第68話:行き先の支度
一方、その頃。
エーテル・ガイストの食堂区画では、自由港を離れるための準備が進められていた。
長いテーブルの上に置かれた端末画面には、自由港で購入できる食料品が並んでいる。
保存料理。果実の加工品。菓子。飲料。調味料。
見慣れた料理もあれば、アイリスには名前すら分からない物もあった。
食堂区画の自動調理機で使う合成食材については、すでにアドミラルとミラが選定を終えている。肉や魚を再現する蛋白基材。穀物や野菜の原料。油脂。出汁やスープの基材。栄養を補う添加材。現在の艦内食に、特に問題があるわけではなかった。自動調理機が作る料理は種類も多く、味も悪くない。アイリスも満足している。
カインも、食事について文句を言ったことはなかった。もっとも、カインの場合は、本当に満足しているのか、食べられれば十分だと思っているのか分かりにくい。
だから今回選んでいるのは、不足を埋めるための食料ではない。自由港を離れた後、時々違う味を楽しむための物。そして、アイリスが食べてみたいと思った物だった。
「これは?」
アイリスが一つの商品を開いた。
赤いソースで肉と豆を煮込んだ保存料理。
細かく刻んだ野菜と、複数の香辛料が使われている。
「少し辛味の強い料理だと思います」
隣に座るミラが答えた。
「以前、自由港でいただいた煮込み料理に似ています。ただ、こちらの方が香辛料は多いようです」
「私でも食べられる?」
「食べられると思いますが、そのままでは少し辛いかもしれません」
「カインは?」
「カインさんは問題なく召し上がると思います」
アイリスは使用されている具材を確認する。
見慣れた肉と豆。野菜。香辛料。
不自然な添加物は記載されていない。
「消費期限は?」
『三十七日だ』
食堂区画の壁面モニターに、アドミラルの黄金の単眼が浮かんでいた。
「短い?」
『他の保存料理と比較すれば短い』
「三人で一回ずつ食べる分なら?」
『期限内に消費できる』
「ミラも食べるよね」
「はい」
「辛いけど」
「実際にどの程度の辛さなのか、私も興味があります」
「じゃあ、三つ」
『承認する』
アイリスが注文一覧へ加える。
自由港で売られている食料は、写真と値段だけで選ぶことができない。
消費期限が書き換えられている物。
中身を安価な品へ詰め替えた物。
認可されていない添加物が含まれている物。
表示とは異なる合成食材を使った物もある。
アイリスが商品を開くたび、アドミラルが製造元と流通記録を確認していた。
次に選んだのは、透明な容器に入った果実の瓶詰めだった。赤や紫の小さな実が、薄い色の糖液へ漬けられている。
「これ、食べてみたい」
『製造番号を確認中』
黄金の単眼が小さく明滅した。
『流通記録との一致を確認』
『消費期限に改変なし』
『使用されている果実および保存料にも問題はない』
「どんな味?」
「使用されている果実は、以前アイリスさんが召し上がった物より酸味が強い種類です」
ミラが商品情報を確認する。
「ただ、糖液に漬けられていますので、甘味の方が先に感じられると思います」
「カインも食べるかな」
「カイン様が、ご自分から果実を選ばれることは少ないです」
「嫌いなの?」
「残されたことはありません」
「じゃあ、出したら食べる」
『その可能性は高い』
アイリスは少し笑った。
「それ、好きってことじゃないよね」
『嗜好を断定できる記録が不足している』
カインも、食事について文句を言ったことはなかった。好みがないわけではない。ただ、今ある食事で困っていなければ、自分から品目を増やそうとはしない。そして、
「カインに聞いても、今ので困ってないって言うかもだから」
『予測される回答と一致する』
「だから、私が食べてみたい物も選ぶ」
『それでいい』
思っていたより、柔らかい返答だった。
「いいの?」
『長期間生活する場合、食事の種類と楽しみも考慮すべきだ』
「気分のため?」
『肯定する』
アドミラルの声は普段と変わらない。
けれど、アイリスが食べてみたいと思ったことを、不要な理由として扱うことはなかった。
『アイリスが興味を持ったことも、選定理由になる』
「じゃあ、二つにする」
『消費期限と積載量に問題はない』
「一つは、ファロスαに着いてから開ける」
『了解した』
アイリスは瓶詰めを注文へ加え、飲料の一覧を開いた。濃縮果汁。紅茶。乾燥させた香草。
粉末飲料。コーヒー。
「今、艦で飲んでるコーヒーはこれ?」
アイリスが、見覚えのある容器を指した。
『現在使用している粉末コーヒーだ』
湯へ溶かせば、すぐに飲める。
保存しやすく、味も安定している。
カインは朝や作業の合間に、それを濃くして飲んでいた。
「カイン、何も言わないよね」
「現在の物に不満はないのだと思います」
ミラが答えた。
「食堂区画のお料理についても、残されることはほとんどありません」
「私も、今のコーヒーや料理が嫌なわけじゃないよ」
『理解している』
「でも、せっかく自由港にいるから」
アイリスは一覧を、豆から淹れるコーヒーへ切り替えた。
自由港の植物工場で栽培された豆。
外部の宇宙都市から運ばれ、自由港で焙煎された物。複数の種類を混ぜた物。
同じコーヒーでも、値段も説明も大きく違っていた。
「ちゃんと豆から作った物を、カインに買いたい」
『粉末コーヒーから変更する必要性は低い』
「変更じゃないよ」
アイリスは画面を見ながら答える。
「いつもの物も積む。こっちは、たまに飲むため」
『嗜好品として追加するのか』
「うん。せっかくなら」
アドミラルは少し間を置いた。
『妥当だ』
「カインが好きそうな物、分かる?」
『カラスに保存されていた、アトラス隊時代の嗜好データを参照する』
「そんな記録もあるの?」
『搭乗前後に摂取した飲料と、生体状態の変化が記録されている』
商品一覧が絞り込まれる。
『苦味は強め』
『酸味は少ない』
『濃い抽出を選択する傾向がある』
『砂糖の使用頻度は低い』
「今の飲み方と同じだね」
『大きな変化はない』
候補として三種類の豆が表示された。
一つは輸入品。
一つは自由港の大型植物工場で作られた物。
最後の一つは、自由港の小規模な栽培区画で育てられ、港内の店で焙煎された豆だった。
「これが自由港で作られた物?」
『肯定する』
「カインの好みに近いのは?」
「こちらだと思います」
ミラが三つ目の商品を示した。
「深く焙煎されていて、苦味が強く、酸味は控えめです」
『カラスの記録とも最も近い』
「じゃあ、これにする」
『必要量を指定せよ』
「えっと…少し多めに」
『粉末コーヒーも別に積載する』
「分かってる。でも、次に同じ物を買えるか分からないから」
『保存期間を考慮し、適量を算出する』
アイリスは商品説明を下まで読んだ。
「豆を挽いたり、淹れたりする道具は?」
『不要だ』
「…いらないの?」
『食堂区画の自動調理機へ豆を投入すれば、粉砕と抽出を自動で行う』
「入れるだけ?」
『飲料の濃度と量を指定する必要はある』
「それなら簡単だね」
『現在の粉末コーヒーと操作工程に大きな差はない』
粉末コーヒーでも、カインは何も言わない。
豆から淹れた物を出しても、たぶん大げさには喜ばない。それでも、一口飲んだ時に少しだけ反応が変わるかもしれない。
それで十分だった。
『アイリス』
「何?」
『カインの飲料だけを選び、自分の物を選択していない』
「私は、あんなに苦いのは飲まないよ」
『理解している』
「私は…紅茶か、ハーブティーがいい」
「でしたら、こちらはいかがでしょうか」
ミラが一つの商品を表示した。
渋味が弱く、果実の香りを加えた紅茶。
「これまでアイリス様が好まれた飲み物に近いと思います」
「甘い?」
「香りは甘いですが、糖分はほとんど含まれていません」
「じゃあ、これ」
『製造元と使用されている材料に問題はない』
アイリスは紅茶を注文へ加えた。
その隣には、複数の香草を混ぜたハーブティーも表示されている。
「こっちは?」
「香りが穏やかで、食後や就寝前に飲みやすい物です」
「それも少し買う」
『了解した』
一覧の下には、栽培用の小さなキットもあった。香草の種子と苗。培養材。
成長を管理するための簡易容器。
「これ、エーテル・ガイストで育てられる?」
『植物栽培区画で育成可能だ』
「…育ったら、お茶に?」
『飲用可能な品種が含まれている』
「料理にも使えます」
ミラが内容を確認する。
「ミントに近い香草と、柑橘に似た香りの葉が入っています」
「これも買いたい」
『短期的な補給にはならない』
「すぐ使うためじゃないよ」
アイリスは画面に表示された苗を見る。
「育てて、いつか自分たちでお茶にしたいの」
黄金の単眼が静かに明滅する。
『暮らすための選択と判断する』
「うん」
『購入を承認した』
栽培キットが注文一覧へ加わる。
自由港を離れるために必要な物だけを積むのではない。艦で暮らしていくための物も選ぶ。その違いを、アドミラルは分かってくれていた。
「ファロスαにも、植物を育てる場所はあるのかな」
『植物栽培に使用されていた区画は存在する』
「使える?」
『現時点では不明だ』
「どんなところなの?」
名前と、自由港の次に向かう場所だということは聞いている。けれど、詳しいことまでは知らなかった。
『人類の宇宙進出初期に建造された移動補給基地だ』
『エーテルに頼らない動力、旧式通信設備、居住区、工廠、補給設備、簡易ドックを備えている』
「古い基地?」
『エーテル技術が一般化する以前に建造されている』
「使いにくい?」
『現在の設備と比較すれば、使いにくい』
「でも、そこに行くんだよね」
『利点がある』
「見つかりにくいから?」
『肯定する』
『軍公式記録上は廃棄された施設となっている』
『エーテル反応を発しないため、現在の探査でも発見されにくい』
「直したら、暮らせるかな?」
『その可能性はある』
「中がどうなってるかは、まだ分からないんだよね」
『肯定する』
『ライナ・ヴェルグから提供された保守記録は古い』
『動力、生命維持設備、ドックのいずれも、現地での確認を必要とする』
「誰か、先に調べに行ってるの?」
『その情報は共有されていない』
「そっか」
使えるかどうかも分からない古い基地。
空気が残っているのか。
水を再生する設備が動くのか。
エーテル・ガイストを入れられるのか。
名前と記録だけでは分からないことが、いくつもある。
「…危なくない?」
『危険が存在する可能性はある』
大丈夫だと、アドミラルは言わなかった。
けれど、アイリスを不安にさせるために答えているわけでもなかった。
『到着前に外部走査を行う』
『安全を確認できない場合、本艦を接近させない』
『ファロスαを使用することは決定事項ではない』
「行ってみて、危なかったら別の場所へ行く?」
『肯定する』
『本艦と乗員の生存を優先する』
それが、アドミラルなりの答えだった。
「少しは不安だよ」
『否定する必要はない』
「でも、行ってみたい」
『その選択も記録する』
「記録するの?」
『アイリスが、どこで暮らしたいと考えるかは重要だ』
アイリスは、注文一覧へ加えた栽培キットを見た。
「ファロスαを、暮らす場所にできるかな」
『現地を確認し、我々がそう選択した場合は可能だ』
《秘匿通信を受信》
端末の表示が切り替わった。
「カイン?」
『否定する』
黄金の単眼が通信表示へ向く。
『送信者はライナ・ヴェルグ』
「ライナさんから?」
『宛先はカインだ』
カインは今艦の外にいる。すぐに戻るかどうかは分からない。
『ファロスαに関する物資調達依頼との識別情報が付与されている』
「買物の話なら、先に見てもいい?」
『副艦長権限で代理確認できる』
「見せて」
『了解した』
通信内容が端末へ開かれる。
《カインへ》
《ファロスαに残された保守記録と、現在取得できる遠隔情報を照合しました》
《現地設備を使用する場合に備え、自由港で調達可能な物資の確保を可能ならお願いします》
《すべてを揃える必要はありません》
《規格の差異に対応できる、加工可能な汎用品を優先してください》
その下に並んでいたのは、空気と水、居住区、ドックを使えるようにするための部品だった。
空気循環設備用の交換フィルター。
飲料水再生設備用の濾過材。
旧式扉に使用する気密材。
配管用の可変継手。
旧規格対応の電力変換器。
耐熱電線と接続端子。
非常用照明。
携帯型の環境測定器。
簡易ドック用の接続部材。
「いっぱいある」
『基地全体を修理するための量ではない』
「最初に使う場所を直すため?」
『そのようだ』
通信の末尾には、ライナからの短い補足があった。
《入手が困難な物を、無理に探す必要はありません》
《焦って目立つことのないよう、調達先と配送を分散してください》
《アトリー元帥からは、くれぐれも無茶をしないように、とのことです》
「カインに言ってるんだよね」
『肯定する』
「聞くかな」
『状況による』
アイリスは少し笑い、調達品の一覧へ戻った。
「どれから選べばいい?」
『アイリスが一人で選ぶ必要はない』
「でも、私が先に見たから」
『用途と優先順位は私が提示する』
『ミラも補助する』
『アイリスは説明を聞いた後に確認すればよい』
任せると言いながら、分からない物まで押しつけてくることはない。
アドミラルは、アイリスが判断できる形へ整えてから渡そうとしている。
「うん。それならできる」
「まずは、空気と水に関係する物を優先しましょう」
ミラが一覧を見ながら言った。
「設備が動いていても、そのまま使用できるとは限りません」
「フィルターと濾過材?」
「はい。それから、状態を確認するための測定器も必要です」
『気密材と配管用継手は、複数の用途へ転用できる』
「電力変換器は?」
『一部は本艦で製造可能だ』
「買わなくていい?」
『現地設備との適合を確認するため、一基は購入する』
「見本にもなる?」
『肯定する』
アイリスは食料の一覧を残したまま、隣に工業部材の販売網を開いた。
同じ用途に見える部品が、いくつも並んでいる。
「これは使える?」
『対応規格が限定されている』
「こっちは?」
『加工すれば使用可能だ』
「じゃあ、こっち」
『価格は高い』
「使えない物を買うよりいいよ」
『同意する』
フィルター。濾過材。気密材。測定器。
一つずつ、アドミラルとミラの説明を聞いて選んでいく。先ほどまで食料品を選んでいた時と、していることはそれほど変わらない。
味の代わりに用途を確認する。
消費期限の代わりに耐用期間を見る。
使用されている具材の代わりに、材質と対応規格を調べる。
分からないことを聞き、納得してから選ぶ。
「アドミラル」
『何だ』
「ライナさんに返事を送って」
『内容を指定せよ』
「カインは外にいるから、私が先に確認したって」
「買える物は、店を分けて押さえる」
「エーテル・ガイストで作った方がいい物は、こっちで用意する」
「それと、詳しい寸法が分かった物は送ってほしいって」
『副艦長からの返答として作成する』
アドミラルが、アイリスの言葉を簡潔な文章へ整える。送信前の内容が表示された。
『確認を要求する』
アイリスは最初から読み直した。
「…うん…大丈夫」
『送信する』
《送信先:ライナ・ヴェルグ》
《代理確認者:アイリス》
通信が暗号化され、送り出される。
「選ぶ物、増えたね」
『積載量には問題ない』
「時間は?」
『十分にある』
「カインが戻るまでに終わらせられる?」
『現在の進行速度ならば可能だ』
「じゃあ、続けよう」
アイリスは、食料品と補修部材の一覧を並べた。
食べてみたい物。
カインのために選んだ、本物のコーヒー豆。
自分が飲む紅茶と、いつか育てる香草。
ファロスαで空気と水と灯りを取り戻すための部品。どれも、これから暮らすために必要な物だった。次の商品を開こうとした時。
《秘匿通信を受信》
端末の上に、新しい表示が重なった。
アイリスの指が止まる。
黄金の単眼が、通信の認証を始めた。
《識別符号照合》
《送信者――カイン・ウォーカー》
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




