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トリニティ・ガイスト:亡霊と少女と軍神の航跡  作者: ベルシア


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第67話:ポケットの中の医者

静かになった自由港の裏道を、カインは一人で歩いていた。

送風機の低い唸り。

古い配管を流れる冷却水の音。

遠くを通過する貨物車両の振動。

先ほどまで響いていた銃声も、金属同士がぶつかる音も、すでに聞こえない。

4人組は退いた。

追跡屋も、切断された作業用アンドロイドの腕を抱えて姿を消した。

ブラッド・ハウンドが周囲を走査する。


《周辺熱源を照合》


《敵性反応なし》


《追跡信号なし》


《遠隔監視機器、検出なし》


少なくとも、今すぐ戻ってくる気はないらしい。

カインは懐へ手を当てた。

遮蔽ケースの中には、半壊したスティレットが収められている。

制御翼を損傷し、床へ叩きつけられた一機。

内部焼却を試みた痕跡はあるが、完全には消えていない。

アドミラルへ渡せば、何か拾える可能性がある。

問題は、持ち帰る物だけではなかった。

左肩に鈍い痛みが走る。

カインは歩調を僅かに落とした。

上着の肩口は斜めに裂けている。

その下から滲んだ血が、防護布の内側を濡らしていた。

スティレットに掠められた傷だ。

戦闘中は気にならなかった。

緊張が解けるにつれて、傷は存在を主張し始めている。

腕を動かすたび、皮膚の奥で何かが引っかかるような感覚もあった。


「…ちっ…」


カインはブラッド・ハウンドへ身体走査を指示した。

視界の端に人体の簡易図が浮かぶ。

走査範囲が左肩へ絞られた。

皮膚。

皮下組織。

筋繊維。

血流。


義眼が読み取った情報が、半透明の層となって重なっていく。


《左肩外側に裂傷》


《出血継続》


《筋組織損傷:軽度》


《主要血管損傷なし》


《骨格損傷なし》


《運動機能への重大な影響なし》


「大した傷じゃないな」


そう呟いた直後、黄色い表示が追加された。


《高密度反応を検出》


《再走査を推奨》


カインは足を止めた。

ブラッド・ハウンドの走査出力を上げる。

傷の周囲へ赤い格子が重なった。


《皮下組織内に複数の異物反応》


《検出数:四》


《金属系物質の可能性》


《詳細材質:判定不能》


「一つじゃないのか」


四つの反応は、狭い範囲に散らばっていた。

一つは皮膚のすぐ下。

二つは筋肉の表層。

残る一つは、傷の端から僅かに外れた位置へ入り込んでいる。

いずれも一ミリ前後。

肉眼で見つけるには小さすぎる。

スティレットから欠けた金属片かもしれない。

戦闘中に砕けた通路の外壁材かもしれない。

ガントリーの装甲、配管の接続部、跳ねた弾片。

候補はいくらでもあった。

カインは周囲を確認する。

このまま血を流しながら歩けば、自由港でも目立つ。

裏通りを抜ければ、人の多い区画へ入る。

まずは外から見えない程度に抑える必要があった。

カインは途中の分岐を曲がった。

使われなくなった資材保管区画へ入る。

積み上げられた外壁材。

交換待ちの配管部品。

長期間動かされた形跡のない貨物箱。

照明は半分ほど切れていた。

人の気配はない。

カインは棚の陰へ入り、背中を壁へ預けた。

上着を脱ぐ。左肩の防護衣服は、鋭い刃物で削られたように裂けていた。

傷は肩の外側から背中寄りへ斜めに走っている。

深くはない。

だが、複数の細かな傷が重なり、血が途切れずに滲んでいた。


カインは携行用の応急キットを開いた。

中身は軍用の最低限の物だ。

洗浄剤。

止血用の圧迫材。

凝固促進剤。

固定用の包帯。

皮膚保護膜。

鎮痛剤。


本格的な治療を行うためのものではない。

戦場から離脱するまで身体を動かし続けるための装備だ。

カインは傷の周囲へ洗浄剤を流した。

固まりかけていた血と、細かな防護服の繊維が流れ落ちる。

鋭い痛みが肩を走った。

表面を拭う。

傷口の奥に金属片は見えない。

ブラッド・ハウンドの走査像では位置を確認できるが、右手だけで肩の傷を開き、四つの微細な異物を探すのは無理があった。

カインは凝固促進剤を止血材へ含ませた。

それを傷口へ押し当てる。

右手で一定の圧力を加える。

十秒。二十秒。止血材へ血が広がる。

完全には止まらない。

だが、傷口から流れ出る量は減っていった。


《出血量低下》


《応急止血を確認》


さらに圧迫を続ける。

止血材の表示が赤から黄色へ変わったところで、カインは肩へ固定した。

その上から包帯を巻く。

腕の動きを妨げず、止血材がずれない程度に締める。

左腕を一度上げる。痛みはある。

出血も完全には止まっていない。

それでも、血が腕を伝い、床へ滴る状態ではなくなった。


「これでいい」


《皮下異物は残存》


「分かっている」


携行用の応急キットでは、ここまでだ。

金属片を残したままでも、すぐに動けなくなるわけではない。

だが、傷を動かすたびに内部を傷つける可能性がある。

汚染された破片なら、後から炎症を起こす。

エーテル・ガイストへ戻れば、医療区画で処置できる。

しかし、艦外へ出るたびに負傷の処置で戻るのでは、行動範囲が艦の周囲に縛られる。

これから必ずエーテル・ガイストへ戻れるとは限らない。

小型船。戦闘翼機。移動基地。

敵の追跡。艦と分断される状況はいくらでも考えられる。


自由港の医者についても、信用に足る相手へ心当たりも無い。そもそも診療所の場所を知らなかった。闇医者なら記録は残さないだろうが、腕と口の堅さを保証するものもない。


「一々戻るわけにもいかんな」


持ち歩ける医療手段が必要だった。


診断。異物の摘出。止血。傷の閉鎖。

自分で手の届かない場所でも処置できる機械。

以前訪れた店が頭に浮かんだ。

壊れた機械。市場から消えた旧式品。

用途を失った小型ドローン。

使える物を修理し、次の持ち主を待たせている店。


 トイ・ボックス。


「あるかもしれないな」


カインは上着を着直した。

肩口を圧迫しないよう位置を調整する。

遮蔽ケースを確認。武器を戻す。

資材保管区画を出た。


     


ジャンクバザールは、何事もなかったように動いていた。

部品を積んだ台車。

値段を言い争う商人。

火花を散らす溶接機。

低空を飛ぶ運搬ドローン。

機械油と焦げた配線の臭い。


少し離れた区画で戦闘があったことなど、ここにいる者たちには関係がない。

知っていたとしても、商売を止める理由にはならないのだろう。

カインは人の流れへ混じり、トイ・ボックスへ向かった。

扉が開く。

外の喧騒が一段遠ざかる。

店内は以前と変わらず整えられていた。

小型玩具。

旧式端末。

修復された補助アーム。

用途の分からない箱型機械。


棚に並べられた品には埃がなく、どれもすぐに動かせる状態へ整備されている。

店の奥にいたコフレが顔を上げた。

人間に近い輪郭。

滑らかな人工皮膚。

落ち着いた服装。

自然に見える仕草の中に、僅かな正確さがある。

視線の焦点が切り替わる速さ。

音を立てずに重心を移す動き。

人型アンドロイドであるコフレは、カインへ静かに一礼した。


「いらっしゃいませ」


「邪魔する」


「本日は、お一人なのですね」


「ああ」


棚の近くから二機の小型ドローンが出てくる。

ラッチが、ぴこ、と鳴いた。

ヒンジが、きゅい、と続く。


二機はカインの前まで来ると、揃って左肩を見上げた。


「見るな」


ぴこ。

きゅい。


「心配しているようです」


「そうは聞こえない」


「二機なりの表現です」


コフレの視線も肩口へ向いていた。


裂けた上着。

包帯による僅かな膨らみ。

拭ききれなかった血の跡。

だが、何があったのかとは尋ねない。


「本日は、何をお探しでしょうか」


「医療用のドローンはあるか」


「医療用ですか」


「持ち歩ける物がいい」


カインは左肩を指した。


「止血はした。だが、皮下に複数の異物が残っていてな」


「材質は判明していますか」


「金属らしいということだけだ」


「傷の原因は聞いても?」


「刃物に掠められた。近くで壁や機械も砕けている」


嘘ではない。

コフレも、それ以上は訊かなかった。


「必要な機能は、異物の摘出と創傷処置でしょうか」


「診断、洗浄、止血、縫合までできれば助かる」


「少々お待ちください」


コフレの瞳が僅かに収束した。

店内在庫へ接続しているらしい。

数秒後、彼女はラッチへ顔を向けた。


「ラッチ。十二番保管棚にある本体をお願いします」


ぴこ。


「ヒンジは、同じ棚のメディックポーチを」


きゅい。


二機が棚の間へ走っていく。

先に戻ってきたラッチが運んでいたのは、薄い灰色の端末だった。

一般的な携帯端末とほぼ同じ大きさ。

片手に収まり、上着の内側へ入れても邪魔にならない。中央には擦れた企業標章。


その下に、四文字の製品略称が刻まれていた。


 Y.A.B.U.


ヒンジが運んできたのは、小型の硬質ケースだった。


腰の装備ベルトへ固定できる大きさ。

ポーチと呼ぶには硬い。

角は衝撃吸収材で覆われ、接合部には防水と防塵の密閉機構がある。


「こちらです」


コフレが薄型端末を作業台へ置いた。


「ポケットシリーズの生命支援用ドローンです」


「正式名称は」


「イールド・オプティマイズド・アダプティブ・バイオサポート・ユニット」


「長いな」


「成果最適化型適応生命支援ユニットと訳されていました」


コフレは外装の文字を示す。


「製品略称は、Y.A.B.U.です」


「ヤブか」


「販売当時、利用者や販売員からそう呼ばれていたようです」


「医療機器には向かない呼び名だな」


「開発企業も、通称としての使用は推奨していませんでした」


「だが、呼ばれたか」


「正式名称より短かったためと思われます」


コフレが側面の起動部へ触れる。

青い表示灯が点いた。


《生命支援基幹ユニット起動》


薄型端末の四隅が開いた。

内部に折り畳まれていた細い処置アームが展開する。


一本。


二本。


三本。


四本。


それぞれが複数の関節を備え、本体の長さを超えるまで伸びた。


先端には共通の接続部がある。

背面から薄い安定翼。

下部の小型浮遊機構が起動し、本体が作業台から浮き上がった。


「四本もあるのか」


「異なる作業を同時に行うためです」


固定。洗浄。吸引。縫合。


一本ずつ異なる器具を使えば、補助者を必要としない。


「薬剤や専用器具は、こちらのメディックポーチへ収められています」


コフレが硬質ケースを示した。

Y.A.B.U.が短い信号を送る。


ケースの表示灯が点いた。


《対応医療ケースを確認》


《同期開始》


メディックポーチの側面から、小型の浮遊機構が展開した。


硬質ケースが作業台から持ち上がる。


Y.A.B.U.の隣まで移動し、一定の間隔を保って静止した。


「ポーチも浮くのか」


「処置中、必要な器具をすぐ交換できる位置へ追従します」


ケースの固定具が自動で解除された。

蓋が開く。

内部の収納区画がせり上がり、Y.A.B.U.の処置アームへ向けて並ぶ。

洗浄用ノズル。吸引用の細管。微細鉗子。

縫合器。注射用アタッチメント。

薬剤パッケージ。止血材。

皮膚接着材。


器具の一つ一つが、アームの接続規格へ合わせて小型化されていた。


「本体と器具は別々か」


「本体を小型化するためです」


「本体だけでは処置を完結できないな」


「折り畳み式アームによる圧迫、診断、救難信号の発信などは可能です。薬剤や専用器具を必要とする処置には、メディックポーチとの接続が必要です」


「メーカーは、これ以外にも出していたのか?」


「用途に応じた専用ポーチを複数販売していました」


 コフレはそれだけを答えた。


「だが、廃盤になったと」


「後に他社が、医療機能と生存支援機能を一台へまとめた製品を発売しました」


「一体型か」


「はい。大型でしたが、一台で標準的な医療処置と生存支援を行えました」


「命に関わるなら、多少大きくても確実な方が選ばれる」


「その結果、ポケットシリーズは市場を失いました」


カインは浮遊する小さな本体を見る。

性能で負けたわけではない。

使い勝手と市場で負けた機械だ。


だが、カインが求めているのは救助隊用の大型機ではない。

常に持ち歩けること。

その条件なら、こちらの方が合っている。


「傷を診られるか」


「ブラッド・ハウンドと接続できれば、内部走査情報を利用できます」


「接続規格を知っているのか」


「以前、ミラ様が義眼用の補助部品をご覧になった際、医療情報の出力規格を確認しております」


「余計な情報は渡していないだろうな」


「医療用途に必要な範囲のみです」


 カインはブラッド・ハウンドの外部接続を開いた。


許可するのは身体情報だけ。

体温。脈拍。血圧。

血中酸素濃度。

筋肉と血流の状態。

傷周辺の走査像。

戦闘支援機能、個人記録、索敵情報への接続は遮断する。


《外部生命支援機器から接続要求》


《識別:Y.A.B.U.》


《限定接続を許可》


 Y.A.B.U.の光学センサーが明滅した。


《外部走査装置と同期》


《生体情報を取得》


小型機体がカインの周囲を半周する。

左肩の前で静止した。


《左肩外側に裂傷》


《応急止血処置済み》


《出血継続:軽微》


《皮下異物反応》


《外部走査情報と照合》


ブラッド・ハウンドが検出した四つの反応が表示される。Y.A.B.U.は独自の光学・音響走査を重ねた。


赤い点が一度消える。

位置が再計算される。


《異物反応を再検出》


《検出数:五》


「…増えたな」


《微細異物一個を追加検出》


《最大長:一・八ミリメートル》


《最小長:〇・四ミリメートル》


《摘出処置を推奨》


ブラッド・ハウンドだけでは、傷口近くにある最小の破片を拾い切れていなかったらしい。


「五つ全部取れるか」


《処置可能と判断》


「やれ」


コフレが店内の奥にある作業台を示した。


「こちらへお掛けください」


カインは上着を脱ぎ、包帯と止血材を外した。

傷口から血が僅かに滲み始める。

滴り落ちるほどではない。

だが、応急処置を外せば再び流れ出す程度には残っていた。

Y.A.B.U.とメディックポーチが、カインの左肩側へ移動する。


本体が肩の前。

ポーチがその斜め後ろ。

二つは常に一定の距離を保ち、通信と位置情報を同期していた。


《処置領域を設定》


《局所麻酔を選択》


メディックポーチの内部区画が回転する。

注射用アタッチメントと局所麻酔の薬剤パッケージが前へ出た。


 Y.A.B.U.の一本目のアームが注射器具を掴む。


接続部へ取りつける。

二本目は洗浄ノズル。

三本目は吸引管。

四本目は傷口固定用の小型支持具を装着した。

四本の腕が、それぞれ別の道具を備える。


《薬剤照合》


《アレルギー反応記録なし》


《投与量を算出》


《処置許可を要求》


「許可する」


《処置を開始》


傷口の周囲へ複数回に分けて局所麻酔が注入された。


一度に深く入れない。

傷の外側から少量ずつ。

肩に冷たい感覚が広がる。

数秒後、鋭かった痛みが鈍くなった。


《痛覚反応低下を確認》


 注射器具をつけたアームがメディックポーチへ伸びる。ケース側の保持具がアタッチメントを受け取る。アームはその場で接続を解除。

代わりに微細照明と拡大センサーを備えた器具を掴んだ。

本体とポーチだけで処置が進んでいく。

洗浄ノズルが傷口へ滅菌液を送り込む。

吸引管が血液と洗浄液を回収。

支持具が傷の縁を必要な分だけ開いた。

創部の奥が見える。

ブラッド・ハウンドの拡大視界に、Y.A.B.U.の走査情報が重なった。


《異物一を視認》


最初の破片は、皮膚のすぐ下にあった。

黒い線のような金属片。

照明用アタッチメントが外される。


 アームがメディックポーチから微細鉗子を選び、接続した。鉗子が傷口へ入る。破片を挟む。

ゆっくりと引き出す。

細い金属片が処置灯を反射した。


《異物一、摘出》


メディックポーチの端に、小型の検体容器がせり出す。鉗子が金属片を内部へ落とす。

蓋が自動で閉じた。


《異物二の位置を確認》


二つ目は筋肉の表面へ浅く刺さっていた。

支持具が角度を変える。洗浄液が血を流す。

吸引管が視界を確保。

微細鉗子が破片を掴み、抜き取る。


《異物二、摘出》


三つ目はさらに小さい。

鉗子では掴みにくい形だった。


Y.A.B.U.が動きを止める。


《器具変更》


 鉗子を外す。

メディックポーチ側の器具区画が回転し、微細吸着端子が前へ出た。

アームが接続する。

先端が破片へ触れる。

弱い磁気と吸着膜を併用し、周囲の組織を引かずに金属片だけを持ち上げた。


《異物三、摘出》


「便利な手だな」


《処置中の会話は、身体を動かさない範囲で行ってください》


「喋っただけだ」


《肩周辺の筋活動を検出しました》


「…細かいな」


 四つ目は傷口の端から僅かに外れた位置へ入り込んでいた。

表面から真っ直ぐ器具を入れれば、正常な組織を余計に傷つける。

Y.A.B.U.はブラッド・ハウンドの立体走査像を回転させた。


《摘出経路を再計算》


支持用アームが傷口の角度を変える。

洗浄ノズルが細い水流を送り、組織の隙間を開く。吸着端子が奥へ入る。一度停止。

僅かに方向を変えた。先端が金属片へ触れる。


《異物四、摘出》


四つ目は薄い板状だった。

外へ出ると、僅かに曲がっている。

通路の外壁片にも見える。

機械の外装片にも見えた。

五つ目は最も小さい。

ブラッド・ハウンドだけでは検出できなかった破片だ。


傷口の縁に張りつくように残っている。


《最小異物を確認》


《直接摘出による組織損傷:軽微》


《処置を継続》


吸着端子を外す。

さらに細い把持器具へ交換。

二本のアームが傷の縁を固定する。

三本目が洗浄。

四本目が破片を掴む。

肉眼では、何をしているのか分からないほど小さな動きだった。

ブラッド・ハウンドの拡大視界にだけ、器具の先端が映る。

微細な金属片が引き出された。


《異物五、摘出》


《全検出位置を再走査》


洗浄液が傷の奥へ送られる。

吸引。再走査。


《高密度異物反応なし》


《残留異物、検出なし》


カインは検体容器を見る。

五つの金属片。

細い物。薄い物。

黒く変色した物。

形は揃っていない。


「同じ材質か」


《簡易分析を実行》


《金属系複合素材》


《熱変性および表面汚染を確認》


《全検体が同一材質である可能性:判定不能》


コフレが表示を確認する。


「複数の素材が混じっている可能性もあります」


「壁と機械の両方かもしれんな」


コフレは、それ以上の事情を訊かなかった。

Y.A.B.U.が再び傷口へ向き直る。


《創部洗浄を継続》


低圧の滅菌液で内部を洗う。

吸引管が汚れと細かな組織片を取り除く。

損傷した部分だけを識別し、微細な切除器具で整える。削るのは、血流を失ったごく薄い組織だけだった。


《活動性出血を二箇所確認》


アームが器具を交換する。

微細圧迫端子。局所止血剤。

二つの出血点を同時に押さえる。

止血剤が薄い膜となって広がり、血液と反応して固まった。


《止血を確認》


《神経損傷なし》


《筋膜損傷:軽度》


《創傷閉鎖を開始》


傷は表面だけを接着すればいい状態ではなかった。内部に小さな空間が残れば、血液が溜まる。

Y.A.B.U.は吸収性の細い縫合糸を選択した。一本のアームが傷の縁を保持。

もう一本が縫合針を操作する。

深い部分を二箇所だけ縫い合わせる。

筋肉を強く締めつけず、隙間だけを閉じる。

続いて皮膚の縁を揃える。

表面は連続縫合ではなく、複数の小さな固定。

最後に皮膚接着材を薄く塗布し、伸縮性のある被覆膜で覆った。


《創傷閉鎖完了》


《出血なし》


《残留異物反応なし》


《感染危険度:低》


《左肩への高負荷動作を十二時間制限》


カインは肩をゆっくりと動かした。麻酔が効いているため、痛みは薄い。だが、傷口の奥にあった引っかかるような感覚は消えていた。腕の動作も滑らかだ。


「応急キットとは違うな」


《応急処置は、処置設備への到達まで状態を維持する目的があります》


《本機は、携行可能な範囲で診断および治療を実施します》


正論だった。

先ほどの応急処置では、血が滴らない程度に抑えることしかできなかった。

金属片は残ったまま。

傷の奥の出血も続いていた。

この機体は、五つの異物を一つずつ取り出し、洗浄し、内部から傷を閉じた。

しかも、カイン自身では手の届きにくい左肩を、補助者なしで処置している。

単独行動中に負傷した場合、その差は大きい。


「使えるな」


「正常に処置を完了しています」


Y.A.B.U.の四本のアームがメディックポーチへ伸びる。

使用済みの器具を回収区画へ戻す。

別の区画から洗浄用アタッチメントを取り出し、アームと接続部を順番に洗浄。

簡易滅菌を行う。

処置が終わると、メディックポーチの内部区画が収納位置へ戻った。蓋が閉じる。

硬質ケースはY.A.B.U.の隣から作業台へ移動し、静かに着地した。

四本のアームも折り畳まれ、本体内部へ収まる。

安定翼が閉じる。再び、一般的な携帯端末ほどの薄い板状へ戻った。


「いくらだ」


「購入されますか」


「ああ」


コフレが価格を表示する。


「Y.A.B.U.本体、充電器、携行用保護ケースがこちらです」


「メディックポーチもつけろ」


「先ほど使用した薬剤と消耗品は、新しい物へ交換いたします」


「予備も欲しい」


「標準補充パックを二組でよろしいでしょうか」


「ああ。アタッチメントも一式」


「承知しました」


ラッチとヒンジが棚へ向かう。


ぴこ。


きゅい。


二機は滅菌済みの鉗子、吸着端子、縫合器具、止血材、洗浄液、麻酔薬、被覆膜を集め始めた。

カインはY.A.B.U.を手に取る。軽い。

上着の内側へ収まる。

メディックポーチも、腰の装備ベルトへ固定できる大きさだ。

両方を持っても、大型の救急機器より遥かに小さい。


「所有者登録は必要か」


「緊急時の自動処置を使用されるのであれば」


「俺だけ登録する」


「承知しました」


コフレが設定画面を開いた。


「ブラッド・ハウンドとの接続条件は、現在の状態を保存しますか」


「ああ。医療情報だけだ」


「体温、脈拍、血圧、血中酸素濃度、筋肉状態、血流、身体走査情報に限定します」


「それ以外へは接続させるな」


「設定しました」


「意識を失った場合は、自動処置を許可する」


「重大な生体異常を検知した場合、応答を待たずに起動します」


「メディックポーチが近くになければ」


「本体のみで診断、気道確保、圧迫止血、救難信号の発信を行います。薬剤や交換器具を必要とする処置は実行できません」


「十分だ」


Y.A.B.U.の表示灯が点滅した。


《所有者生体情報を登録》


《登録者:カイン・ウォーカー》


《外部接続を医療用途へ限定》


《緊急生命支援機能を有効化》


《左肩への高負荷動作を十二時間制限》


「それは一度聞けば分かる」


《医療上必要な警告です》


「同じ警告は繰り返すな」


《設定変更の条件を指定してください》


「状態が悪化した時。制限値を超えた時。それ以外は、一度通知した内容を繰り返さなくていい」


《警告通知条件を変更》


《同一内容の再通知を抑制》


《状態悪化時、または制限値超過時に再通知します》


「それでいい」


コフレが僅かに首を傾けた。


「警告頻度を下げられる方は、あまり多くありません」


「同じことを二度言われるのが嫌いなんだ」


「警告を守るのであれば、問題はないと思われます」


「それは保証できん」


《発言内容を記録しました》


「それも記録するな」


《記録対象から除外》


「今度は早いな」


ラッチが、ぴこ、と鳴く。

ヒンジが、きゅい、と続いた。


二機とも、どこか笑っているように聞こえた。


カインは支払いを済ませた。

Y.A.B.U.本体を上着の内側へ収める。

メディックポーチを腰の装備ベルトへ固定。

走行と抜刀の邪魔にならないよう、やや後ろへ位置をずらす。

予備の薬剤と交換用アタッチメントは、小型ケースへまとめてもらった。

検体容器も受け取る。

中には五つの微細な金属片。

何の破片なのかは分からない。

艦へ戻ってから調べればいい。


「世話になった」


「お役に立てたのであれば幸いです」


カインは上着を着直した。

肩を動かす。

Y.A.B.U.の表示灯が一度だけ黄色く点いた。

だが、先ほどと同じ警告は繰り返さなかった。

設定変更は反映されている。


「聞き分けは悪くないらしいな」


《設定に従っています》


「そうか」


「今度はアイリスたちも連れてくる」


ラッチが、ぴこ、と鳴いた。

ヒンジも、きゅい、と続く。


「お待ちしております」


カインはトイ・ボックスを出た。

ジャンクバザールの騒音が戻ってくる。

上着の内側にはY.A.B.U.。

腰にはメディックポーチ。

持ち物は増えていた。だが、どれも無駄ではない。医者がいない場所。

エーテル・ガイストへ戻れない状況。

意識を失い、自分では何もできなくなった時。

この小さな機械は、少なくとも生き延びるための手を動かしてくれる。

旧式でも構わない。廃盤でも構わない。

必要な時に動くなら、それで十分だった。

カインは人の流れへ入り、エーテル・ガイストへ続く道を歩き出した。

Y.A.B.U.は何も言わなかった。

上着の内側で、小さな作動灯だけが静かに明滅していた。

作者のモチベになりますので、

★評価よろしくお願いします。

_| ̄|○何卒。

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