特別編:三人で来るな、クレイドル
暑い日が続きますね。
ギャグ回IFトリニティ・ガイスト閣下と副官と英雄の航跡
※本編とは別の可能性。
※カイン、アトリー元帥、ライナ副官が三人でカリストを視察した世界線。
※ギャグ回だが、クレイドルは普通に地獄。
木星衛星カリスト。
氷と岩に閉ざされたその衛星の地下深くに、連合軍極秘研究施設は存在していた。
表向きの名目は、創世級建造計画の補助研究施設。高出力エーテル炉の寒冷地耐久試験。
長期閉鎖環境下での生命維持技術実験。
そして、未完成の巨大艦に関連する基礎設備の監査。
つまり、書類上は非常にまともだった。書類上は。
「カイン」
視察用シャトルの後部座席で、エドワード・アトリー元帥が口を開いた。
「なんだ、閣下」
カイン・ウォーカーは窓の外、白く凍ったカリストの地表を眺めたまま答える。
三人だけの時、彼の口調は少し砕ける。
英雄としてではなく、アトリーの懐刀としてではなく、長く付き合いのある面倒な上官に対する言葉だった。
アトリーは真顔で言った。
「この視察、嫌な予感がするか」
カインは即答した。
「する」
「どのくらいだ」
「閣下が同行すると聞いた時点で、普通の視察ではないと分かった」
「ひどいな」
「事実だ」
隣の席で端末を操作していたライナ・ヴェルグ副官が、視線を上げずに言う。
「私も同意見です」
アトリーが少し傷ついた顔をする。
「ライナまで」
「元帥が現地視察に同行する時点で政治案件です。さらに英雄カイン・ウォーカーを連れている時点で、武力案件です。私が同行している時点で、後処理案件です」
カインが小さく笑った。
「完璧な分析だな」
「ありがとうございます」
「褒めてない」
「軍務ですので」
アトリーは咳払いした。
「今回の目的を再確認する」
シャトル内部の空気が、少しだけ変わった。
アトリーは表情を落とし、静かに続ける。
「何者かが、私へ情報を流してきた。《人類の夜明け計画》という名の非公式研究が、クレイドルで進められていると」
カインの視線が鋭くなる。
「リーク元は」
「不明だ」
ライナが端末に複数の予算表を表示する。
「とある戦艦建造計画の予算に不備を発見しました。建造費として計上されている資材、人員、研究機材の一部が、艦本体の進捗と一致していません」
カインが眉をひそめる。
「横流しか」
「可能性はあります。ただし、通常の横領にしては規模が大きすぎます」
「つまり」
ライナが画面を切り替えた。
「建造計画の影で、別の計画が動いています」
アトリーが言う。
「それを確認するための内部視察だ」
カインは短く息を吐いた。
「なるほど。普通に最悪だな」
アトリーは薄く笑う。
「だが、お前がいれば多少は楽だ」
「俺を便利屋みたいに言うな」
ライナが淡々と言った。
「実際、便利です」
「副官まで言うか」
「事実です」
カインは諦めたように座席へ背を預けた。
「分かった。で、閣下」
「なんだ」
「ヴォルフ元帥には?」
「正式な視察通知は送った」
「返事は?」
アトリーはにこやかに答えた。
「歓迎する、とのことだ」
カインは目を細める。
「それは駄目な方の歓迎だろ」
ライナが頷く。
「ええ。非常に駄目です」
クレイドル到着後。
三人は施設正面区画で出迎えを受けた。
白い床。白い壁。白い照明。
白すぎて逆に胡散臭い通路。
カインは小声で言う。
「病院か、墓か」
ライナが即答した。
「どちらでも困ります」
通路の奥に、ホログラム投影装置が展開した。
青白い光が人型を結び、やがて一人の男の姿を形作る。
ヴォルフ元帥。
鋭い目。整えられた軍服。
人を安心させるためではなく、従わせるために作られたような笑み。
『ようこそ、アトリー元帥』
ヴォルフの声が通路に響いた。
『遠路はるばる、カリストまでご苦労なことだ』
アトリーは軽く頷く。
「重要施設の視察だ。苦労とは思わんよ」
『英雄カイン・ウォーカーまで連れてくるとは、ずいぶん大仰だな』
カインは無言でホログラムを見る。
アトリーが答える。
「私の護衛も兼ねている」
『なるほど。では、副官殿も保安要員か?』
ライナは表情を変えずに言った。
「私は予算と記録の確認担当です」
その瞬間、ヴォルフの笑みがほんの少しだけ止まった。本当に一瞬。
だが、カインは見逃さなかった。
「閣下」
「なんだ」
「今、嫌な顔をしたぞ」
アトリーは穏やかに言う。
「そうか」
ヴォルフの目がカインへ向く。
『相変わらず、よく見ているな。英雄』
カインは肩をすくめた。
「目がいいんでな」
ライナが小声で言った。
「片目は義眼ですけどね」
「そこは黙っててくれ」
アトリーが軽く咳払いした。
「ヴォルフ。まずは創世級関連区画を見せてもらう」
『もちろんだ。だが、その前に応接室で――』
「必要ない」
『……何?』
アトリーは笑顔のまま言った。
「視察は現場を見るものだ。茶を飲みに来たわけではない」
ヴォルフの笑みが、わずかに硬くなった。
『相変わらず騒がしい一行だ』
アトリーは平然と返す。
「信頼できる者を連れてきただけだ」
施設内部の案内は、最初こそ順調だった。
エーテル炉制御室。資材搬入記録。建造部材の保管庫。研究員の居住区画。
どれも表面上は整っている。
しかし、ライナの端末には次々と異常値が浮かんでいた。
「閣下」
「分かるか」
「ええ。保管庫の資材量が記録と一致しません。特に高純度エーテル結晶、神経接続系部品、医療用ナノマシン、培養槽関連機材」
カインが横から言う。
「艦を作る材料じゃないな」
「一部は艦にも使えます。ですが、この比率はおかしい」
アトリーの顔が険しくなる。
「何に使う」
ライナは一拍置いて答えた。
「人間です」
カインの足が止まった。
「……人間?」
「人体への接続、改変、維持。そう考えた方が数字が合います」
通路の空気が急に冷えた。
もともとカリストは寒い。
だが、それとは違う冷たさだった。
カインが低く言う。
「閣下」
「ああ」
アトリーは視線を上げる。
「予定変更だ。最深部を見る」
案内役の職員が慌てて前に出る。
「そ、そこは現在調整中でして、許可が――」
アトリーは一歩近づいた。
「私に許可を出す者が、この施設にいるのか」
職員は黙った。
カインが小声でライナに言う。
「同じ元帥権限、便利だな」
ライナは端末を操作しながら答える。
「便利ですが、後処理はすべて私に来ます」
「苦労してるな」
「あなたも原因の一つです」
「俺か」
「はい」
アトリーが前を向いたまま言う。
「先行くぞ」
最深部へ続くエレベーターは、明らかに通常の研究施設のものではなかった。
軍用隔壁。独立電源。生体認証。
そして、緊急時には区画ごと切り離せる構造。
カインが壁を軽く叩く。
「研究者を守るための設備じゃないな」
ライナが答える。
「閉じ込めるための設備ですね」
エレベーターが降下する。
深く。さらに深く。やがて扉が開いた。
そこに広がっていたのは、白い地獄だった。
透明なポッド。培養液。生命維持ケーブル。
壁一面の共鳴値ログ。失敗例、破棄、再調整、適合率。その単語が、端末に流れていく。
ライナの顔から血の気が引いた。
「これは……」
アトリーの声が低くなる。
「ヴォルフ……」
カインは奥へ歩く。
ブラッド・ハウンドが反応を拾う。
《生命反応あり》
《観測不安定》
カインは眉をひそめた。
「生きてるな」
奥の隔離ポッド。
そこに、少女がいた。
痩せた身体。胸部に埋め込まれた、心臓のような人工器官。
アイリス。
まだ名前を知らない少女。
カインはポッドの前で足を止めた。
「子どもだぞ」
誰に向けた言葉でもなかった。
だが、答えたのはヴォルフだった。
通路の壁に再びホログラムが浮かび上がる。
『子どもではない』
ヴォルフ元帥は、穏やかな声で言った。
『人類の次段階へ至るための器だ』
カインの目が細くなる。
ライナが端末を握り締める。
アトリーは、しばらく何も言わなかった。
それから、静かに問う。
「これが、人類の夜明けか」
『そうだ』
ヴォルフは誇るように言う。
『エーテルに適応する肉体。共鳴に耐える精神。旧人類の限界を超える、新たな器。人類は進化しなければならん』
アトリーは低く言った。
「そのために子どもを使ったのか」
『犠牲ではない。礎だ』
カインが一歩前へ出る。
「便利な言葉だな」
ヴォルフの視線がカインに向く。
『英雄なら分かるはずだ。人は大義のために死ぬ』
カインは言った。
「自分で選んだならな」
沈黙。ヴォルフの表情が消える。
カインは続けた。
「この子が選んだようには見えない」
ライナがポッドの制御に侵入する。
「元帥、ポッド解除を試みます」
ヴォルフが笑った。
『無駄だ』
アトリーが言う。
「ライナ」
「はい」
「全記録を抜け。証拠は残す」
「了解」
ヴォルフのホログラムが揺らぐ。
『アトリー。そこまで踏み込むなら、戻れなくなるぞ』
アトリーは静かに答えた。
「戻るつもりで来たなら、カインは連れてこない」
カインが横を見る。
「閣下、それ褒めてるのか」
「半分はな」
「残り半分は」
「問題が起きた時の突破口だ」
「正直すぎるだろ」
ライナが言う。
「ポッドロック、解除まで十五秒」
カインが拳銃を抜く。
「たぶん十五秒も待ってくれないぞ」
ヴォルフが微笑む。
『正解だ』
その直後、警報が鳴った。
《機密保持プロトコル起動》
《クレイドル放棄シーケンス開始》
《全証拠消去》
《侵入者排除》
ライナが顔を上げる。
「施設崩壊プログラムです!」
カインが呟いた。
「施設を潰すのか」
アトリーが苦い顔で言う。
「ずいぶん歓迎が派手だな」
ヴォルフは冷たく笑う。
『アトリー元帥、ライナ副官、そして英雄カイン・ウォーカー。三人まとめて事故に遭うとは、連合軍にとって大きな損失だな』
カインは即座に返した。
「言い方がもう事故じゃないな」
ライナが淡々と補足する。
「報告書の文章が見えますね」
アトリーが言う。
「勝手に死亡報告を書くな、ヴォルフ」
『安心しろ。英雄的な最期にしてやる』
カインは銃を構えた。
「余計なお世話だ」
警備ドローンが天井から落ちるように展開した。
三体。
六体。
十二体。
カインが先頭に出る。
「閣下、下がれ」
「上官に命令するか」
「今はする」
「なら従おう」
アトリーは一歩下がりつつ、軍用拳銃を抜く。
その動作に無駄はなかった。
カインは短く笑う。
「撃てる元帥ってのは厄介だな」
「飾りの軍服ではないさ」
ライナが端末を操作しながら言う。
「左通路、閉鎖。右から来ます」
「了解」
カインが二発撃つ。
ドローンのセンサーが割れる。
アトリーが一発撃ち、脚部関節を抜く。
ライナが隔壁を落とし、三体をまとめて潰す。
カインが口笛を吹いた。
「ライナ、戦闘員じゃないだろ」
「軍務です」
「便利すぎるだろ、その軍務」
「あなた方の後始末で鍛えられました」
アトリーが苦笑する。
「反論できんな」
ポッドのロックが外れた。
プシューッ、と冷却霧が漏れる。
カインがすぐに駆け寄り、少女を抱き上げる。
軽い。あまりにも軽い。
少女の瞼が震えた。
薄い紫の瞳が、ぼんやりとカインを見る。
「……だれ……?」
カインは短く答える。
「助けに来た」
少女の指が、カインの服を掴む。
「……ほんと……?」
アトリーが近づき、少女の目線に合わせて膝を折る。
「本当だ」
その声は、元帥のものではなかった。
ただの大人の声だった。
「君をここから出す」
ライナが自分の上着を少女にかける。
「寒くありませんか」
少女は答えられない。
ただ、カインの服を握る力だけが少し強くなった。
カインは言う。
「この子の名前は」
ライナが端末を確認する。
「名は、アイリス」
アトリーが頷いた。
「では、アイリスを連れて帰る」
ヴォルフのホログラムが笑った。
『帰る場所などない』
その言葉と同時に、施設全体が大きく揺れた。
ライナが叫ぶ。
「通常脱出路、閉鎖されました!シャトル格納庫もロック!」
カインがアイリスを抱え直す。
「別の案は」
ライナが端末を走査する。
「地下最深層に大型艦反応。創世級試作実験艦、エーテル・ガイスト」
アトリーが即断した。
「そこへ向かうぞ」
カインが笑う。
「ついでに戦艦を盗むのか」
「正確には接収だ」
ライナが即座に言う。
「法的にはかなり苦しいです」
「では奪取だ」
「より悪くなりましたね」
カインは通路奥を見る。
「まあ、分かりやすくていいな」
三人は走った。
カインがアイリスを抱える。
アトリーが後方を撃つ。
ライナが隔壁と通路ロックをこじ開ける。
警報は鳴り続け、天井は崩れ、壁のケーブルから火花が散る。カインが叫ぶ。
「ライナ、最短ルート!」
「右です!」
右へ曲がった瞬間、通路の先に警備ドローン。
カインが撃つ前に、アトリーが撃ち抜いた。
カインが横目で見る。
「閣下、腕は落ちてないな」
「現場は久々だがな」
「元帥にしては十分だ」
「褒め言葉として受け取ろう」
ライナが言う。
「軽口は走りながらお願いします」
カインとアトリーが同時に返す。
「走ってる」
「走っている」
ライナはため息をついた。
「息が合いすぎです」
最深層格納庫。
そこには、巨大な艦が眠っていた。
未完成の装甲。
剥き出しのフレーム。
仮設配線。
だが中央のエーテル・コアだけは、まるで心臓のように青白く脈動している。
創世級試作実験艦。
エーテル・ガイスト。
カインは見上げた。
「でかいな」
アトリーが言う。
「報告書で見るより立派だな」
ライナが頷く。
「この艦に使われたはずの予算が、あの実験区画へ流れていた可能性があります」
「なるほど」
カインは艦を見たまま言った。
「なら、なおさら盗む価値がある」
アトリーが訂正する。
「接収だ」
ライナも訂正する。
「この状況では奪取です」
三人が艦の搭乗口へ近づくと、格納庫全体に声が響いた。
『未登録生命反応、四』
『軍事権限保持者、一』
『補佐官級権限保持者、一』
『英雄特権保持者、一』
『異常共鳴体、一』
カインが足を止める。
「艦載AIか」
『肯定』
『本艦は創世級試作実験艦エーテル・ガイスト』
『私は自律意思決定知能、ADMIRAL』
アトリーが前へ出る。
「アドミラル。私は連合軍元帥エドワード・アトリー。この艦の起動を要求する」
『元帥権限、確認』
『ただし、本艦は通常指揮系統より隔離されている』
ライナが小さく言う。
「恐らくヴォルフ側で切ってあります」
『質問』
アドミラルの声が冷たく響く。
『その少女をどう扱う』
カインはアイリスを抱えたまま、顔を上げた。
「人間としてだ」
『証明を』
アトリーが答える。
「証明は不要だ。そう扱うと、今ここで決めた」
『軍事合理性は低下する』
ライナが即座に言う。
「少女の生存を最優先条件に設定してください」
『ライナ・ヴェルグ。その条件は撤退成功率を下げる』
ライナは表情を変えない。
「成功率の定義を修正してください」
『修正内容は』
「少女を置き去りにした場合、それは成功ではありません」
沈黙。
カインが笑った。
「副官らしいな」
アトリーも静かに頷く。
「同感だ」
アドミラルの声が、少しだけ変わった。
『判断』
『三名の意思を確認』
『軍事合理性よりも、少女の生存を優先』
『逃走ではなく、奪還』
『撤退ではなく、反逆』
アトリーが微笑む。
「言い方は悪いが、間違っていない」
カインが言う。
「いい性格だな、この艦」
ライナが淡々と答える。
「元帥と相性が良さそうです」
「どういう意味だ、ライナ」
「そのままです」
そして、アドミラルが告げた。
『承諾した』
『――契約成立だ、アトリー閣下、ライナ副官、英雄カイン』
『少女の命と貴様らの反逆』
『確かに、私が預かろう』
エーテル・ガイストが起動する。
未完成の艦体に、青白い光が走る。
固定アームが外れる。動力が唸る。
格納庫の警報が、さらに激しくなる。
《無許可起動》
《創世級試作艦、起動》
《全迎撃システム作動》
カインが艦内へ駆け込む。
「艦橋は」
『中央区画。未完成だが使用可能』
ライナが端末を接続する。
「誘導表示、出します」
アトリーが周囲を見る。
「未完成艦で脱出か」
カインが返す。
「視察の帰りにしては派手だな」
「私もそう思う」
ライナが低く言う。
「今回の視察報告書は絶対に書きたくありませんね」
カインが言う。
「題名はどうする」
アトリーが即答した。
「クレイドル施設内部視察における重大な不備について」
ライナが首を振る。
「控えめすぎます」
カインが言った。
「視察に行ったら人体実験と戦艦とが出てきた件とかは」
「却下です」
「分かりやすいだろ」
「公式文書にできません」
アトリーが笑う。
「非公式の題としては悪くない」
「アトリー閣下」
「すまん」
艦橋。
中央に艦長席。
その横に副座。
さらに補助指揮席。
アドミラルの声が響く。
『指揮権限者を指定せよ』
アトリーがカインを見る。
「座れ」
カインは眉をひそめる。
「閣下がいるだろ」
「私は元帥だ。艦長ではない」
「便利な時だけ肩書きを使うな」
「不便な時も使っている」
ライナが言う。
「カイン。早く座ってください。施設が崩れます」
「ライナ副官まで」
カインは短く息を吐き、艦長席に座った。
アトリーは補助指揮席へ。
ライナは副座に滑り込む。
アイリスは艦橋後部の仮設医療シートに寝かされる。
『艦長、着座確認』
『補助指揮官、着座確認』
『戦術管制、接続確認』
カインが操縦系を握る。
「アドミラル、飛べるか」
『飛べるか、ではない』
『飛ばす』
カインは笑った。
「いい答えだ」
アトリーが前方スクリーンを見る。
「カイン、抜けろ」
「了解」
ライナが即座に言う。
「右舷下方、迎撃砲台。左上方、崩落予測」
「どっちに行けばいい」
「正面です」
カインは一瞬だけライナを見る。
「副官、たまに閣下より乱暴だな」
「最短です」
アトリーが笑う。
「私の副官だからな」
「納得した」
エーテル・ガイストが加速する。
格納庫の外壁へ向かって。
警報。迎撃砲。崩落する天井。
カインは操縦桿を押し込んだ。
「行くぞ」
未完成の巨艦が、カリストの氷殻を突き破った。
宇宙。
カリストの白い地表を背に、エーテル・ガイストは闇へ滑り出した。
背後でクレイドルが崩壊する。
赤い警告灯が艦橋を照らす。
だが、艦は飛んでいる。
アイリスは眠っている。
カイン、アトリー、ライナは生きている。
それだけで、今は十分だった。
しかし。
連合軍中央通信網に、ヴォルフ元帥の緊急声明が流れた。
前方スクリーンに、ヴォルフの顔が映る。
『連合軍各位へ通達する』
ライナがすぐに通信を解析する。
「広域軍用回線です。早い」
ヴォルフは淡々と続けた。
『カリスト地下施設クレイドルにおいて、エドワード・アトリー元帥、ライナ・ヴェルグ副官、英雄カイン・ウォーカーが独断で機密区画へ侵入』
アトリーの顔が険しくなる。
『重要研究資産を破壊し、試作戦艦エーテル・ガイストを強奪。施設はその影響により崩壊した』
カインが低く言う。
「好き勝手言うな」
『三名は現在、連合軍統制を離脱。重大な反逆行為の疑いあり』
ライナが端末を叩く。
「こちらの通信権限が凍結されました」
アトリーが言う。
「反論は」
「即時には困難です。ヴォルフ側が先に回線を押さえています」
ヴォルフの映像は続く。
『なお、同行していたと思われる不明な被験体については、危険なエーテル共鳴体である可能性が高い。接触を避け、発見次第、軍司令部へ報告せよ』
カインの目が冷たくなる。
「この子まで化け物扱いか」
アトリーは拳を握る。
「ヴォルフ……」
通信が切れる。艦橋に静けさが戻った。
いや、静かではない。未完成艦の警告音。
損傷警報。追跡反応。
そして、自分たちの居場所が軍の中から消えていく音がした。
ライナが言う。
「元帥。軍内部の味方へ接触を試みますか」
アトリーは少し沈黙した。
それから首を横に振る。
「今は駄目だ。こちらから繋げば、相手も巻き込む」
カインが言う。
「閣下の居場所もなくなったな」
アトリーは苦笑する。
「元帥室に戻れない元帥とは、なかなか新しい」
ライナが淡々と言った。
「副官室も凍結されました」
「すまんな、ライナ」
「後で弁償してください」
「何をだ」
「机の中に置いたままの高級茶葉です」
カインが思わず笑った。
「そこか」
「重要です」
アトリーも笑う。
「分かった。必ず取り戻す」
ライナは眼鏡を直す。
「では、反逆の目的が一つ増えました」
カインが前方を見た。
「茶葉奪還作戦か」
「正式名称にはしません」
「残念だ」
アドミラルが割り込む。
『現状整理』
『連合軍内における三名の立場、危険』
『少女アイリスの身柄、危険』
『本艦の存在、危険』
『結論』
『全方位、危険』
カインは呆れたように言う。
「分かりやすいな」
アトリーが頷く。
「では、安全な場所へ行くしかない」
ライナが問う。
「候補は」
アドミラルが答える。
『自由港』
カインが眉を上げる。
「裏社会か」
『表社会に居場所はない』
アトリーは苦笑した。
「初回から随分な展開だな」
カインが言う。
「閣下が一緒に来たせいだ」
「責任の一部は認めよう」
ライナが即座に言う。
「大部分です」
「手厳しいな」
「事実です」
後部の医療シートで、アイリスが微かに目を開けた。
「……ここは……どこ……?」
カインは振り返る。
「艦の中だ」
「……こわいところ……?」
カインは少し考えた。
アトリーも、ライナも、黙っている。
答えたのは、カインだった。
「怖くない場所にする」
アイリスの指が、シートの布を掴む。
「……ほんと……?」
アトリーが静かに言う。
「本当だ」
ライナが続ける。
「そのために、今から非常に面倒な逃亡生活を始めます」
アイリスは意味が分からないまま、きょとんとした。
カインは笑った。
「副官、そこはもう少し優しく言え」
「事実ですので」
アトリーが前を見る。
「よし。方針を決めよう」
カインが操縦桿を握り直す。
「自由港へ」
ライナが航路を入力する。
「潜伏航路を設定します」
アドミラルが告げる。
『エーテル・ガイスト、潜伏航行へ移行』
『目的地、自由港』
『搭乗者、反逆元帥一名』
アトリーが眉を上げる。
「反逆元帥とは」
『反逆副官一名』
ライナが眼鏡を直す。
「その呼称は不本意です」
『反逆英雄一名』
カインが笑う。
「俺はまだ分かる」
『保護対象少女一名』
アイリスが小さく瞬きする。
『以上』
『閣下と副官と英雄の航跡を開始する』
カインは小さく息を吐いた。
「重すぎないか」
アトリーが言う。
「だが、まだ全員生きている」
ライナが続ける。
「そして、高級茶葉も未回収です」
「そこに戻るか」
アイリスが、ほんの少しだけ笑った。
それを見て、カインは前を向く。
エーテル・ガイストは闇の海へ進む。
本来なら一人の英雄が背負うはずだった罪と救いを、この世界では、元帥と副官と英雄が三等分した。ただし、面倒ごとは三倍になった。
こうして、連合軍史上もっとも説明しづらい逃亡劇が始まった。
作者のモチベになりますので、
★評価よろしくお願いします。
_| ̄|○何卒。




