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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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12/28

12話

 足音はさっきの比じゃなかった。複数の重なりが波のように押し寄せてくる。屋敷の外周をなぞるように広がり、やがて一点に収束する気配。意図がある動きだ。迷いがない。こちらの配置を測っているような、呼吸の揃った進行。胸の奥が冷える。


 (来る)


 それでも足は止まらない。土方の背を追いながら、頭の中で何度も繰り返す。見る、遅れない、伝える。さっき覚えたばかりの最低限の型を、必死に身体に刻み直す。腕は重い。呼吸もまだ整いきっていない。それでも今は関係ない。


 「散れ」


 土方の低い指示が落ちる。


 「固まるな」


 「了解」


 短い応答が連鎖する。隊員たちはそれぞれの持ち場へ滑るように散っていく。廊下の角、柱の陰、部屋の出入口。視線が交差し、合図だけで意図が通じる。


 (広間は使わない)


 さっき決めた方針が、迷いなく実行に移される。夢で見た「集められる流れ」を、ここで断つ。


 「お前はここだ」


 土方が足を止め、短く示す。廊下の分岐、視界が二方向に抜ける位置。背後には部屋、前には細い通路。


 「前を見ろ」


 「……ああ」


 喉の奥が乾く。だが視線は逸らさない。前方の暗がりに集中する。


 「来たら、無理に出るな」


 「……分かってる」


 「見て、言え」


 「……ああ」


 そのやり取りだけで、役割がはっきりする。戦うためじゃない。繋ぐためにここにいる。


 最初の影が現れた。廊下の奥、灯りの届かない境界から滑り出てくる。二人、三人、そしてその後ろにも続く。数が違う。さっきの倍どころじゃない。


 「……多い」


 思わず漏れる。


 「分かってる」


 土方の声は変わらない。


 影たちは足を止めない。こちらの存在を捉えたまま、迷いなく進む。位置を知っている動き。壁際をなぞり、死角を潰しながら距離を詰める。


 (挟まれる)


 直感が走る。左右から来る。前だけじゃない。


 「……横」


 小さく告げる。


 土方がわずかに体をずらす。


 「いい」


 短い肯定。


 次の瞬間、別の通路からも影が現れた。数が合流する。中央に引き寄せる意図がはっきり見える。


 「下がる」


 土方が一歩引く。


 「引き込み過ぎるな」


 「了解」


 周囲の隊員が位置を微調整する。完全に囲まれる前に、こちらから角度をずらす。


 最初の接触。刃がぶつかる乾いた音。火花が散る。息を詰めるような間合い。隊員の一人が踏み込み、相手の軌道をずらす。その隙に別の隊員が横から入る。連携が噛み合う。


 (いける)


 一瞬、そう思う。だがすぐに否定される。敵の動きが崩れない。倒れても、次が同じ位置に入る。間が埋まる。流れが途切れない。


 (繰り返してる)


 同じだ。何度も、同じ形をなぞっている。


 「……奥」


 見える。後ろにさらに列がある。入ってくる速度が一定だ。


 「……来てる」


 「分かってる」


 土方の声に焦りはない。


 「詰めるな、散らせ」


 指示が飛ぶ。隊員たちが一斉に角度を変える。正面から受けず、横へ逃がす。押し返すのではなく、流す。


 (押すと崩れる)


 夢の記憶が教える。力で受けた場所から壊れた。


 「……流す」


 思わず口に出る。


 土方が一瞬だけこちらを見る。


 「そのままだ」


 肯定。


 動きが変わる。正面で止めず、ずらす。敵の列がわずかに歪む。完全ではないが、リズムが乱れる。


 (今だ)


 その歪みに合わせて、隊員が一人、鋭く踏み込む。要点だけを打つ。無駄がない。敵の一角が崩れる。


 だが、すぐに埋まる。別の影が同じ位置に入る。


 (終わらない)


 数が違う。単純な消耗戦に持ち込まれたら、持たない。


 「……後ろ」


 気配。背後の部屋側からも微かな音。誰かが回り込んでいる。


 「見るな」


 土方が制する。


 「前を外すな」


 「……ああ」


 歯を食いしばる。視線を前に固定する。全部見ようとすれば、全部外す。


 (優先)


 今はここ。


 目の前の列に集中する。


 呼吸を合わせる。相手の足、重心、次の一歩。さっき叩き込まれた感覚を、必死に掬い上げる。


 (見える)


 完全じゃない。だが、先の一瞬が分かる。


 「……今」


 小さく告げる。


 土方が踏み込む。無駄のない一撃。敵の軸を崩す。隣の隊員が即座に繋ぐ。列が一瞬だけ空く。


 「下げる」


 その隙で、全体が半歩引く。位置を入れ替える。囲みの形を崩す。


 (逃げるんじゃない)


 位置を選び直している。


 だが、敵も止まらない。間を詰める。流れを戻す。


 「……きりがない」


 思わず漏れる。


 「ある」


 土方が即答する。


 「波がある」


 その言葉に、意識が変わる。連続して見えていた流れに、切れ目を探す。


 (波)


 足音の強弱、踏み込みの間隔、入ってくる速度。確かに、微妙な揺らぎがある。


 「……ここ」


 感じた瞬間、言葉にする。


 「……遅れる」


 土方の目がわずかに細くなる。


 「合わせる」


 短い指示。


 次の瞬間、全体の動きがその“遅れ”に合わせて変わる。押し返さず、受けて、流して、その一拍に踏み込む。


 空白が生まれる。


 そこに一斉に入る。


 崩れる。


 列が切れる。


 (いける)


 さっきよりも確かな手応え。だが、それでも終わりじゃない。奥からまた影が来る。


 「続ける」


 土方の声。


 止まらない。止めない。


 同じことを繰り返す。波を読む。遅れを掴む。そこに合わせて崩す。


 体が限界に近づく。腕が重い。視界が狭くなる。それでも、意識だけは離さない。


 (ここで止まったら)


 全部が戻る。


 夢と同じ流れに。


 「……持て」


 土方の声が落ちる。


 「切れるな」


 その一言で、意識が繋がる。


 (切らない)


 呼吸を整える。目を開く。前を見る。


 波がまた来る。


 遅れを探す。


 掴む。


 伝える。


 「……今」


 踏み込む音が重なる。


 崩れる。


 繋がる。


 繰り返す。


 やがて、音が少しだけ変わる。足音の密度が落ちる。入ってくる間隔が伸びる。


 (減ってる)


 完全じゃないが、確実に。


 「……引いてる」


 呟く。


 土方は答えない。ただ前を見ている。


 最後の影が間合いを測り、わずかに下がる。次の波を待つような動き。


 「追うな」


 土方が即座に止める。


 「深追いするな」


 「了解」


 全体が止まる。息を整える。位置を維持する。


 敵はそのまま引いた。闇の向こうへ、音もなく消える。


 残るのは、荒い呼吸と、わずかな血の匂い。


 (……終わった?)


 まだだと分かっている。それでも、一度目の山は越えた。


 土方がゆっくりと息を吐く。


 「……保ったな」


 短い評価。


 胸の奥に、遅れて震えが来る。怖さが、今さら戻ってくる。


 (生きてる)


 さっきまで、崩れていたはずの場所で。


 「配置、維持」


 土方が続ける。


 「次が来る」


 その言葉で、気持ちを引き締める。


 私は木刀を握り直す。手の震えを押さえ込む。


 (まだ終わらない)


 でも。


 (変わってる)


 確実に。


 あの結末から、一歩外れた。


 それだけで、足は止まらない。


 次が来ても、同じようにやる。


 見る。


 伝える。


 繋ぐ。


 それが、今の自分にできる全部だ。


 そして、それでいいと、ようやく思えた。


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