに、切れ目を探す。
(波)
足音の強弱、踏み込みの間隔、入ってくる速度。確かに、微妙な揺らぎがある。
「……ここ」
感じた瞬間、言葉にする。
「……遅れる」
土方の目がわずかに細くなる。
「合わせる」
短い指示。
次の瞬間、全体の動きがその“遅れ”に合わせて変わる。押し返さず、受けて、流して、その一拍に踏み込む。
空白が生まれる。
そこに一斉に入る。
崩れる。
列が切れる。
(いける)
さっきよりも確かな手応え。だが、それでも終わりじゃない。奥からまた影が来る。
「続ける」
土方の声。
止まらない。止めない。
同じことを繰り返す。波を読む。遅れを掴む。そこに合わせて崩す。
体が限界に近づく。腕が重い。視界が狭くなる。それでも、意識だけは離さない。
(ここで止まったら)
全部が戻る。
夢と同じ流れに。
「……持て」
土方の声が落ちる。
「切れるな」
その一言で、意識が繋がる。
(切らない)
呼吸を整える。目を開く。前を見る。
波がまた来る。
遅れを探す。
掴む。
伝える。
「……今」
踏み込む音が重なる。
崩れる。
繋がる。
繰り返す。
やがて、音が少しだけ変わる。足音の密度が落ちる。入ってくる間隔が伸びる。
(減ってる)
完全じゃないが、確実に。
「……引いてる」
呟く。
土方は答えない。ただ前を見ている。
最後の影が間合いを測り、わずかに下がる。次の波を待つような動き。
「追うな」
土方が即座に止める。
「深追いするな」
「了解」
全体が止まる。息を整える。位置を維持する。
敵はそのまま引いた。闇の向こうへ、音もなく消える。
残るのは、荒い呼吸と、わずかな血の匂い。
(……終わった?)
まだだと分かっている。それでも、一度目の山は越えた。
土方がゆっくりと息を吐く。
「……保ったな」
短い評価。
胸の奥に、遅れて震えが来る。怖さが、今さら戻ってくる。
(生きてる)
さっきまで、崩れていたはずの場所で。
「配置、維持」
土方が続ける。
「次が来る」
その言葉で、気持ちを引き締める。
私は木刀を握り直す。手の震えを押さえ込む。
(まだ終わらない)
でも。
(変わってる)
確実に。
あの結末から、一歩外れた。
それだけで、足は止まらない。
次が来ても、同じようにやる。
見る。
伝える。
繋ぐ。
それが、今の自分にできる全部だ。
そして、それでいいと、ようやく思えた。




