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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第81話:帰投

 エーテル・ガイスト艦内。

 食堂を出たクロン、レン、エメリの三人は、ミラの案内で艦内中央部へ向かっていた。


 壁面に浮かぶ簡略図には、居住区画や食堂だけでなく、補給搬送路、資材保管区画、工廠、格納区画が幾重にも連なっている。


 四百メートル近い艦体の中には、まだ使われていない区画も多い。


「全部回ると時間が掛かります」


 ミラが足を止め、三人を見る。


「見たい場所があれば、そちらを優先します」


「なら、まず工廠だな」


 クロンはすぐに答えた。


「加工設備と資材庫。それから、船体を触れる場所が見たい」


「分かりました」


「俺は機関まわりも見たいです。見せられる範囲でいいんで」


 レンが続ける。


 ミラは頷き、最後にエメリを見る。


「エメリさんは?」


「制御。工作設備も」


「では、その順番で」


 近くの壁面へ黄金の単眼が浮かんだ。


『経路を設定した』


 アドミラルだった。


『工廠、資材保管、制御設備を経由し、動力補助区画まで案内する』


 クロンが表示を見る。


「お前も案内役か」


『本艦の設備については、私が最も把握している』


「そりゃそうか」


 クロンはそれだけ言うと、ミラの後を追った。


 工廠区画へ入ったところで、レンが周囲を見回した。


「……思ってたより広いすっね」


 自由港のクロン・ワークスとは規模が違う。


 区画内には大型加工機や素材成形設備、切削装置、積層設備、解析卓が並んでいた。


 天井から伸びる複数の作業アームの下では、作業ドローンが加工済みの部材を搬送していた。


 別の一機が空いた設備へ入り、次の工程を始める。


 クロンは入口で立ち止まることなく中へ入り、素材供給口から加工機、天井の作業アームまで、それぞれの配置を確かめながら奥へ進んだ。


「何処まで作れる?」


「必要な条件が揃えば、かなり広い範囲に対応できます」


 ミラが答えた。


「条件は?」


「設計情報、または解析可能な実物。それから製造に必要な素材です」


「現物があれば、それを元に作れるのか」


『解析可能な範囲による』


 アドミラルが応じた。


『構造、材質、制御情報を取得できれば、同等品または代替品を製造できる』


「全部そのまま写せるわけじゃねえ、と」


『そうだ』


 エメリが近くの解析卓を見る。


「データだけでも?」


『素材がなければ製造はできない』


「素材だけでも駄目」


『設計情報がなければ、何を製造すべきか判断できない』


「分かった」


 エメリは短く返し、別の設備へ視線を移した。


 クロンは腕を組んだ。


「要するに、元になる物か設計情報。それと材料が揃えば作れる」


「はい」


「逆に、何もない物は出せねえ」


「その認識で問題ありません」


 クロンは小さく頷いた。


「十分だ」


 レンが大型の素材成形設備を見上げる。


「ファロスの部品も、現物が残ってれば作れそうすね」


「規格と材料次第だな」


 クロンが答える。


「先に使える物を洗う。作るのはその後だ」


「了解です」


 エメリも同じところへ考えが向いていたらしい。


「古い制御部品。解析したい」


「必要なら持ってくる」


 クロンが言う。


「まだ中身を見てもねえ。順番だ」


「うん」


 その後は資材保管区画や制御設備、船体補修用の作業区画を回り、三人はそれぞれ興味のある設備を確かめていった。


 レンは大型部材の搬送設備や船体保持装置を確かめ、エメリは複数規格へ対応する診断卓の仕様をミラへ尋ねる。


 クロンは設備そのものより、何処までが実際に使えるのかを見ていた。


 そうして艦中央部へ近づくにつれ、通路の構造が変わっていった。


 隔壁が厚くなり、壁面を走る配管や幹線も増えている。


 やがてミラが足を止めた。


 正面には、これまでより明らかに厚い隔壁がある。


《動力中枢接続区画》


《有人進入――非対応》


《環境維持――限定》


 レンが表示を読む。


「この先が動力中枢ですか?」


「近接区画です」


 ミラが答える。


「ですが、ここから先には入れません」


「機密的な?」


「それもあります」


 アドミラルの声が続いた。


『ただし、現在は機密以前の問題がある』


「どういうことだ」


 クロンが聞く。


『有人区画として未完成だ』


 表示に簡単な環境状態が追加される。


《気密――未成立区画あり》


《空調――未接続》


《重力制御――限定》


《安全通路――未完成》


 レンが少し眉を上げた。


「空気もない場所が?」


『ある』


「なら入れねえな」


 クロンは隔壁を一度見ただけで、それ以上近づかなかった。


「見せられるのは?」


『補助系統と、通常整備を想定した区画までだ』


「十分だ」


 レンが隔壁の向こうを見ながら言う。


「完成したら、ちょっと見てみたいですけどね」


「その時になったらだ」


 クロンが返す。


「今は見る場所じゃねえ」


「ですね」


 エメリも表示を確認する。


「未完成区画、多い?」


『動力中枢周辺だけではない』


「見られる範囲、後で見たい」


『許可範囲で提示する』


「お願い」


 ミラが次の経路を開いた。


「格納区画へ向かいます」


 格納区画には、アンブラが収まっていた。


 ネスト戦で損傷し、自由港のクロン・ワークスで修復を受けた重武装小型船。


 先にエーテル・ガイストへ戻されていた船体は、外見だけならすでに修理を終えているように見える。


 周囲では二機の作業ドローンが、接続されていた診断線を片付けていた。


 クロンがアンブラへ近づく。


「残りは?」


「ほぼ完了しています」


 ミラが端末を開く。


「自由港で受け取った修理情報を基準に、アドミラルとこちらで残作業を進めました」


『最終確認のみ残している』


「なら、そこだけ見るか」


 ノクスから持ち込んでいた診断機材が運ばれる。


 クロンは自分達の端末をアンブラへ接続した。


「レン、右側を頼む」


「了解っす」


「エメリ、制御」


「見る」


 エメリはすでにミラから送られた制御情報を開いていた。


《アンブラ》


《駆動系――正常》


《姿勢制御――正常》


《主電力系――安定》


《兵装制御――待機》


 クロンはエーテル・ガイスト側の診断結果だけでは済ませず、自分達の機材でも同じ箇所を測っていく。


「差は」


「許容内」


 エメリが答える。


「右側も問題なしです」


 レンの声が返る。


「一回動かすぞ」


 各可動部から姿勢制御、出力応答までを順番に確認していく。一箇所だけ僅かな遅れがあった。


「ここ」


 クロンが示す。


「補正する」


 エメリが数値を確認する。


「これくらい?」


「もう少し戻せ」


「うん」


 再調整。


 もう一度作動。


 今度は揃った。


 クロンは数秒表示を見てから、診断機を外した。


「よし」


「終わりすっね」


「ああ」


 レンも工具を戻す。


「思ったより軽かったですね」


「向こうでほとんど済んでたからな」


 クロンは、片付けに入った作業ドローンを一度見る。


「こいつらも、いい仕事してる」


『評価を受領した』


 アドミラルが返す。


 クロンはアンブラを見上げた。


「これなら問題ねえ」


 エメリも表示を閉じる。


「正常」


「じゃ、次はアレですね」


 レンが言う。


「ああ」


 クロンは格納区画の出口へ向いた。


「拾った船を見る」


 ファロスα、第二整備区画。


 ヴェスパーによって整備枠へ運ばれた船は、今も静かに固定されている。


 外板の一部が失われ、主機も推進器も沈黙したまま。


 だが、中央構造には大きな歪みがない。


 クロンは船体の下から全体を見上げた。


「やっぱり古いな」


「直せそうですか?」


 レンが聞く。


「それを見るんだよ」


 エメリはすでに外部接続口を探している。


「電源から?」


「ああ。いきなり主機には触るなよ」


「触らない」


「レン、持ってきた診断機を出せ」


「了解です」


 ミラが整備枠側の表示を開いた。


「外部電源を接続できます」


「最低限で頼む」


「分かりました」


 外部電源が接続され、最低限の出力で電力が送り込まれる。


《外部電源――入力》


《補助配電――応答待機》


 しばらく反応はない。


 レンが表示を見たまま待つ。


 クロンも急かさない。


 やがて、船体側の古い表示灯が一つ点いた。


 続いて、もう一つ。


 微かな機械音。


「来た」


 エメリの前に文字が現れる。


《制御系――部分起動》


《航法記録――破損》


《主機管理――応答なし》


《所属識別――待機》


「所属識別?」


 レンが覗き込む。


「船籍が残ってるのか」


「読み出します」


 ミラが接続を深める。


 情報の大半は破損しており、船名や登録番号、航行履歴にも欠落が並んでいた。


 その中に、一つだけ古い識別情報が残っていた。


《母港識別――》


 文字が一度乱れる。


《PHAROS――》


 クロンが表示を見る。


 続いて。


《PHAROS-α》


 レンが船体を見上げた。


「……ここの船だったんですか」


「らしいな」


 エメリが識別情報を追う。


「登録。残ってる」


 その直後。


 第二整備区画の照明が、一度だけ僅かに揺れた。


 壁際。


 これまで何も表示していなかった古い端末が起動する。


《所属船認証――受信》


《識別情報――部分一致》


《旧登録船――確認》


「ファロスα側が反応しています」


 ミラがすぐに端末へ接続する。


『中央管理系ではない』


 アドミラルが言った。


『第二整備区画に残存する独立管理系だ』


 表示が更新された。


《旧所属船――帰投》


《整備支援認証――復旧》


 レンが小さく息を吐いた。


「帰投……」


 数十年前、どこかで航行能力を失い、回収されないまま宇宙を漂っていた船を、ノクスが見つけ、ヴェスパーがここまで曳いてきた。


 そしてファロスαは、その船を今も自分の所属船として認識していた。


 クロンは表示を見ながら言った。


「こいつ、本来ここに帰る船だったってことか」


「その可能性が高いです」


 ミラが答える。


 さらに新しい表示。


《補助整備保管区画》


《所属船認証――成立》


《封鎖解除》


 クロンが顔を上げる。


「そんな区画、あったか?」


「施設図では用途が失われていました」


 ミラが位置を出す。


「第二整備区画の奥です」


『中央記録が欠損していても、区画単独の認証情報は残っていたと判断する』


「船そのものが鍵だったわけか」


『結果的にはそうなる』


 クロンは少し考えた後、歩き出した。


「見るぞ」


「はい」


 レンが機材を置き、後に続く。


 開いた区画は、第二整備区画のさらに奥にあった。

 

 気密と環境状態を確認した後、古い隔壁がゆっくりと左右へ開く。


 棚の間には固定された大型部品や封止箱、交換用機器が残されていた。


 何十年も人の手が入った形跡はない。


「部品庫?…」


 レンが照明を向ける。


「補助船用だな」


 クロンは一番近い箱を見る。


 表面に残る型式は、拾った船の規格と一致していた。


 エメリは別の保管物へ移る。


「姿勢制御」


「こっちは電力変換器です」


「色々あるな」


 クロンは喜ぶより先に、状態を確認した。


「開けるぞ」


 封止を解除する。


 外見だけなら、部品は綺麗だった。


 だが、ミラが診断を掛ける。


《長期保管期限――超過》


《内部状態――要検査》


《潤滑材――劣化》


《電子制御部――再調整必要》


「まあ、そうなるか」


 クロンは部品を覗き込む。


「そのままは無理ですか」


 レンが聞く。


「何十年寝てたと思ってる」


「ですよね」


「だが、物はある」


 エメリが制御部を確認する。


「中身、古い」


「使えるところは残す。駄目なところは替える」


「解析も出来る」


「ああ」


 クロンは保管庫全体を見る。


 新品の部品が揃っているわけではなく、そのまま差し替えれば済むものも少ないだろう。それでも現物があれば規格を確認でき、使える素材も残っている。


「まず全部見るぞ」


「この区画を?」


「ここだけじゃねえ」


 クロンは指を折る。


「持ってきた資材」


 一つ。


「ファロスに残ってる物」


 二つ。


「エーテル・ガイスト側で使える機材と材料」


 三つ。


「先に全部洗う」


 レンが頷く。


「それから修理ですね」


「そうだ」


 エメリが言う。


「作れる物は作る」


「ああ」


「足りない物は?」


「買う」


 クロンは迷わなかった。


「使える物を使って、作れる物は作る。足りねえ物だけ外から持ってくる」


 視線を拾った船へ戻す。


「まずはこいつからだ」


   ◇


 ファロスα、中央管制室。

 

 カインは中央卓の前で、基地全体の施設図を見ていた。稼働している区画は増えている。

その一方で、まだ灰色のまま残る場所も多い。

用途情報そのものが欠けた区画。


 配線だけは確認できても、その先のデータが失われている場所。


 アイリスが隣から表示を覗き込む。


「まだ分からないところ、いっぱいあるね」


「ああ」


「復旧したら分かるところもありますけど」


 ティルザが別の表示を開く。


「全部ではないですね」


 カインが一つの灰色区画を指す。


「ここは?」


「分かりません」


「こっち」


「それもです」


「お前、管理者だろ」


「暫定です」


「便利だな、その言葉」


「先輩も似たようなものでしょう」


「何が」


「艦長」


「……名目上だ」


 アイリスが二人を見る。


「似てる」


「どこが」


「そういうところ」


 ティルザが僅かに笑った。


 その直後、何かを思い出したように顔を上げる。


「そうでした」


「何だ」


「先輩が到着したら、一度回線を開くよう言われています」


「誰に」


「ライナ副官です」


 ティルザが携行端末を取り出し、管制卓へ置いた。


「報告したんじゃなかったのか」


「エーテル・ガイストが着いたことと、先輩がまだ到着していないことは」


「なら今日も報告だけでいいだろ」


「本人がいるなら本人を出すように、と」


「……ライナらしいな」


「私もそう思います」


 カインは端末を見る。


「アドミラル」


『回線を確認した』


 中央卓の一角に黄金の単眼が浮かぶ。


『通常通信系から分離する』


《秘匿通信端末――起動》


《暗号鍵――照合》


《外部接続――待機》


 アイリスが少し姿勢を正す。


「ライナさん?」


「ああ」


「私もいていい?」


「問題ないだろ」


「その方が説明も早いと思います」


 ティルザも残る。


 数秒後。


《接続》


 管制卓の上に映像が立ち上がる。


 映像に現れたのは、軍服姿のライナ・ヴェルグだった。


『ティルザ』


「はい」


『回線状態は』


「良好です。アドミラルが独立経路へ切り替えています」


『確認しました』


 ライナの視線がカインへ移る。


『到着したようですね、カイン』


「ああ」


『無事で何よりです』


ライナは次にアイリスへ目を向けた。


『アイリスさんも、ご無事で何よりです』


「はい。ライナさんも」


『ありがとうございます』


 ティルザへ視線を移す。


『復旧報告も確認しています。随分進みましたね』


「人手が増えましたので」


『クロン・ワークスの三名ですね』


「はい。今はミラさんと設備を見てもらっています」


『分かりました』


 カインが聞く。


「閣下は?」


『現在、会議に出席されています』


「そうか」


『終了時刻は未定です。ただ、言伝は預かっています』


「何て?」


『ファロスαを使うつもりなら、使えるものは遠慮なく使え』


『ただし、壊すな』


 カインが黙った。


 アイリスが横を見る。


 ティルザも同じだった。


「……最後の、俺に言ってるのか?」


『原文のままです』


「閣下も相変わらずだな」


『否定はしません』


 カインは施設図へ視線を戻す。


「ちょうどいい」


『何がです?』


「分からない場所が多すぎる」


 灰色の区画を指した。


「ライナ。そっちにここの資料は残ってないのか」


 ライナの表情が僅かに変わった。


『あります』


 手元へ視線を落とす。


『完全なものではありませんが』


 ライナが取り出したのは端末ではなく、一冊の紙のファイルだった。表紙には古い管理番号と軍の管理印が残り、その下には施設名が記されている。


《PHAROS-α》


 ティルザが少し身を乗り出す。


「紙の資料ですか?」


『原本照合用に保管されていたものです』


 ライナはファイルを開く。


『電子記録にも同じ内容はあります。ただし、更新時期の異なる版が複数あり、一部に食い違いがあります』


「だから原本か」


 カインが言う。


『はい。少なくとも、保管後に遠隔で書き換えられたものではありません』


「十分だ」


 その時。


 中央卓の端に新しい表示が割り込んだ。


《第二整備区画》


《旧所属船認証――確認》


《補助船整備保管区画――封鎖解除》


 アイリスが瞬く。


「何か…開いた?」


 ティルザが表示へ顔を寄せる。


「第二整備区画……」


 通信画面の向こうで、ライナも僅かに眉を動かした。


『何かありましたか』


 ライナの問いに、カインは中央卓へ割り込んできた表示を見た。


「向こうも何か見つけたらしい」


 ティルザが表示を開く。


 第二整備区画から上がってきた簡易報告。


 回収した船へ外部電源を接続したこと。


 制御系の一部が起動したこと。


 破損した登録情報の中から、旧式の所属識別が検出されたこと。


 そして。


《母港識別――PHAROS-α》


「……あの船、ここの所属だったみたいですね」


 ティルザが言った。


 アイリスが表示を覗き込む。


「じゃあ、ずっとファロスαに帰れなかった船だったの?」


「そうらしいな」


 カインは短く答えた。


 航路上で拾った時には、ただの古い漂流船にしか見えなかった。


 それが数十年を経て、偶然かつての母港へ戻ってきた。


 通信画面の向こうで、ライナが紙の資料へ目を落とした。


『少し待ってください』


 数枚。


 紙をめくる音が届く。


『……ありますね』


「何が」


『補助船の運用記録です。個別の船名までは残っていませんが、ファロスαには複数の連絡船、作業船、人員輸送船が所属していたようです』


「何に使ってた?」


『移民船や護衛艦との人員移送。補給物資の搬送。救難。それから近隣施設との連絡』


 ライナは資料を追いながら続けた。


『基地本体を毎回接近させる必要のない作業を、所属船が担当していたとあります』


 ティルザが第二整備区画の表示を見る。


「回収されなかった理由までは?」


『そこまでは残っていません』


「記録欠損か」


 カインが言う。


『運用末期になるほど、こちらの資料も粗くなっています』


 アドミラルの黄金の単眼が中央卓の一角に浮かぶ。


『所属船認証を受信したことで、第二整備区画に残存していた独立管理系が起動した』


「中央管制とは別?」


 アイリスが聞く。


『そうだ。中央側から用途情報が失われても、区画単独の認証情報は保持されていた』


「それで開いたか」


『結果としてはそうなる』


 ティルザが別の表示を開いた。


「船の予備部品が残っているみたいです。ただ、どれも要検査」


「クロンが見てるなら任せとけ」


 カインは通信へ視線を戻した。


「それより副官」


『はい』


「ファロスαの方だ」


 ライナは頷き、開いていた紙のファイルを机上へ広げた。


『では、分かっている範囲だけ』


「十分だ」


『ファロスαは、人類が本格的に宇宙へ進出し始めた初期に建造された移動補給基地です』


 アイリスが少し首を傾ける。


「エーテルが見つかるよりも前?」


『はい』


 ライナが答える。


『当時は現在よりも都市間航行に時間が掛かりました。航路も補給拠点も、今ほど整っていません』


 資料の一部が通信画面の横へ表示された。

 古い航路図の上には、移民船、補給船、護衛艦からなる複数の船影が並んでいた。

その船団の中には、一回り以上大きな基地識別が一つ混じっていた。


《PHAROS-α》


『移民船単独ではなく、複数の船で船団を構成することが多かったようです。ファロスαは、その船団を支えるために必要に応じて移動した』


「補給だけじゃなかったんだ」


 アイリスが言う。


『修理、救難、船団管制、一時滞在。それから乗員や移民の休養も』


「あ」


 アイリスが中央卓の一角を見る。


「だからR-03?」


 ティルザも気づいた。


「保養区画ですね」


『その名称はこちらにもあります』


 ライナが紙を追う。


『温浴設備、水圧運動設備、休憩施設……地球環境の再現設備』


「海も?」


『海岸、森林、昼夜環境。いくつか記載されています』


 アイリスの表情が少し明るくなる。


「やっぱり海がある」


「まだ全部動くとは限らないぞ」


「分かってるよ」


 そう答えながらも、視線はどこか楽しそうだった。


 ライナは資料へ戻る。


『長期間、閉鎖された船内だけで生活させないための施設だったのでしょう。軍人も移民も、長い航海で消耗することに変わりはありませんから』


「それが、エーテル技術が普及して必要なくなった?」


 ティルザが聞いた。


『大きな理由の一つです』


 ライナが頷く。


『航行時間の短縮。宇宙都市側の設備拡充。固定式の中継拠点も増えた。大型移動基地を維持し続ける必要性が薄れた』


「なら、何で残したんだ」


 カインが聞いた。


『解体にも相応の費用が掛かります』


 回答は簡潔だった。


『ファロスαの規模になると、解体用の作業艦や人員、撤去した資材を運ぶ輸送船、それを処理する設備まで必要になります』


『加えて、当時はまだ予備施設として使える状態でした』


「予備に回したか」


『はい。主要装備や機密性の高いものを撤去した後、長期予備保管。そこから管理対象を外れ、最終的には廃棄扱いへ移行しています』


「捨てたのか残したのか、分からない扱いですね」


 ティルザが言った。


『軍の古い資産には時々あります』


「副官が言うと説得力あるな」


『褒め言葉として受け取っておきます』

 

 カインは中央卓の施設図へ目を戻した。


「まだ動けると思うか」


『それはこちらからは判断できません』


 ライナは即答した。


『ただし、資料上では主推進系は撤去されていません』


 ティルザが顔を上げる。


「場所は?」


『後部下層です。区画番号を確認してください』


 ティルザが施設図を操作する。


「P-17……P-24。途中から用途情報が消えています」


 ライナが紙と照合する。


『一致します』


 表示上では灰色。


 だが、そこへ向かって太い電力幹線と冷却系統が伸びている。


『主推進設備、その制御系、電力変換、冷却設備が集中していた区画です』


「まだ残ってるよね」


 アイリスが言う。


『資料上では、です』


 ライナは念を押した。


『何十年も停止しています。起動できたとしても、当時の状態を維持しているとは考えない方がいいでしょう』


「そこはクロン達に見てもらう」


『それがいいと思います』


 ライナが次の頁へ目を移した。


『もう一つ。第二管制区画』


「名前だけは残っています」


 ティルザが施設図の別の位置を開いた。


「まだ入ってません」


『こちらの資料では、船団航行とファロスα自身の航行管制を担当する区画になっています』


「中央管制じゃないのか」


『中央管制は施設運用全般。第二管制は航行側の比重が大きかったようです』


 アドミラルが応じる。


『合理的な構成だ。現在の中央管制のみでも限定操作は可能だが、航行設備を完全に復旧するなら確認する価値がある』


「そこも見るか」


 カインが言った。


 ティルザが復旧候補へ印を付けていく。


 主推進区画、第二管制区画、大型保管庫、航路観測設備。現地図では用途を失っていた灰色の区画が、古い資料との照合によって少しずつ本来の役割を取り戻していく。


 それでも、まだ名前の分からない場所は残っていた。だが、それを今すべて確かめる必要はない。まずは使えるところから。


 そう考えたところで、短い電子音が通信へ割り込んだ。


 ライナが顔を上げる。


『失礼』


 数秒。


 視線が別の表示へ向く。


『閣下の会議が終了しました』


「呼ばれたか」


『はい。別件の報告も入っています』


「なら行け」


『そうさせてもらいます』


ライナは開いていた資料を閉じた。


『残りはこちらから送ります。現地資料と照合してください』


「俺の端末に?」


『いいえ』


 ライナの視線がティルザへ移る。


『ティルザ。そちらの端末を接続してください』


「はい」


 ティルザは携行端末を管制卓へ接続した。


 アイリスがその手元を見る。


「ティルザさんに送るの?」


『はい。ファロスαに関する現地管理権限は、現在ティルザに付与されています』


 カインがティルザを見る。


「正式に通ったのか」


「はい」


 ティルザは短く頷いた。


「……少し前に」


「そうか」


 カインの反応はそれだけだった。


 アイリスが二人を見比べる。


「何が?」


「英雄の認定だ」


 カインが答える。


「こいつは元々、候補だった」


「そうなの?」


「はい」


 ティルザが頷く。


「候補だったのは前からです。正式認定は最近ですけど」


 アイリスはもう一度、二人を見比べた。


「じゃあ、今は二人とも英雄?」


「そうなるが……」


 カインは僅かに間を置く。


「俺は亡霊だ」


 アイリスが一度瞬いた。


 ティルザは何も言わない。


 軍の記録上、カイン・ウォーカーはすでに死んでいる。

 生きてここに立っていても、表向きは存在しない。

 一方のティルザは、正式に認定された現役の英雄だった。


『そのため、ファロスαについてはティルザに現地調査と暫定管理を任せています』


 ライナが話を戻した。


 カインが改めてティルザを見る。


「それで暫定管理者か」


「はい」


「先に言え」


「聞かれませんでしたので」


 カインが僅かに眉を寄せる。


「お前も副官に似てきたな」


『私は関係ありません』


「そこは返すのか」


 ティルザの端末へ、複数の受信表示が現れた。


《PHAROS-α》


《旧施設図》


《建造時設備概要》


《退役時残置設備一覧》


《整備記録――部分》


《航行設備概要》


《資料照合用スキャンデータ》


『機密指定が残る資料は、ティルザの認証で閲覧可能な範囲に限定しています』


「確認しました」


『大規模な設備変更や施設そのものの再運用には別途手続きが必要ですが、現地調査と復旧作業については、ティルザの判断で進めて構いません』


 カインが口を挟む。


「主推進器を動かすのも?」


『調査と試験の範囲なら問題ありません』


「移動は」


『そこから先は、まず状態を確認してください』


「曖昧だな」


『こちら側では、ファロスαが航行可能かどうかすら判断できませんから』


「まあ、そうだな」


『ですが』


 ライナが一拍置く。


『閣下からの言伝は、すでにお伝えしています』


 使えるものは使え。


 ただし、壊すな。


「なるほど」


 正式に何処かへ動かせという話ではない。

 だが、止まったままにしておけという意味でもない。

 まずは現地で状態を確かめ、その先は結果を見て決める。

 要するに、判断は現場へ任されたということだった。


 ライナが別の資料へ目を移した。


『最後に一件だけ』


 カインの視線が戻る。


『アーデルハイド・ローゼンについてです』


 アイリスの表情も変わった。


「何か分かった?」


『軍へ関わる以前の経歴を洗い直しました』


 ライナは端末側の情報を見る。


『完全ではありません。ただ、所属していた可能性の高い研究機関を一つまで絞っています』


「場所は」


『正規の宇宙都市です。当時の研究所は再編され、現在は別の企業組織として存続しています』


 カインは続きを待つ。


『ローゼン本人の在籍記録も十分ではありません』


「そこから先は現地か」


『ええ』


 ライナは所在地と組織名だけを転送した。


『こちらから確認できたのはそこまでです』


 それでいい。


 場所さえ分かれば、後は自分達で見る。


「分かった」


『では、私は戻ります』


「ああ」


 ライナがティルザを見る。


『ファロスαをお願いします』


「はい」


 次にアイリス。


『アイリスさんも、お気をつけて』


「ライナさんも」


 最後にカイン。


『カイン』


「何だ」


『無理をしないように』


「善処する」


 ライナが一瞬だけ黙った。


『……そう言うと思いました』


「なら言うな」


『確認です』


「変わらないな」


『お互い様です』


《秘匿回線――終了》


 通信が切れた。


 管制室に静けさが戻る。


 中央卓には、ファロスαの旧施設資料に加え、主推進区画や第二管制、残置された保管設備の情報が増えていた。さらにティルザの端末には、ローゼンがかつて所属していた可能性のある研究機関についても、新たな情報が追加されていた。


 その時。


 第二整備区画から新しい報告が入った。


《旧所属船整備保管区画――内部確認》


《予備部品――複数》


《長期保管劣化――確認》


《再使用――要整備》


 続いて、クロンから短い連絡。


《使える物を洗う。来るなら第二整備区画》


 カインは表示を見る。


「まず、向こうだ」


「拾った船?」


「ああ」


 ティルザが主推進区画の表示を見る。


「その後は?」


 カインも同じ場所へ目を向けた。


 何十年も停止したままの主推進設備。


「こいつが本当に動くのか見る」


 ティルザもファロスα全体の図面を見る。


「……動かします?」


「動くならな」


 カインは中央卓から離れた。


「まずは、そこからだ」


    ◇


 第二整備区画へ戻ると、クロン達はすでに拾った船と保管庫の確認を進めていた。


 三人だけではない。


 復旧したファロスαの作業ドローンが整備枠と保管庫の間を往復し、部品の搬送や簡易診断を手伝っている。


「それ、こっちに」


 レンが指示すると、一機が確認済みの部品を持ち上げ、指定された区画へ運んでいく。


 エメリの傍でも別の一機が古い制御部品を診断卓へ載せていた。


「次」


 短い指示を受け、すぐに次の部品を取りに戻っていく。


 カインが周囲を見る。


「増えたな」


「使える手があるなら使うさ」


 クロンは船体側の診断表示を見たまま答えた。


「運ぶだけでも違う。簡単な診断なら任せられる」


 ティルザも動き回る作業ドローンへ目を向けた。


「だいぶ良くなってますね」


「一機直れば、その一機が次を手伝えるからな」


 クロンが拾った船を見上げる。


「そうやって手を増やす」


 カインも船体を見る。


「こいつは?」


「直せる」


「そのままか?」


「いや」


 クロンは首を振った。


「船体はまだ使える。骨も悪くねえ。ただ、中身は古い」


 保管庫から運び出された部品へ視線を移す。


「残せるところは残す。駄目なところは替える。どうせ直すなら、今後も触れる形にした方がいい」


 レンが頷いた。


「制御も配電も、その方が楽ですね」


「全部新しくする必要はねえけどな」


 エメリが端末から顔を上げる。


「制御は替えたい」


「そこは任せる」


「うん」


 カインが船体を見上げたまま聞く。


「動くようになるか?」


「材料と部品次第だ」


 クロンは迷わず答えた。


「だが、ここに予備品が残ってる。エーテル・ガイストにも加工設備がある。足りねえ物だけ外で揃えりゃいい」


「任せる。好きにやってくれ」


「ああ」


 ティルザがそこで携行端末を開いた。


「もう一つ報告があります」


「何だ」


「ファロスαの旧施設資料を手に入れました。主推進区画の位置も分かっています」


 クロンの目が変わった。


「見せろ」


 ティルザが施設図を表示する。


《P-17――P-24》


《主推進設備》


《電力変換系》


《冷却系》


《航行制御接続》


 クロンは現在の施設図と古い資料を見比べた。


「後部下層か」


「ああ」


 カインが答える。


「主推進そのものは撤去されてないらしい」


「らしい、か」


「何十年も止まってる。動くかは分からん」


「行かなきゃ分からねえな」


 クロンは表示を拡大した。


「ただ、主機より先に電力と冷却だ」


「主機じゃないの?」


 アイリスが聞く。


「主機だけ生きてても動かせねえ」


 クロンが太い系統を指で追う。


「電気を送るところ。熱を逃がすところ。制御を通すところ。先にそっちを見る」


 ティルザが頷いた。


「経路確認だけ、先に出しておきます」


 端末から復旧済みの作業ドローンへ指示が送られる。


《P系統接続通路》


《経路確認》


《障害物記録》


《環境状態確認》


 第二整備区画にいた一機が作業を切り上げ、そのまま奥の通路へ向かっていく。


「先に行かせるか」


 カインが言う。


「人が入る前に分かることはありますから」


 ティルザが答えた。


 クロンも頷く。


「今日はこっちを片付ける。主推進は、その報告を見てからだ」


「明日ですか?」


 レンが聞く。


「今から開けても途中になる」


「了解です」


 エメリも端末へ新しい項目を追加した。


「部品一覧、作る」


「頼む」


 再び区画内に作業音が戻る。


 人が状態を判断し、作業ドローンが運び、並べ、確認していく。


 復旧した機械が、次の復旧を手伝う。


 ファロスαの中で使える手は、確実に増えていた。その時だった。ティルザの端末へ、新しい通知が入った。


《R-03》


《復旧作業――完了》


《主循環系――正常》


《温浴設備――限定運用可能》


《環境演出設備――一部復旧》


 アイリスがすぐに反応する。


「海は?」


「そこですか」


 ティルザが苦笑しながら項目を開いた。


《環境プリセット》


《森林――使用可能》


《海岸――使用可能》


《昼夜照明――使用可能》


 アイリスの表情が明るくなる。


「使えるよね」


「みたいですね」


 レンも表示を覗き込んだ。


「風呂も?」


「温浴設備は使用可能です」


「親方」


「何だ」


「今日はここまででいいんじゃないですかね」


 クロンがレンを見る。


「お前、急に元気になったな」


「主推進は明日なんですよね?」


「そうだが」


「なら、区切りもいいかなと」


「物は言いようだな」


 エメリが端末を閉じる。


「お風呂、行きたい」


 クロンがそちらを見る。


「お前までか」


「作業は終わる」


 ミラも確認する。


「現在の作業状態はこちらで保存できます。続きは同じところから再開可能です」


 クロンは周囲を一度見回した。


 拾った船。


 並べられた部品。


 動き続ける作業ドローン。


「……分かった」


 レンが少し笑う。


「工具片付けろ」


「了解です」


     ◇


 R-03区画には、何十年ぶりかの湯気が立っていた。


 天井には淡い青空が投影され、壁面の向こうには白い砂浜と穏やかな海が広がっている。


 遠くから聞こえる波音。


 僅かな潮風を模した送風。


 完全に復旧したわけではない。


 照明の一部はまだ暗く、環境投影にも時折わずかな乱れが走る。


 それでも、そこはもう使われなくなった区画ではなかった。


「……ほんとに海みたい」


 アイリスが足を止める。


「本物ではありませんけど」


 ティルザが隣へ並ぶ。


「分かってるよ」


 アイリスは投影された水平線を見たまま笑った。


「でも、いい」


 温浴区画では湯が循環を始め、休憩用の照明も戻っている。


 レンは案内表示を確認し、エメリは水圧運動槽の方を見ていた。


 クロンはそんな二人を横目に見る。


「仕事より食いつきいいじゃねえか」


「仕事した後だからです」


「うん」


「お前らな」


 少し離れたところで、カインは周囲を見ていた。


 古い船が母港へ戻った。


 閉じていた保管庫が開き、止まっていた機械が再び動き始めた。


 そして今、何十年も人の声がなかったこの区画にも、また生活の音が戻っている。


「先輩?」


 ティルザが振り返った。


「入らないんですか?」


「入る」


「なら早くしてください」


「お前、管理者らしくなってきたな」


「暫定です」


「まだ言うか」


 ティルザが僅かに笑う。


 その向こうでは、アイリスがもう一度、青い海を見上げていた。


 帰る場所を失っていた船が戻り。

 止まっていたファロスαにも、少しずつ人の暮らしが戻り始めている。

 

 カインは投影された海を一度見てから、皆の後を追った。

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