第79話:灯りの先へ
ファロスαまでの航路は、当初の予定より大きく延びていた。
理由はノクスの後方にある。
船外監視映像を切り替えれば、星明かりの中を一隻の古い船がついてくる。主機は停止し、補助電源にもほとんど反応はない。外板の一部は剥がれ、推進器も沈黙したままだが、中央フレームを含めた主要構造はまだ残っている。
使えるかどうかは、まだ分からない。
それでも調べる価値はあるとクロンが判断し、カインも持っていくことを決めた。結果として、ノクスは普段より大きく速度を落とし、予定していた到着時刻をとうに過ぎている。
《曳航状態――正常》
《航路偏差――許容範囲》
《巡航出力――制限継続》
《目的地――PHAROS-α》
カインは操縦席から表示を一通り確認すると、右手を操縦桿から離した。
航路そのものは安定している。急な加減速や大きな姿勢変更は避ける必要があるものの、普段よりも鈍くなった操船にもすでに慣れた。拾った船を後ろへ連れて飛び始めてから、もうかなりの時間が経っている。
途中で何度か休息も取った。
クロンとレンは交代で寝台を使い、エメリも数時間は身体を休めている。カイン自身も自動航行へ任せて横にはなったが、長く眠ることはなく、何度か目を覚ましては航路表示と後方映像を確認していた。
「あと、どれくらいっすか?」
後ろからレンが訊いた。
カインは現在位置と到着予測を重ねる。
「今の速度なら、もう長くはないはずだ」
「兄貴の長くないって、何時間くらいなんです?」
「…着けば分かる」
「それ多くないっすかね…」
クロンが座席へ背を預けたまま鼻を鳴らした。
「お前は途中で寝てただろ。文句言うな」
「親方も寝てたじゃないですか」
「起きてから仕事してる」
「俺もしてますよ」
「何をだ」
「ちゃんと船見てます」
「それなら俺もずっと仕事してることになるな」
レンが何か言い返そうとしたところで、エメリが後方監視表示を確認した。
「変化なし」
「ほら」
レンがそちらを示す。
「エメリもちゃんと見てますし」
「お前いらねえじゃねえか」
「そういう結論になります?」
カインは二人のやり取りを聞き流しながら、もう一度後方映像へ目を向けた。
拾った船の状態は変わっていない。
クロンも同じ映像を見ていた。
「向こう着いたら、まず置き場だな」
「すぐ調べるのか?」
「設備が使えるならな」
「ファロスαの?」
「ああ」
クロンは身体を少し起こし、保存していた廃船の走査記録を呼び出した。
「外から拾える情報には限界がある。電源を入れられるなら入れる。制御系が生きてるならログを見る。主機も、開けられる設備があるなら開けたい」
「直す気だろ」
「まだ決めてねえ」
「親方、拾った時からずっと言ってますよ」
「調べてから決めるって言ってんだよ」
「調べて、使えそうなら?」
「勿論直すだろ」
「じゃあ大体決まってるじゃないですか」
「使えなきゃ部品取りだ」
クロンはそこで一度言葉を切り、後方の船を見た。
「どっちにしろ、持ってきた意味はある」
「その辺は俺も同意する」
カインが答えると、レンが少し意外そうな顔をした。
「兄貴も結構こういうの好きですよね」
「捨てる理由がないだけだ」
「それ、親方と同じこと言ってますよ」
「一緒にするな」
「こっちの台詞だ」
返したクロンの声に、レンが笑う。
その笑いが収まった頃、カインは無意識に左肩を動かした。
痛みというほどではない。
腕を上げても動作に支障はなく、戦闘直後に残っていた皮膚の奥へ何かが引っかかるような感覚も、もう消えている。ただ、長く同じ姿勢でいたせいか、治療した部分に僅かな張りが残っていた。
肩を一度回したところで、クロンが気づいた。
「痛むのか、左肩」
カインは動きを止めた。
「もう治療は済んでる」
「治療したのは聞いてねえぞ」
「言ってないからな」
レンが小さく息を吐いた。
「それも初耳なんすけど」
「大した傷じゃない」
「兄貴がそれ言うと信用できないんですよね」
「何で」
「自覚ないんすか?」
カインは答えず、操縦席脇へ置いていた上着を取った。
内側のポケットから取り出したのは、片手に収まるほどの薄い灰色の端末だった。中央には古い企業標章が残り、その下には四文字の略称が刻まれている。
Y.A.B.U.
レンが覗き込んだ。
「それ何です?」
「名前はヤブ。医者だ」
「ヤブ…医者?……縁起でもない名前っすね」
「だな」
「兄貴、大丈夫なんすか?」
「持って歩けるし、使えるから買ったんだ」
カインが側面の起動部へ触れると、青い表示灯が点き、薄い端末の四隅が静かに開いた。
《生命支援基幹ユニット起動》
内部へ折り畳まれていた細い処置アームが一本ずつ展開していく。
四本のアームが本体より長く伸び、背面から薄い安定翼が開くと、下部の浮遊機構が起動した。
カインの掌から離れた灰色の小型機は、そのまま胸元ほどの高さへ浮き上がる。
「……ちゃんと動いた」
レンが言った。
「動かなきゃ買ってない」
クロンも興味を持ったらしく、端末から形を変えた小さな機体を目で追っていた。
「…何処で手に入れたんだ。トイ・ボックスか?」
「ああ」
カインが答える。
「やっぱりか」
クロンは浮いているヤブを眺めながら、工具義肢の指を軽く動かした。
「アンカーランチャーも作業ドローンもあそこだったな」
「そうだ。コフレの店だ」
「相変わらず妙なもん置いてるな」
レンもヤブを覗き込む。
「こんなのまで扱ってるんですね」
「作業機や小型機材が多いな。使える実用品が揃ってる」
カインは答えた。
「それは分かるな」
クロンが言う。
「だからまた行った」
「で、今度は医療機か」
「ああ」
クロンは少しだけ身を乗り出し、ヤブの四本の処置アームを見る。
「次がこれとは、品揃えの幅が広いな」
「交換アームや補助機材も扱ってる。探せば色々出てくる」
「なるほど」
クロンは興味を失ったわけではないらしく、浮遊姿勢を保つヤブをしばらく観察していた。
「携行医療機にしちゃ、随分小さいな」
「そこがいい」
カインが答える。
「ポケットに入れておける」
カインはブラッド・ハウンドの外部接続を開いた。
《外部生命支援機器から接続要求》
《識別:Y.A.B.U.》
《医療情報限定接続》
《許可》
ヤブの光学センサーが明滅した。
小さな機体はカインの正面から左へ回り込み、治療した肩の前で静止する。
《生体情報取得》
《治療履歴照合》
《左肩外側創傷――確認》
ブラッド・ハウンドから取得した内部情報に、ヤブ自身の光学・音響走査が重なっていく。
走査光が治療箇所を中心に動き、ヤブは肩の前から背中寄りまでゆっくりと半周した。
クロンの視線がヤブからカインの左肩へ移った。
「何やったんだ」
「少し切られた」
「傷の中に異物が入ってな」
レンが黙った。
クロンも一度カインを見る。
「それを先に言え」
「全部取った」
「こいつが?」
カインは目の前に浮いている小型機を示した。
「こいつが」
クロンは今度こそヤブをまじまじと見た。
「……それなら医者で合ってるな」
《創傷閉鎖――維持》
《活動性出血――なし》
《残留異物反応――なし》
《感染兆候――検出なし》
《組織修復――進行中》
《運動機能――正常範囲》
診断結果が順番に表示される。
ヤブは少し角度を変えてもう一度肩を確認したあと、カインの前へ戻った。
《追加処置――不要》
《経過観察を推奨》
「問題ないな」
《治癒完了ではありません》
「動くなら十分だ」
《同義ではありません》
レンが笑った。
「結構はっきり言いますね、その医者」
「最初からこうだ」
《過度な高負荷動作を避けてください》
「分かった」
《返答を確認》
今度はクロンが鼻で笑った。
「機械には素直なんだな」
「言い返しても止まらん」
「人に言われても止まらねえだろ、お前は」
「お前に言われたくない」
「俺は止まるぞ」
「親方、それは無理がありますよ」
「レン」
「はい」
「後で覚えてろ」
ヤブは診察が終わったと判断したらしく、四本の処置アームを順に折り畳んだ。
安定翼が閉じ、浮遊機構の出力も落ちていく。カインが右手を差し出すと、その上へ静かに着地し、再び一般的な携帯端末とほとんど変わらない薄い板状へ戻った。
カインはそのまま上着の内側へ収める。
エメリがポケットを見る。
「構造、見たい」
「壊すなよ」
「壊さない」
「開ける気はあるのか」
「見るだけ」
「それ、開ける奴の言い方だぞ」
エメリは答えなかった。
代わりに正面の航法表示へ視線を移す。
数秒後。
「カイン」
「何だ」
「反応」
それまで何もなかった受信欄に、ごく弱い信号が一つ浮かんでいた。
カインもすぐに表示を切り替える。
《微弱信号――捕捉》
《照合中》
レンが座り直し、クロンも会話を止めた。
船外映像にはまだ何も見えない。星の並びと、その向こうに広がる暗い宙域だけがある。
受信している信号は弱く、通常の航行標識なら故障を疑うほどだった。
だが、カインには照合するための情報がある。
ライナから渡された識別データを呼び出し、受信波形へ重ねた。
《識別照合――一致》
《PHAROS-α》
「見つけた」
エメリが言った。
クロンが表示を見る。
「これがファロスαか」
「まだ信号だけだ」
カインは通信系を開いた。
《NOX》
《接近識別要求》
送信。
返答はすぐには来なかった。
低出力で眠っていた基地側がこちらを確認しているのか、数秒の空白が続く。
やがて、弱い信号の中へ新しい表示が重なった。
《PHAROS-α》
《識別確認》
《NOX――進入許可》
「通った」
レンが言う。
その直後だった。
『こちらファロスα』
女の声が通信へ入った。
『ノクス、聞こえますか』
カインの目が僅かに細くなる。
「……ティルザ?」
『はい』
聞き間違いではなかった。
『お待ちしていました、先輩』
「お前、先に来てたのか」
『先回りです』
「それは今ので分かった」
『なら説明が一つ省けましたね』
いつもの調子だった。
後ろでレンがクロンを見る。
クロンも何となくカインを見た。
「何だ」
「いや」
レンが答える。
「知り合いなんだなって」
『正確には後輩です』
通信越しにティルザが訂正した。
今度はクロンの眉が動く。
「後輩?」
「軍のな」
カインはそれだけ答えた。
ティルザも余計な説明はしなかった。
『エーテル・ガイストは、すでに大型艦ドックへの係留を終えています』
「無事入ったか」
『はい。最低限は設備が動きました』
「お前が起こしたのか」
『全部ではありません。使えるものを探して、必要なところへ灯りを点けただけです』
「十分だろ」
『灯台守としては、そう言ってもらえると助かります』
「灯台守?」
『勝手にそう呼んでいるだけです』
カインは少しだけ笑った。
「似合ってるんじゃないか」
『……先輩にも言われるとは思いませんでした』
その声にも、僅かに笑いが混じっていた。
『今、エーテル・ガイスト側にも繋ぎます』
「頼む」
間を置かず、別の回線が重なった。
『ノクスを確認した』
聞き慣れた無機質な声。
アドミラルだった。
「着いたぞ」
『まだ到着していない』
「見えてるなら似たようなもんだろ」
『距離が残っている』
「相変わらず細かいな」
『必要な区別だ』
カインは僅かに口元を緩めた。
『予定到着時刻を超過している』
「ああ」
『理由も確認した』
カインは後方映像へ目を向ける。
「そっちから見えるか」
『確認している』
少しだけ間がある。
『曳航物、一隻』
「拾った」
『了解した』
返答はそれだけだった。
何故拾ったのかも、どうするつもりなのかも訊かない。現時点で必要なのは、ノクスが一隻余計に連れているという事実だけなのだろう。
だが、その直後。
『……拾った?』
別の声が割り込んだ。
アイリスだった。
「ああ」
『船を?』
「そうだ」
『途中にあったの?』
「あった」
『それで持ってきたの?』
「使えるかもしれないからな」
通信の向こうが静かになった。
レンが僅かに顔を逸らす。
「…何だ」
「いや、何でもないっす」
『……カイン』
「何だ」
『途中に船があっても持ってこないと思うよ』
「クロンが持っていくって言ったぞ」
「おい」
突然話を振られたクロンが顔を上げる。
通信の向こうで、アイリスの声が変わった。
『クロンさん?』
「おう」
本人が返す。
短い沈黙のあと。
『……本当にクロンさんだ』
「偽物連れてきてどうすんだ」
『来たの?』
「そうなった」
『レンさんも?』
「いますよ」
レンが通信へ顔を向けた。
「どうも」
『一緒なんだ』
「親方が行くって言うんで」
「お前もすぐ乗っただろ」
「そこは細かいこといいじゃないですか」
そこでアイリスが少しだけ間を置いた。
『でも、四人だよね?』
今度はミラが答える。
『はい。ノクス船内に四名の生命反応を確認しています』
「もう一人はエメリだ」
『エメリさん?』
アイリスには覚えがないらしい。
その反応を察したように、ミラが続けた。
『クロン・ワークスの技術者です。制御系と精密機器を担当されています』
『ノクスだけでなく、アンブラとヴェスパーの整備にも協力していただきました』
「ミラ」
エメリが通信へ声を向ける。
『はい。お久しぶりです、エメリさん』
「久しぶり」
アイリスが少し驚いたように言った。
『知ってるの?』
『部材確認や制御系の調整を行った際、何度かお会いしています』
「三姉妹とも見た」
エメリも短く補足した。
『そうだったんだ……』
それからアイリスは少しだけ声を改めた。
『じゃあ、初めまして。アイリスです』
「エメリ」
「よろしく」
『うん。よろしく』
それだけだった。
エメリも会話を無理に広げることはなく、挨拶が済めば再び航法表示へ視線を戻している。
『それにしても』
アイリスが話を戻した。
『三人も一緒に来るなんて聞いてなかったよ?』
「念のためだ」
『念のため?』
「自由港を出てから、こっちからは回線を開いてない」
アイリスが少し黙る。
カインは続けた。
「追う線は散らした。こっちへ探査を向けてる船もなかった。ただ、それで全部切れたとは言い切れん」
『通信を拾われる可能性を考慮したのか』
アドミラルが言った。
「ああ。ファロスαへ着くまでは、余計な通信経路を作らない方がいいと思った」
『判断は妥当だ』
アドミラルはそれだけで納得した。
アイリスも事情を理解したらしい。
『……そっか。本当に念のためだったんだ』
「ああ」
『……分かった。でも、次はちゃんと話してね』
「分かった」
『本当に?』
「ああ」
レンがまた顔を逸らした。
カインは横目で見る。
「何だ」
「何でもないっす」
通信の向こうからミラの声が続いた。
『クロンさん』
「何だ」
『ファロスαの工房区画については、現在も確認を進めています。すべてが稼働しているわけではありませんが、大型作業区画の一部には通電しています』
クロンの表情が変わった。
先ほどまでの軽さが薄れ、整備屋の顔になる。
「使える設備は?」
『基本工作機、昇降機、船体固定設備の一部を確認しています。診断設備については復旧途中です』
「十分だ。着いたら見せてくれ」
『承知しました』
「それと、こいつを置ける場所はあるか」
クロンが後方映像の船を示す。
『確認します』
短い待ち時間のあと。
『第二整備区画に収容可能です』
「助かる」
『そちらなら、私の方でも進入路を開けられます』
ティルザが付け加える。
「頼む」
『はい。灯台守の仕事が一つ増えましたね』
カインは現在位置を確認した。
ファロスαまでは、もう遠くない。
だが、今の速度では進入までまだ時間が掛かる。
アドミラルも同じ計算をしていたらしい。
『カイン』
「何だ」
『現在の曳航状態では、接近に余分な時間を要する』
「それで?」
『こちらで引き継ぐ』
ほぼ同時に、前方センサーへ新しい反応が現れた。
《接近反応――1》
《友軍識別》
《VESPER》
レンが表示を覗き込む。
「ヴェスパー?」
クロンもすぐに気づいた。
「こっち来るのか」
船外映像では、まだ星の中に小さな光点があるだけだった。
「誰が乗ってる」
『無人だ』
アドミラルが答える。
『本艦より遠隔操船している』
少しして。
『私が出していいって言ったの』
アイリスの声が入った。
カインは前方の反応を見る。
「艦長代理の判断か」
『うん。アドミラルが、ヴェスパーなら引き継げるって』
カインは一度だけ頷いた。
「それでいい」
『……うん』
声が僅かに明るくなる。
そのまま待っていると、星の中の点が徐々に輪郭を持ち始めた。
横へ広がった船体に、中央へ大きく取られた積載区画。その周囲には外部作業を前提にした固定機構が並んでいる。自由港では係留された状態で見ることの多かった軽武装運搬船が、今はアドミラルの管制を受けながらこちらへ向かっていた。
ヴェスパーはノクスの横を抜け、そのまま後方へ回り込む。拾った船の進行方向へ船首を合わせ、相対速度をほとんどゼロまで落としていった。
クロンたちはその作業を見ているだけでよかった。アドミラルはノクスとヴェスパー、さらに曳航されている船の状態を同時に把握しながら、必要な位置関係を自動で作っていく。
『曳航引き継ぎを開始する』
《VESPER――RECOVERY MODE》
《TARGET――LOCK》
《RELATIVE VELOCITY――MATCHED》
ヴェスパーの船体から回収用の接続ユニットが展開した。
旧船の残存構造を走査し、荷重に耐えられる部分を選定してから接続位置へ寄っていく。ヴェスパーは僅かに姿勢を変え、相対位置を修正した。
《RECOVERY LINK――LOCK》
《LOAD TRANSFER――START》
ノクスに掛かっていた後方荷重が、徐々に減少していく。
《78%》
《56%》
《34%》
《11%》
《0%》
『荷重移行完了』
カインは表示を確認した。
「こっちは解除する」
『了解』
操作を入れる。
《NOX――TOW RELEASE》
それまで船体後方へ掛かり続けていた重量が消え、ノクスの姿勢制御系が本来の値へ戻っていく。
カインは操縦桿へ右手を置き、軽く船首を振った。
反応は明らかに違った。
「やっと普通に動くな」
「その言い方すると飛ばしそうで嫌なんすけど」
「ここでは飛ばさん」
「ここでは?」
「気にしない方がいい」
エメリが言った。
「それ多くない?」
クロンは二人を無視し、後方のヴェスパーを見ている。
古い船を引き受けた運搬船は、何事もなかったように姿勢を安定させていた。
「なるほどな」
「どうした」
「回収もやらせるって話は聞いてたが、実際に見ると分かりやすい」
クロンはヴェスパーの船体を見ながら続ける。
「荷物積んで運ぶだけじゃなく、こういうのを拾って引いてくるのも仕事ってわけか」
「ああ」
ヴェスパーは最初から、戦うためだけに作った船ではない。物を運び、回収し、必要な場所へ届ける。そのうえで状況次第では後方から支援も行う。
今回の役目は、その本来用途に近かった。
その時だった。
ヴェスパー上部にある格納区画が開き始める。
カインが気づいた。
「アドミラル」
『問題ない』
クロンたちも視線を向ける。
暗い格納部の中から、細長い機首と折り畳まれた翼、黒い外装を持つ機影がゆっくりと姿を現していく。保持具が一つずつ解除され、それが一機の戦闘翼機であることがはっきりしていった。
「……何だ、あれ」
クロンが目を細める。
レンも映像へ身を寄せた。
《KARASU》
《SEPARATION SEQUENCE》
黒い機体が、ヴェスパーから静かに離れた。
まずは推進器をほとんど使わず、船体から十分な距離を取る。安全域へ出たところで、折り畳まれていた翼が左右へ開き、姿勢制御噴射とともに機首がノクスへ向いた。
レンが映像とカインを交互に見る。
「兄貴」
「何だ」
「飛行機も持ってたんすか?」
「持ってた」
「初耳なんですけど」
「言ってないからな」
「またそれっすか」
クロンは二人のやり取りには入らず、近づいてくる黒い機体を見ていた。
戦闘翼機であることは説明されなくても分かる。軍用機特有の機体構成に、推進器の配置。翼下と機体底部に残る兵装基部。
クロンがカインへ視線だけを向けた。
「お前のか?」
「ああ」
カインもカラスを見る。
長く使ってきた機体だった。アトラス隊にいた頃から何度も一緒に飛び、右眼を失うよりも前からカインの操縦を知っている。そのたびに調整と改修を重ねながら、今まで残ってきた一機だ。
「俺の相棒だ」
レンがもう一度カラスを見る。
クロンも僅かに眉を上げた。
「機体名はあるのか?」
「カラス」
「……カラス?」
その名前に、クロンの表情が変わった。
すぐに思い出したわけではない。黒い機体をもう一度見て、記憶の中にある何かと照らし合わせるような間があった。
「待て。カラスって、確か軍の戦闘翼機じゃねえか?」
「知ってるのか」
「型まで詳しいわけじゃねえ。名前を聞いたことがある程度だ」
クロンは機体を見たまま続ける。
「確かもう一線から外れてる奴じゃなかったか?」
「そうだな」
カインは頷いた。
「今はほとんど、スパローに座を譲ってる」
「ああ、スパローなら分かりますよ」
レンが反応した。
「前に近くの宙域で飛んでるの見ました。軍の船についてたやつですよね」
「俺も見たことあるな」
クロンが言う。
「軍艦が航路を通る時、周りを何機か飛んでる奴だろ。護衛か哨戒か、そこまでは知らねえが」
「ああ。今の連合軍じゃ、あっちが主力だ」
カインはカラスへ視線を戻した。
旧式と呼ばれる機体ではあるが、それは博物館へ収められるような骨董品という意味ではない。後継となるスパローが量産されて制式主力の座を引き継ぎ、一線で見かける数が減っただけで、今でも十分に飛べるし、十分に戦える。
まして、目の前にいるカラスは制式仕様のまま残っている機体ではなかった。
アトラス隊時代からカインに合わせ、何度も調整と改修を重ねてきた一機だ。
そんな事情までは知らないクロンも、整備屋として見れば何か違うことには気づいたらしい。
「……でも、これ普通の機体じゃねえだろ」
「分かるか」
「俺を何屋だと思ってる」
「整備屋」
「なら聞くな」
クロンは映像を拡大した。
「随分手が入ってるように見える」
「長く乗ってるからな」
「それだけか?」
「色々だ」
エメリも黒い機体の姿勢制御を目で追っていた。
「反応も違う」
「何と比べてだ」
「制式機の動き」
「そんなものまで分かるのか?」
「全部は分からない」
エメリは少し考えた。
「でも、機体だけで飛んでる感じじゃない」
カインは僅かに目を細める。
「ちゃんと乗り手に合わせてある」
エメリが続けた。
「そんな感じ」
「当たりだ」
それ以上は説明しなかった。
クロンも無理に訊こうとはしない。
代わりにレンが、もっと単純な疑問を口にした。
「でも兄貴」
「何だ」
「あれ、軍用機なんですよね?」
「だな」
「何で持ってるんです?」
「私物だ」
船内が静かになった。
レンがカインを見る。
クロンも見る。
エメリまで視線を向けた。
「…何だ」
「いや」
クロンがゆっくりと言った。
「今、軍用機を私物って言ったか?」
「言ったな」
「聞き間違いじゃねえな」
「ああ」
「……私物ねえ」
クロンはもう一度カラスを見る。
その表情には、明らかに納得していないものが残っていた。
「兄貴」
レンも言った。
「普通、軍用機って私物になるんすか」
「場合による」
「どういう場合です?」
「俺みたいな場合だ」
「説明する気ないですよね?」
「今はない」
「でしょうね」
クロンは小さく息を吐いた。
そこで話を終えるかと思ったが、しばらくカラスを見たあと、今度は前方の通信表示へ視線を移した。
「……なぁカイン」
「何だ」
「あのでかい船」
「エーテル・ガイストか」
「ああ」
クロンはすぐには続きを口にしなかった。
エーテル・ガイストそのものなら、すでに見ている。
自由港へ入ってきた時、船は大型貨物船に見えるよう外観を崩し、そのうえで長期修理が必要なほど傷んだ船を装っていた。
クロンが手を貸したのはドック六番の周囲へ補修資材の搬入予定を重ね、関係のない人間の目を散らすことだった。
それでも、ドックへ収まった船を間近で見れば、大型貨物船という触れ込みには少し無理があることくらい分かった。四百メートル近い巨体もそうだが、補修板や仮設材で輪郭を崩した下には、貨物を運ぶだけの船とは思えない構造がところどころ残っていた。
何かを隠していることくらいは、当時から察していた。その後、あの船が単に壊れているのではなく、元から未完成のまま飛んでいる艦だということも聞いたが、そこまで分かってもクロンは深く訊かなかった。
自由港では、訳の一つや二つ抱えた船など珍しくない。カインも、仕事に必要なことなら話せる範囲で話すと言っている。それなら今はそれで十分だった。
ただ、今は事情が少し違う。目の前には軍の戦闘翼機がいて、カインはそれを何でもないことのように自分の私物だと言った。
「自由港でドックに入った時から、妙な船だとは思ってた」
クロンが言った。
「近くで見りゃ、あれをただの大型貨物船って言うには無理があったからな」
「あれは偽装だ」
「それくらい分かってる」
クロンは鼻を鳴らした。
「傷んだ大型貨物船に見せて、修理に入ってきたようにしてたんだろ。こっちもそのつもりで周りの目を散らした」
「そうだったな」
「だから、何か隠してる船なのは承知してた。別に自由港じゃ珍しくもねえ」
そこでクロンは、もう一度カラスを見る。
「でも今度は、軍の戦闘翼機が出てきた」
「ああ」
「しかも私物か」
「そうだ」
「となると、話が少し変わる訳だが」
レンも何となく察したらしく、二人の会話へ耳を向けた。
クロンは一度だけ間を置いた。
「一応……聞くぞ」
「何だ」
「あれ、まさかとは思うが……軍艦じゃねえよな?」
カインは前を見たまま答えた。
「安心しろ」
「何をだ」
「軍籍はない」
クロンが黙った。
レンも黙る。
数秒して。
「……おい」
「何だ」
クロンは額に手を当てながら言った。
「何も安心できねえんだが」
「そうか?」
「そうだよ」
レンも横で頷いた。
「むしろ今ので、だいぶ怪しくなりましたよ」
そこで、エメリが静かに口を挟んだ。
「軍籍がないだけ?」
カインがそちらを見る。
「どういう意味だ」
「軍艦じゃない、とは言ってない」
一瞬。
レンがカインを見る。
クロンも額から手を離した。
「……そういや、そうだな」
「細かいところを拾うな」
「そこは拾うだろ」
クロンが身体を起こす。
「で?」
「何だ」
「あれは軍艦なのか?」
カインは少しだけ考えた。
「着けば分かる」
「またそれか」
「お前、中を見たいって言ってただろ」
「言ったが、それとこれとは話が違う」
「見れば大体分かる」
「だから先に教えろって言ってんだ」
「もうすぐ着く」
レンが横から口を挟む。
「親方、前に近くで見たんですよね?」
「ドックに入れた時にな」
「それでも分からなかったなら、中を見た方が早いんじゃないです?」
「お前までそっちに回るな」
「いや、俺も気になるだけっす」
クロンは二人を見比べ、最後にカインへ戻った。
「……嫌な予感しかしねえ」
「安心しろ」
「今のお前から一番聞きたくねえ言葉だ」
そこで、ノクス側に新しい通信リンクが開いた。
《KARASU――LINK》
黒い戦闘翼機がノクスの左側へ並ぶ。
少し距離を取ったまま、相対速度を正確に合わせていた。
[Karasu_AI] カインを確認しました。
カインは僅かに目を細める。
「久しぶりだな」
短い間。
[Karasu_AI] 前回接触からの経過時間は、長期間には該当しません。
「そういう意味じゃない」
[Karasu_AI] 文脈を修正します。
レンが小さく笑う。
「喋るんすね」
「前よりはな」
「戦闘機のAIですよね?」
「ああ」
「それにしては、結構喋るというか……」
「色々あった」
「兄貴の色々、範囲広すぎません?」
カラスはノクスと並びながら接続情報を更新していく。
航行状態。
機体間通信。
現在の操縦者情報。
ブラッド・ハウンドとの限定リンクが成立したところで、表示内容が一つ変わった。
[Karasu_AI] 操縦者生体情報を更新。
[Karasu_AI] 左肩に創傷治療履歴を確認しました。
カインの視線が止まる。
「そこまで見るのか」
[Karasu_AI] 登録操縦者の身体状態は、飛行支援判断に必要です。
「治療は済んでる」
[Karasu_AI] 治癒過程にあります。
「さっき医者にも言われた」
[Karasu_AI] 医療判断を支持します。
「お前まで同じことを言うのか」
[Karasu_AI] 高負荷行動を推奨しません。
「分かった」
[Karasu_AI] 返答を確認しました。
カインは僅かに眉を寄せた。
「そこまで似なくていい」
後ろでレンが笑いを堪えている。
「何だ」
「いや」
「言え」
「兄貴、囲まれてますね」
「前からだ」
「しかも、みんな兄貴の言うこと信用してないじゃないですか」
「余計なこと言うな」
クロンが鼻を鳴らした。
「機械の方が正しいんじゃねえか?」
「お前まで乗るな」
その間に、カラスはノクスの横から離れ始めていた。
前方へ少し距離を取り、そのまま直進するのではなく、大きく弧を描いて右側へ回る。ノクスの側面から後方のヴェスパーへ移り、さらにその後ろで曳航されている古い船を確認してから、今度は反対側を通ってノクスの近くへ戻ってきた。
[Karasu_AI] 周辺走査を開始します。
[Karasu_AI] ノクス、ヴェスパーおよび曳航対象周辺の警戒へ移行します。
「頼む」
[Karasu_AI] 了解。
黒い機体は再び隊列から少し離れた。
先頭へ出て航路を導くわけではない。前方を確認すれば側面へ移り、そこから後方へ回る。ヴェスパーと曳航船の周囲を確認すると、今度はノクスの反対側へ戻ってくる。
敵がいるわけでも、こちらへ探査波を向けられている形跡があるわけでもない。それでもカラスは警戒を止めず、一定の距離を保ったままノクスたちへ追従していく。
[Karasu_AI] 現在、敵性反応なし。
[Karasu_AI] 能動探査反応なし。
[Karasu_AI] 周辺宙域、異常なし。
「了解」
カインが返す。
それ以上の会話はなかった。
カラスは報告を終えると、そのまま自分の仕事へ戻った。隊列の前後と左右を巡りながら、黒い翼が星の中を一定の距離で行き来している。
レンはしばらくそれを眺めていた。
「相棒っていうの、何となく分かる気がします」
「何がだ」
「いや」
レンは少し考えた。
「ちゃんと兄貴のこと見てるなって」
カインは答えなかった。
ただ、ノクスの側面を通り過ぎていく黒い機体を一度だけ目で追った。
その時だった。
「見える」
エメリが言った。
声に促され、カインは正面へ視線を戻す。
最初は、星の並びが僅かに欠けているだけに見えた。
光を落とした巨大構造物が宇宙の暗さへ溶け込み、遠距離では輪郭すら判然としない。
だが、ノクスが近づくにつれて、背景とは違う黒が少しずつ形を持ちはじめた。
長い船体のようにも見える。
巨大な基地にも見える。
複数の区画を抱え、長い年月を低出力のまま過ごしてきた古い移動施設。
ファロスα。
「……あれか」
クロンが呟いた。
「みたいだな」
カインが答える。
「ファロスαだ」
レンから、先ほどまでの軽い調子が消えていた。
「思ってたより、でかいっすね」
「そうだな」
「こんなのがずっとあったのか」
クロンは正面映像から目を離さない。
施設全体が起きているわけではなかった。
外周の多くはいまだ暗く、動力の落ちた区画も多い。その一方で、いくつかの場所には新しく灯りが戻り、人の手が入ったことを示している。
やがて、ノクスたちの接近を認識したように、進入方向の端で一つの灯りが点いた。
少し離れた場所でもう一つ。
さらにその先へ。
暗い基地の輪郭に沿い、誘導灯が順番に起動していく。
《PHAROS-α》
《APPROACH ROUTE――OPEN》
《DOCK GUIDANCE――ACTIVE》
『ノクスへ』
ティルザの声が入った。
「何だ」
『そのまま進入してください。誘導灯は二番列を使います』
「了解」
『ヴェスパーの曳航対象は、こちらで第二整備区画へ振り分けます』
「クロン」
「ああ。それでいい」
『承知しました』
少しだけ間を置き。
『ようやくですね、先輩』
「ああ」
『灯台守も、これで一段落ですかね』
カインは点灯していく誘導灯を見る。
「まだ色々と残ってるだろ」
『そういうところは相変わらずですね』
「事実だ」
『はい。分かっています』
ティルザの声には、僅かな笑いが残っていた。
カラスがノクスの左前方を横切る。
[Karasu_AI] 周辺に敵性反応なし。
[Karasu_AI] 警戒を継続します。
黒い翼はそのまま側面へ回り、再び隊列の外周を巡り始めた。
ノクスが誘導航路へ入る。
少し後ろには、古い船を曳くヴェスパー。
その周囲にはカラス。
自由港を出た時には存在しなかった隊列だった。
エーテル・ガイストは先に出た。
カインは一人で自由港へ残り、追跡者を引きつけた。クロンたちが同行することも、その時には決まっていなかった。
途中で一隻の船を拾い、ヴェスパーが迎えに来て、カラスが再びその周囲を飛ぶことになるなど、自由港を出た時には誰も考えていなかった。
それでも今は、ノクスに四人がいる。
後ろにはヴェスパーと、拾った一隻。
その周囲をカラスが飛んでいる。
進んだ先には、すでにアイリスとミラ、アドミラルがいる。
ティルザもいる。
そして、エーテル・ガイストも。
『カイン』
アイリスの声が入った。
「何だ」
『見えてる?』
「ああ」
カインは正面を見る。
ファロスαの暗い外殻。
こちらへ向かって順番に灯っていく誘導灯。
その奥では、一つのドックがゆっくりと進入準備へ移っていた。
「見えてる」
『こっちからもノクスが見えたよ』
「そうか」
『ヴェスパーも』
「ああ」
『カラスも』
「見えてるなら数えなくていい」
『あと、拾った船も』
「それもな」
少しだけ間が空いた。
通信の向こうで何かを言いかけた気配があったが、アイリスは結局それには触れなかった。
『待ってるよ』
カインは操縦桿へ右手を戻した。
誘導航路へ合わせ、ノクスの船首を僅かに修正する。
「ああ」
ファロスαの灯りが、ゆっくりと近づいてくる。
「今行く」
ノクスはそのまま進む。
ヴェスパーが後ろから続き、カラスは隊列の周囲を回りながら警戒を続けていた。
長い間眠っていたファロスαの外殻に、一つ、また一つと灯りが増えていく。
そこはまだ、彼らの帰る場所ではない。
これから何が残っているのかを確かめ、使えるところを起こし、必要なら直していく場所だった。
それでも今は、先に着いた者がいて、灯りを点けた者がいる。
その内側には、待っている者たちもいる。
ノクスはファロスαに連なる灯りへ向かって、静かに進んでいった。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




