第66話:網を断つ者
通路の奥で、影が動いた。
最初に姿を現したのは、人型の作業用アンドロイドだった。
くすんだ外装。
剥げかけた民間整備会社の標章。
太い腕部。
肩から背にかけて、二本の補助フレームが折り畳まれている。
港湾区画で荷を運ぶ機械より人に近く、軍用アンドロイドより地味な姿だった。
自由港を歩いていても、誰も気には留めない。
少なくとも、人間の目には。
カインの右目――ブラッド・ハウンドは、その外見を信用しなかった。
赤い走査線が機体をなぞり、視界の端へ解析結果を浮かべる。
ピピッ!
《外装密度異常》
《関節駆動出力、民間作業型基準を逸脱》
《内部フレーム、軍用規格に類似》
無骨な頭部に収められた光学センサーが、カインを捉えた。
《対象確認》
低い合成音声が通路に響く。
《カイン・ウォーカーと断定》
名前まで把握している。
確認のために来たわけではない。
最初から、相手は自分を知っていた。
カインは崩兼元を鞘から抜く。
刃が薄暗い照明を拾った。
「お出ましか」
《敵性判断》
肩の奥で、駆動音が鳴る。
《近接制圧を開始》
次の瞬間、アンドロイド――ガントリーが踏み込んだ。
速い。
重量のある外見からは想像できない加速だった。
踏み込みだけで、床の古い鋼板が沈む。
太い右腕が横薙ぎに振るわれた。
カインは身体を沈める。
拳が頭上を通過し、背後の壁面へ突き刺さった。
装甲板がへこむ。
内部を走る配管が破れ、白い冷却蒸気が噴き出した。ガントリーは壁へ打ち込んだ右腕を引き抜き、そのまま反対の腕を振り下ろす。
カインは崩兼元を斜めに当てた。
正面から受けるのではない。
刀身を滑らせ、拳の軌道を外へ逃がす。
金属同士が擦れ、火花が散った。
衝撃が刀身から義手へ伝わる。
重い。
まともに受ければ、崩兼元ではなく腕ごと持っていかれる。
ガントリーは流された勢いを殺さなかった。
左手で壁を掴み、身体を引き寄せる。
壁面を支点にし、脚部を横へ振り抜いた。
カインは身を屈める。
蹴りが頭上を抜け、反対側の壁を砕いた。
装甲片が飛び、頬を掠める。荷役作業用の動きではない。狭い場所で人間を追い詰め、逃げ場を奪うための格闘動作だった。
カインが間合いを取ろうとした瞬間、ガントリーの背部でロックが外れた。
折り畳まれていた二本の補助アームが展開する。一方が右側の壁へ。もう一方が左側の床へ。
杭のような先端が打ち込まれ、通路を狭めた。
同時にガントリー本体が正面から迫る。
カインは右へ動く。
そこには補助アームがある。
左へ逃げれば、ガントリーの身体と壁に挟まれる。後ろへ下がる空間も、少しずつ削られていた。
「なるほど」
カインは低く呟く。
「逃がさないわけか」
拳が迫る。
崩兼元の柄尻を当て、軌道をわずかにずらした。
完全には流せない。
衝撃が義手を抜け、生身の肩まで痺れさせる。
続けて膝。半歩引いてかわす。肘。
刀身で受け流す。
横から補助アームが迫る。
刃で弾き、身体を入れ替える。
ガントリーは止まらない。
右。左。正面。
補助アームまで含めた四肢が、カインの間合いを削っていく。
狭い通路では、ガントリーの身体そのものが武器だった。
人間より強く、作業機械より器用で、自由港へ溶け込める。
目立たず接近し、確実に仕留める。
この場所へ送り込まれた理由が分かる。
ガントリーの右拳が再び迫る。
カインは崩兼元を引き、上着の内側へ手を伸ばした。
抜いたのは、大口径リボルバー。
自由港へ来る前、エーテル・ガイストの艦内工廠で製造したハードターゲット用火器だった。
装甲目標。機械体。強化外殻。
通常の拳銃では止められない相手を、少ない弾数で撃ち抜くための銃。
六発式のシリンダーには、弾薬型エーテルカートリッジが装填されている。
高貫通。高反動。少ない装弾数。
人間相手には過剰だが、目の前の機械にはちょうどいい。
カインは後方へ跳び、ガントリーとの間に距離を作った。
リボルバーを構える。
照準は胸部装甲の継ぎ目。
発砲。轟音が補修通路を叩いた。
高圧縮エーテル弾が装甲板の隙間へ突き刺さる。
焦げた金属片が飛び散り、ガントリーの上体が揺れた。
だが、止まらない。
《胸部外装損傷》
《稼働に影響なし》
「だろうな」
反動を義手で抑え、照準をずらす。
二発目。
右肩関節。
弾丸が保護板を貫き、内部の駆動部へ食い込んだ。
回転音が乱れる。
ガントリーの右腕が、ほんの一瞬だけ遅れた。
カインはその遅れへ踏み込む。
崩兼元を肩関節の隙間へ滑り込ませた。
刃が保護板を裂く。
火花が散り、内部のケーブルが数本切れる。
だが、腕を落とすには浅い。
ガントリーは損傷した右腕を強引に振るった。
カインは身を引く。
拳は胸元を外れた。
それでも風圧と接触寸前の衝撃で、身体が後方へ弾かれる。
背中が壁へ叩きつけられた。
息が詰まる。
口の中に、鉄の味が広がった。
隠れた追跡屋が息を呑む音が、遠くで聞こえた。
「化け物かよ……」
「…軍用だからな」
カインは口元の血を拭う。
「タフで当然だ」
ガントリーが再び迫る。
撃ち抜かれた肩を庇う様子はない。
損傷を無視し、決められた動作を続けている。
カインはリボルバーを構え直した。
三発目。狙いは右膝。発砲。
弾丸が関節装甲を裂き、内部へ食い込む。
ガントリーの姿勢がわずかに崩れた。
ほんの一瞬。それで十分だった。
カインは床を蹴る。
崩兼元を逆袈裟に走らせた。
狙いは首ではない。胸部でもない。
先ほど弾丸を撃ち込んだ右肩。
歪んだ関節保護板の継ぎ目へ、刃が食い込む。
今度は深い。内部フレームへ届いた。あと一太刀。カインが刀を返そうとした瞬間、ブラッド・ハウンドが赤く瞬いた。
《警告》
《高速飛翔体》
反射で身を捻る。
細い金属光が、直前まで頭のあった場所を通り抜けた。背後の壁へ突き刺さる。一本。
続けて二本目。三本目。
三本の細い飛翔体が、冷却蒸気の中を滑ってくる。
スティレット。
カインは崩兼元を振るった。
一閃。
甲高い金属音が響く。
刀身は一本を捉えた。
だが、斬れない。
衝突する寸前、スティレットが軌道を変えた。
崩兼元の刃を滑り、外側へ逃げる。
壁へぶつかることもなく空中で旋回し、再び切っ先をカインへ向けた。
《飛翔体三》
《遠隔誘導》
《軌道予測、継続更新》
「厄介だな」
蒸気の向こう。
ガントリーの後方に、小柄な人影が見えた。
外套の下に薄いパワードスーツ。
白に近い肌。
胸元へ片手を添えた、年若い試作体。
ノイン。
三本のスティレットが、その周囲を飛んでいる。
さらに後方と上方に、人間の反応が二つ。
女兵士。男兵士。
前へ出ているのは、ガントリーとノインだけ。
残る二人は、戦場を見ている。
カインはノインへ向かって踏み込んだ。
その瞬間、ガントリーが身体ごと割り込む。
盾だ。損傷した肩も、撃ち抜かれた膝も無視し、ノインへの線を塞いでいる。
カインはリボルバーを構えた。
四発目。胸部中央。
最初の弾丸で緩んだ装甲板へ撃ち込む。
外装が内側へへこみ、内部で何かが砕けた。
ガントリーの身体が大きく揺れる。
それでも倒れない。
《胸部内部フレーム損傷》
《防壁行動、継続》
「命令に忠実だな」
返答の代わりに、スティレットが襲いかかった。
右から一本。左上から一本。
床すれすれに三本目。
三方向から、互いの退路を塞ぐ軌道。
カインは右の一本を崩兼元で弾いた。
義手で壁面の配管を掴み、身体を引き上げる。
床を走った一本が、靴底のすぐ下を抜けていった。左上から来た一本が急角度で軌道を変える。
壁へ身体を固定したカインの脇腹を狙う。
カインは配管から手を離した。
落下しながら身を捻り、切っ先をかわす。
そのまま壁を蹴った。
狙うのはガントリーの右肩。
弾丸と刃で傷つけた関節。
ガントリーが右腕を上げる。
駆動が遅い。
カインは裂け目へ崩兼元を合わせた。
火花。鈍い抵抗。
刃が内部フレームへ食い込む。
カインは義手を刀の背へ当て、全体重を乗せた。
金属の関節が悲鳴を上げる。
ガントリーが身体を捻った。
補助アームがカインの背を狙う。
同時に、弾いたスティレットが後方から戻ってきた。
ピピッ!
《警告》
カインは避けなかった。
ここで身を引けば、刃が浅くなる。
スティレットが左肩を掠めた。
防護服が裂け、血が飛ぶ。
鋭い痛みが走る。
それでも力を緩めない。
次の瞬間、崩兼元が関節を断ち切った。
ガントリーの右腕が肩口から離れる。
人工筋繊維とケーブルが火花を散らし、機械腕が宙を舞った。カインは崩兼元から義手を離した。
落ちてきた機械腕の手首を掴む。
中空フレームと人工筋繊維で構成された腕は、見た目ほど重くない。
振り回せる。投げられる。
三本のスティレットが、再びカインを囲む軌道を組み始めた。
カインは掴んだ手首を軸に、機械腕を振った。
そのままノインへ向けて投げる。
試作体の身体を直接狙ったわけではない。
ノインの視界と、三本の飛翔体が作る軌道の間。
切り落とされた機械腕が、回転しながら横切った。ノインの目が飛来するガントリーの腕へ動く。
避けるか。スティレットで弾くか。
判断を迫られる。
ほんの一瞬。
三本を操る意識が散った。
一本のスティレットが、わずかに高度を落とす。
カインはその隙を逃さない。
崩兼元を返した。
一閃。
今度は逃がさなかった。
軌道を乱したスティレットを刀の腹で叩き、床へ打ち落とす。
切断ではない。側面の制御翼を潰す。
細い飛翔体が床を跳ね、火花を散らしながら壁際まで滑っていった。
ノインが小さく息を呑む。
「一本停止」
上方の整備足場から、男の声が飛んだ。
「制御翼損傷。遠隔復帰不能」
「記録を続けて」
女の声が短く返す。
カインはすでに動いていた。
右腕を失ったガントリーの脇を抜ける。
ノインまでの距離が詰まる。
残るスティレットは二本。
左右へ大きく開き、カインの死角へ回り込む。
ブラッド・ハウンドの警告が視界を走った。
《右上》
《左後方》
《同時反転予測》
右を斬る。
弾く。
左をかわす。
踏み込む。
右の一本が刀身を滑り、頬を掠めた。
細い赤い線が走る。
左の一本が義手へ当たり、表面に火花を散らす。
装甲板に浅い傷が刻まれた。
構わない。
カインは止まらない。
ノインの目が、初めて揺れた。
ガントリーを損傷させ、スティレットを一本落とし、それでも迫ってくる男。
あと二歩。
カインが間合いへ入る。
あと一歩。
崩兼元が上がる。
ノインは動かなかった。
動けなかったのか。
それとも、命令を待っていたのか。
刃が届く直前。
右腕を失ったガントリーが飛び込んだ。
胸部装甲を砕かれ、膝関節を撃ち抜かれながら、残った左腕と自らの身体をノインの前へ差し込む。
カインの刀が、ガントリーの胸部装甲を斜めに裂いた。深い。
外装が割れ、内部フレームが露出する。
配線と人工筋繊維が火花を吹いた。
それでも、ガントリーは倒れない。
《防壁行動、継続》
「…しつこいな」
カインは刀を押し込み、ガントリーごとノインへ迫ろうとする。
ガントリーの左腕が崩兼元を掴もうと伸びる。
カインは刀を引き、手首を斬り払った。
完全な切断には至らない。
だが、指の駆動が止まる。
ガントリーの光学センサーが激しく点滅した。
《右上肢喪失》
《胸部フレーム損傷》
《左手部駆動低下》
《防壁行動――》
その時、上方から小さな筒が落ちた。
床で一度跳ねる。白い煙が爆ぜた。
濃い煙幕が、足元から一気に広がる。
同時に、天井の古い照明が明滅した。
白煙。点滅する光。二本のスティレット。
ガントリーの熱源。
複数の警告が、ブラッド・ハウンドの視界へ重なる。
右目が補正を始める。
その処理が終わるより先に、銃声が響いた。
一発。二発。
狙いはカインではない。
天井を走る冷却配管。
弾丸が古い接続部を撃ち抜く。
高圧の冷却蒸気が破裂し、通路全体を白く塗り潰した。
「撤退」
女の声が響く。
迷いのない命令だった。
ガントリーが残った左腕でノインの前を塞ぎ、そのまま後退する。
ノインも下がった。
残る二本のスティレットだけが、カインの追撃を阻むように旋回する。
上方から二本目の煙幕が落ちた。
白煙が重なる。
再び銃声。
通路脇の照明が撃ち落とされ、辺りが暗闇に沈んだ。
暗闇と蒸気の向こうで、人影が離れていく。
カインは踏み出した。
だが、床へ落ちたスティレットが小さく震える。
ピピッ
《警告》
《内部温度上昇》
《焼却処理と推定》
カインは即座に距離を取った。
落ちた一本が、白い火花を吹く。
爆発ではない。
内部の制御部と記録だけを焼くための処理だ。
制御翼を潰された影響か、発熱は均一ではない。
カインは崩兼元の鞘を振るった。
スティレットを壁際へ弾き飛ばす。
床を滑り、火花を二度、三度と散らす。
やがて発熱が止まった。
煙の向こうで、ガントリーの足音が遠ざかる。
最初より不規則で、片側へわずかに傾いている。
ノインの気配も離れた。
二人は、横道を使って追跡線を切ったらしい。
カインは追わなかった。
相手は戦闘を長引かせる気がなかった。
接触し、反応を見て、退いた。
あの女の判断は速い。
損傷したガントリーも、追い込まれたノインも、使い潰すつもりはないらしい。
無理に追えば、自由港の裏通り全体を戦場にすることになる。配管を破り、火災を起こせば、関係のない者まで巻き込む。
相手の望む形ではない。カインの望む形でもなかった。やがて煙が薄れる。
床には、半壊したスティレットが一本残っていた。側面の制御翼は潰れ、外装の一部が焼けている。それでも、完全には壊れていない。
カインは崩兼元を構えたまま近づいた。
ブラッド・ハウンドで温度と通信反応を確かめる。
《発熱低下》
《遠隔信号なし》
《未知制御部材》
《微弱反応》
《解析推奨》
カインは義手を伸ばし、慎重に拾い上げた。
細い外見に反して、内部には複数の制御機構が詰め込まれている。
見覚えのない合金。
通常の誘導兵器とは異なる反応。
「土産にはなるか」
スティレットを遮蔽ケースへ収める。
アドミラルなら、残った制御系を読み取れるかもしれない。アイリスにも確認が必要になる。
「……終わったのか」
配管の陰から、追跡屋が顔を出した。
頬には煤がつき、顔色は白い。
「始まったところだ」
カインは敵の消えた通路を見る。
煙の向こうには、もう誰もいない。
だが、敵の輪郭は見えた。
冷静に引き際を判断する女兵士。
監視と戦場整理を担う男。
軍用の中身を民間作業機へ隠したアンドロイド。
三本のスティレットを操る試作体。
そして、その四人を選び、動かしている者。
相手はカインを捕まえるため、全てを賭けたわけではない。戦いながら観察していた。
武器。反応速度。スティレットへの対処。
こちらの動きを測り、必要な情報を得たところで引いた。カインはリボルバーのシリンダーを確認した。使ったのは四発。残りは二発。
銃をホルスターへ戻す。
崩兼元の刃についた煤を払い、鞘へ収めた。
床には、先ほど投げたガントリーの右腕が転がっている。外装には弾痕と刀傷。
切断部から人工筋繊維とケーブルが垂れていた。
カインは義手で手首を掴み、拾い上げる。
そのまま追跡屋へ放った。
「うおっ!」
追跡屋は慌てて受け止める。
勢いに押されて数歩よろめたが、落としはしなかった。
機械腕を抱えたまま、カインを見る。
「…何のつもりだ」
「持っていけ」
「いらねえよ、こんなもの」
「金になるだろ」
カインは淡々と言った。
「軍用部品だ。買い手はいくらでもいる」
追跡屋は機械腕へ目を落とす。
切断された関節。
弾痕の残る装甲。
焦げた人工筋繊維。
「こんなもん売ったら、どこから手に入れたか訊かれるだろ」
「好きに誤魔化せ」
「簡単に言うなよ」
「訳ありの部品を欲しがる奴くらい知っているだろ」
「知ってるけどよ……」
追跡屋は腕を抱え直した。
「それで、俺に何をさせる気だ」
「ここで見たことは他言無用だ」
男の表情が固くなる。
「…分かってる」
「機械のことも、飛んでいた刃のことも話すな。誰がいたかもだ」
「じゃあ、スロットには何て言えばいい」
「警告だけ伝えろ」
カインは追跡屋が抱える機械腕を指した。
「俺達を嗅ぎ回るのはやめろ」
「俺はもう懲りたよ」
「お前だけの話ではない」
カインの目が、男を真っすぐ捉える。
「スロットにも、他の追跡屋にも伝えろ」
声は静かだった。
だが、冗談に聞こえる余地はない。
「次は、お前達の腕がそうなると思え」
追跡屋は喉を鳴らした。
抱えている機械腕へ視線を落とす。
肩口から断ち切られた腕。
それを切り落とした男が、目の前に立っている。
警告の意味を理解するには十分だった。
「……分かった」
「聞こえないな」
「分かったよ」
追跡屋は声を強めた。
「スロットにも、他の連中にも言う。あんた達を追うなってな」
「ここで見たことは」
「話さねえ。警告だけ伝える」
「ならいい」
カインは男へ背を向けた。
「…待ってくれ」
追跡屋が呼び止める。
「俺は、もう帰っていいんだな?」
「ああ」
「本当に?」
「次はない」
追跡屋は機械腕を抱えたまま、しばらくカインの背中を見ていた。
「これ、売った金は俺がもらっていいんだよな」
「好きにしろ」
「後から返せとか言うなよ」
「言わない」
「本当だろうな」
カインが振り返る。
追跡屋はすぐに口を閉じた。
「……分かった。もう行く」
男は悪態をつきながら歩き出した。
見た目ほど重くはないとはいえ、人間の腕より太く、形も悪い。
肩へ担ごうとして失敗し、結局は両腕で抱える。
「こんなもん持って賭場へ入ったら、俺まで機械泥棒扱いされるぞ」
「裏口を使え」
「そういう問題じゃねえよ……」
それでも、機械腕を置いてはいかなかった。
金になるからか。
スロットへ警告を伝える証拠になるからか。
あるいは、ここへ置いてカインの気分を変えたくなかっただけか。どれでも構わない。
追跡屋は何度か振り返りながら、自由港の裏道へ消えていった。
焦げた金属と、冷却蒸気の臭いだけが残る。
カインは一度だけ、敵が消えた通路を振り返った。相手は退いた。
だが、何も残さなかったわけではない。
半壊したスティレット。試作体の姿。
ガントリーの戦闘能力。エリカとダリオの役割。
そして、敵がアイリスを探しているという事実。
ノインを使い潰さず、ガントリーに守らせ、引き際を現場へ任せていた。
ヴォルフの命令をそのまま実行するだけの者なら、もっと無理をさせたはずだ。
「…面倒な奴がいるな」
カインは懐の遮蔽ケースへ触れた。
微弱な振動が、手のひら伝わる。
エーテル・ガイストへ戻れば、アドミラルが解析する。アイリスにも確認しなければならない。
自由港を離れる準備も、急ぐ必要がある。
敵へ見せたものは十分だ。
そして、こちらも必要なものを持ち帰った。
次は、この小さな刃から相手の正体を探る番だった。カインは煙の残る補修通路へ背を向ける。
静かになった自由港の裏道を、一人で歩き出した。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




