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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第80話:増える手

 ノクスが最後の姿勢修正を終えると、船体の下から低い振動が伝わってきた。


《PHAROS-α》


《小型船係留区――接続》


《NOX――固定》


《気密接続――確認中》


 正面表示の端では、少し遅れて進入してきたヴェスパーが、拾った船を曳いたまま別の誘導灯へ従っている。


《VESPER》


《曳航対象――第二整備区画へ移送》


 さらに外側では、カラスが最後の周辺走査を終えようとしていた。


[Karasu_AI] 周辺警戒を終了します。


[Karasu_AI] 帰投経路へ移行。


「了解」


 カインが返す。


 黒い戦闘翼機はノクスの前方を横切り、大型艦ドック側へ機首を向けた。


 やがて、その反応がエーテル・ガイストの識別領域へ入る。


《気密――正常》


《連絡路――開放可能》


「着いたっすね」


 レンが大きく背を伸ばした。


「今度こそな」


「長かった……」


「お前、途中で寝てただろ」


「寝ても長いもんは長いんすよ」


 クロンは二人を放っておき、後方表示を確認していた。


 ヴェスパーはすでに第二整備区画へ入り、古い船の固定作業へ移っている。


「そっちは任せて大丈夫なんだな?」


『問題ない』


 アドミラルが答えた。


『第二整備区画の固定設備は使用可能だ。収容完了後、ヴェスパーは待機状態へ移行する』


「ならいい」


 クロンは立ち上がり、船外映像を見る。


 係留区の向こうには、ファロスαの内部構造が広がっていた。


 高い天井。


 疎らな照明。


 巨大な空間の大半はまだ暗い。


 それでも誘導灯は点き、係留設備はノクスを受け入れた。遠くの通路にも灯りがあり、壁際を古い搬送機らしきものが低速で横切っている。


「思ったより生きてるな」


「先に来て起こしたようだ」


「確かティルザだったか」


「ああ。アドミラルとミラ達も手伝ったみたいだ」


 後ろでエメリが工具ケースを持ち上げた。


「見たい」


「何を?」


「全部」


 クロンが振り返る。


「……まあ、俺もだ」


 レンも荷物を肩へ掛けた。


「拾った船も気になりますけどね」


「あっちは逃げやしねえ」


 クロンは第二整備区画の表示を一度見て、ノクスの扉へ向かう。


「触るにしても、まず使える設備を知らねえと話にならん。基地からだ」


 気密扉が開いた。


 その向こうには、数十年前の基地へ続く連絡路が伸びていた。


 ノクスから外へ出ると、三人が待っていた。


「カイン」


 最初に声を掛けたのはアイリスだった。


 隣にはミラ。


 少し離れて、ティルザが立っている。


「ようやくですね、先輩」


「さっきも聞いたぞ」


「直接言う分は別ですよ」


「そういうもんか」


「そういうものです」


 ティルザの視線が、カインの後ろにいる三人へ移る。


 クロン。


 レン。


 エメリ。


「……渡りに船ってヤツですね」


「俺らか?」


 クロンが訊く。


「はい。技術屋さんは、ちょうど欲しかったところです」


「俺らが来るって知らなかったんだろ」


「聞かされていないので」


「都合が良かったな」


「私もそう思います」


 そこでティルザは改めて三人へ向き直った。


「そういえば、きちんと挨拶していませんでしたね」


 カインが横から言う。


「クロン。レン。エメリだ。自由港で世話になった」


「ティルザ・レーヴェンです。今はファロスαの暫定管理をしています」


「クロンだ。よろしくな」


「レンです。よろしくっす」


「エメリ。よろしく」


 三者三様の返答に、ティルザは小さく頷いた。


「よろしくお願いします。早速で申し訳ありませんけど、多分かなり頼ることになります」


「見てから決める」


 クロンは周囲へ視線を巡らせた。


「まあ、この広さじゃ楽な仕事じゃなさそうだけどな」


 その横で、ミラも三人へ向き直った。


「クロンさん。レンさん。エメリさん。来ていただけて助かります」


「そんなに手が足りねえのか?」


「手というより、規模です」


 ミラは周囲を見た。


「使える設備は増えています。ただ、物理的な整備が必要な場所まで含めると、私達だけでは進みません」


『同意する』


 壁面端末に黄金の単眼が現れる。


『三名の技能は有用だ』


「着いて早々、仕事っすか」


 レンが言った。


「嫌なら帰るか?」


 クロンが返す。


「帰れないでしょ、ここから」


「なら問題ねぇよな」


 その横で、エメリは壁面の古い配線カバーを見ていた。


「規格、古い」


「もう見てるのかよ」


 ミラがそちらを見る。


「そこはまだ開けていません。絶縁状態が確認できていないので」


「正解」


「後で一緒に確認してください」


「分かった」


 クロンはそれを聞いて小さく息を吐いた。


「もう始まってるじゃねえか」


 大型艦ドックへ続く通路へ入ると、ほどなくエーテル・ガイストの船体が見えてきた。


 自由港で見た時とは、同じ船でありながら印象が違う。


 大型貨物船に見せるための偽装外装は、まだ完全には外されていない。傷んで見えるよう重ねられた仮設材や補修板も残っている。


 遠目なら、それでも大型貨物船として通用したのだろう。


 だが、こうして整備灯の下で間近に見れば、その下にあるものまでは隠せない。四百メートル近い船体には貨物船らしからぬ外殻の線が残り、部分的に開かれた整備部からは、本来の艦体構造が覗いていた。


 クロンは足を止めた。


「……なぁ」


「何だ」


「こいつ、本当に軍籍はないんだよな」


「ないぞ」


「……分かってても妙な気分だな」


 エーテル・ガイストを見上げる。


「やっぱり、とんでもねえもん隠してやがったな」


「まだ外だけだぞ」


「お前、それ今言うか?」


「見せられるところは見せる」


「そりゃ見たいが良いのか?」


「アクセス範囲はこちらで設定します」


 ミラが言った。


「クロンさんとレンさんは船体、機関、工廠系。エメリさんには制御系も必要になると思います」


「欲しい」


 エメリが即答する。


『三名について、作業上必要となる艦内区画への限定アクセスを許可する』


「本当に入っていいんすね」


 レンが船を見上げる。


『許可した』


「中は後でご案内します」


 ミラが続けた。


「先にファロスα側を見ていただいた方が、こちらから何を回すべきか判断しやすくなります」


 クロンは少しだけ考え、頷いた。


「そうだな。先にファロスαだ」


 ティルザが施設図を開く。


「では――」


「…その前に」


 ミラが一つの区画を表示した。


「先に整備支援機の格納庫を見てもらえますか」


「整備支援機?」


「現在、五機が稼働しています」


 クロンが足を止める。


「…五機だけか?」


「はい」


「この広さで?」


「はい」


「……先にそこだな」


 整備支援機格納庫へ向かう途中、ミラが現在の施設状態を表示した。


《PHAROS-α》


《稼働区画――限定》


《生命維持――部分運用》


《内部電力――複数系統停止》


《工廠管理――応答不完全》


《整備支援機――五機稼働》


《施設復旧処理――継続》


《未確認区画――多数》


「最初から五機動いてたわけじゃないんすよね?」


 レンが訊いた。


「私達が到着した時は二機です」


ミラが答える。


「残り三機は?」


「昨日から今朝までに復旧しました。損傷の軽い機体を選んで、最初の二機にも作業を手伝ってもらっています」


『一機は走行部の固着。一機は充電系統。一機は制御端子の腐食だった』


 アドミラルが補足する。


「なるほど」


 クロンも施設図を見る。


「五機まで増やせたなら、話は早いかもしれんな」


 格納庫へ入ると、その五機はすぐに見つかった。


 一機が交換用部品を運び。


 一機が壁際の設備へ診断端子を接続している。


 残りも工具や小型部品を載せ、区画内を低速で行き来していた。


 車輪式の低い機体。


 二本の作業アーム。


 側面には工具収納部と小型搬送台。


 外装には擦れや補修跡があり、交換部品の色が違う機体もいる。


「随分と古いな」


 クロンが近くを通った一機を見る。


「でも、使える」


 エメリが答える。


「三号から五号は復旧直後なので、作業速度を落としています」


 ミラが言った。


「それでいい」


 格納庫の奥には、まだ眠った機体が並んでいた。


 外見上は大きな損傷がないものもあれば、片腕を失ったもの、外装を開かれ、過去に部品を抜かれたらしいものもある。


「残りは?」


「診断できていない機体もあります。修理より部品供給へ回した方がよい機体もあるはずです」


『既存記録にも部品供給指定機が存在する』


 クロンはしばらく列を眺めた。


「こいつら、一台ずつ直してたら終わらねえな」


「でも増やさないと手が足りないよね」


 アイリスが言う。


「ああ」


 クロンは休眠機ではなく、格納庫の奥へ視線を向けた。


 そこにはもう一つ、区切られた設備区画がある。


《整備支援機保守区画》


「こっちだな」


 レンも表示を見る。


「こいつらを直す場所っすか」


「多分」


 エメリが言った。


「なら、先にこっちだ」


 クロンは扉の前へ行く。


「一台直してを繰り返すより、直す仕組みを起こした方が早いな」


 カインが奥の休眠機を見る。


「手を増やすための設備か」


「そういうことだ」


 ティルザが扉脇の端末を確認した。


「ここはまだ手を付けていません」


「後回しで正解だったな」


「今は?」


「必要になった」


 扉は一度では開かなかった。


《区画開放――失敗》


《駆動系応答なし》


「まあ、そうなるか」


 クロンが言う。


「手動解放を探します」


 ティルザが端末を操作する。


 そこからは、五機の整備支援機も使った。


 工具。


 作業灯。


 交換部材。


 必要な物を運ばせ、人間は駆動部と制御盤を見る。


 クロンとレンが扉の機構を確認し、エメリが制御を追う。ミラは古い設備記録を呼び出し、アドミラルが区画側の電源状態を監視する。


 しばらくしてロックが外れた。


 重い扉がゆっくり横へ退く。


 その向こうには、整備支援機を維持するための設備が残っていた。


 二基の整備架台。


 診断端末。


 部品洗浄設備。


 充電設備。


 天井から下がる作業アーム。


 壁際には交換部品用の棚と、簡単な加工を行うための機械。


 全て止まっている。


「動くか」


 クロンが言った。


「電源ない」


 エメリはもう診断端末の裏を見ている。


『区画分岐点で遮断されている』


「じゃあ、そこから」


 大掛かりな修理にはならなかった。


 完全に死んだ電力変換器を、備品庫に残っていた同等品へ交換。


 端子規格の違いはエメリが処理する。


 腐食した接点を清掃。


 一基だけ状態の良かった整備架台へ電力を戻し、二本ある作業アームのうち一方だけを低出力で起動させた。


 全部を新品同様に直す必要はない。


 今必要なのは、整備支援機を整備できるところまで戻すことだった。


《整備支援機保守区画》


《補助電源――復旧》


《診断設備――使用可能》


《整備架台――一基使用可能》


《作業アーム――一基限定稼働》


《部品管理――部分復旧》


 大型アームが、低い駆動音を立てて持ち上がる。


「親方。一本だけでいいんすか?」


 レンが訊く。


「今はな」


 クロンは起動した設備を見る。


「完璧に全部直す事より、まず動かせる方を優先する」


「同意します」


 ミラが診断端末を操作した。


「自動整備の手順も残っています」


 古い管理画面に、処理項目が並ぶ。


《対象機受入》


《診断》


《故障部位識別》


《部品照合》


《交換》


《再診断》


《作業復帰判定》


「使える?」


 アイリスが訊いた。


「そのままは難しいです」


「何が問題なんだ?」


 カインが訊く。


「記録が古いので、部品在庫と実物が一致していません。支援機側の状態も登録時点から変わっています」


『過去の部品供給指定を、そのまま適用することは推奨しない』


「なら条件だけ組み直すか」


 クロンが言った。


 そこからは早かった。


 保管交換部品を優先。


 次に、元から部品供給指定されている機体。


 それでも足りない場合のみ、修復不能と判定した機体から部品を取る。


 規格外加工や電源規格の変更は、人間側の承認を必要とする。


 安全機構の変更は禁止。


「復旧した機体は?」


 エメリが訊いた。


「作業可能判定後、そのまま整備支援機群へ戻します」


 ミラが答える。


「次を直す側へ回す?」


「はい」


 アイリスが休眠機の列を見た。


「じゃあ、自動的に増えるんだ」


「部品がある間はな」


 クロンが答えた。


「全部戻せるとは限らんが、今よりはマシになる」


 試験には、比較的損傷の軽い一機が選ばれた。


 稼働中の支援機が停止機を整備架台まで運ぶ。


《対象機――受入》


《診断開始》


《主電源系――異常》


《左走行部――異常》


《制御系――正常》


《修復可能》


 交換部品が検索され、一機が保管棚へ。


 もう一機が部品供給指定機へ向かう。


 人間は手を出さず、その流れを見守った。


 途中、一度だけ固定位置の誤差で処理が止まったが、センサー値を再設定すると作業は再開した。


 やがて。


《交換作業――完了》


《再診断》


《作業可能》


 固定具が外れる。


 長く止まっていた機体が、ゆっくりと自力で整備架台を降りた。


 一度前へ。


 停止。


 旋回。


 アームを動かす。


「六機になったね」


 アイリスが言う。


「はい」


 ミラが表示を更新する。


《整備支援機――六機稼働》


《復旧機――作業群へ登録》


《次回整備候補――選定》


 今直った機体が向きを変え、他の支援機と一緒に次の停止機へ向かっていく。


 クロンはそれを確認すると、工具を片付け始めた。


「もういいな」


「次、始まってますけど」


 レンが言う。


「だからだよ」


 クロンは整備設備を見る。


「この先も人が張り付く必要はねえ」


 ミラも管理状態を確認する。


「定型的な故障なら、この設備側で処理できます。判断できない故障や部品不足が出れば、こちらへ通知します」


『監視は継続する』


 アドミラルが続けた。


「なら十分だ」


 クロンが格納庫を出ようとする。


「最初の五機で、設備を起こした。後はこいつら自身にやらせる」


「任して大丈夫?」


 アイリスが訊く。


「完全にほったらかしにはしねえが、常に見張る必要もねぇ」


 そのくらいの言い方なら、ミラも訂正しなかった。


 エメリも診断器を閉じる。


「次行ける」


「そうか」


 カインは一度だけ格納庫の奥を振り返った。


 エーテル・ガイストがファロスαへ着いた頃には、たった二機だった。そこから三機。そして今、六機。その六機目はすでに、七機目を起こす側へ加わっている。


 人が一台ずつ直しているわけではない。

人が必要なところだけを直し、その先は機械へ返していく。


「これで手数不足は少しマシになるか」


 カインが言った。


「少しな」


 クロンが答える。


「基地そのものがでかすぎる」


 ティルザが施設図を開いた。


「では、次を見ますか」


「何処だ?」


「候補はいくつかあります」


 通路へ出る。


 その背後では、古い整備設備が次の機体の診断を始めていた。


《次回整備対象――受入》


《診断開始》


 誰も戻らない。


 もう、人間が一台ずつ面倒を見る段階ではなかった。


 眠っていたファロスαの中で。


 基地を起こすための手が、少しずつ自分達の数を増やし始めていた。


 整備支援機の保管庫を出たあとも、クロンは何度か施設図へ目をやっていた。


 表示されているのは、現在までに確認されたファロスαの各区画。


 電力が戻った場所。


 生命維持だけ通した場所。


 扉こそ開くが、中身の確認まで済んでいない場所。


 そして、まだ完全に沈黙したままの区画。


《PHAROS-α》


《稼働区画――限定》


《復旧作業――継続》


《整備支援機――六機稼働》


《一機――整備中》


 最後の表示を見て、レンが後ろを振り返る。


「もう七機目やってるんすね」


「任せたんだから見なくていい」


 クロンは歩きながら答えた。


「気にはなるんでしょ?」


「なる」


「即答なんだ」


「気になるのと、張り付くのは別だ」


 それで話を切り、クロンは施設図へ視線を戻した。


「で。今、何処まで使える?」


 ミラが歩調を合わせる。


「大型艦ドックと小型船係留区。管制区画。居住ブロックC-02。それから工房区画の一部です。給水系統は洗浄を継続中。衛生設備は一部だけ使用できます」


「飯は?」


「基地側の調理設備は、まだ確認していません」


「なら触るな」


「はい。現在はエーテル・ガイストを使用しています」


 クロンが頷く。


 工廠や整備設備へ向かうものと思っていたレンが、少し意外そうに横を見る。


「親方、工廠じゃないんすか?」


「そりゃ見たいさ」


「ですよね」


「だが、その前に聞いとく事がある」


「何を?」


 クロンは歩く速度を落とさないまま言った。


「ここを何日使うつもりだ」


 誰か一人へ向けた問いではなかった。


 カインが答える。


「まだ決めてない」


「なら長くなる前提で考えるぞ」


「そうなるか」


「あの船をどうするかも決まってねえ。エーテル・ガイストも見てねえ。基地もこの有様だ」


 クロンは暗い横道を一度見る。


「一日二日で全部終わる方がおかしいわ」


「確かに」


 ティルザが頷いた。


「私もそのつもりで、使える居住区を増やしていました」


「なら先にそっちだ」


「工廠じゃなく?」


 レンがまた訊く。


「人間が寝られねえ、身体洗えねえ、飯も食えねえ場所で、何日仕事する気だお前」


「ああ」


「工房に住むのは自由港だけで十分だ」


「親方、住んでましたっけ?」


「例えだよ」


 エメリが短く言う。


「寝てたことはある」


「お前は余計なこと言うな」


「あるんだ」


 アイリスが笑う。


「技術屋さんって大変なんだね」


 ミラが施設図の一角を拡大する。


「それなら、先にここを確認しませんか」


《区画識別――R-03》


《用途――保養/衛生/長期滞在支援》


 レンが文字を読む。


「保養?」


「居住ブロックC-02と同じ生活系統から分岐している区画です。内部の本格確認はまだ行っていません」


 詳細情報が開く。


《温浴設備》


《水圧運動槽》


《乾式加温室》


《休憩ラウンジ》


《環境演出設備》


「……風呂?」


 レンの声が少し変わった。


「温浴設備です」


「つまり風呂ですよね」


「用途上は」


「じゃあ風呂じゃないですか」


「妙に食いつくな」


 クロンが呆れたように言う。


「何日ノクス乗ってたと思ってるんすか」


「洗浄設備はあっただろ」


「それと風呂は別なんですよ」


「分かる」


 アイリスが頷いた。


「カインも入ったから分かるでしょ?」


「入ったが」


「じゃあ分かるよね」


「何が」


「…もういい」


 ティルザも表示を覗いていた。


「私もここは気になっていました」


「エーテル・ガイストの方で風呂入ったんだろ?」


「ええ。とても良かったですよ」


「そういう話じゃねえよ」


「比較はできます」


 クロンは何か言い返そうとして、やめた。


 エメリだけは別の項目を見ている。


「給水」


「居住区と共通幹線です」


 ミラが答える。


「排水」


「応答があります」


「加熱」


「独立系統です」


「循環」


「ポンプが二基。一基は制御応答あり。もう一基は停止しています」


「空調」


「区画単位の補助空調があります」


 クロンが表示を見る。


「……使えるな」


「はい」


 ミラも同意した。


「給水、排水、加熱、循環、空調をまとめて確認できます」


「生活系統の試験か」


 カインが言う。


「そういうことだ」


 クロンが頷いた。


「風呂だけ直すんじゃねえ。ここ動かして問題なきゃ、居住区側もどこまで信用できるか分かる」


「じゃあ行こう」


 アイリスが言った。


「早いな」


「だって必要なんでしょ?それに気になるし」


「そうか」


 それで決まった。


 R-03の扉は、途中で一度止まった。


 だが、先ほどの整備支援機保守区画ほど酷くはない。


 ミラが駆動負荷を落とし、ティルザが施設側の補助解放を入れると、重い音を立てながら最後まで開いた。


 長い間閉ざされていた空気が動く。


 最初に入ったのは整備支援機三号だった。


 作業灯を点け、低速で内部を走る。


《環境確認》


《有害反応――なし》


《床面状態――通行可能》


「行けそうです」


 ミラが言った。


 照明を一列だけ起こす。


 薄暗い光の中へ、区画の全体が浮かび上がった。


 入口近くには更衣区画。


 その先は思っていたより広い。


 水の抜かれた複数の温浴槽。


 細長い水圧運動槽。


 壁際には乾式加温室。


 さらに奥には、椅子と低い卓が並ぶ休憩ラウンジが残されている。


 天井の大部分を占める発光パネルは消えたままだった。


「基地の風呂って感じじゃないっすね」


 レンが辺りを見回した。


「旧移民計画の長期滞在者用だろうな」


 クロンが浴槽の縁を軽く叩く。


「何か月も人間置くなら、このくらいはあってもおかしくねえか」


「あの天井のは?」


 アイリスが見上げる。


 ミラが記録を開いた。


「環境演出設備です」


「環境?」


「地球圏の自然景観を模した表示装置ですね。空、森林、海岸などが登録されています」


「海も?」


「記録上は」


 アイリスの顔が少し明るくなる。


「見てみたい」


「そっちは後だ。嬢ちゃん」


 クロンが即座に切った。


「まず水だ」


「…うん」


「エメリ」


「見てる」


 すでに点検口の前へしゃがみ込んでいる。


「ここ給水」


 外装を開く。


 内部には古い配管と弁。


 長い間水を通していなかったためか、表面には乾いた汚れが残っていた。


 ミラが施設側の状態を呼び出す。


《R-03》


《主給水――停止》


《排水――応答》


《循環ポンプ01――制御応答》


《循環ポンプ02――応答なし》


《加熱設備――待機》


《補助空調――停止》


「排水からだな」


 クロンが言う。


「水入れてから流れませんじゃ笑えねえ。区画ごと水浸しになるぞ」


「はい」


「三号、排水側を見させろ」


「指示します」


 復旧したばかりの整備支援機が、工具を積んだまま床面の点検口へ向かう。


 後から追いついた四号機も、別の排水口へ回された。


 クロンは一号ポンプの点検口を開き、レンへ工具を要求した。


 エメリは給水側。


 ミラがそれぞれの診断値を拾っていく。


 作業は長引かなかった。


「一号、固着」


 クロンが言う。


「駆動は?」


「生きてる。軸も大丈夫だ」


「洗えば?」


 エメリが訊く。


「多分な」


「二号は電源側です」


 ミラが表示する。


「制御装置まで電力が届いていません」


「今日は一号だけでいい」


 レンが顔を上げた。


「二基あるなら両方直さないんすか?」


「一基で必要量が出るなら、それでいい」


「出ます」


 ミラが答える。


「最大使用人数を制限すれば、一号のみでも初期運用可能です」


「なら決まり」


 クロンは固着した部分へ洗浄剤を入れた。


「二号は支援機に診断させとけ」


「はい」


 排水側から通知。


《閉塞――軽微》


《清掃要求》


「こっちも大したことないですね」


 レンが言う。


「だから人間がやる必要ねえ」


 クロンは立ち上がった。


「詰まり取って、配管洗浄して、フィルター交換。そこから循環試験」


 ミラが作業項目を登録していく。


《R-03/初期復旧》


《排水系統清掃》


《給水分岐洗浄》


《循環ポンプ01――整備》


《濾過材交換》


《循環試験》


《加熱系統試験》


《補助空調――動作確認》


「加熱は水回してから」


 エメリが言う。


「はい」


「空調も先に回すな」


「湿度確認後にします」


「それでいい」


 クロンが工具を閉じた。


 レンが見る。


「もう終わりですかね?」


「俺らがやるところはな」


「まだ何も風呂っぽくなってないっすけど」


「風呂入れるようにするのが仕事じゃねえ」


 一拍。


「いやまぁ、結果的にはそうなるけどな」


 アイリスが笑った。


 ミラは整備支援機へ作業を振っていく。


「三号は排水清掃。四号は濾過材の搬送。六号をこちらへ回します」


「六号、もう使えるのか?」


 クロンが訊く。


「低負荷作業に限定します」


「ならいい」


 施設図の端で表示が増える。


《整備支援機――七機稼働》


 レンが気づいた。


「七機になってる」


「ちょうどいいですね」


 ミラが答える。


「五号と七号は保管庫側の整備を継続。六号をR-03へ回します」


「増えた分から仕事増やしてる」


「必要なので」


「ミラさん結構容赦ないっすね」


「機械ですから」


 ティルザは休憩ラウンジ側まで見て戻ってきた。


「向こうは大きな損傷なさそうです」


「汚れは?」


「埃だけですね」


「なら清掃機回しとけ」


「一番古株の子を呼びますか」


「古株?」


 クロンが訊く。


「清掃ドローンです」


「ああ、さっきの奴か」


「ファロスαで一番長く働いてます」


「お前、変な愛着持ってねえか?」


「少しくらい良いでしょう」


 ティルザが端末を操作する。


 しばらくして。


《指定区画――清掃開始》


 聞き覚えのある小さな駆動音が、通路側から近づいてきた。


 その後ろを新しく復旧した整備支援機まで続いている。


 クロンはその列を一度見た。


「……まあ、使えるようになってきたな」


「昨日は二機だったんですよ」


「そう考えりゃ大したもんだ」


 あとは機械達へ任せる。


 R-03を出たところで、ティルザが施設図を切り替えた。


「次はクロンさん達の部屋を決めませんか」


「俺らの?」


 クロンが訊く。


「はい。ノクスで寝続けるつもりではないですよね?」


「寝台がありゃどこでもいいぞ」


「俺もっす。水と電気が来てれば」


 エメリは少し考えた。


「机」


 クロンとレンが同時にそちらを見る。


「机?」


「欲しい」


「寝台じゃなく?」


「寝台もいる」


「そりゃそうだろ」


 ティルザが笑う。


「最低限でいいということですね」


「そう」


「分かりました」


 その返事が妙に素直だった。


 クロンが少し疑うように見る。


「何だ」


「何がです?」


「いや」


 ミラは何も言わず、C-02の居住区画を開いている。


 ティルザと短く表示を見比べた。


「ここが良いと思います」


「私も同意します」


「どこだ?」


 示されたのは、ティルザが現在使っている区画から少し奥。


《C-02/長期滞在管理要員居室》


《ROOM-11》


《ROOM-12》


《ROOM-13》


 三室が並んでいる。


「普通の部屋じゃねえのか?」


 クロンが訊いた。


「普通ですよ」


 ティルザが答える。


「少し広いですが」


「少し?」


 実際に行ってみると、その意味が分かった。


 一般居室と比べれば明らかに余裕がある。


 大きめの寝台。


 壁面いっぱいではないが十分な収納。


 通常より広い作業卓。


 独立した壁面端末。


 小さな衛生設備。


 簡易ながら、部屋の中だけで最低限の生活が完結する造りだった。


 レンが中を覗く。


「これ、結構いい部屋じゃないですか」


「寝られればいいと言ったぞ」


 クロンが言う。


「空いていますから」


 ティルザは平然としている。


「もっと狭い部屋もありますよ」


「ならそっちで」


「こちらの方が作業机が大きいです」


 ミラが言った。


 クロンが黙る。


「長期作業になる可能性があります。工具や端末を室内へ持ち込むなら、こちらの方が使いやすいと思います」


「……それはそうだな」


「決まりですね」


「待て」


「何か?」


「お前ら最初からそれ狙ってただろ」


 ティルザとミラが顔を見合わせる。


「何のことでしょう」


「条件に合う部屋を選んだだけです」


「親方、負けましたね」


「勝ち負けじゃねえ」


 エメリはもう部屋の中へ入っていた。


 作業卓の前に立つ。


「これがいい」


「お前は満足そうだな」


「広い」


「机が?」


「うん」


「じゃあエメリさんは十二号室で」


 ティルザが即座に登録する。


《ROOM-12――EMERY》


「早っ」


 レンが言う。


「レンさんは?」


「じゃあ十一で」


《ROOM-11――REN》


 二人の視線がクロンへ向いた。


「……十三でいい」


《ROOM-13――KRON》


「決まりました」


「早いな」


「部屋を決めるだけですから」


 ミラが設備状態を確認する。


「空調は三室とも使用可能。給水は現在洗浄系統から分岐していますので、使用開始前に最終洗浄を行います。衛生設備は排水側のみ正常」


「十分だ」


「まだです」


「何が?」


「清掃が終わっていません」


「そんなもん自分で――」


 言い終わる前に、通路から駆動音が聞こえてきた。


 清掃ドローン。


 その後ろには、工具と交換部材を載せた整備支援機が二機。


 クロンがそれを見る。


「……もう呼んだのか」


「はい」


 ミラが答えた。


「三室の清掃、空調端末の確認、照明交換、給水末端の洗浄を行わせます」


「手際いいっすね」


 レンが言う。


「使える手が増えましたから」


 それだけ答えると、ミラは次の表示を開いた。


《備品庫C-02-04》


《長期保管生活備品》


「寝具についてですが」


「あるのか?」


「あります。ただ、以前見つけたものの多くは長期保管状態でした」


 ティルザが補足する。


「そのまま使える物と、駄目な物が混ざってます」


「寝られりゃ何でもいい」


「クロンさんはそう言うと思いました」


「何だその言い方」


「でも、ちょうど良いものがあります」


 備品庫の奥。


 一般用寝具とは別に、環境封止された大型ケースがいくつか残っていた。


《長期滞在者用寝具》


《未開封》


《環境封止――正常》


 レンが表示を見る。


「何十年前のですよね?」


「外気には触れていません」


 ミラが封止状態を確認する。


「内部環境も記録上は正常です。念のため検査してから使用します」


「普通の寝具より良さそうだな」


 クロンがケースを見る。


「少し上等みたいです」


 ティルザが古い備品記録を開いた。


「長期滞在責任者、外部からの技術責任者、来訪管理要員向け」


「偉い奴用か」


「軍の高級将官というより、基地へ長期間滞在する責任者向けですね」


「俺らに使うもんか?」


「余っていますから」


 ティルザが即答した。


「使われないまま何十年置いておく方が勿体ないですよ」


 レンがケースを見ている。


「親方、せっかくなんで良いやつ使いましょうよ」


「寝られりゃ変わらん」


「変わりますって」


 エメリが一つの封止ケースを指した。


「これ」


「大きい」


「寝やすそう」


「お前は机といい、分かりやすいな」


 ミラが少しだけ笑った。


「では、三人分とも検査後に使用できるよう手配します」


「手配って誰が運ぶんすか?」


 その問いに答えるように、背後から整備支援機が一機入ってきた。


 レンが黙る。


「……ですよね」


「せっかく増やしたんですから」


 ティルザが言った。


 寝具の検査。


 各室への搬入。


 照明や空調の最終確認。


 清掃。


 全部を作業機へ割り振る。


《C-02/ROOM-11》


《清掃――開始》


《設備点検――開始》


《C-02/ROOM-12》


《清掃――開始》


《C-02/ROOM-13》


《清掃――開始》


 クロンはその表示を眺めた。


「俺ら、まだ一度も自分の部屋触ってねえな」


「使えるようになってから入ればいいんじゃない?」


 アイリスが言う。


「合理的だろ」


 カインも続けた。


「お前に言われると何か腹立つな」


「何で」


「知らん」


 クロンは施設図へ戻った。


「じゃあ、次だ」


「まだ見るんすか?」


「見る」


「飯はどうします?」


 レンが訊いた。


 その言葉で、少し間が空いた。


 アイリスが時間表示を見る。


「もう結構経ってるね」


「お腹減った」


 エメリも短く言った。


 ミラが現在進行中の作業を確認する。


「R-03の洗浄と循環試験には、まだ時間が掛かります。居室の清掃も続いています」


「なら、ちょうどいいですね」


 ティルザは頷いてから、カインを見る。


「先輩。昼食ですけど、エーテル・ガイストの食堂を使わせてもらってもいいですか?」


「俺に聞くのか」


「艦長でしょう?」


「……そうだったな」


 カインは壁面端末へ目を向ける。


「アドミラル」


『問題ない』


『食堂区画は通常運用中だ』


「だそうだ」


「ありがとうございます」


 アイリスも嬉しそうに頷いた。


「じゃあ戻ろう。食堂ならすぐ使えるよ」


「基地側の調理設備は、まだ状態を確認していません」


 ミラが付け加える。


「現状では、エーテル・ガイスト側を使用する方が安全です」


「決まりだな」


 クロンにも異論はなかった。


「飯食ってる間に、こっちの機械にも働いてもらおう」


 背後では、整備支援機がそれぞれの作業へ散っていく。


 人間達とアンドロイドはそれを残し、連絡通路を通ってエーテル・ガイストへ向かった。


 エーテル・ガイストの食堂へ全員が揃うと、ファロスαの薄暗い通路を歩いていた時とは空気が変わった。


 照明。


 空調。


 自動調理機。


 食器。


 人間が生活するための設備が、今では当たり前のように動いている。


 レンは食堂へ入るなり周囲を見回した。


「……船の中ですよね?」


「そうだが」


 カインが答える。


「外から見た時と中の印象違いすぎません?」


 クロンも食堂の設備を目で追っていた。


「これ全部、最初から使えたのか?」


「全部ではありません」


 ミラが答える。


「使用可能な設備から復旧しています」


「なるほど」


 エメリは自動調理機の表示を見ている。


「これ、後で見る」


「お前、飯食う前から分解する話するなよ」


「分解しない」


「本当か?」


「見るだけ」


「そっちの方が怪しいんだよな」


 アイリスが笑いながら席へ着く。


「とりあえず食べようよ」


 それには全員が同意した。


 特別な食事ではない。


 だが、長い航行の後。


 ファロスαへ着き。


 そのまま機械を直し、区画を歩き回ったあとだった。


 温かい食事が出てくるだけで十分だった。


 しばらくは作業の話もしなかった。


 レンが料理に感想を言い。


 クロンが食堂の造りに目を向け。


 エメリは黙々と食べる。


 ティルザとアイリスが、ファロスαへ先に着いた一日の話を少しだけする。


 その間にも。


《整備支援機――八機稼働》


 壁面端末の隅に小さな通知が出た。


 アイリスが気づく。


「また増えたね」


 クロンも見る。


「順調だな」


「R-03も進んでいます」


 ミラが別の表示を開いた。


《R-03》


《排水清掃――完了》


《給水分岐洗浄――進行中》


《循環ポンプ01――整備完了》


《濾過材交換――進行中》


「夕方くらいには試験できるかな?」


 レンが訊いた。


「問題がなければな」


「入れます?」


「最終的な水質確認と加熱試験が終われば」


「よっしゃ」


「目的変わってねえか?」


 クロンが言う。


「試験ですよ」


「試験の結果、入れるなら入りたいだけっす」


「ものは言いようだな」


 食事を終える頃には、次に何をするかも自然と決まり始めていた。


 クロンは食堂を出る前から、壁面に表示されたエーテル・ガイストの簡易区画図を眺めている。


「この後、この船の中を見せてもらっていいんだな?」


「はい」


 ミラが答えた。


「ファロスαの復旧に使えそうな設備を中心に案内します。工廠、補給、機関周辺。それから必要なら制御設備も」


「十分だ」


「親方、機関から行きます?」


「先に全体だ。何が何処にあるか分からねえまま奥だけ見ても仕方ねえ」


「了解」


 エメリも立ち上がった。


「制御も見る」


「分かっています」


「工廠も」


「そちらも」


「全部じゃねえか」


 クロンが言った。


「見たいから」


「知ってた」


 レンが笑う。


 カインも席を立った。


「じゃあ、そっちはミラに任せる」


 クロンが見る。


「お前は?」


「俺達は少し、これからの話をする」


「基地のことか?」


「それも含めてな」


「分かった」


 クロンはそれ以上訊かなかった。


「なら、こっちは船見てる。終わったら連絡しろ」


「ああ」


 ティルザも立ち上がる。


「私も先輩の方へ行きます」


「基地はいいのか?」


「急ぎの作業はありません。今はあの子達が進めていますし、何かあれば管制から通知が来ます」


「ならいい」


 アイリスも当然のようにカインの横へ来た。


「私も行く」


「好きにしろ」


「うん」


 こうして食堂を出たところで、一行は二つに分かれた。


 クロン。


 レン。


 エメリ。


 そして案内役のミラ。


 四人はエーテル・ガイストの内部設備を見るため、艦内中央側へ向かう。


「まず工廠ですか?」


 レンの声が遠ざかっていく。


「だから全体からだって言ってんだろ」


「でも親方、工廠見たいんですよね?」


「見たいのと順番は別だ」


「こっちです」


 ミラの声。


「現在地からなら、補給搬送路を通った方が全体構造を把握しやすいと思います」


「ならそれで頼む」


 エメリの足音も、その後を追っていった。


 カインは四人が通路の角を曲がるまで見送り、それから反対方向へ身体を向けた。


「行くぞ」


「どこへ?」


 アイリスが訊く。


「先に渡す物がある」


 向かったのは、エーテル・ガイストの研究調査区画だった。


 自由港で拾い、カインが保管していた物。


 ノクスへ移った後も手元から離さず、ファロスαへ到着するまで持ってきた。


 研究調査室へ入ると、中央の解析卓と周辺設備が順番に起動する。


《研究調査室》


《解析設備――待機》


《隔離解析系――使用可能》


 カインは携行していた遮蔽ケースを作業台へ置いた。


 鈍い音。


 アイリスがそのケースを見る。


「それ……ずっと持ってたの?」


「ああ」


 ティルザも少し距離を取った。


「自由港で手に入れた物ですか?」


「そうだ」


 カインは壁面へ目を向ける。


「アドミラル」


『受け取る』


 解析卓の一部が開き、遮蔽ケースを固定するための受け台がせり上がった。


 カインがケースを載せる。


 固定具が左右から閉じた。


《遮蔽容器――固定》


《外部通信――遮断》


《内部反応監視――開始》


 カインが手を離す。


「任せる」


『了解した』


 アイリスがケースへ少し近づく。


「中、見てもいい?」


「構わん」


『遮蔽環境を維持したまま開放する』


 周囲の透明隔壁が閉じた。


 解析卓の上だけが区切られる。


《隔離区画――成立》


《遠隔開放》


 ケースのロックが一つずつ外れた。


 蓋が開く。


 中に収められていた細長い機体が姿を現した。


 側面の制御翼は潰れ、外装の一部には焼けた跡が残っている。


 半壊している。


 それでも、その細い輪郭までは失われていなかった。


 アイリスが、そこで動きを止めた。


「……これ」


 カインがそちらを見る。


 アイリスは解析卓の中にある兵装をじっと見ている。


「……スティレット……だよね?」


「そうだ」


「やっぱり」


 少しだけ眉を寄せる。


 何かを思い出そうとするように、細部へ視線を動かした。


「でも……私が知ってるのと、少し形が違う」


「形が違う?」


 ティルザが訊いた。


「うん」


 アイリスはすぐには答えなかった。


「私が覚えてるのは、もう少し……」


 言葉を探す。


「細かったと思う」


 制御翼を見る。


「ここの形も違う気がする」


「記憶違いじゃなく?」


「それは分からない」


 アイリスは素直に首を振った。


「ちゃんと覚えてるわけじゃないから」


 少し間を置く。


「でも、名前は同じ」


「スティレット」


「うん」


 カインは解析卓へ視線を戻した。


 自由港で、ノインの周囲を飛んでいた三機。


 そのうち一機。


 制御を失わせ、回収したもの。


「俺が見た時は、三機で動いてた」


「三機……」


 アイリスの視線が僅かに動いた。


 だが、カインはそこで話を続けなかった。


「詳しい話は後だ」


 アイリスも一度だけスティレットを見てから頷いた。


「うん」


「アドミラル。壊すなよ」


『当然だ』


『現状を保持したまま、外部走査から開始する』


《回収兵装》


《仮識別――STILETTO》


《非接触解析――準備》


《残留反応監視――継続》


「任せる」

 

カインはそれを確認すると、解析卓から離れた。


「これでいい」


「この後は?」


 アイリスが訊く。


「ファロスαに戻る」


「管制室に?」


「ああ」


 ティルザも頷く。


「ちょうど良いと思います」


 カインが見る。


「何がだ」


「話す場所です」


 それ以上は言わなかった。


 アイリスも何かを考えているようだったが、スティレットについてもう一度訊くことはなかった。


 三人は研究調査室を出る。


 背後で扉が閉じた。


《非接触走査――開始》


 アドミラルの解析は、そこで始まった。


 けれど。


 結果を待つ前に、話しておかなければならないことがある。


 ファロスαをどう使うのか。


 ここにどこまで留まるのか。


 そして。


 自由港でカインが見たものを、どう考えるのか。


 三人は連絡路を通り、ファロスαの管制区画へ向かった。


 ファロスα管制区画。


 ティルザが最初に灯りを戻した場所。


 昨日より表示が増えている。


 動く設備が増え。


 整備支援機の識別も増え。


 今まで空欄だった区画にも、少しずつ状態表示が入るようになっていた。


《整備支援機――八機稼働》


《一機――整備中》


《C-02/居室三室――清掃進行》


《R-03/給水洗浄――継続》


《R-03/循環系――待機》


 カインは管制卓の前へ立った。


「一日で随分変わったな」


「そうですね」


 ティルザも施設図を見る。


「昨日は、動くところを探すだけで精一杯でした」


「今日は直す人が増えたね」


 アイリスが言う。


「人だけじゃないけど」


「確かに」


 ティルザが少し笑った。


 カインはファロスα全体を示す表示へ視線を移した。


 まだ暗いところの方が多い。


 直っている場所など、ごく僅かだ。


 それでも。


 昨日までとは違う。


 ここはもう、誰か一人が灯りを守っているだけの場所ではなくなり始めている。


「で」


 カインが言った。


「ここをどう使うか、決めるか」


 アイリスとティルザがそちらを見る。


 管制卓の上で。


 ファロスα。


 エーテル・ガイスト。


 第二整備区画に収容された古い船。


 そして外部航路。


 いくつもの表示が同時に浮かんでいた。


 話すべきことは多い。


 何処まで基地を直すのか。


 どれだけここに留まるのか。


 拾った船をどうするのか。


 エーテル・ガイストをこの場所で何処まで整えるのか。


 そして。


 この先、何処へ向かうのか。

気づけば累計8,000PVを超えていました。

初めての小説で、試行錯誤しながらここまで書いてきた作品なので、読んでくださる方がいることをとても嬉しく思っています。

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。

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