第84話:次の行き先
ファロスαが、長い休眠を経て、自らの推進器で位置を変えてから数日が過ぎた。
あの日から、主推進器へ再び大きな出力を入れてはいない。とはいえ、一度火を入れた主機は五パーセントまで出力を上げ、自らの力で巨体を押し出した。自力で動けることまでは確認できた。
だからこそ、その先を急ぐ必要はなかった。
試験に使った系統は再び停止させ、冷却系や配管、制御機器に異常が出ていないか、一つずつ確認する作業へ戻している。
カインが居住区画から中央管制へ向かう途中にも、復旧した整備支援機が二機、通路の向こうから現れた。
一機は工具箱を抱え、もう一機は交換されたらしい古い配管を運んでいる。その後ろを《UNIT-KW01》が追い、三機はカインの脇を通り過ぎると、そのまま交差通路の奥へ消えていった。
人間の姿はない。それでも、作業は止まっていない。決められた範囲であれば、作業機だけでも仕事を続けられる。主推進区画でも同じだった。冷却圧力や温度、配管内部の状態は複数の支援機が巡回しながら監視し、異常値が出ればクロン達の端末へ通知が飛ぶ。判断が必要な時だけ人間が向かい、運搬や単純な点検、交換作業は機械へ任せる。直した機械が、次の修理を手伝う。
クロンが最初に口にしていたやり方が、ようやく基地全体へ広がり始めていた。
壁際を、見覚えのある白い機体が滑っていく。
古い清掃ドローンだった。
床面を一定の速度で進みながら壁際の埃を吸い込み、通った場所だけがわずかに本来の色を取り戻している。
ティルザがここへ先行した頃から動いていた機体だ。
最近では同型機もいくつか復旧し、清掃範囲はC-02だけでなく、中央区画や主要通路へと広がっている。
人の気配がほとんどなかった巨大基地にも、今ではどこかしらから機械の動く音が聞こえてくる。まだ全てが稼働していると言い切れるほどではない。それでも、もう止まっている場所ではなかった。
◇
中央管制室へ入ると、クロン達はすでに集まっていた。
ティルザ、アイリス、ミラ。
クロン、レン、エメリ。
壁面にはアドミラルの黄金の単眼も浮かんでいる。中央卓に表示されていたのは、ファロスαの主推進系統だった。カインが近づくと、クロンが一度だけこちらを見る。
「来たか」
「何か出たか」
クロンが表示を切り替えた。
一度火を入れた主推進系統を中心に、冷却系、補助電源、推進剤供給系の状態が並ぶ。
「この前動かした所は、今のところ大きな異常なしだ」
「なら次も点けるか?」
「まだだ」
返事は早かった。
「冷却側の古い箇所が多すぎる。まずは動かした一基をもうちょっとまともにしてからだ」
「さすがに慎重っすね、親方」
レンが言う。
「当たり前だ。どんだけ寝てたと思ってんだ」
その横では、エメリが別の状態表示を開いていた。
「制御もまだ不安定」
「そっちもだな」
クロンが頷く。
「全部まとめて火入れて、どっか一つ吹っ飛んだら笑えねえ」
「笑う前にあの世行きっすよ」
やり取りを聞きながら、カインは中央卓へ視線を戻した。
「それで、悪い話は?」
「こっちだ」
クロンが表示を一段切り替える。
《主推進用水素――残量低下》
カインは表示された数値を見る。
「……燃料か」
「正確には推進剤だな」
クロンが答えた。
「主機そのものを動かす分には問題ない。だが、こいつを本気で移動させるなら足りねえ」
先日の試験でファロスαが移動した距離は、ほんのわずかだった。
「この前使った分は?」
「誤差みたいなもんだ」
クロンは肩を竦める。
「動くか確かめる程度なら、残ってる分で十分だった。今ある量でも位置を少し変えたり、緊急時に退避したりするくらいなら出来る」
「長距離は?」
「無理だ」
短い返答だった。
アイリスが表示を覗き込む。
「……燃料って作れないの?」
「作れます」
答えたのはミラだった。
中央卓には生活用水の再生設備から酸素生成、水素分離まで、水資源に関わる系統がまとめて表示された。
「ファロスαには水資源の再生設備があります。生活排水を浄化し、必要に応じて水素と酸素へ分離することも可能です」
「じゃあ、それ使えばいい?」
「量によります」
ミラは水資源の残量と循環量を表示した。
「水素を推進剤として使用した場合、その分は基地の循環系へ戻りません」
アイリスは少し考え込む。
「お風呂の水も?」
「処理した後であれば原料にはできます」
「出来るのか」
「出来ます。ただし、推奨はしません」
クロンが鼻を鳴らした。
「だな。生活用の水を推進剤に回したところで、本格航行に必要な量には程遠い」
「分かってる」
カインは表示された水資源の残量を確認した。
今の人数なら、生活用水に困る状態ではない。循環設備も少しずつ戻っている。
だが、この先もファロスαを拠点として使い続け、人が増える可能性まで考えるなら、生活に必要な水を推進剤として消費する方法に頼るわけにはいかない。
「外から取るしかないか」
『そのための記録が残っている』
アドミラルが言った。
中央卓の表示が星図へ切り替わる。
ファロスαの現在位置から少し離れた宙域に、複数の小天体が帯状に表示された。
《旧水資源採取候補》
《含氷小天体――複数》
「氷?」
アイリスが訊く。
『そうだ』
候補域の一部が拡大される。
『ファロスαが本格運用されていた時代、外部から水資源を補給するために調査された宙域の一つだ』
氷を確保できれば、生活用水だけでなく、酸素や推進剤用の水素にも回せる。
「今もあるか?」
カインが訊く。
『保証はできない。記録が古い』
「現地確認が必要ですね」
ティルザが星図を見ながら言った。
クロンも同じ場所を眺める。
「今すぐファロスそのものを持ってく必要はねえな」
「取りに行くのに燃料使ったら意味ないっすからね」
レンが言う。
エメリはその間にも候補地の情報を拡大していた。
「先に無人機を出せる」
「それがいいな」
クロンが頷く。
「第二整備区画の旧船がもう少し直れば、資源探査にも使える」
資源調査や補給に使えるようになれば、あの船もようやく本来の仕事へ戻れる。
「候補はこっちで調べておきます」
ティルザが言った。
「主推進も無理には動かしません」
「ああ」
カインは頷く。
今は、自力で動けると分かっただけでも十分だった。
◇
中央管制での確認を終えたあと、カイン達は復旧の進んだ区画を見て回ることになった。
ティルザの横を、例の白い清掃ドローンが滑っている。
「そいつ、くっついてくるようになったな」
カインが言う。
「私が巡回する時の支援対象に登録されているみたいです」
ティルザが足元を見ると、清掃ドローンもその場で止まった。
《管理者巡回――待機》
「ほら」
「自分で設定したんじゃないのか」
「最初は清掃だけでしたよ」
横からエメリがしゃがみ込み、機体上部を軽く叩いた。
「昨日、追加した」
「何を?」
アイリスが覗き込む。
機体上部の小さなカバーが開き、床面から少し浮いた位置へ淡い光が広がった。
《現在地》
《目的地を指定してください》
簡単な施設図がホログラムとして投影される。
「地図?」
「案内用モジュールです」
ミラが説明した。
「施設支援機用の旧部品が残っていました。基本規格が共通だったので、この機体へ接続しています」
ティルザが表示へ触れた。
《目的地――食料生産区画》
《経路表示》
施設図の上へ、青白い線が伸びる。
「案内まで出来るようになったんだ」
アイリスが感心したように言った。
《案内を開始します》
清掃ドローンは何事もなかったように走り始める。
「掃除は?」
「もちろん続ける」
エメリが答えた。
実際、機体は進みながら床面の埃も吸い込んでいる。
「器用だな」
カインが言うと、ティルザが少しだけ笑った。
「結構気に入っているんですよ」
通路の途中では、別の白い清掃ドローンともすれ違った。
その先では、以前なら埃に覆われていた区画まで照明が戻っている。
復旧した機体が増えるほど、人間が再び使える場所も広がっていた。
◇
食料生産区画は、完全復旧にはまだ遠かった。
広い室内には栽培ラックが何列も並び、天井からは育成灯が吊られている。水と養液を循環させる配管も伸びていたが、実際に明かりが入っているのは、そのうちの一部だけだった。
「明るいね」
アイリスが中へ入る。
「試験運転を始めています」
ミラが答えた。
数列の栽培ラックでは、すでに水循環が始まっている。
植えられているものはまだ少ない。
自由港から持ち込んだ種苗や保存可能な培養素材、エーテル・ガイスト側にあった栽培用資材を使い、試験的に生産設備を起こしていた。
「今ある食料だけじゃ駄目なの?」
アイリスが訊く。
「当面は問題ありません」
ティルザが答える。
「エーテル・ガイストから運び込んだ食料もありますし、備蓄もあります」
「でも、ずっとは持たない」
カインが言った。
「そういうことです」
今の人数なら、備蓄だけでもかなり持つ。
だが、ファロスαを拠点として使い続けるなら、毎回外へ食料を買いに行くだけでは効率が悪い。
「全部自給できるようになる?」
「すぐには無理です」
ミラは正直に答えた。
「ですが、一部でも生産できれば外部依存を減らせます」
アイリスは育成灯の下を覗き込んだ。
まだ小さな芽が、何本か並んでいる。
「もう出てるね」
「試験区画です」
「食べられる?」
「育てば」
「いつ?」
「種類によります」
「まだ先か」
少し残念そうな声だった。
「収穫できたら食わせてやる」
カインが言う。
「ほんと?」
「枯れなければな」
「それ言わなくてもいいのに」
そのまま一行は、次の区画へ向かった。
◇
案内ドローンの投影する経路に従い、いくつかの隔壁を越えた先。
ティルザが管理者権限で最後の封鎖を解除すると、扉の向こうに保管棚と密閉ケースが並ぶ区画が現れた。
カインは入口で一度足を止める。
「ここは武器庫か」
「旧警備部門の装備保管区画ですね」
残されていたのは、基地警備や乗員保護、緊急時に使われる装備だった。何十年も閉ざされていただけあって状態にはばらつきがあり、腐食や固着でそのままでは使えない物も多い。
中には、保管ケースそのものが開かないものもある。その中で、比較的状態の良いケースが一つ解錠された。
カインが中を覗き込む。
収められていたのは、旧式のアサルトライフルだった。
細身の銃身に、無骨な機関部。後部には折り畳み式の銃床。今の軍の装備と比べれば随分と古臭く見えるが、余計な飾りのない実用本位の造りだった。
「随分懐かしい形だな」
カインが一丁を持ち上げる。
重量が両手へ乗る。
金属義手で前部を支え、照準器を覗いてみる。
当然ながら弾は入っていない。
「知ってるの?」
アイリスが訊く。
「似た系統なら見たことがある」
「使える?」
「整備すればな」
ミラが横から状態を確認する。
「機関部に固着があります。弾薬も含めて点検が必要です」
「こいつだけエーテル・ガイストへ回しとけ」
「使用するんですか?」
「分からん」
カインはもう一度、アサルトライフルを見る。
「使える状態にしておいても、損はないだろ」
ティルザが棚の奥へ視線を向ける。
「ほかの装備も戻せれば、基地警備用に使えますね」
「ああ」
カインは銃をケースへ戻した。
今でも手持ちの武器は十分にある。
自由港では散弾銃も買った。
ここで見つけたものまで、片っ端から自分で持ち歩く必要はない。
だが、基地の装備として使える武器が残っていることには意味がある。
「ほかも使えるか見ておいてくれ」
「こちらも順番に確認します」
ミラが記録を更新する。
「状態の良いものから整備へ回します」
カインは最後にもう一度、ケースの中のアサルトライフルを見た。
「頼む」
アイリスがその視線に気づく。
「それ、気に入った?」
「見てるだけだ」
「自由港でもそんな感じじゃなかった?」
「あの時は買った」
「今回は?」
「整備してから考える」
アイリスが小さく笑った。
◇
武器庫を出たあと、カイン達は中央管理区画へ戻った。
そこでは、別の作業が進んでいた。
エメリが開いた制御盤の前に座り、ミラが複数の施設管理画面を並べている。
アドミラルも基地側の古い制御規格へ接続していた。
カインは少し離れた位置から、その作業を見る。
「何してるんだ?」
「基地管理系の更新」
エメリが答えた。
「更新?」
今度はミラが説明する。
「エーテル・ガイストが離れた後も、ファロスα単独で運用できるようにしています」
基地には元から、電力や空調、水再生、入港設備、施設支援機までをまとめて扱う管理系が残っている。
今はアドミラルとミラ、エメリが、その古い管理系へ手を入れている。
アドミラルが言った。
『既存管理系を復旧し、現在使用可能な設備に合わせて再構成する』
中央表示が切り替わる。
《電力配分》
《生命維持》
《水再生》
《施設支援機管理》
《修理優先度》
《物資残量》
《異常通知》
カインは表示を眺めた。
「新しく施設管理AIでも置いていくのか?」
『人格型AIではない』
「基地運用を補助する管理システムです」
ミラが続ける。
「異常情報をまとめ、必要に応じて作業機を割り当て、管理者へ判断を求めます」
ティルザが画面を見る。
「最終判断は私ですか?」
「はい」
「それなら大丈夫ですね」
カインも、その方がいいと思った。
アドミラルと同じものをもう一つ置く必要はない。
基地には基地の仕組みがあり、それをティルザが使えればいい。
「エメリは?」
「古い制御盤と新しい接続の調整」
「面倒か」
「かなり」
返答だけは、いつも通り短い。
「でも使えるよな?」
「使えるようにする」
「頼もしいな」
エメリはそれ以上答えず、端末へ視線を戻した。
しばらくして、試験通知が中央表示へ上がる。
《C-07空調系――応答不安定》
《整備支援機の派遣を推奨》
ティルザが表示を確認した。
「派遣してください」
《承認》
別の画面上で、待機していた整備支援機の識別点が動き始める。
「こういう感じですか」
ティルザが訊く。
「はい」
ミラが頷いた。
「大きな異常や判断が必要なものだけ、管理者へ優先的に通知します」
「なら使えそうですね」
ちょうどその時、案内機能を追加された白い清掃ドローンがティルザの足元へ滑ってきた。
《管理者。次の巡回予定を確認します》
ティルザが見下ろす。
「まだ仕事ですか」
《巡回予定――未完了》
「真面目ですね」
《ありがとうございます》
カインは思わず口元を緩めた。
◇
復旧が進む一方で、外から持ち込まなければならない物もある。
その日の夕方。
工廠区画では、クロンが端末を使って自由港側への発注状況を確認していた。
「足りない消耗品は?」
カインが訊く。
「向こうで揃い始めてる」
クロンが画面を閉じる。
不足部品についても、クロン・ワークス経由で自由港への発注が進んでいた。受け取り方法は品物が揃ってから決める。ファロスαの位置を外へ出さないことだけは、最初から決まっていた。
それ以上、細かく詰める必要はなかった。任せられるところは任せればいい。
◇
その夜。中央管制室では昼間まで表示されていたファロスαの設備図は閉じられ、代わりに別の資料が中央卓へ並んでいた。
《人類の夜明け計画》
ライナから届いている最新連絡。
《調査継続中》
《新規確定情報――なし》
カインは表示をしばらく眺めた。
「まだ……か」
「アトリー元帥とライナ副官側では、引き続き軍内部から調査しています」
ティルザが言う。
「ただ、急げばいいというものでもありません」
「分かってる」
相手はヴォルフ元帥だ。
軍内部で大きく動けば、それだけ痕跡が残る。
アトリーとライナにしか出来ないことがある以上、カイン達まで同じ場所を探り続ける必要はない。
「待ってるだけってのも性に合わんな」
カインが表示を動かした。
一つの名前が中央へ移る。
《アーデルハイド・ローゼン》
さらに、その下へ関連情報が並ぶ。
《旧アステリア生体工学研究所》
《現アステリア・ライフサイエンス》
《所在地――宇宙都市ハルモニア》
アイリスが表示を見る。
「ローゼン?」
「ああ」
以前の調査で、人類の夜明け計画にはヴォルフが関わる以前の形があり、その頃の中心人物の一人としてローゼンの名が残っていることまでは分かっている。
『ローゼンの記録を追うのか』
アドミラルが訊く。
カインは初期資料へ視線を向けた。
「俺達は、まだ知らなさすぎる」
「元の計画が分かれば、今の形と何が違うのかも見えてくるはずだ」
『妥当だ』
アドミラルが応じた。
『旧アステリア側に、当時の研究記録が残されている可能性はある』
「ローゼン本人は?」
アイリスが訊く。
「さあな」
カインはハルモニアの表示へ目を移した。
「ただ、古巣までは分かってる」
ライナから情報を受け取った時、場所さえ分かれば後は自分達で見ると答えた。
ただ、その直後はファロスαの立ち上げを優先した。
当時とは状況が違う。
主推進は限定的ながら動いた。
生活区画も少しずつ戻り、食料生産も試験段階へ入った。
復旧した作業機は人間の手を離れて仕事を続け、基地管理系も、アドミラルがいなくても回せる形へ近づいている。
ティルザも残り、クロン達も復旧作業を続ける。もう、自分がここへ張り付いていなければ何も進まない場所ではない。
「ハルモニアへ行くか」
アイリスがすぐにこちらを見る。
「私も行く」
「早いな」
「カインが行くんでしょ」
「調べ物だぞ」
「分かってる」
アイリスは少しだけ間を置き、それから表示された都市名へ視線を戻した。
「それに、ハルモニアも見てみたい」
「正規都市だからか」
「うん」
クレイドルを出てから、アイリスが見てきたのはエーテル・ガイスト、自由港、そしてファロスα。普通の都市生活を知るには、少し偏りすぎている。
「カインは行ったことある?」
「ハルモニアはないな」
「正規都市は?」
「何度か。任務でな」
ティルザも頷いた。
「私もハルモニアは初めてです。ただ、正規都市なら何度かあります」
アイリスが二人を見比べる。
「じゃあ、私だけ初めてだね」
「そうなるな」
「なら、やっぱり行きたい」
「観光じゃないぞ」
「それは分かってるって」
カインはそれ以上言わなかった。
◇
「それで、どれで行くんです?」
ティルザが訊いた。
カインは少しも迷わなかった。
「エーテル・ガイスト」
アイリスが目を瞬く。
「ノクスじゃなくて?」
「積んでは行くがな」
正規都市へ入るための民間身分証も、大型貨物船用の証明や輸送業者登録も、すでに手元にある。いつまでも小型船だけを使って外へ出るつもりはなかった。
『現在の外部偽装でも、大型貨物船としての外観は成立している』
アドミラルが言った。
『ただし、正規都市へ入港するのであれば、外部登録との整合性を再確認することを推奨する』
カインは大型艦ドックの表示へ目をやった。
中央卓には、エーテル・ガイストの船体図が浮かんでいる。自由港へ潜り込むため、一度は姿を変えた船だ。今度は隠れるためではなく、正規の航路へ出るために、その姿を整えることになる。
「なら、次はそっちだな」
次の目的地は、宇宙都市ハルモニア。
ローゼンと人類の夜明け計画の手掛かりを追う。その方針が決まれば、次に整えるべきものも自然と決まった。
◇
翌朝。
大型艦ドックでは、朝からエーテル・ガイストの周囲を整備支援機が行き交っていた。
カインが入ると、クロンは船体図を見上げたまま声を掛けてきた。
「正規都市へ行くんだってな」
「ああ」
「これで?」
「そのつもりだ」
「なら、表で使う船籍を見せろ」
カインは端末を開き、必要な部分だけを渡した。
大型長距離貨物船としての登録に、民間輸送事業者としての資格、さらに複数回の改修履歴。
クロンは一通り目を通すと、それ以上は何も訊かなかった。
「なるほど。この船籍に合わせるわけか」
「使えるか?」
「十分だ」
船体を見上げる。
「形まで弄る必要はねえ。荒くしてあるところを馴染ませて、色と識別表示を揃える。航行灯も合わせとけ」
「外板の反射も見る」
エメリが言った。
「任せる」
クロンはそれだけ言うと、レンを連れて第二整備区画へ戻っていった。
後はミラとアドミラル、それに作業機の仕事だった。
「船体色はこちらでいかがでしょうか」
ミラが表示を切り替える。
灰白色の船体に、濃灰色のライン。
今までより少し明るい。
「いいんじゃないか」
『異論はない』
アドミラルも応じる。
「では始めます」
《船体表面処理――開始》
船体左舷へ、一機目の作業機が取り付いた。
続いて二機、三機。
別の機体は識別表示へ回り、さらに一機が航行灯の位置を確認していく。
「俺は?」
「特にありません」
ミラが答えた。
「問題があれば呼びます」
「そうか」
カインが踵を返す。
「カイン」
少し離れたところで、アイリスが待っていた。
「何だ」
「少し付き合って」
◇
向かった先には、ランタンとヴィジルが置かれていた。
アイリスはランタンをここまで自分で運転してきたらしい。
「もう一人で平気そうだな」
「うん」
「最初は危なかったが」
「最初だけだよ」
そう返してから、アイリスはヴィジルを見る。
「あれも乗ってみたい」
「ヴィジルか」
「最近よく使ってるでしょ。私も動かせたら手伝えるかなって」
カインは一度だけ車体を見る。
「ランタンとは違うぞ」
「じゃあ教えて」
「分かった。乗れ」
◇
遠隔武装を安全状態へ固定し、アイリスが運転席へ座る。
カインも隣の席へ座ると、正面の表示が起動した。
《VIGIL》
《走行系――正常》
《浮上機構――待機》
「まず姿勢」
「ここ?」
「ああ。それから左右の出力。変な数字があったら動かすな」
「分かった」
カインが周囲映像を開いた。
前方と左右、後方、それに車体四隅の近接映像が並ぶ。
「動かす方向に必要なものを出せ」
「前なら前と左右?」
「そうだ。後ろへ下がる時は後方と左右。曲がるなら内側も見る」
アイリスが自分で表示を並べ直した。
「これでいい?」
「そうだ」
浮上機構を起動すると、ヴィジルが僅かに床面を離れた。
「すぐ動かしていい?」
「待て」
「まだ?」
「安定してからだ」
数秒後。
「よし。少しだけ前へ」
車体がゆっくりと進む。
「遅い」
「今はな」
「もっと出せる?」
「その前に止まれ」
カインが前方の表示線を指した。
「そこだ」
「分かった」
アイリスが出力を落とす。
だが、ヴィジルはそのまま進み、表示線を少し越えた。
「あ」
「遅い」
「止めたのに」
「切っただけじゃ止まらん。先に速度を落として、最後に制動」
「もう一回」
二度目は手前で止まり、三度目にはほぼ線上へ収まった。
「どう?」
「いい」
「合格?」
「そこだけな」
◇
停止がある程度できるようになると、次は旋回へ移った。
カインが指示した位置で、アイリスが操舵を入れる。
ヴィジルは少し遅れて向きを変えた。
「戻す?」
「待て。まだ触るな」
車体が追いつく。
「ああ、こういう感じなんだ」
「ランタンみたいには曲がらん」
二周、三周と繰り返すうちに、アイリスも自分から側面映像を見るようになっていた。
「そこはいい」
「褒めた?」
「確認が出来てた」
「もっと普通に褒めればいいのに」
「ちゃんとやればな」
カインは端末を開いた。
「よし。次はこれ」
《搬送依頼》
《工廠補助区画 → 食料生産区画》
《循環ポンプユニット/栽培資材》
アイリスが見る。
「運ぶの?」
「ああ」
「練習じゃなくて?」
「両方だ」
「いいの?」
「俺が横にいる」
アイリスの顔が少し明るくなった。
「やる」
◇
工廠補助区画へ着くと、二機の作業機が待っていた。
「枠に入れろ」
「狭いね」
「カメラ使え」
アイリスが左右の近接映像を大きくする。
少し右へ寄る。
「右、近いぞ」
「見えてるよ」
「なら直せ」
「今やってるって」
アイリスが小さく修正し、そのまま停止枠へ収める。
「止める」
今度は早めに減速した。
ヴィジルは枠の中で止まった。
「どう?」
「いい」
車体を固定すると、作業機が循環ポンプと資材を積み始める。
アイリスは後方映像を眺めていた。
「これくらいなら軽いよね」
「ヴィジルにはな」
《貨物固定――正常》
「じゃあ行く」
アイリスはヴィジルを再び浮上させ、前進出力を入れた。
「……あ」
「分かったか?」
「ちょっと違う」
「積んだ分だけな」
「止まるのも?」
「ああ」
それだけ言えば十分だった。
アイリスはさっきより早めに速度を落としながら、食料生産区画へ向かった。
◇
途中。
作業機とすれ違い、二つ目の曲がり角を抜けた頃には、アイリスにも少し余裕が戻っていた。
「アイリス」
「何?」
「ランタンの時も思ったが、こういう操作を前にもやったことはないか?」
「え?」
「乗り物の扱いを、誰かに教わったりとかな」
アイリスは少し考える。
「分からない」
「クレイドルより前は?」
「……あんまり」
ヴィジルは一定の速度で進んでいる。
「何か思い出すことはある」
「どんな?」
「場所とか。音とか」
少し間があった。
「でも、本当に昔のことなのか分からない時もある」
「人は?」
「よく分からない」
さらに少しして。
「誰かがいたような気はする」
「家族とかか?」
アイリスが一瞬だけこちらを見そうになる。
「前」
「あ」
すぐに戻した。
「……分からない」
「そうか」
「顔も名前も出てこない」
カインはそれ以上聞かなかった。
「無理に思い出すこともない」
「でも気になる」
「なら、その時に考えればいい」
「それでいい?」
「ああ」
会話はそこで切れた。
少しして、目的地が見えてくる。
「着いた」
「じゃあ最後だ」
アイリスは必要な映像を自分で並べ直し、速度を落としながら位置を合わせ、そのまま指定位置へ収めた。今度は、カインがほとんど口を出す必要もなかった。
《搬送位置――正常》
「出来た」
「ああ」
「役に立った?」
「ちゃんと届いた」
「それだけ?」
「初回なら十分だ」
アイリスが笑った。
◇
帰りは、ほとんど口を出さなかった。
曲がる前には側面映像を確認し、作業機が来れば自分から速度を落とす。
待機区画へ戻ると、後方映像を開いて自分で位置を合わせた。
一度だけ左へ寄りすぎたが、それも自分で直した。
《駐車位置――許容範囲内》
「どう?」
「悪くない」
「一人で乗れる?」
「まだだ」
「やっぱり」
「もう少しやれ」
「分かった」
ヴィジルを降りたアイリスは、小型船係留区画へ目を向けた。そこには、係留されたノクスがあった。
「ヴィジルの次は?」
「見てるだろ」
「ノクス」
「ヴィジルを一人で扱えるようになったらな」
「本当に?」
「ああ」
アイリスは少し嬉しそうに頷いた。
◇
大型艦ドックへ戻ると、エーテル・ガイストの船体にはすでに灰白色が広がり始めていた。
形は変わっていない。
だが、自由港で見せていた荒い印象は薄れつつある。
「お戻りですか」
ミラが振り返る。
「どうだ」
「予定通りです」
《外板表面処理――進行中》
《船体識別表示――更新中》
《航行灯――配置変更中》
『内部走査対策も順調だ』
アドミラルが続ける。
「なら任せる」
カインは船体を見上げた。
「ヴィジルは?」
ミラが訊く。
「運んだよ」
アイリスが先に答える。
「食料生産区画まで」
「実地まで進めたのですね」
「次はノクス」
ミラがカインを見る。
「もう決まったのですか?」
「ヴィジルを一人で扱えるようになったらだ」
「分かってる」
目の前では、作業機が淡々と仕事を続け、船体を覆っていた暗い色が少しずつ灰白色へ置き換わっていく。
自由港へ潜り込むために纏った姿ではない。
今度は、表の航路へ出るための姿だった。




