第74話:灯台守
旧式ドローンが足元で停止する。
《通路清掃を継続しますか》
ティルザは少しだけ笑った。
「してください」
《了解》
短い電子音。
白い筐体が向きを変える。
機体下部から伸びた清掃器具が床面へ触れ、低い駆動音を立てながら来た道をゆっくり戻っていった。ティルザはその背中をしばらく見送る。
「まだ働いているんですね」
当然。返事はなかった。
ドローンはもう、自分の仕事へ戻っている。
ティルザも前へ向き直った。目の前。
古い隔壁の上に残った文字。
《中央管制室》
その半分ほどは照明が落ちている。
扉脇の認証盤へ携行端末を近づける。
数秒。
《照合中》
《先行管理要員コード――確認》
《暫定権限を発行します》
扉の内側で、重い機構が動いた。
「……ちゃんと開く」
それだけで少し安心する。
ファロスαへ入ってから、開かない扉はもういくつも見た。
壊れているのか。
電力が来ていないのか。
権限が足りないのか。
それすら、その場では判断できない場所も多い。
管制室の扉が左右へ開いた。
暗い。ティルザが一歩入る。遅れて天井灯が一列だけ点いた。次、中央卓。壁面表示。管制席。
長く使われていなかった機器が、順番に最低限の明かりを取り戻していく。全部ではない。
三分の一ほどは沈黙したままだった。
中央に並ぶ複数の管制席にも人はいない。
大きな表示窓の向こうには、星だけがある。
かつてここには、何人もの管制員が座り。移民船。輸送船。護衛艦。補給艇。それらの航路を見ていたのだろう。
今はティルザ一人だった。
「さて」
中央卓へ近づく。
空いている席へ腰を下ろした。
端末を接続する。
《施設状態照会》
《認証を要求》
「ティルザ・レーヴェン」
《確認》
《管理要員》
《ファロスα――暫定管理権限を付与》
続いて。いくつかの権限が画面へ並ぶ。
居住区管理。通常区画開閉。施設内電力配分。ドック使用許可。入港識別登録。施設支援機管理。環境維持系統。一般保守記録。
その下。
《暫定管理責任者:TIRZA RAVEN》
ティルザは表示を見た。
「管理責任者」
少しだけ首を傾ける。
ファロス。昔、航路を支えた移動基地。
これから来る船を受け入れるために、先にここへ来た自分。
「……便宜上、灯台守ですね」
誰も聞いていない。
ティルザはそのまま操作を続けた。
まず電力。施設全体図が表示される。
緑。黄色。赤。そして。灰色。
「多いですね……」
灰色が。圧倒的に多い。
主電源そのものが死んでいるわけではない。
長期維持状態へ移行した際、必要のない区画を切り離し、最低限の系統だけを残したらしい。
管制室。一部居住区。環境維持。通信。
外部監視。清掃。最低限の設備。
そこまでは生きている。
一方。大型整備設備。工作区画。倉庫の一部。
下層区画。第二管制区画。
それらの多くは電力供給そのものが止まっていた。
「全部起こすのは無理ですね」
少なくとも。自分一人では。
ティルザは優先順位をつける。
まず大型艦ドック。次に居住。
物資搬送。最低限の整備。それ以外は後。
「……これで」
電力系統を閉じようとして。
別の項目が目に入った。
《施設支援機管理》
さっきのドローンを思い出す。
「そういえば」
開く。
《稼働機》
《清掃支援機――4》
《巡回点検機――1》
《運搬支援機――0》
《整備支援機――0》
「五機しか動いてないんですか」
登録数を表示する。
清掃支援機。二十数機。
点検機。複数。
運搬支援機。さらに多い。
整備支援機に至っては、その数だけならかなりのものだった。ただし。ほとんどに、
《休止》
あるいは。
《応答なし》
と表示されている。
「……後で見に行きますか」
ティルザは稼働中の四機を開いた。
一号機。居住区。
二号機。環境区画。
三号機。下層連絡通路。
そして。七号機。
《現在位置――中央管制区連絡通路》
《状態――清掃作業中》
「あ」
さっきの個体だった。
機体情報を開く。
古い。製造年代を見て。ティルザは一度、目を細めた。
「私よりずっと先輩ですね」
基本制御。清掃用判断機能。
障害物回避。施設端末連携。最低限の対人応答。
そこまでは有効。その下。
《対人応答拡張プロトコル》
《未導入》
「……拡張?」
選択する。
《施設支援機用対人応答プロトコル》
《ローカルアーカイブに適合パッケージあり》
《最終改訂――》
表示された年月を見る。
ティルザは少し黙った。
「これも古い」
外部ネットワーク上の最新型ではない。
当然だ。ファロスα内部に残っている、この基地が現役だった頃のものだ。説明を開く。
施設利用者からの要求理解。
簡易的な文脈保持。
設備情報への問い合わせ対応。
継続的対話補助。
使用者識別。
大したものではない。
高度な自律思考でもない。
ただ今の、
《了解》
《清掃中》
よりは、話が通じるようになるらしい。
適合判定。
《対応》
「……試してみますか」
対象。
七号機。
《現在作業中です》
《更新時、一時停止します》
「構いません」
《実行しますか》
「実行」
進捗表示。
10%
37%
65%
その間にもティルザは別の表示を開いた。
外部監視。反応なし。通信。限定稼働。
誘導信号。生存。入港管制。一部異常。
《更新完了》
《清掃支援機07――再起動》
《作業を再開しました》
ティルザは一度だけ表示を見る。
「終わりましたか」
それだけ。わざわざ様子を見に行くことはしなかった。向こうには向こうの仕事がある。
こちらにもある。
大型艦用ドック。
ティルザは巨大な空間を見上げた。
暗い。本来なら船体全体を照らす作業灯が並んでいたはずだが、今は外周の誘導灯が数本点いているだけ。整備足場。大型アーム。係留固定装置。搬送レール。どれも存在はしている。
だが。動かない。携行端末へ情報を呼び出す。
《構造強度――許容範囲》
《気密維持――正常》
《係留装置――八基中五基応答》
《自動入港誘導――限定》
《最終進入制御――停止》
「途中までは入れられる」
ティルザは表示を追う。
「最後はまた半手動……」
少し考える。
エーテルガイスト。
あの艦なら。
「アドミラルなら、どうにかしますか」
クレイドルから未完成の艦を動かしたAIだ。
ここまで進入できれば。
残りを任せても、そう簡単に壁へぶつけたりはしないだろう。たぶん。
「たぶん、ですけど」
誰もいないドックで付け加える。
次
保持アーム。応答はある。
動かない。駆動部固着。
次。
冷却材供給系。
一部圧力不足。
次。
搬送レール。
主電源なし。
「壊れているというより」
ティルザは周囲を見る。
「寝ている方が多いですね」
問題は。
起こし方だった。
自分は技師ではない。
状態確認。簡単な部品交換。
応急処置。その程度ならできる。
大型基地の電力分配を組み直し。
古い制御系を修復し。
大型艦用設備を再稼働させる。
そこまでは専門外だ。
「技術屋さんを手配しないと駄目ですね」
端末へ。
《専門技師必要》
追加。
いつ、誰を。そこまではまだ決められない。
まずは現状を把握する方が先だ。
ドック脇へ別の隔壁へ向かう。
《整備支援機格納区》
操作盤は消えていた。
「ここも電気なし」
非常開放機構。
生きている。
ティルザはレバーを握る。
引く。
「っ……」
動かない。
もう一度。
「こういう時は先輩がいると便利なんですけど」
金属の左腕なら。
たぶん何の苦労もなく開ける。
それでも。何とかロックを解除した。
隔壁を人一人通れるほど開ける。
携行灯。光を中へ向けた。
「……これは」
並んでいる。整備ドローン。
大型艦の船体作業用。
溶接。切断。補修。部品搬送。
何列もの機体が格納ラックへ収まったまま停止している。
ティルザが一機へ端末を接続した。
《診断不能》
《充電設備――電力供給なし》
二機目。同じ。
三機目。同じ。
「壊れているとは限らない」
少なくとも見た目に大きな損傷はない。
充電設備を起こせば何機かは使えるかもしれない。そうなれば、復旧作業はかなり変わる。
「……やっぱり技術屋さんですね」
ティルザは記録を残した。
《整備支援機複数確認》
《充電設備復旧後、個別診断》
その時。
以前カインから聞いた話を思い出した。
エーテルガイストには艦内工廠がある。
それだけなら大型艦として珍しくない。
問題はそこで何をしたか。
ノクス。そしてその姉妹船。
元になる船体や部材を使ったとはいえ、あの艦の中で手を入れ形にした。そんな話を。
カインは大したことでもないようにしていた。
「……船を作ったんでしたっけ」
眠った整備ドローンを見る。
制御基板。駆動系。電源設備。古い規格。
それらの交換部品を用意するくらいなら。
「もしかしたら直せたりします?」
もちろん。ここにはいない。
答えはない。
「まあ、来たら聞けばいいですね」
全部任せられるとは思わない。
基地と艦では設備も違う。
ファロスαは古い。
規格の合わない部品もあるだろう。
少なくとも。技術者を探すより、出来ることは増える。
ティルザは格納庫を出た。
管制区へ戻る途中、曲がり角の先から小さな駆動音が聞こえた。ティルザは歩調を少し緩める。
白い清掃ドローン。さっきの七号機がまだ同じ通路を掃除していた。
「……本当に続けていたんですね」
ドローンが止まった。
センサーがこちらを向く。
《はい》
ティルザも止まった。
少し待つ。
《管理者から指定された通路の清掃を継続しています》
「……」
さっきとは違う。
明らかに。
「更新、終わったんですね」
《対人応答拡張プロトコルの適用を確認しています》
「調子はどうです?」
《正常です》
「そうではなくて」
ティルザは少し考える。
「前より、話しやすくなりました?」
《質問内容を解析》
短い間。
《対人応答に必要な再質問回数は、更新前より減少すると予測されます》
「……随分マシになりましたね」
《肯定的評価として記録します》
「そういう返しなんですね」
《質問ですか》
「違います」
《了解しました》
ティルザは少しだけ笑った。
流暢とは言い難い。
アドミラルならこちらが何を意図しているのか。
もう少し先まで読んで答えるだろう。
この旧式清掃機は違う。
言われた言葉を受け取り。
必要なら少し前の会話を参照し。
答える。それだけ。
ただ一人で歩いている時の独り言よりは。
随分いい。
「これから居住区を見に行きます」
《了解しました》
「ついて来ます?」
短い停止。
《現在の担当区域外です》
「ああ。駄目でしたか」
《管理者命令による担当区域変更は可能です》
「どっちなんです?」
《通常指示では区域外です》
「では」
ティルザは歩き出す。
「管理者命令で、同行してください」
《了解しました》
ドローンが向きを変えた。
「案外、融通は利きますね」
《規定された範囲内です》
「そうですか」
二人。一人と一機。
静かな通路を進んだ。
居住ブロックはドック周辺より状態が良かった。空調。生きている。給水。限定。照明。
半分ほど。個室。いくつか使用可能。
「人が暮らせないことはないですね」
《居住可能区画を確認しています》
「分かるんです?」
《施設管理情報を参照できます》
「では、使える部屋を」
《検索》
数秒。
《現在位置から近い居住可能個室――七》
「結構ありますね」
《ただし》
「ただし?」
《全室、温水供給はありません》
ティルザは足を止めた。
「……そこは重要ですね」
《優先情報ですか》
「かなり」
《記録します》
「そこまでしなくていいです」
《了解しました》
一室目。照明不良。
二室目。空調異音。
三室目。扉が途中までしか開かない。
「ここも修理ですね」
《記録しますか》
「お願いします」
《記録》
「便利になりましたね」
《肯定的評価として――》
「それはもういいです」
《了解しました》
四室目。扉が開く。
照明も点いた。簡素な個室。
壁際のベッド。机。
収納。小さな衛生区画。
特別な物はない。
けれど。空気も悪くない。
「ここでいいですね」
《居住者登録を行いますか》
ティルザは室内へ入る。
「できます?」
《暫定管理者権限で可能です》
「ではお願いします」
《居住者名》
「ティルザ・レーヴェン」
数秒。
《登録完了》
入口脇。消えていた表示が点いた。
《使用中》
ティルザはそれを見る。
基地へ入ってから。停止。休止。供給なし。未確認。そんな文字ばかり見ていた。
だから。ほんの小さな表示なのに。
少しだけ目に残った。
「使用中、ですか」
《はい》
「一部屋目ですね」
《現在の居住者数――一名》
「それは数えなくても分かります」
《了解しました》
持ってきた荷物を床へ置く。
着替え。携行食。予備弾倉。
洗面用品。最低限。
ベッドを見る。
「これ、使えます?」
《使用可能です》
「最後に使われたのは?」
《確認します》
数秒。表示。
ティルザは。
答えを聞く前から少し嫌な予感がした。
《最終居住記録――三十二年前》
「寝具を替えましょう」
《推奨します》
「そこは意見が合いましたね」
収納を見る。
密封された予備寝具が残っていた。
包装状態。良好。
これなら使える。
「清掃できます?」
《可能です》
「では、ベッドと机をお願いします」
《了解しました》
小さな清掃アームが伸びる。
ティルザも古い寝具を外した。
静かな部屋。
布の擦れる音。
機械の駆動音。
それまで。長く誰も使っていなかった部屋に。
初めて生活の音が戻ってくる。
「あなた」
《はい》
「こういう仕事は得意ですね」
《清掃支援機です》
「そうでした」
《専門機能です》
「分かっています」
しばらくして。
ベッド。机。床。
最低限。使える状態になった。
ティルザは新しい寝具を整える。
「こんなものですか」
《清掃状態――良好》
「では、今日からここにします」
《居住区画として登録済みです》
「そうでしたね」
入口を見る。
《使用中》
それだけで。さっきより少し。
基地が廃墟ではなくなった気がした。
ティルザは端末を取り上げる。
「休むのは後です」
《現在時刻から休息を推奨しますか》
「まだしません」
《了解しました》
「大型ドックへ戻ります」
《同行しますか》
「今度はそちらから聞くんですね」
《直前の行動履歴を参照しました》
ティルザが僅かに眉を上げる。
「なるほど」
古い。けれど。
最初よりは確実に話が通じる。
「では、お願いします」
《了解しました》
大型艦ドック。
ティルザは中央操作卓の前へ立った。
先ほど確認した誘導系統。
通常電源は死んでいる。
ただ。補助系統からなら。
いくつか起こせる。
《外周誘導灯》
《補助電源への切替を実行しますか》
「実行」
一瞬。何も起きない。
次の瞬間。遠く。ドック外縁に一つ。白い光が点いた。少し遅れて二つ目、三つ目。点滅したが消える。
「二つですか」
《現在、二基が安定》
足元のドローンが答えた。
「一つよりはいいですね」
《はい》
ティルザは巨大なドックを見上げる。
まだ暗い。整備設備も眠っている。
開かない場所もある。何が残っているのか分からない区画も。いくつもある。技術屋も必要だ。
部材も。時間も。それでも。
エーテルガイストが来れば。
アドミラルに一度見せられる。
船を造れるほどの設備があるなら。
何か出来るだろう。少なくとも。
今よりは。
「灯台守としては」
《質問ですか》
ティルザは足元を見る。
「独り言です」
《了解しました》
少しだけ笑う。もう一度。
光の向こうへ目を戻す。
「まず、船が入れるようにしておかないとですね」
《大型艦入港予定がありますか》
「あります」
《登録しますか》
「まだいいです」
《了解しました》
暗いドックの外。
二つの誘導灯が。
宇宙へ向かって点いている。
小さな灯りだった。
けれど。何十年も船を迎えていなかった基地には。それで十分だった。
ティルザは端末へ次の確認項目を開く。
「では、もう少し見て回りましょうか」
《了解しました、管理者》
ティルザの指が止まる。
「……管理者」
《登録上の権限名称です》
「灯台守でいいですよ」
《権限名称に該当しません》
「そうでしょうね」
ティルザは歩き出した。
小さな駆動音がその後ろからついてくる。
ファロスαはまだ眠っている。
だがほんの少しずつ。起こす準備は始まっていた。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




