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「嘘から始まる一週間」  作者: 柑橘みかん


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10/24

10話

 土方の「始まるぞ」という一言が落ちた瞬間、屋敷の空気は音もなく張り詰めた。誰かが叫んだわけでも、鐘が鳴ったわけでもない。ただ、見えない糸が一斉に引かれたみたいに、人の気配が静かに整っていく。廊下の向こうで足音が変わる。歩幅が揃う。立ち位置がわずかにずれる。普段なら気づかないはずの変化が、はっきりと分かる。


 (来る)


 頭ではなく、体がそう理解していた。夢で何度も見た“直前の空気”と同じだ。何も起きていないのに、すべてが終わりに向かって収束していく感覚。逃げ場がなくなる前の、最後の静けさ。


 土方は障子を閉め、こちらに一瞬だけ視線を向けた。その目に迷いはない。状況を受け入れ、すでに次の動きを決めている目だ。


 「ついて来い」


 短く言う。


 「……ああ」


 声が少しだけ震える。でも止まらない。


 廊下を進む。さっきまで人の気配があった場所が、不自然に静かだ。完全にいなくなったわけじゃない。見えない位置に移動しているだけだと分かる。配置が変わった。見えないところで、囲う形に。


 (準備できてる)


 夢の中ではなかった動きだ。あのときはもっと無防備だった。笑って、油断して、そのまま崩れた。でも今は違う。明らかに違う。


 角を曲がった先、広間の手前で数人の隊員が待機していた。視線が一斉に土方に向く。言葉はない。頷きだけで意思が通じる。


 「配置そのまま」


 土方が低く言う。


 「不用意に動くな」


 「了解」


 短い返答。無駄がない。


 そのやり取りを見て、胸の奥に少しだけ熱が灯る。


 (いけるかもしれない)


 まだ何も始まっていない。でも、この動きなら、あの結末を変えられる可能性がある。


 そのとき。


 外から、わずかな音がした。


 足音。


 でも、普通じゃない。揃いすぎている。隠そうとしているのに、完全には消しきれていない音。


 「……来たな」


 土方が呟く。


 空気が一段階、重くなる。


 「数は」


 隊員の一人が小さく問う。


 「まだ見えねぇ」


 即答。


 「だが、複数だ」


 その言葉で、緊張がさらに増す。


 (どこから来る)


 視線を巡らせる。入口、窓、廊下の奥。全部が危険に見える。


 夢の中の光景が蘇る。突然、どこからともなく現れた影。誰も対応できず、一気に崩れた。


 (違う)


 今は違う。分かっている。準備している。


 それでも、怖い。


 心臓の音がうるさい。呼吸が浅くなる。


 「……落ち着け」


 土方の声が落ちる。


 自分に向けられたものじゃない。でも、はっきりと届く。


 「焦るな」


 その一言で、呼吸を無理やり整える。


 (見る)


 全部を見る。音、気配、動き。逃げずに。


 次の瞬間。


 屋敷の外から、乾いた音が響いた。


 破壊音。


 どこかの扉が破られた音。


 「南だ」


 誰かが言う。


 「……動くな」


 土方が即座に制する。


 「引き込め」


 短い指示。


 その意味がすぐに分かる。迎え撃つんじゃない。中に入れて、囲む。


 (あのときは……)


 夢では、外で対応しようとして崩れた。だから今回は逆だ。


 足音が近づく。複数。速い。迷いがない。場所を知っている動き。


 (やっぱり……)


 敵も、この屋敷を把握している。


 廊下の奥に影が見えた。


 一人じゃない。


 二人、三人。


 暗がりの中から現れる。


 顔は見えない。でも、動きが異様に揃っている。


 「……やれ」


 土方の声。


 その瞬間、空気が弾けた。


 隊員たちが一斉に動く。無駄のない踏み込み。狙いを絞った一撃。


 衝突音。


 金属がぶつかる音。


 短い叫び。


 一瞬で戦闘になる。


 (速い)


 目で追うのがやっとだ。さっきの訓練とは比べ物にならない。動きが違う。重さが違う。命がかかっている。


 敵の動きも異様だった。無駄がない。迷いがない。まるで何度も同じ動きを繰り返しているみたいに、正確に動く。


 (これ……)


 嫌な予感が強くなる。


 ただの敵じゃない。


 この戦いを、知っている動き。


 「下がれ」


 土方の声。


 気づけば、自分は少し前に出ていた。無意識に。


 「……ああ」


 一歩下がる。


 でも目は離せない。


 戦いは一瞬で決着がついた。数では敵の方が少なかった。囲まれた時点で勝負は決まっていた。


 最後の一人が倒れる。


 静寂。


 息を整える音だけが残る。


 「……終わりか?」


 誰かが言う。


 「まだだ」


 土方が即座に否定する。


 「これは様子見だ」


 その言葉で、背筋が冷える。


 (やっぱり)


 これで終わるわけがない。あの夢の規模じゃない。


 「引き締めろ」


 土方が周囲を見渡す。


 「ここからが本番だ」


 誰も返事はしない。でも、全員が理解している。


 私はその場に立ったまま、呼吸を整えながら考える。


 (変わってる)


 確実に。


 夢では、ここでもう崩れ始めていた。でも今は、まだ保っている。


 (間に合う)


 可能性がある。


 そのとき。


 足元に転がっていた敵の一人に目がいく。


 顔が、少しだけ見える。


 見覚えがある気がした。


 (……?)


 違和感。


 夢で見た顔。


 でも、違う。


 完全には一致しない。


 「……どうした」


 土方の声。


 「……こいつ」


 指を差す。


 「……見たことある」


 言いながら、自分でも曖昧だと分かる。


 「どこでだ」


 「……夢で」


 その言葉に、土方の目がわずかに細くなる。


 「……そうか」


 それだけ言う。


 完全には信じていない。でも、無視もしない。


 「覚えとけ」


 短く言う。


 「似たやつが来る」


 その一言で、理解する。


 (繰り返してる)


 敵も。


 この戦いも。


 全部。


 だから。


 (まだ終わらない)


 むしろ、ここからだ。


 土方が前を向く。


 「配置、再確認」


 声が落ちる。


 動きが再び始まる。


 私はその場に立ちながら、拳を握った。


 怖い。


 でも。


 (逃げない)


 もう決めた。


 ここで終わらせる。


 あの結末を、絶対に変える。


 そのために、ここにいる。


 その意思だけが、はっきりと胸の中で燃えていた。


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