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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第85話:灯台を離れて

翌朝。


 ファロスαの居住区画から少し離れた食堂では、天井照明が久しぶりに室内全体を照らしていた。


 固定式の卓と椅子が規則正しく並び、壁際には調理設備と複数の配膳口が並んでいる。


 長く使われていなかった痕跡まで消えたわけではない。


 それでも床から埃は消え、卓も清掃され、閉じたままだった配膳口にも明かりが戻っている。


 カインが中へ入ると、アイリスがすでに席についていた。


「早いな」


「ミラに起こされた」


「起こしていません」


 少し離れた場所からミラが答えた。


「起床予定時刻をお知らせしただけです」


「それを起こしたって言うんじゃない?」


「異なります」


「そうか?」


 カインが椅子を引く。


 アイリスがこちらを見る。


「カインは自分で起きたの?」


「ああ」


「本当に?」


「何で疑う」


「なんとなく」


 その間にも、ティルザに続いてクロン、レン、エメリが食堂へ集まってきた。


 クロンは室内へ入るなり、復旧した調理設備を眺めた。


「ここも動いたか」


「一部だけですけどね」


 ティルザが答える。


「昨日、最終確認まで終わりました」


「食材は?」


「そちらは持ち込みです」


 ミラが壁際の保管設備を示した。


 調理機材そのものは、ファロスαに残されていたものを復旧した。


 使っているのは、エーテル・ガイストから運び込んだ自動調理用の合成食材。それに、自由港を出る前にアイリスとミラが選んだ保存料理や加工品、調味料なども加わっている。


 ファロスαにも食料保管区画そのものは残されているが、長期保管された備蓄を、状態確認も済まないうちから朝食に並べる気にはなれなかった。


「基地に残ってた食い物は?」


 レンが訊く。


「検査中」


 エメリが短く答える。


「食えるのかな?」


「物による」



「その答え聞くと余計食いたくなくなるな……」


「同感だ」


 クロンが椅子へ腰を下ろした。


 ちょうどその時、卓の端から小さな表示が立ち上がる。


《食堂設備――稼働中》


《朝食メニュー》


 いくつかの料理が簡単な画像と一緒に並んだ。


《卵料理セット》


《肉類追加》


《温野菜》


《穀物パン》


《スープ》


《温製シリアル》


《飲料》


 アイリスが身を乗り出す。


「選べるんだ」


「元々は乗員用の食堂ですから」


 ティルザが自分の表示を操作する。


「今ある食材で作れる物だけに絞ってあります」


「じゃあ……これ」


 アイリスが卵料理を選ぶ。


 パン。


 スープ。


 少し考えた後、肉類も追加した。


「朝から食うな」


 カインが言う。


「カインも食べるでしょ」


「食うが」


「じゃあ同じ」


「そういう話か?」


 カインも表示を開く。


 卵。


 肉。


 パン。


 スープ。


 最後にコーヒー。


 向かいからアイリスが覗く。


「ほとんど同じじゃない」


「悪いか」


「別に」


 クロンは別のところで眉を寄せていた。


「量は増やせねえのか?」


「ここ」


 エメリが横から表示を切り替える。


《標準》


《大》


《追加》


「あるじゃねえか」


「見てないだけ」


「細けえんだよ」


「親方、最初から大にしときます?」


「当たり前だ」


 レンも迷わず大盛りを選ぶ。


 ティルザは軽め。


 エメリはパンとスープに温野菜だけだった。


 アイリスが最後にミラを見る。


「ミラは?」


「私も食事を取ります」


「何にする?」


 ミラは表示を数秒眺めた。


「私も副艦長と同じものを」


「同じ?」


「食事評価にも利用できますので」


 アイリスが少しだけ目を細める。


「……また食レポする気?」


「食事評価です」


「同じだと思う」


 注文が確定した。


 壁際の調理設備が動き始める。


 低い駆動音とともに加熱設備が立ち上がり、その奥で複数の調理アームが動き始めた。食材を取り出し、切り分け、焼き、温め、最後に皿へ盛り付けていく。


 カインは少しだけ眺めた。


「ちゃんと料理してるんだな」


「簡易料理であれば完全自動で対応できます」


 ミラが答える。


「昔は有人調理にも対応していたようです」


「食堂のおばちゃんもいたんすかね」


 レンが言った。


「そりゃいたかもしれねえな」


 クロンが返す。


「これだけでかい基地だ。毎日機械飯だけってわけでもなかっただろうよ」


 しばらくすると配膳口の上へ番号が表示された。


《注文番号――03》


「私の」


 アイリスが立ち上がろうとする。


 だが、その前に配膳口の下から小型の台車が滑り出した。


 料理を載せたまま卓の間を進み、アイリスの前へ止まる。


《ご注文の品です》


「持ってきてくれるんだ」


「配膳機も二台だけ復旧しています」


 ティルザが言う。


 続いてカイン、ミラ、クロン達、最後にティルザの料理も順番に運ばれてきた。


「片付けもやってくれるのか?」


 クロンが訊く。


「はい」


「そいつはいい」


「そこなんすね、親方」


「使った皿運ぶの面倒だろ」


「分かりますけど」


 カインはコーヒーへ口をつけた。


 普通だった。


 少なくとも、携行食と一緒に飲む簡易コーヒーよりはいい。


 向かいでは、アイリスが卵料理を一口食べている。


「おいしい」


「そうか」


「カインは?」


「うまい」


 アイリスが一瞬止まった。


「今日は素直だね」


「感想聞いたのお前だろ」


「そうだけど」


 隣ではミラも食べ始めていた。

 

 ミラは卵料理を一口食べ、続けてスープとパンにも手をつけた。やがて、何かを確認するように動きを止める。


 アイリスがそれに気づいた。


「……始まる」


「何がですか?」


 ティルザが聞き返した。


「ミラの食レポ」


「食事評価です」


「ほら」


 ミラは特に気にした様子もなく続ける。


「卵は中心部の水分が適度に残されています。加熱状態は良好です。肉類についても、原料由来の食感の差は調理工程によってかなり抑えられています」


「やっぱり始まった」


「スープは塩分、温度ともに朝食として適正です。パンについては表面の――」


「ミラ」


 カインが止めた。


「はい」


「要するに?」


 ミラは一拍だけ置いた。


「うまいです」


 アイリスが口元を緩める。


「そこだけ急に短いよね」


「簡潔な評価を求められましたので」


「毎回それでいいと思う」


「詳細な評価も必要です」


「やっぱり駄目か」


 レンが笑った。


「毎回こんな感じなんすか?」


「まあな」


 カインが答える。


「艦内食の改善にも利用している正式な評価です」


 食堂の端では、食べ終えた卓から配膳機が皿を回収し始めている。


 別の小型機は空いた卓を拭き、そのまま次の場所へ移っていった。


 まだ開放されているのは、食堂全体の一部だけだ。調理設備も一系統、配膳機も二台しか動いていない。


 それでも、人が座り、食事をして、機械がその後を片付けている。


 少し前まで暗く閉ざされていた場所とは思えなかった。


     ◇


 朝食を終えた頃。


 大型艦ドック側から、エーテル・ガイストの最終確認結果が届いた。


《ETHER GEIST》


《外装処理――完了》


《民間識別表示――更新済》


《航行灯――正常》


《外部登録整合――確認》


《内部走査対策――確認》


 カインは表示を上から順に確認する。


「艦の方は終わったか」


『問題ない』


 端末越しにアドミラルが答えた。


『通常の民間港湾検査を想定した模擬走査も完了している』


「なら、いつでも出られるな」


『そうなる』


「先輩」


 横からティルザが声を掛けてきた。


「何だ」


 ティルザはカインを上から下まで見た。


「目立たない服、持ってます?」


「これじゃ駄目か?」


 カインも自分の格好を見る。


 黒と灰の中間色をしたジャケット。


 丈夫なパンツ。


 自由港で動くために揃えた服だ。


 武器も隠しやすい。


 汚れにも強い。


 何より、自由港では周囲に紛れやすかった。


「自由港ならいいと思います」


「十分目立たんだろ」


「目立たない方向が違うんですよ」


 ティルザが苦笑した。


「正規都市に傭兵っぽい人がいないわけじゃありません。でも、調べ物をするのに、わざわざそういう格好で歩く必要もないでしょう?」


「傭兵っぽい?」


 アイリスがカインを見る。


 自分も暗灰色の軽装ジャケット姿だ。


「お前も似たようなもんだぞ」


「私も自由港用だから」


「そうだったな」


「そうだよ」


 その横では、ミラも濃紺のワークジャケット姿のままだった。


 自由港で三人が服装に求めたのは実用性だった。周囲へ溶け込みやすく、動きやすい。それでいて、多少荒れた場所を歩いても目立たない。


 だが、これから向かうのは正規の宇宙都市だ。


「じゃあ買うのか?」


 カインが訊く。


「その必要はないと思います」


 ティルザが答える。


「ファロスαに衣料品売り場が残ってます」


「服屋まであるのか」


「居住施設なんですから、それくらいありますよ」


「何でもあるな」


「動けば、ですけどね」


 アイリスが少し身を乗り出した。


「見たい」


「服をか?」


「うん」


「なら行くか」


「ミラも」


「私もですか?」


 アイリスがミラを見る。


「その服も作業する人っぽい」


 ミラは自分のワークジャケットへ視線を落とした。


「否定はできません」


「じゃあ一緒に」


「了解しました」


 ティルザが食堂を出る。


「では、こっちです」


     ◇


 向かったのは、居住区画のさらに奥だった。


 通路沿いには、小規模な店舗区画がいくつも並んでいる。


 食料品。


 日用品。


 衣料品。


 簡単な生活サービス。


 ファロスαが本来の役目を果たしていた頃、乗員や滞在者が使っていた場所らしい。


 大半はまだ照明すら戻っていない。


 その中で、一つだけ店内へ明かりが灯っていた。


《CLOTHING》


《生活衣料・作業衣料》


「ここです」


 ティルザが管理端末をかざす。


 扉が左右へ開いた。


 中には棚が並び、透明ケースの向こうへ折り畳まれた衣類が収められている。


 古い。それだけは、一目で分かった。


 それでも密閉保管されていたためか、状態そのものは悪くない。


 アイリスが棚へ近づく。


「これを着るの?」


「そのままではありません」


 ミラが店の奥を示した。


《自動採寸・補正ブース》


《AUTOMATED TAILOR》


 壁際には、複数の小型設備が並んでいた。


「何するの?」


「既製衣類の調整設備です」


 ティルザが答える。


「袖丈や裾、肩幅、胴回りなんかを合わせるみたいですね。足りない部分には同規格の素材を足して、余る部分は切り詰めて処理するようです」


「作るんじゃなくて、直すんだ」


「基本はそうですね」


 簡単な意匠変更にも対応しており、襟や袖、ポケットといった部分なら、保存されているデータを使ってある程度形を変えることもできるらしい。


「便利っすね」


 レンの声が後ろからした。


 振り返ると、クロン達も来ている。


「お前らも来たのか」


「ティルザに呼ばれた」


 クロンが言う。


「俺達はハルモニア行かねえぞ」


「行かなくても服は使うでしょう?」


 ティルザが返す。


「作業着しかないより、普段着の一つや二つあった方がいいじゃないですか」


「今ので困ってねえがな」


「予備が増えて困るものでもないでしょう」


「親方、俺は欲しいっす」


「お前はそう言うと思ったよ」


 エメリも棚を見ながら、


「私も」


 とだけ言った。


「お前までか」


「着替えは要る」


「分かったよ」


 クロンが諦めたように息を吐いた。


 その時。


 店の奥から低い駆動音が聞こえた。


 一体の人型機が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。


 人間より一回り小さい。


 顔にあたる部分には簡素な表示板。


 胸部には、この店のものらしい古いロゴが残っていた。


《いらっしゃいませ》


 一同の視線が集まる。


《今季最新モデルをご案内いたします》


「今季?」


 カインが眉を寄せた。


 エメリが近くの端末へ触れる。


 数秒。


「最終商品データ……三十年以上前」


「最新じゃないね」


 アイリスが言った。


《最新モデルです》


「言い切った」


 レンが笑う。


「更新されてねえだけだろ」


 クロンが言う。


「でも、ここって六十年以上、人が来てないんだよね?」


 アイリスがティルザを見る。


「ええ。有人記録はそこで途切れています」


 ティルザが答えた。


 エメリは端末に表示された記録をもう一度確認する。


「このデータは?」


「無人化した後もしばらく、外部との接続は残っていたようです」


 ミラが横から答えた。


「一部の民生系データベースに、有人記録が途絶えた後も更新を受け取った形跡があります」


「人はいないのに、服の情報だけ届いてたの?」


「衣料品だけではありません。生活用品、公共規格など、非機密系の情報にも同様の更新記録があります」


 ミラは端末へ視線を向けた。


「ただし、それも三十年以上前を最後に途絶えています」


「基地は止まってても、情報だけはしばらく入ってきてたってことっすか」


 レンが店内を見回す。


「その認識で問題ありません」


「で、こいつにとっちゃ三十年前が今季最新ってわけか」


 クロンが接客機を見る。


《最新モデルです》


「そこは譲らねえんだな」


 接客機は気にした様子もなく、表示を切り替えた。


《ご希望の用途を選択してください》


《日常衣料》


《作業衣料》


《外出衣料》


《礼装》


《その他》


「ちゃんと服屋だ」


 アイリスが少し楽しそうに言った。


「当たり前だろ」


「カインもちゃんと選んでよ」


「目立たなきゃ何でもいい」


「そう言うと思った」


《用途を確認》


 接客機の表示がカインへ向く。


《都市環境での日常行動》


《推奨衣料を検索します》


「勝手に始めたぞ」


「先輩より任せられそうですね」


 ティルザが言う。


「何だって?」


「冗談です」


     ◇


 接客機は一人ずつ体格を測定していった。


《採寸開始》


《肩幅》


《袖丈》


《胴囲》


《股下》


《補正値算出》


 身体の前を淡い走査光が一度通る。


 それだけで終わった。


「意外と早いね」


 アイリスが自分の表示を見る。


《推奨サイズ――補正必要》


《袖丈調整》


《胴部補正》


《意匠簡易変更》


《推定所要時間――五分》


 アイリスは接客機が表示した候補へ視線を移した。


 表示されたのは、ジャケットやシャツ、パンツを組み合わせた日常向けの軽装だった。


 何十年も前の物そのままでは古さを感じるものもあったが、補正設備側で簡単な形状変更ができるため、そこまで不自然にはならない。


「これかな」


 アイリスが一着を選ぶ。


 明るすぎない上着。


 細身だが動きやすそうなパンツ。


 自由港で着ていた物より、少し柔らかい印象だった。


「どう?」


「いいんじゃないか」


「ちゃんと見た?」


「見た」


「本当に?」


「何で疑う」


「カインだから」


「どういう意味だ」


 アイリスは少し笑いながら、選択を確定した。


 その横ではミラも候補を表示している。


《衣服変更を推奨》


「やはり、私にも必要ですか?」


《同行者との外観整合性を考慮》


「なるほど」


「ミラも変えよう」


 アイリスがすぐに隣へ移った。


「こちらでしょうか」


「もう少し普通のでもいいんじゃない?」


「普通、ですか」


「今のはちょっと仕事する人っぽい」


「現在も仕事をしていますが」


「そういう意味じゃなくて」


 数着を見比べた末、ミラが選んだのは装飾の少ない民間向けの上着だった。


 濃紺のワークジャケットより少し明るい色。


 下も動きやすさを残したパンツ。


「それいい」


「ありがとうございます」


「こっちも似合いそう」


「副艦長が選びますか?」


「ミラが決めていいんだよ」


 ミラは並んだ候補を見つめたまま、わずかに動きを止めた。黄金の瞳が、一度だけ静かに瞬く。


「……難しいですね」


「そこ悩むんだ」


     ◇


 カインの番になる。


 接客機の走査光が全身を通過した。


《左腕部――義肢》


《右眼部――人工器官》


「そこまで見るのか」


《都市環境での視認性低下を推奨しますか?》


「ああ」


 すぐに候補が追加された。


《長袖衣類》


《左手用グローブ》


《右眼部カバー》


 カインが眉を上げる。


「眼帯か」


 アイリスが覗き込んだ。


「義眼を隠すの?」


「まあ、この目は目立つからな」


「でも、見えなくならない?」


「素材次第だ」


 ミラが候補素材を確認する。


「ブラッド・ハウンドの受光帯域を透過する素材があります。外からは不透明に見えますが、義眼側の視界には影響しません」


「ならそれでいい」


 選んだ服は濃灰色のジャケット。


 黒に近いパンツ。


 自由港の服より作業着らしさは薄い。


 左腕は長袖で覆い、その先には薄手の手袋。


 右目には暗色の眼帯。


 補正設備へ衣類が送られる。


《加工開始》


《袖丈補正》


《胴部補正》


《追加素材――使用》


《意匠変更》


 内部で小さな機械音が続く。


 数分後。


《加工完了》


 カインは受け取った眼帯を右目へ当て、一度瞬いてみた。視界に問題はない。


「見えてる?」


 アイリスが訊く。


「ああ」


 アイリスが手を上げ、カインの前で右へ、左へと動かした。


「何をしてるんだ」


「確認だよ」


「見えてるって言っただろ」


「本当に見えてる」


「最初からそう言ってる」


     ◇


 ティルザも普段着を一式選んだ。派手さのない上着とパンツだ。


「お前はハルモニアに来ないだろ」


 カインが言う。


「服くらい持っていてもいいでしょう?」


「まあな」


「それに、いつまでも同じ格好というわけにもいきませんから」


 クロン達も、それぞれ候補を選ぶ。


 クロンは結局、丈夫そうなジャケットとパンツ。


 作業着よりは街着に近いが、選ぶ基準そのものはあまり変わっていない。


「親方、結局丈夫そうなの選ぶんすね」


「悪いか」


「いや、親方らしいっす」


「お前は?」


「これで」


 レンは比較的普通の街着だった。


 エメリは接客機が最初に出した候補を数秒見ただけで選択する。


「これ」


「早くない?」


 レンが訊く。


「着られる」


「それだけ?」


「十分」


「エメリらしいな」


 最後に全員分の調整が終わった。


 接客機が表示を切り替える。


《商品選択――完了》


《補正加工――完了》


《ご利用ありがとうございました》


「終わり?」


 アイリスが訊いた。


《決済処理へ移行します》


 一瞬、全員が黙った。


「……金取るのか」


 カインが言う。


《合計金額を算出しています》


「そりゃ店だからな」


 クロンが言う。


「でも誰に払うの?」


 アイリスが首を傾げた。


 ファロスαには、今や人の店員も経営者もいない。


《決済方法を選択してください》


《個人決済》


《施設登録口座》


《給与控除》


《その他》


「給与控除まで対応してんすね」


 レンが表示を見る。


「昔は普通に店として使ってたんでしょうね」


 ティルザが言った。


 接客機は律儀に待っている。


《決済方法を選択してください》


「……ティルザ」


「はい」


「どうするんだこれ」


「……少し待ってください」


 ティルザが管理端末を開く。


「ええと確か」


 ティルザはいくつかの項目を確認し、管理者権限を入力する。


「これをこうして」

 

《管理者権限――確認》


《施設滞在者への衣料支給》


《物資区分――生活必需品》


《施設管理枠へ振替》


《利用者負担――0》


 表示が切り替わる。


「……多分、これで」


《決済を確認しました》


《ご利用ありがとうございました》


 カインが接客機を見る。


「払ってないぞ」


「管理者権限で、施設内支給に変更しました」


 ティルザが答えた。


「無料?」


 アイリスが訊く。


「今のところは」


「今のところ?」


「基地の運用形態が変われば、そのうちちゃんと管理する必要はあるでしょうけど」


 クロンが自分の服を見る。


「最初からそれでよかったんじゃねえか?」


「会計機能まで動いているか確認できたじゃないですか」


「そこまで確認するのか」


「管理者ですから」


 エメリが接客機の表示を見る。


「正常」


「お前までそっち側か」


「ちゃんと使える」


「そりゃそうだが」


《次回のご来店をお待ちしております》


 接客機は何事もなかったように定位置へ戻っていった。


 カインはその背中を見送る。


「律儀な奴だな」


「三十年以上前の仕事を、そのまま続けてるみたいですね」


 ティルザが言う。


「寝てただけだろ」


「本人に言ったら否定されそう」


 アイリスが笑った。


     ◇


 昼前。


 カイン達は大型艦ドックへ戻っていた。


 整備照明の下に、灰白色へ姿を変えたエーテル・ガイストが横たわっていた。


 形そのものは変わっていない。


 それでも印象は大きく違う。


 自由港へ潜り込むために荒く見せていた外装は整えられ、濃灰色のラインと識別表示が船体に沿って走っている。


 今は、長距離航路を飛ぶ民間貨物船として見ても大きな違和感はない。


《ETHER GEIST》


《出航準備――完了》


《民間船籍――照合》


《航路登録――正常》


《搭載艇――確認》


《NOX――格納》


《VESPER――格納》


《入港用身分情報――登録済》


《目的地――宇宙都市ハルモニア》


 アンブラはファロスαへ残す。


 カラスはエーテル・ガイストの格納庫内。


 必要な物資も積み込みを終えていた。


「行けるな」


『いつでも』


 アドミラルが答えた。


 アイリスとミラも、新しい服へ着替えている。


 自由港での姿より少しだけ柔らかい。


 正規都市を歩いていても、少なくとも傭兵や整備員として真っ先に目を引くことはないだろう。


 カイン自身も同じだった。


 右目には暗色の眼帯。


 左腕は長袖と手袋で覆われている。


 知らなければ、金属義手にもブラッド・ハウンドにもすぐには気づかない。


 ティルザが少し離れたところから三人を見る。


「これなら大丈夫そうですね」


「そんなに違うか?」


「違いますよ」


「カイン、今の方が普通っぽい」


 アイリスも言う。


「元から普通だ」


 少し間が空いた。


「何だ?」


「何でもありません」


 ティルザが笑う。


 クロン達もドックへ来ていた。

もちろん、ハルモニアへ同行するわけではない。


「こっちは任せとけ」


 クロンが言う。


「まだやることが色々残ってるからな」


「無茶するなよ」


「それ、俺がお前に言う台詞じゃねえか?」


「言うだけならタダだ」


「違いねえ」


 レンが笑う。


「こっちは進めとくっすよ」


 エメリも頷く。


「戻る頃には、もう少し使えるようにする」


「ああ、頼む」


 カインはティルザを見る。


「何かあれば連絡しろ」


「はい。先輩も」


 ティルザの足元には、例の白い清掃ドローンがいる。


《管理者巡回――待機》


 カインがそれを見る。


《管理者。午後の巡回予定があります》


「ほら。もう仕事入ってるぞ」


「先輩、容赦ないですね」


「頑張れ、灯台守。明かりを絶やすなよ」


「……本当に好き放題言いますね」


 ティルザは呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。その足元では、白い清掃ドローンが何事もなかったように待機を続けている。

 そんな二人のやり取りを見て、アイリスも小さく笑った。


     ◇


 カイン達がエーテル・ガイストへ乗り込むと、背後で気密扉が閉じた。

 

 それまで聞こえていたファロスα側の作業音が遮られ、代わりに艦内の低い駆動音が耳へ戻ってくる。


《乗員確認》


《気密接続――解除準備》


《外部接続――切離》


《大型艦ドック――出航シーケンス開始》


 艦橋へ戻ると、カインは艦長席へ腰を下ろした。アイリスも副艦長席へ座り、ミラはいつもの位置につく。


 正面表示へ、ファロスαの大型艦ドックが映し出されている。


『進路クリア』


「出るぞ」


『了解』


《係留解除》


《推進系――正常》


《微速前進》


 低い振動が艦内へ伝わった。


 エーテル・ガイストの巨体が、ゆっくりと前へ進み始める。


 灰白色の船体が大型艦ドックから外へ出ていく。


 アイリスは正面表示を見ていた。


「出たね」


「ああ」


 後方表示では、ファロスαの巨大な構造物が少しずつ遠ざかっていく。


 以前なら、あそこを離れることにも不安が残った。


 今は違う。


 主推進は限定的ながら動き、生活設備も戻り始めた。復旧した支援機は人の手を離れて働き、ティルザとクロン達も残っている。


 まだ直すべき場所は山ほどある。それでも、もう自分が張り付いていなければ何も進まない場所ではなかった。

 

 それで十分だった。


「ハルモニアって、どんな所かな」


 アイリスが訊いた。


「行けば分かる」


「いつもそればっかりだね」


「今回は俺も行ったことないんだから仕方ないだろ」


「楽しみじゃないの?」


 カインは少し考える。


「調べ物が先だ」


「終わったら?」


「時間があればな」


 アイリスがこちらを見る。


「それ、観光してもいいってこと?」


「そうは言ってない」


「でも駄目とも言ってない」


「……好きに解釈しろ」


 アイリスは満足したように小さく頷き、正面表示へ向き直った。


『航路設定完了』


 アドミラルの声が艦橋へ響く。


《目的地――宇宙都市ハルモニア》


《航路設定――完了》


《巡航移行――準備》


 カインは正面表示を見る。


 ローゼン。


 人類の夜明け計画。


 ヴォルフが関わる以前に存在していた、その原型。まだ分からないことは多い。


 だからこそ、今度はこちらから探しに行く。


「アドミラル」


『何だ、艦長』


「ハルモニアへ」


『了解した』


 エーテル・ガイストが速度を上げる。


 後方で、ファロスαの灯りが少しずつ小さくなっていく。灰白色へ姿を変えた艦は、その光を背に、正規の航路へ向けて静かに宇宙を進み始めた。


   ◇


 ファロスαを離れて、しばらく。


 エーテル・ガイストは予定していた進路を維持したまま、正規航路へ向かっていた。

 

 見える景色そのものは、ほとんど変わらない。黒い宇宙に、遠く星々が散っている。


 航路と呼ばれてはいても、地上の道路のように何かが引かれているわけではない。


 アイリスが正面表示を見る。


「正規航路って言うから、もっと他の船がいるのかと思ってた」


「宇宙は広いからな」


 カインが答えた。


「同じ航路を使ってても、そう簡単に横へ並んだりはしない」


『ハルモニアへ近づけば、交通量は増える』


 アドミラルが補足する。


『現在地では、他船も相応の距離を保って航行している』


「じゃあ、まだ見えないだけ?」


『そう考えていい』


 その時、艦橋の表示へ新しい情報が加わった。


《正規航路基準域――進入》


《航法ビーコン――受信》


《航路管制情報――取得》


 続いて。


《宇宙通信局中継――捕捉》


《民間通信網――利用可能》


《一般情報網――接続可能》


「通信?」


 アイリスが表示を見る。


『正規航路沿いの通信中継へ接続した』


「何が使えるの?」


「一般向けの情報網であれば、ほぼ利用できます」


 ミラが答える。


「ニュース、映像配信、音楽、公共情報、商業情報などです」


「テレビとか?」


「相当するサービスはあります」


「ネットも?」


『利用可能だ』


 アイリスの表情が変わった。


「見たいな」


「好きにしろ」


 カインが言う。


『外部通信は民間登録用の通信系統へ限定する。艦内主要系統との直接接続は行わない』


「そこは任せる」


『了解』


《外部通信ゲートウェイ――起動》


《民間通信識別――確認》


《一般情報網――接続》


 アイリスの前に、いくつもの項目が開いた。


《総合ニュース》


《生活情報》


《映像配信》


《音楽》


《スポーツ》


《料理》


《旅行》


《宇宙都市ハルモニア――来訪者案内》


「……多いね」


 アイリスが小さく呟く。


「そうか?」


 カインにとっては珍しいものではない。


 だが、アイリスは一つずつ確かめるように表示を開いていった。


 ニュースを開き、次に料理番組。映像作品、スポーツ、広告と、アイリスは目についたものを次々に切り替えていく。

 

 やがて、その指が一つの項目で止まった。


《宇宙都市ハルモニア》


 画面に、明るい都市の映像が広がった。


 巨大な居住区。


 商業区画。


 行き交う人々。


 公共交通。


 自由港とも、ファロスαとも違う景色。


「ここだよね?」


「ああ」


 カインが答える。


「今から行く場所だ」


 アイリスはしばらく画面を見ていた。


「……すごいね」


「映像だぞ」


「それでも」


 一つの案内を見終えると、アイリスはすぐに次を開いた。画面へ身を寄せたまま、初めて見る都市の情報を飽きることなく追っていく。


 ファロスαの灯りは、もう見えなくなっていた。

 その代わり、今まで知らなかった世界が、少しずつアイリスの目の前へ広がり始めていた。

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