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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第77話:灯台の導き

 ファロスαの管制区画には、まだ明かりの届かない場所が多かった。ティルザが復旧させたのは中央卓と、その周囲に並ぶ数台の端末だけ。壁際の表示盤も半分ほどしか生きておらず、天井照明も似たような状態だった。白い灯りが点いているのは管制卓の上と、そこへ続く通路の一部。その先は、まだ暗闇の中に沈んでいる。遠くから、古い清掃機の駆動音が聞こえていた。


《通路清掃を継続しますか》


 機械音声が、壁面端末から流れる。


「してください」


《了解》


返答は短い。


《清掃を継続します》


「はい。お願いします」


ティルザは小さく笑い、視線を中央卓へ戻した。


表示されているのは、大型艦ドック。


《大型艦ドック――待機》


《主要隔壁――開放可能》


《係留機構――五基応答》


《最終自動誘導――停止》


《手動誘導――使用可能》


何度見ても変わらない。

むしろ変わってもらっては困る。

ここまで来て、船が来る直前に一つ死んだ、では洒落にならない。

ティルザは係留機構の応答を、もう一度ひとつずつ確認した。五基。

残る三基は、やはり沈黙したままだ。


「五つあれば……まあ」


十分とは言えない。

だが、入れられないわけではない。

もともと、ここへ来た理由の一つがそれだった。

先にファロスαへ入り、大型艦ドックを確認する。人が住める場所を探し、あの船を受け入れられる状態にしておく。

 

 エーテル・ガイスト。

カインとアイリスを乗せ、クレイドルから脱出した創世級試作実験艦。だが、実物を間近で見るのはこれが初めてだった。


「四百メートル近い船を入れるんですから、もう少し設備が素直でもいいと思うんですけどね」


誰に言うでもなく呟いた、その時だった。

中央卓の端で、小さな音が鳴った。


《外縁監視――反応》


ティルザの表情が変わる。

すぐに端末へ手を伸ばした。


《接近物――一》


《人工物》


《大型船舶》


《接近速度――低》


遠距離監視映像が開く。まだ小さい。星の中に、一つだけ動く光点がある。

拡大すると、やがて大型船の輪郭が浮かび上がった。


「……随分、大人しい姿ですね」


ティルザが目を細めた。

聞いていた艦の印象とは違う。

戦艦というより、大型貨物船だった。

ライナから送られた大型貨物船用の証明データに合わせた偽装なのだろう。外見だけを見れば試作艦とは分からない。


識別を要求した。


《秘匿識別――送信》


数秒。


《応答受信》


《識別鍵――照合》


《一致》


ティルザは僅かに口元を上げた。


「来ましたね」


待っていた船だった。

大型艦ドックの管制を開く。


《ドック隔壁――開放》


《誘導灯――起動》


一つ。また一つ。

長い間暗闇に沈んでいた大型艦用進入路に、光が戻っていく。全部ではない。

ところどころ欠けている。

それでも、船を導くには足りる。

ティルザは通信を開いた。


「こちらファロスα」


「エーテル・ガイスト。聞こえますか」


     

 エーテル・ガイスト艦橋。

静かな航行表示の中へ、通信音声が入った。

アイリスが顔を上げる。


「……ティルザさん?」


主表示の中央。

黄金の単眼が僅かに明滅した。


『音声照合』


『ティルザ・レーヴェン』


『一致』


『通信を接続する』


外部通信が開く。


『はい』


聞き覚えのある声。


『お待ちしていました』


「やっぱりティルザさんだ」


アイリスは少し驚いたまま、前方映像を見る。

暗い巨大構造物。その一部にだけ並ぶ誘導灯。

ファロスα。そしてその中には、すでに人がいる。


「どうしてここに?」


『先回りです』


ティルザはあっさり答えた。


『その大きさの船を入れるなら、先に中を見ておく人が必要でしょう?』


「でも、知らなかった」


『連絡が間に合わなかったようですね』


声に少しだけ笑いが混じる。


『驚かせたなら、すみません』


「ううん」


アイリスも小さく笑った。


「知ってる人がいたから、ちょっと安心した」


『それなら良かったです』


ミラが副席から前方表示を確認する。


「ティルザさん。お久しぶりです」


『ミラさんも。お久しぶりです』


『……先輩は?』


ティルザが訊いた。

艦橋。カインの席は空いている。


「後から来るよ」


アイリスが答える。


「自由港を出る時、カインだけ残ったの」


『またですか』


返事が早かった。

アイリスが少し瞬く。


「また?」


『先輩は、そういうところがありますので』


ティルザの声は呆れている。

だが、それ以上には踏み込まない。


『ノクスでこちらへ向かうんですね?』


「うん」


『なら、そのうち来るでしょう』


 軽い言い方だったが、そこには少しだけ信頼が混じっていた。


『先輩のことですから』


アイリスは、空いている席を一度だけ見た。


「うん」


『では、その前にこちらを片付けましょう』


声が切り替わる。休暇中の後輩ではない。

仕事をしているティルザの声だった。


『現在、大型艦ドックは使用可能です』


『ただし、最終自動誘導は死んでいます』


『誘導灯はこちらから出します。係留は八基中五基が応答』


『進入後の最終位置合わせは艦側でお願いします』


『可能ですか?』


『問題ない』


アドミラルが答えた。


『外部形状およびドック寸法を取得中』


『進入経路を算出する』


『ティルザ・レーヴェン』


『君の誘導データも受信した』


『利用する』


『どうぞ』


ティルザの返答。


『一人で大型艦を引っ張るのは無理ですから』


アイリスが少し笑った。

黄金の単眼が淡く明滅する。


『本艦は自力航行可能だ』


『知っています』


ティルザもすぐに返した。


『言ってみただけです』


ファロスα。

巨大なドック隔壁の向こう。

星明かりを背負って、エーテル・ガイストがゆっくりと姿を現す。

ティルザは管制卓の前で、その艦影を見ていた。

遠目には大型貨物船にしか見えない。だが、近づくほどに、その外装では隠しきれない大きさが見えてくる。


「……話で聞くのと、実物は違いますね」


思わずそう呟くほど、巨大だった。

旧式の大型艦を受け入れることを想定して造られたドック。その空間へ。

エーテル・ガイストの船首が静かに入り込んでくる。


《進入角――正常》


《相対速度――正常》


《右舷余裕――許容》


《左舷余裕――許容》


ティルザが誘導灯を一つずつ切り替える。


「もう少し右」


『補正する』


「そのまま」


船体が僅かに横へ流れる。

四百メートル近い巨体が、誘導灯の間をゆっくりと進んでいく。ほとんど音もなく、ファロスαの暗いドックがその船体を呑み込んでいった。

やがて、表示が切り替わる。


《係留位置――接近》


「そこで止めてください」


『停止する』


エーテル・ガイストの推進光が落ちる。

大型艦が静止した。


「係留を出します」


《係留機構――一番》


《接続》


二。三。四。五。


《係留五基――固定》


《荷重分散――許容》


ティルザが息を吐く。


「……入った」


『肯定する』


アドミラルの声。


『エーテル・ガイスト、ファロスαへの係留を完了』


 数十年前に人が離れた大型艦ドック。その中央に、新しい艦が一隻、静かに収まった。

 

 連絡通路の気密確認が終わるまで、少し時間がかかった。基地側と艦側、双方の圧力を合わせ、古い接続部には補助シールを噛ませる。


《気密――正常》


《連絡路――開放可能》


扉が開いた。

最初に姿を見せたのはミラだった。

その後ろにアイリス。


「ティルザさん」


「はい」


ティルザは二人を迎える。


「改めて。ファロスαへようこそ」


アイリスが辺りを見る。

広いドック。見上げるほど高い天井。その多くは暗い。点灯している照明は、エーテル・ガイストの周囲と連絡路。そこから管制へ向かう道だけ。


「暗いね」


「これでも増えたんですよ」


「そうなの?」


「来た時は、もっと暗かったです」


ティルザが歩き出す。


「使えるところから起こしました」


ミラが壁面の古い設備を見る。


「設備規格が古いですね」


「ええ」


「動く物と、動かない物が混在しています」


「大型艦ドックは?」


「今見た通りです」


ティルザは指を折る。


「誘導灯。隔壁。係留五基。最低限の気密」


「それから管制」


「居住区も一部だけ空気を入れてあります」


「水は?」


アイリスが訊く。


「出ます」


ティルザが答える。


「ただし、そのまま飲むのはまだやめておいた方がいいですね」


「分かった」


「持ってきたから大丈夫」


「その方がいいです」


ティルザは少しだけ振り返る。


「空調も動いていますが、全区画ではありません」


「工廠は?」


ミラの問い。


「ほとんど寝ています」


「ほとんど」


「はい」


ティルザが苦笑した。


「起こせそうなところまでは見ました。でも、私一人で配管を引き直したり、焼けた配電盤を交換したりはできません」


「当然です」


「ですよね」


 少しだけ間。


「少し安心しました」


「何がでしょうか」


「ミラさんなら『可能です』って言うかと思って」


「不可能な作業を可能とは申しません」


「それもそうですね」


アイリスが小さく笑った。


管制区画へ戻る。

ティルザが中央卓を開く。


「ここです」


施設図が表示される。

かなりの部分が暗い。

起動している区画だけが淡く浮かんでいた。


「私が確認できたのは、この辺りまで」


大型艦ドックと管制区画。居住区の一部と補助電源系。水再生設備の入口、整備区画の一部。

それ以外は、ほとんどが灰色だった。


「奥は?」


アイリスが訊く。


「まだ見ていません」


「危ないから?」


「分かりません」


ティルザは即答した。


「だから、見ていません」


アイリスが頷く。

無理に先へ行かなかった。

ティルザらしい判断だった。

黄金の単眼が、管制卓の一角へ表示された。


『基地管制への接続を要求する』


ティルザがそちらを見る。


「出来るんですか?」


『現在の通信規格では、そのまま接続できない』


『エーテル・ガイスト側で変換する』


『限定接続を行う』


「何が見えます?」


『接続後に確認する』


「正直ですね」


『不確定情報を確定したように答える理由がない』


「それもそうですね」


ティルザは手元の認証を開いた。


「では、暫定管理権限で許可します」


《PHAROS-α》


《管理系統――外部接続要求》


《認証――受理》


《限定接続――開始》


数秒。何も起きない。さらに数秒。

中央卓の表示が一度消えた。


アイリスが瞬く。


「大丈夫そう?」


『問題ない』


次の瞬間、表示が戻った。

先ほどまでより項目が増えている。


《施設管理系――接続》


《電力系――取得》


《生命維持系――取得》


《搬送系――部分取得》


《整備支援系――部分取得》


《工廠管理系――応答不完全》


《未応答区画――多数》


「……早いですね」


ティルザが言った。


『基地側に記録が残っている』


『君が再起動した系統も利用可能だ』


表示がさらに変わる。


『ティルザ・レーヴェン』


「何でしょう」


『君が作成した施設確認記録を取得した』


「勝手に?」


『外部接続許可に含まれている』


『有用だ』


ティルザの眉が少し上がる。


「そうですか?」


『君が現地確認した系統について、再走査を省略できる』


『復旧手順の優先順位を変更する』


ほんの少し、ティルザの表情が緩んだ。


「それなら、歩き回った甲斐がありました」


黄金の単眼が明滅する。


『肯定する』


アイリスが二人を見て、小さく笑った。

ティルザも僅かに口元を上げた。

アドミラルは、すぐに基地全体を動かそうとはしなかった。最初に切り分けたのは電力だった。


《補助電力系――第三系統》


《絶縁確認》


《負荷試験》


《投入》


遠くで、何かが低く唸った。

管制区画の外。暗かった通路に一つ、灯りが点く。その先にも、もう一つ。


「……増えた」


アイリスが言った。


『第三系統正常』


『次へ移行する』


《生命維持補助系――起動》


《空調循環――範囲拡張》


 停止していた送風口の奥から、ゆっくりと風が流れ始める。次。


《内部搬送線――二区間応答》


《一系統起動》


遠くで金属の擦れる音。

何十年も止まっていた搬送レールが、短い距離だけ動いた。


「そこ、生きてたんですね」


ティルザが表示を見る。


『完全ではない』


『駆動部に負荷偏差』


『長時間運用は推奨しない』


「やっぱり」


『停止させる』


搬送レールはすぐに止まった。動くことは動く。だが、そのまま使い続けられる状態ではない。


次に開かれたのは整備支援系。


《支援機格納庫――応答》


《充電設備――一部正常》


《整備支援機――休眠》


《起動可能個体――二》


「起こせる?」


アイリスが訊く。


『一機ずつ行う』


《整備支援機――01》


《再起動》


少しして、基地のどこかで機械が動き始めた。

古い車輪と小さな作業アームを備えた機体が、長期間の停止で鈍くなった動きを引きずりながら、それでも自力で格納庫から出てくる。


《自己診断――完了》


《機能制限あり》


《作業可能》


「一つ増えましたね」


ティルザが言った。


『増えたな』


《整備支援機――02》


《再起動》


もう一機。

古い基地に、手が一つ増えた。

アイリスは施設図を見ていた。

灰色だった場所の一部にほんの少しだけ色が戻っている。


「全部、起こせる?」


『否定する』


返答は早かった。


『物理的に破損している設備が多い』


『断線』


『配管破断』


『駆動部固着』


『部品欠損』


『制御のみで復旧できる範囲には限界がある』


「そっか」


『だが』


黄金の単眼。


『復旧可能な設備はある』


『優先順位を設定し、順次起動する』


ティルザが施設図を見る。


「技術屋さんが欲しいですね」


『同意する』


「私では、この辺りが限界です」


『現時点では十分だ』


「十分ですか」


『本艦を安全に収容できた』


『管制区画が使用可能』


『限定的ながら生命維持系も稼働している』


『それ以上は、次の段階だ』


ティルザは少しだけ黙り、小さく息を吐いた。


「それなら」


「灯台守としては、最低限の仕事は出来たみたいですね」


アイリスがそちらを見る。


「灯台守?」


「勝手にそう呼んでるだけです」


「似合ってると思うよ」


「そうですか?」


「うん」


アイリスは施設図へ視線を戻す。


「ちゃんと、灯り点いてたから」


ティルザも同じ表示を見る。

来た時よりも少しだけ多い光。


「……それなら、悪くないですね」


     

長く暗闇に沈んでいたファロスα。その一角、大型艦ドックには新しい光が灯っていた。

その内側にはエーテル・ガイストが収まり、そこから管制へ続く通路にも、少しずつ灯りが増えている。


《PHAROS-α》


《施設復旧処理――継続》


《使用可能区画――拡張中》


《整備支援機――二機稼働》


《生命維持――限定運用》


最初の復旧処理が一段落したところで、アドミラルは次の作業を割り振った。

大型艦ドックでは、エーテル・ガイストの貨物ハッチが開き、自由港から運んできた物資の搬出が始まっていた。


大型艦ドック。

エーテル・ガイストの船腹近くに、いくつものコンテナが並べられていく。


《搬出指定――PHAROS-α》


《空調設備用交換材》


《水再生用濾過材》


《汎用気密材》


《配管用可変継手》


《旧規格対応電力変換器》


《耐熱電線/接続端子》


《非常用照明》


《携帯型環境測定器》


《ドック接続用部材》


 自由港で積み込んだ物のうち、ファロスαで使うことを前提に揃えた資材だった。

エーテル・ガイストの搬送機がコンテナを艦外へ送り出す。その先では、先ほど再起動したばかりのファロスα側の整備支援機が待っていた。

一機、もう一機と、古い整備支援機が資材を受け取る。新品のようには動かないが、低速ながら搬送台車を押し、それぞれ指定された位置へ運んでいった。


「これ」


アイリスが一つのコンテナを見る。


「自由港で選んだやつだ」


『そうだ』


アドミラルが答える。


『ライナ・ヴェルグから送付された初動復旧用調達品を含む』


アイリスは側面の表示へ目をやった。

見覚えのある品目。

あの時は、まだファロスαがどんな場所なのかもよく分かっていなかった。

何が本当に使えるのか。どこが壊れているのか。

それすら知らないまま。必要になりそうな物を選んだ。


「ちゃんと使えそう?」


『すでに一部の用途を確定している』


表示が切り替わる。


《居住ブロックC――空調系》


《水再生設備――一次復旧》


《中央管制――電力系》


《大型艦ドック――予備接続》


その横で、ティルザが言った。


「思ったより当たってましたよ」


アイリスが振り返る。


「分かってたの?」


「ある程度は」


ティルザは携行端末を取り出した。

表示されたのは、ファロスαの簡易施設図。

その横に、複数の確認項目が並んでいる。


《PHAROS-α/初動復旧確認》


《空調設備》


《水再生設備》


《居住区気密》


《補助電力》


《ドック接続》


《内部搬送》


「先に来る時に、ライナ副官から渡された資料です」


項目の横には、ティルザ自身が追記したらしい短い記録も残っていた。


《空調――一部稼働/交換材必要》


《水再生――本体残存/濾過系交換必要》


《居住ブロックC――気密維持》


《大型艦係留――五基応答》


《内部搬送――複数系統停止》


「元になってるのは、昔の保守記録みたいですけど」


ティルザが続ける。


「実物を見たら、全部そのままとはいきませんでした」


「違った?」


「もちろん」


返事はあっさりしていた。


「壊れてると思ってたところが動いたり、その逆もあります。記録より状態が良い場所もあれば、完全に固まってるところもありました」


『長期間放置された施設としては、珍しくない』


「正常と言っていいんですか、それ」


『想定範囲内という意味だ』


「それなら分かります」


ティルザが端末を閉じる。


「でも、フィルターと濾過材。可変継手。変換器。この辺りは使えそうです」


「ライナさん、すごいね」


「こういう資料をまとめるのは得意な人ですから」


そこだけは、少し後輩らしい声音だった。


「現物を見ないでここまで当ててるなら、十分じゃないですか」


アドミラルが搬出中の資材を再分類する。


《PHAROS-α専用調達品――搬出継続》


《汎用資材――必要量のみ移送》


《ETHER GEIST補修資材――艦内保持》


「全部降ろすわけじゃないんだ」


アイリスが訊いた。


『必要がない』


『本艦でも整備を継続している』


別の表示。


《ETHER GEIST》


《艦内整備――継続》


《補助区画――稼働準備》


《予備居住区――設備調整》


《二次電力系――接続》


《工廠――稼働》


エーテル・ガイストは、もう三人が生活するだけなら困らない。自由港での補修と改修を経て、艦橋や主要な生活区画、工廠、そこへ繋がる導線はすでに十分に使える状態になっている。

今も手が入っているのは、三人では使う必要のなかった予備居住区や、主要導線から外れた補助区画、後回しにされていた二次系統だった。


『本艦側の作業を停止する理由はない』


「こっちはこっちで続けるんだね」


『肯定する』


ティルザが二つの表示を見比べた。


「片方を直しながら、片方も直すんですか」


『正確には、本艦側は稼働範囲の拡張だ』


「なるほど」


ティルザはファロスα側の表示を見る。


「こっちは本当に修理ですね」


『そうなる』


止まったものを起こす基地。

使わなかった場所を、少しずつ広げていく艦。

似ているようでやっていることは少し違った。


最初の資材が振り分けられたところで、三人は居住ブロックへ向かった。


「まずはここですね」


先頭を歩くティルザが言う。

居住ブロックC。

ファロスαへ入ってから、ティルザ自身が仮の生活場所として使っていた一帯だった。

通路には照明がある。全てではない。


ところどころ暗い場所を残しながら、それでも人が歩くには十分な明るさが続いている。


《C-02》


《居住区画》


《共用室》


《衛生区画》


《備品庫》


「ここです」


ティルザが扉を開けた。

短い通路。左右に並んだ個室。

奥には共用空間。どれも古いが、形は保っている。


アイリスが中を見回した。


「思ってたより綺麗だね」


「掃除しましたから」


「ティルザさんが?」


「私と」


小さな駆動音。


「この子が」


通路の奥から、清掃ドローンが現れた。


《指定区画――清掃継続》


アイリスが目を向ける。


「この子?」


「はい。今のところファロスαで一番働いてます」


《通路清掃を継続しますか》


「してください」


《了解》


清掃ドローンはそのまま床面へ戻った。

アイリスが目で追う。


「ちゃんと喋るね」


「最初はもう少し硬かったですよ」


「硬い?」


「同じ確認を何度もしたり」


ティルザが歩き出す。


「管制側のプロトコルを少し入れ直したら、かなりましになりました」


ミラはすでに壁面端末を確認している。


《居住ブロックC-02》


《空調――稼働》


《照明――82%》


《給水――洗浄要求》


《排水――正常》


《衛生設備――部分稼働》


《清掃――進行中》


「空調フィルターの劣化を確認」


「交換する?」


「はい」

 

ミラが整備支援機へ指示を送る。

少しして、大型艦ドックから箱が一つ運ばれてきた。


《搬送物――空調交換材》

 

ミラが封を開き、既存設備と見比べる。


「寸法が異なります」


「合わない?」


「そのままでは」


「駄目?」


「いいえ。既存の固定枠は使用できます」


ミラが別の箱から加工用の汎用材を取り出す。


「不足する部分だけ合わせます」


「作れる?」


「この程度であれば」

 

近くの整備支援機へ寸法データが送られる。


機体が汎用材を受け取り、必要な形へ加工を始めた。

 

数分後。


《空調フィルター――交換》


《流量――正常》


《微粒子濃度――低下》


「一つ終わった」


アイリスが言う。


「一つです」


ミラが返す。


「まだあります」


「分かった」


復旧作業は、そうした小さな積み重ねだった。

空調、照明、給水。古い設備を丸ごと新しいものへ換えるのではない。残っている物は使い、足りないところだけを自由港から運んできた部材で補っていく。ティルザが先に確認した記録と、アドミラルが接続後に得た診断結果。

その二つを重ねて使えるところから手を付けていく。

アイリスも作業に加わった。


「これ、どこ?」


交換済みの古いフィルターを抱えて訊く。


「廃棄対象です」


「じゃあ外?」


「通路側に回収箱があります」


「分かった」


運ぶ。戻る。

次はティルザが外した非常照明を受け取る。


「これは?」


「まだ使えます。そっちの卓へ」


「うん」


難しい整備はできなくても、手はある。物を運び、必要な物を分け、数を確認する。それだけでも、人手の少ない今は十分に役に立った。やがて、居住区奥の扉の前で作業が止まる。


《備品庫》


《開閉機構――応答なし》


「ここです」


ティルザが言った。


「開かなかったところ」


「中は?」


「記録では、生活設備用の備品庫です」


ティルザが手動解放パネルを開き、レバーを握る。力を掛けても、動かない。


「やっぱり駄目ですね」


ミラが近づいた。


「確認します」


点検板を外す。古い配線。

機械式ロック。複数の固定ピン。

内部を走査する。


「電動機構は停止しています」


「部品ある?」


アイリスが訊く。


「交換には専用品が必要です」


「持ってきた物じゃ駄目?」


「現時点では適合しません」


ティルザが扉を見る。


「後回しにしますか」


「その必要はありません」


ミラが立ち上がる。

腰へ手を伸ばした。

アイリスが気づく。


「あ」


取り出したのは、小型のレーザー拳銃だった。

自由港で、アイリスがミラへ渡したものだ。


「それ使うの?」


「はい」


側面の設定を操作する。


《OUTPUT――LOW》


《WORK MODE》


ティルザがレーザー拳銃を見る。


「それ、拳銃ですよね」


「作業用出力があります」


アイリスが答えた。


「ミラにあげたやつ」


「アイリスさんから?」


「うん」


 ミラは二人の会話を聞きながら、点検口の奥へ銃口を差し入れる。


「固定ピンが一本固着しています」


「切るの?」


「はい」


扉そのものを焼く必要はない。

ミラが狙ったのは、点検口の奥で戻らなくなっている一本の固定ピンだけだった。


「少し離れてください」


二人が下がる。

細い白光が走り、金属の一点だけが赤く変わる。

一度止め、角度を変えてもう一度。小さな金属音とともに、切断されたピンの一部が内部へ落ちた。


「終了しました」


ミラがレーザー拳銃を下ろす。

手動レバーへ手を掛けた。

一度引く。重い。もう一度力を掛けると、今度は内部機構が鈍い音を立てて動いた。


「開きます」


整備支援機へ指示を送り扉をゆっくりと押し開く。長く閉じていた備品庫。

照明を入れる。中には棚が並び、古い寝具や交換用照明、基地規格のフィルターケース、給水設備用の予備ユニット、簡易工具、食器、清掃用品が残されていた。


「……普通ですね」


ティルザが言った。


「何か期待してた?」


アイリスが訊く。


「開かなかったので、少しくらいは」


「秘密の何かとか?」


「そこまでは言ってません」


ミラはすでに棚の確認を始めている。


「複数の部品が使用可能です」


「こっちの方がいい?」


「はい」


古い給水ユニット。

規格そのものは、当然ファロスαに合っている。

ただし、内部の濾過材は使えない。

ミラが自由港から持ってきた部材情報と照合する。


「このケースは使用できます」


「中だけ換える?」


「はい」


基地に残っていた旧規格のケースへ、新しい濾過材を収める。接続部だけは規格が合わないため、自由港から持ち込んだ可変継手を介した。


「全部新しい物にするわけじゃないんですね」


ティルザが言った。


「その必要はありません」


「使える物は使う?」


「はい」


「いいですね」


ティルザが棚を見る。


「古い基地らしくなってきました」


「どういう意味?」


アイリスが訊く。


「ある物で何とかする感じです」


「エーテル・ガイストも割とそうだよ」


『否定はしない』


アドミラルが答えた。

それから数時間、復旧作業は続いた。


《空調系――復旧範囲拡張》


《給水ライン――洗浄開始》


《照明系統――91%》


《居住ブロックC-02――環境維持可能》


 ファロスαの中では、使える場所が少しずつ増えていく。一方、大型艦ドックに収まったエーテル・ガイストでも作業は続いていた。


《補助居住区――設備調整》


《二次電力系――接続》


《予備整備区画――稼働準備》


《艦内搬送支線――調整》


三人で生活している間は必要がなく、後回しにされていた場所だった。主要区画が整い、自由港で資材も補充できた今、そうした区画にも少しずつ手が入り始めている。作業を終えた頃には、居住ブロックの照明も朝より明らかに増えていた。


「今日はこのくらいですかね」


ティルザが施設図を見る。


「給水洗浄は?」


『自動継続する』


「空調は」


『安定している』


「整備支援機」


『二機とも待機状態へ移行する』


「なら」


ティルザが軽く肩を回した。


「今日は終わりですね」


「疲れた」


アイリスが腕を伸ばす。


「かなり動いてましたからね」


「ティルザさんも」


「私は昨日もです」


「じゃあ、もっと休まないと」


「そうします」


そこでアイリスが思い出したように言った。


「ご飯、一緒に食べる?」


「エーテル・ガイストで?」


「うん」


「なら、お言葉に甘えます」


「お風呂もあるよ」


「行きます」


返事が早かった。

アイリスが笑う。


「早い」


「今日は働きましたから」

     

 連絡通路を渡り、三人はエーテル・ガイストへ戻った。ティルザにとって、艦内をきちんと歩くのは初めてだった。主要通路には床も壁面も整い、照明と案内表示も揃っている。


ティルザは少し歩いたところで周囲を見た。


「……思ってたより普通ですね」


「何が?」


「もっと未完成っぽいのかと」


「前はもっとあったよ」


アイリスが言う。


「今はだいぶ減ったけど」


ミラが続ける。


「主要区画と主要導線については、概ね整備を終えています」


「じゃあ今やってるのは?」


「現在の乗員数では使用する必要がなかった区画です」


ちょうどその先で、通路が枝分かれしていた。


片側に黄色い表示。


《補助居住区》


《設備調整中》


《通行制限》


隔壁の向こうでは、作業ドローンが壁面内部の配線を整理し、小型搬送機が交換部品を運んでいた。


ティルザが足を止める。


「こういうところですか」


「うん」


アイリスも横から見る。


「今まで使わなかったところ」


「壊れてるわけじゃないんですね」


「区画によります」


ミラが答える。


「最低限の設備だけで停止していた場所もあります。途中で優先順位を下げた区画もあります」


「今はそれを起こしてると」


「はい」


ティルザは少し考えた。


「三人しかいなかったなら、確かに要りませんね」


「広いから」


「でしょうね」


ティルザは完成した主要通路と、その脇で整備を続けている補助区画を見比べた。


「未完成って聞いてましたけど」


少しだけ間。


「飛ぶのに困る船じゃないんですね」


『現在は』


アドミラルが答える。


「現在は?」


『本艦がクレイドルを離脱した時点とは状態が異なる』


「随分直したんですね」


『修復と整備を継続している』


「それでも、まだ手を入れる」


『必要があれば』


「なるほど」


ティルザはもう一度、作業中の区画を見る。


「大きな船ですね」


それは外から見た船体の大きさだけを指した言葉ではなかった。


 食堂区画。

席についたティルザは、運ばれてきた食事を見た


「……ちゃんとしてますね」


「何が?」


「食事です」


「ちゃんとしてるよ」


アイリスが向かいで答える。


「先輩も普段これを?」


「カインも同じだよ」


「そうですか」


ティルザは少しだけ考えてから。


「思っていたより、ちゃんと生活してるんですね」


『カインがか』


壁面に黄金の単眼が浮かぶ。


「そこ拾います?」


アイリスが笑う。


「カイン、そんなに生活できなさそう?」


「出来ないとは思ってませんよ」


ティルザは料理を一口食べる。


「食べる物には意外と好みがありますけど、自分からこういう暮らしを作る感じではなかったので」


「……分かるかも」


『否定材料は少ない』


「提督まで」


ティルザが笑った。

しばらくして。

アイリスが壁面表示を見る。


「カイン、まだかな」


『ノクスからの緊急信号は受信していない』


「予定は?」


『現在の推定では、まだ到着圏外だ』


「そっか」


『異常を示す情報はない』


「うん」


それだけだった。


カインは後から来る。ノクスで。

今のところ、三人が知っているのはそれだけだった。


食後、ティルザはアイリスに案内されて浴場へ向かった。扉が開いたところで、一度足を止める。


「……本当にお風呂ですね」


「言ったでしょ」


「もっと簡易的なものかと思ってました」


「ちゃんとしてるよ」


後ろからミラも入る。

少しして、三人は湯へ浸かっていた。

ティルザが肩まで沈み、ゆっくりと息を吐く。


「……これは」


「どう?」


「ファロスαのお風呂、明日直さなくてもいい気がしてきました」


「だめだよ」


「分かってます」


「本気だった?」


「少しだけ」


 ミラが静かに言う。


「給水系統洗浄終了後、衛生区画の点検を予定しています」


「逃げられませんね」


「はい」


返事は短かった。

アイリスが笑う。

入浴を終え、しばらくして。

三人は再び連絡通路の前に立っていた。


「泊まっていってもいいよ?」


アイリスが言った。


「部屋、余ってるから」


「ありがとうございます」


ティルザは少し考えてから、首を振った。


「でも今日は、向こうへ戻ります」


「ファロスα?」


「はい」


「もう寝られる?」


「私の部屋は使えますよ」


先に来た時、管制区画から近い居住区の一室を、自分で使える程度には整えてある。


「それに」


ティルザは接続通路の向こうを見る。

ファロスα。


「せっかく基地を起こしたのに、全員こっちで寝るのも変でしょう?」


アイリスも向こうを見る。


「そうかな」


「少なくとも私は、あっちで寝ます」


少しだけ笑う。


「灯台守ですから」


「そっか」


「はい」


「じゃあ、また明日」


「また明日」


ミラも頭を下げる。


「おやすみなさい、ティルザさん」


「おやすみなさい」


ティルザは一人。

連絡通路を渡った。


     

ファロスαの居住区。

照明は夜間設定まで落とされていた。ティルザが歩く通路には、昨日一人でここを通った時よりも多くの灯りが点いている。


清掃ドローンは壁際の充電設備に収まっている。


《充電中》


「お疲れ様です」


整備支援機も、それぞれの待機位置へ戻っていた。


 自室は小さな個室だった。寝台と卓、収納、壁面端末。それだけの簡素な部屋だ。

豪華ではない。それでも、一人で寝るには十分だった。ティルザは上着を脱ぎ、卓の脇へ置いた。寝台へ腰を下ろす。壁面端末を開く。


《PHAROS-α》


《大型艦ドック――正常》


《居住ブロックC-02――環境維持》


《給水系統――洗浄継続》


《整備支援機――待機》


《復旧用資材――搬入済》


さらに。


《接続艦――ETHER GEIST》


《状態――正常》


昨日まで、大型艦ドックには何もなかった。

居住区を歩く人間も、自分一人だった。

今は違う。ドックには一隻の巨大な艦がいる。向こうにはアイリスとミラがいて、止まっていた設備も少しずつ動き始めている。


「……灯台守も、少し楽になりましたね」


誰に聞かせるでもなく呟いた。

そしてその先にいるはずの、一人を思い出す。


「後は、先輩ですか」


当然、返事はない。ノクスはまだ来ていない。


《施設復旧処理――継続》


眠っている間もファロスαは止まらない。

少しずつ使える場所を取り戻していく。


「おやすみなさい」


ティルザは照明を落とした。

暗くなった個室の外では、昨日よりも増えた灯りとともに、復旧した空調の低い音が静かに続いていた。

作者のモチベになりますので、

★評価よろしくお願いします。

_| ̄|○何卒。

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